枯れの待つ 庭に 花はなく 枯れの庭 / 1 定期的な振動が、腰を下ろした座席を揺らしている。かれこれ一時間ばかりは続いているだろうか、規則正しいだけの単調なリズムは、気を抜くと意識を眠りの淵へと引き込もうとして来ていけない。 私も歳を取ったものだ、と思いながら、人差し指と親指とで挟み込む様にして佐久間は目尻を揉んだ。一度瞼を下ろした事でぼやける視界には、シートに据え付けられている折り畳みの簡易な卓と、その上で仄明るく光る小型のノートパソコンのディスプレイが映っている。 最後にもう一度認めたメールの文面を確認してエンターキーをぐっと押し込めば、[送信中]のアラートが数秒表示されて直ぐに[送信完了]となって消えた。 小型の無線LAN機器を搭載した機体と、近年採用された衛星を用いたネットワーク整備のお陰で、仮令200km/hを越える速度の車中だとしても、オフィスに居るのと何ら変わりのない執務が可能になっている。 全く天人様々だ、と正直に胸中で思う。天人の来航以降、この国は大きく変わった。変わりすぎたと言っても良い程に。 佐久間の若き頃では、今周囲にある何もかもが考え難いものだ。風の様な早さで移動する列車も、二つ折りの板に付けられた文字盤を叩いて行う執務も、遠方の人間ともタイムラグなく遣り取りの出来る技術も。全て。 同じ様な世代の者の中には、それらの技術の恩恵に未だ不慣れな者も多い。元より江戸幕府、徳川家に仕える幕臣の家柄の多くは、数世代前より形骸化された官僚と化していた。それが今更、それも自分の代になって、盤石であった筈の『家名』と言う身分を剥奪されるやも知れない程の政治的な改革に晒され、慌てて筆や刀を手に取る羽目になった。 形ばかりの技倆や嗜みでは無く、国の為に働くと言う意を真に叶える必要が生じた。そんな『大慌て』の幕臣らの中で佐久間は自らを利口な方であったと自負している。天人の齎すものなど、と当時顔を顰めた古狸らとは違い、進んで彼らの技術と恩恵とを学んだ。学を学び直すには些か歳は食っていたが、まるで僧侶や術者の行うまじない術や手品にも等しく感じられた『文明』を日々必死で吸収した。そうする傍らで将軍家や他の目上の幕僚に必死で仕え、恩を売って、利を与えて、抜け目なく立ち回り、何とか今の地位を得て保ち続けている。 近年、現将軍の考えもあり、続いた家柄やその氏よりも生まれに関わらず実力主義を取り量るきらいも極少数ながら出始めている。未だ家や身分の名に縋り付く幕臣に『成り上がり』などと揶揄される者らが、何れは重用される未来像もそう遠くはあるまい。 激動の時代に晒され生きる事となった佐久間にとって最も幸いだったのは、確かな身分や家柄と言う器に在っても野心や欲の深い自らの性質だった。奢りや自負は家の名とそれを作った祖先に無論あれど、望めるならもっと多くを、と言うその性質こそが今の地位を間違いなく得させたものだ。 天人の来航後も、最も多くの利潤を得、市井に速やかに文明の恩恵を広めたのは商人たちの欲深さだったと言うのも頷ける。疑心と、欲深さと、慎重さ。それらが大きなうねりとなって形を成したのが今のこの国だ。 まるで将棋の盤面を俯瞰している様な要素と、遊戯に頬を歪める程度の余裕。慣れてさえ仕舞えば、今の世界は悪いものでは決して無い。 そんな思考に僅かに笑みながら、佐久間は卓の上のマウスをついと動かし、ノートPCのディスプレイに将棋盤を映し出した。盤面は途中で、これから慎重に王手を詰める思考に入る所だ。 指し手は自ら。相手はいない。戯れに日々、対する者と自らとの役を演じながら駒をひとつひとつ動かしているだけの遊戯。 今日は相手の手番だ。大分詰みに近くなった盤を暫し見つめる内に、やがて良手を思いついて駒を動かす。あと数手で王手となっただろう盤面は、然し未だ何とか生き長らえそうだった。 ふむ、と小さく笑い、盤を閉じる。単純な暇潰しの遊戯となる筈が思いの外に続いている。それは自らの指し手が良いのか、或いは。 目に見えぬ盤の対面に、黒髪の若い侍の姿が暫時浮かぶ。最近対戦者の手を指す時は、児戯に等しいあれの小賢しさを脳裏で描きながら行っているから、ひょっとしたらその所為だろうか。そこまではあの学の無い田舎者達を買っている心算は全く無いのだが、連中は一様に、諦めの悪い、とでも言うのだろうか。負け戦にも折れぬ様な意思の強さを時折見せる。 侮れない、と言うよりは、何をするとも知れない、と言う類のものだ。懸念よりは寧ろ忌々しさを想起させる。だからこそ予想もしていなかった手を時折見せる。今し方の様に。 野心は未だ在る。欲もだ。だが、天導衆と言う『蓋』がこの国に覆い被さる事を変えられぬ現状、それの選んだ手足が将軍家として君臨している事もまた代え難い。なれば、野心の行き着く先は幕僚として得られるものを貪欲に食い尽くして行く事に在る。 だからこそ、佐久間にとっての余生は遊戯にも等しい。既に子の代には安泰な道を歩かせているのだし、自らの先行きも、油断しない限りは程良い享楽を楽しむ程度の余裕は存分にある。 女や男を買う真っ当な遊戯は疾うに遊び尽くした。比較的に真っ当な賭博も余り食指の動くものではない。 見たいのはぎらぎらとした人間の生と、希望や野望を秘めた眼差しにこそある、他者の愚かしい欲だ。それを摘み取る事は恰も自らが遊戯の盤面を支配するルールになった様な悦楽を齎す、佐久間にとっては何にも代え難い愉悦だった。自らの欲が強いと自負するからこそ、己のものではないそれを簡単に突き崩す事は、何よりも痛快で単純な愉しみなのだ。 煉獄関を始めとする違法な遊戯の数々は佐久間のそう言った欲求を実に合理的に効率的に満たしてくれていた。しかもそれが『天』の公認の『遊び』なのだから、正しく己を神か法(のり)かと思い違えもしたくなろうものだ。 だが、それを崩した愚かな者たちが居た。以前より煉獄関の違法性を知り、合法に消す手段は無いものかと嗅ぎ回っていた雑種の野良狗達だ。一様に黒い毛並みを揃えて、銀の鈍い牙を携えて駆け回るそれらは、奉行と言う自らの役職と取り回しの利便性を考えて飼う事に決めたものだった。 それは飼い犬に手を噛まれると言う体験に良く似ていたのだと思う。 同時に浮かんだのは憤りよりも寧ろ滑稽さだった。 大将と仰ぐ一際体躯の大きな狗に従いそれを護るべく日々を駆けずり回り、頭と尾を地に伏せて、首輪を引かれる侭、餌を投げ与えられる侭に生きている狗が居た事を、佐久間はその時思い描く迄も無く思い出した。 その狗が、毛並みだけは大層美しかった事と、その美に沿う様な気高さを一丁前にも持っていた事さえ思い出せればもう十分だった。伏せながらも鋭い眼光が『野心』を確かに抱いて見上げている。その様は、予てから佐久間の嗜虐心を酷く刺激するものだったのだから。 鎖も、枷も、餌も直ぐに見つかった。ほんの少しの囮駒の心算で手に入れた飼い狗は存外に長らえ、無様な雌犬と成り果てて、想像通りに──或いはそれ以上に佐久間を愉しませてくれていた。 人の理性などは存外に脆い。夫に操を立てたのだと泣く女も、数日の調教で淫らな商売女以下のモノと化す。矜持などはもっと脆い。何の痛痒さえも残さずに千々に砕ければ、瓦解した己の自尊心に縋る愚かな真似は益々自らを貶め惨めにするだけの凶器にしかならない。 だが、それでもあの狗はそれを保ち続けていた。取り澄ました面を周囲に向け、なにひとつ感じていない様な態度で相対する事を止めない。 だからこそあの盤面は今も猶続いている。小賢しい狗の抵抗が果たして如何な手を指すのかと、未だに佐久間を愉しませ続けている。 適当に選び出した元良家の女と言う獲物ではない。飽く迄勤める部署は違えど立場的には上官とその配下と言う形になる人間、しかも男だ。故に少々手荒な一手を指せない故なのだろうかと思うが、それは恐らく正しくはない。 「……ああ言うのを『侍』と呼ぶのだろうな」 小さな呟きは相も変わらず規則正しいレールの振動に融けて消えた。 それですらも既に前時代の遺物でしかない。未だ錆びていないだけの骨董品の刀の様なものだ。 だが、無意味なその言葉の指すモノを、然し確かに幕府は、天導衆は畏れているのだ。 ただ、佩刀を法的に認められた、たったそれだけで『侍』を名乗る事が許される。然しその枠内こそが『侍』と呼ばれ畏れられたモノらを定義するものかと言えば、それもまた異なる。 (連中は……時に何かの熱狂の様に、意味のある形を刃として振るう。それは恐らく理屈ではあるまい。だからこそ畏れるのだ。だからこそ──狗の一匹でさえ、どんな手を指すのか知れぬ) そうでなければ『天』に刃を向け、煉獄関を潰そうなどとそもそも考えもすまい。 く、と笑いを噛み殺しながら、佐久間はメールの受信通知を示して来たノートPCへと再び手を伸ばした。 到着までは未だ時間がある。それは、埒のない思考よりも目の前の一手を堅実に築き上げる為の時間であるべきなのだから。 * 「異常ありません!」 「ご苦労」 びしり、と利き腕で敬礼の仕草を取る真選組隊士へと軽く顎を引く事で応えを返し、土方は車輌の最後尾に立った。座席の置かれていない空きスペースのそこをゆるりと歩き、窓の外を高速で流れて行く風景に特に気もなく視線を走らせる。 「凄い速度ですね。あっと言う間に大阪だなんて…なんだか信じられません」 感嘆の響きを込めて掛けられた声が己に向けてのものであると少し遅れてから気付き、土方は肩を竦めながら、言葉を発した隊士の方を振り返った。土方より幾つか年嵩の男は、年令にそぐわぬきらきらとした目で窓の外をじっと見つめている。 「その気になれば船もあんだろうが。空路の。アレなら列車なんぞ軽く追い越す速度で、蝦夷地にだって日帰り感覚で行くぞ」 車輌最後尾で周囲を伺うだけの事だが、真選組隊士として任を帯びている以上は立派な御役目だ。決して怠慢と言った様子ではないが、列車への感動で気も漫ろな所は不安点だな、と密かに脳内で採点しつつ、だがその癖に警備の穴などと言う可能性はどうでも良いと正直に思った土方がそう言えば、隊士は少しがっかりした様な表情を露骨に浮かべてみせた。 何かを──解ってないなぁ、と──言いたげなその様子に、列車に何か特別な思い入れでもあるのだろうかと思い至らないでもないのだが、こういう手合いにそう言う話を振ると大概は長話になるとは知っている。 「到着まではまだ二時間程度はある。シフトの交代もだ。旅行気分なのは構わねぇが、一般人の目もあるんだ。職務にはそれらしく励めよ」 気を抜くにも謹んで抜け、と言う、硬くない副長からの説教めいた言葉に、隊士はばつの悪そうな顔をしつつ「はい」と素直に頷きもう一度敬礼の構えを取った。 それだけを確認すると土方は踵を返した。ずらりと整列するシートの間を、左右に油断なく視線を遣りながら進んで行く。 一目で、それなりの贅を持つ者と知れる客の数はそう多くはない。未だ江戸より地方への交通の利便はそれほど飛躍的に発展してはおらず、陸路の中では比較的早い内に整備の始まった列車でさえ、実用化と利便と費用とを考えると余りメジャーな方法とは言えないのが現状だ。 江戸に棲まう者からすると、江戸から地方へ出向くより、宇宙へ出た方が早く確実に目的を達せる。旅行然り仕事然り私的な事情然り。 地方の発展は江戸の著しいそれと比ぶるまでもない程に遅れている。郊外は未だ農村が殆どで、農業を営む人々は空を行く船を見上げながら農作業に従事している。 文明が入らない訳ではないから、田舎と言えど嘗ての風景そのものと言う訳ではない。インフラ整備は民が欲する程度には成されている。 各地の旗本や領主などの支配が撤廃されて向こう、国の全てが江戸幕府と言う唯一の政府に委ねられた。だからこそ、民の不満が一所に現れぬように、実際の所なまじ都会より余程地方の方が気を遣われていると言われている程に色々と手が入れられている。 それでも交通の面にさほど変化が見られないのは、単純に用が無いからだ。 江戸の近郊ならばまだしも、目立った地方は殆どを一度戦禍に晒されており、観光の便は為せない。この列車の向かう大阪──嘗ては天下の台所と謳われた一大商業都市も、今では一部の金持ちに向けた保養施設と言う名の娯楽の場と言う程度のものへと成り果てている。 故に、地方から江戸に出稼ぎなどに来る者は居ても、江戸から地方へ物見遊山に出て行く者は多くない。整備のされた列車に高い旅費を払ってまで乗って行くのは更に以ての外だ。それこそ宇宙にでも行った方が建設的と認識される程に。 車輌は十二両編成の、速度の速い特別のものだ。だが今は最高速度は出していないので(コストの問題である)、普通の列車よりは列車好きらしい隊士が関心する程度に早いだけなので、土方としては移動時間が無駄に長くなっている事に寧ろ不満があるぐらいだ。 その車輌の、前から二番目の一両は警護対象である佐久間の貸し切りになっている。当該車輌の前後の入り口にそれぞれ一人づつの見張りと、最後尾と先頭の車掌室にそれぞれ一人づつの警備。残る一般利用客の乗る車輌を一定時間で見廻る二人一組の歩哨。プラス、交代要員と待機要員二名が一般車輌にバラバラに乗り込んでいる。それに加えて指揮官である土方と、その代理役に沖田。 計十名が佐久間の要請に従い真選組が用意した、大阪行きの全数となる。 土方は油断無く車輌を見回して歩を進めていたが、実際の所乗客の数もそう多くない所に持って来て、ただの幕臣の警護と言う御役目だ。正直な所危機感はまるで感じていなかった。 将軍などの極秘の護衛ならばまだしも、ただの御奉行様程度にやり過ぎだろうとは当初思わないでもなかったのだが、大阪城には他の幕臣仲間もお忍びで訪れていると言う。彼らとの会合もスケジュールに含む事と、奉行と言う犯罪者の怨みを買う立場なのもあって、こんな大仰な編成が組まれたと言う訳だ。 経緯を思い出して吐き捨てる様な溜息をつく。車輌内が禁煙なのも相俟って、土方の表情は不機嫌と言うより剣呑なそれだ。 ある程度富裕層の家族連れらしい三人にあからさまに「ひぇっ」と怯えられ、その子供には今にも泣きそうな顔を向けられた。失礼な。 本来ならば沖田までを連れて来る気は土方には無かったのだが、珍しくも何故か沖田自身が乗り気で同道を望んで出て来たのだから仕方あるまい。曰く、大阪城にはその筋では有名なSMクラブがあるのだとか何だと嘯いていたが、真意を問い質した所でどうせ答えは返るまい。ただ、未成年だろうが、と形ばかりの釘は一応刺しておいたが。 近藤の身辺の方が大事だろうと土方は言い張ったのだが、結局はその伝家の宝刀にさえ何故か揺らがなかった沖田の言い分に折れる形となった。 そしてある意味で仰々しい面子になりそうだと言う予感を、それで間違いはないのだと肯定するかの様に、佐久間が列車に乗り込む予定だった駅で爆破物設置の騒ぎが起きた。 幸い爆発前に処理が済んだお陰で、駅に営業面での損害が出たり、江戸の人々の足の一部が妨げられた程度の軽微な被害だけの結果に終わっている。 爆弾自体は監察と捜査班が分析している。そうかからず、その出所や目的は知れる筈だ。 テロリストの手口と思しき爆弾は、予告さえ無く線路に隠す様に置かれていた。偶々警備に回っていた隊士(列車好きの彼である)が目敏くもそれに気付いた為に事なきを得たが、そうでなければ車輌かそれに乗る予定だった佐久間に何らかの被害が及んでいた可能性は十二分にある。 だが、恐らくそれは完全な意味での目的ではないだろう、と土方は結論付けていた。 テロリストが爆弾を設置する目的は主に示威行動だ。故に予告やその出所や目的はあからさまに記されたものでなければならない。そうでなければ何の意味もないからだ。 逆に、人的でも物的でも、何らかの確実な被害を狙って爆弾を用いるのだとしたら、それは爆発前に気取られてはならない。爆弾と言う代物自体が殺傷力が強く、威力だけを見れば確実性は充分に過ぎる。だが、自らの手が直接刃を振るったり引き鉄を引く訳ではないものであるだけに、信頼性はさほど高いとは言えない。遠隔操作とて条件は同じだ。本当にスイッチは機能するのか、爆破するタイミングはずれたりはしないだろうか、攻撃対象はそこにいるのか。確実性を必要とする場合に於いて、それは剰りにも不確定要素が多い。 そこに来て爆弾とは示威にも用いられるその通りに、酷く『見た目』の効果が絶大だ。因って、一度失敗すると警戒や対策に力が入る事となり、次はないと言っても良い。よしんば次の機会に恵まれたとして、それは果たしていつになるとも知れない。 それらを鑑みると、今回設置された爆弾は『叶うならば佐久間に被害を与えたい』若しくは『脅しや牽制の役割を期待した』目的に分類される。示威にしては意思表明が何一つなく、確実性にも欠けるそれは、無言で殺意を仄めかすには充分だ。 土方は後者だろうと取っている。佐久間を害する確実な可能性よりも、一歩間違えれば無事では無かったのだぞと言うあからさまな意趣を、遠隔操作の類なく、ただタイマーの沈黙した爆弾の中に見つけた気はしているのだ。 それは今の土方にとっては光明の可能性に他ならない。佐久間から特に希望はなかったが、念の為にと言って車輌の全てに爆弾やそれに類する仕掛けがない事を確認させ、一般乗客の手荷物まで調べさせた。結果は何も成果無しではあったが、出発時刻の遅延のほかに珍しい佐久間の渋面ぐらいは引き出せた。 (さて……これが奴さんへの牽制か脅しだとしたら、それは何を目的にしたもんだ?) 思考の合間にも周囲を伺う事は忘れず、警護対象の車輌の入り口を固めている隊士らの方へと近付いて行けば「ご苦労様です。こちらに異常はありません」と形式通りの挨拶が返った。 彼らを軽く労いながら、土方は出入り口に目隠しのされた貸し切り車輌の戸を開く。 ここに来て新たに転がり込んで来た手札が、果たして有効となるかは知れない。だが、これもまた土方の当初からの懸念にも重なる、まるで得た様な絶妙なタイミングと言う点を備えている。 意味の無い事が、意味の置かれるべき場所へと偶さか顕れる確率などを問う訳ではない。況して、藁にも縋りたいのが本心にある現状ではその偶然ひとつですら、僥倖たり得る様に思えるのだ。 (少なくとも。思考する価値はある。少なくとも。思考出来る頭がある限り、諦めんのなんざらしくも無ェ) 今は場に増えた情報をどう有用に扱うべきかを考えなければならない、戦いの最中だ。 貸し切りの車輌の中程に一つだけ埋まった席をじっと見据えながら、土方は後ろ手に戸を閉ざした。 * この、高速移動をする筺の中には、あの銀色の光は届きはしない。江戸を遠く離れた今では、あの男はもう何も拘わりはしない。それは逆手に取れば、佐久間からも直接の『手』が下りはしないと言う事でもある。それだけは今回の大阪行きの中で土方にとってほぼ唯一の光明だった。 昨晩の枕元を覆った影、あれが恐らく、あの男の出した解答であり全てだったのだ。 あれだけ醒めた様子で別れた癖に、深夜の土方の私室を訪った事を思えば、未だ何らかの愛着ぐらいは抱いているのかも知れない。そう簡単に己の懐に仕舞ったものを棄てきれる様な男では無い事は、誰あろう土方自身が最も実感している事だ。 それでも、銀時は土方へと、手を伸べてみる事は疎か声の一つも寄越さず立ち去った。 だから、そう言う事なのだろう。 それならば、それが良い。 正直、今の状態で銀時を前にしたら、平静でいられる気は土方自身とてしていないのが正直な所だった。 (これ以上、笑いもしねぇ、醒めたテメェの面しか記憶に残らねぇのは、正直御免だ) だから、それで良い。 明瞭でない結論はあやふやな思考の中で、自らまるで解っているかの様にそこを避けて落ち着いた。 だから、もう良い。これ以上は良い。 * いちおう言い訳的な→動乱篇で列車の様子を見ると線路とかちゃんと整備されてんのに周囲は田舎通り越した田舎その侭っぽい風景だったんで、交通網ある程度作ったけど殆ど使われなかったりして郊外の発展ぶりはその侭なんじゃないかなー的な。 地名に関しては当時の令制国表記だと解り辛いので江戸以外現代の通称。 : → /2 |