雨降りの庭 / 5



 「あ」
 「お」
 真選組屯所の縁側をぺたりぺたりと裸足で歩いていた銀時の、正面から現れた地味顔が口をぱくんと開いて動きを止める。
 曲がって来た廊下の角。一直線上に立った所で硬直した地味顔は、彼の発したものに似た様な一音を返しつつぷらりと片手を挙げる銀時を暫しじっと見ると、やがて何事も無かったかの様に歩を再開した。
 縁側には二人の人間がすれ違うには充分なスペースはあるが、二人共レーン移動はせずに真正面から接近し、会話に困らない程度の空隙を残して再び立ち止まる。
 「…どうも。旦那にはまた色々お世話になりました。何もお構い出来ませんけど、屯所の中には関係者以外立ち入り禁止の区画もありますんで、その。余り歩き回られると色々問題が…」
 地味顔を軽く傾け、申し訳程度に会釈を寄越す山崎の気配は常の彼のものより何処か硬い。「ああ、別に」お礼なら現金でも振り込みでも、と茶化そうとした銀時の言葉は寸でで呑み込まれ、代わりに持て余した様な手が後頭部を所在なく掻き回した。掌に触れる自らの天然パーマの感触に、よく慣れた不快感が一瞬だけ鎌首を擡げて、そして沈む。
 「さっきから廊下か縁側かしか歩いてねーよ。んで、医務室、その先?見舞いでも持ってってやろーかと思ってんだけど」
 面会は可能か、と言う種の問いに、山崎はちらりと背後の廊下を振り返る様な仕草をしてから頷きを返した。
 「……土方さんならまだ起きてますけど、機嫌は最悪に近いですよ」
 「そりゃあ、ピンピンしてんのに禁煙禁マヨ状態で寝かしつけられてりゃ無理ねーんじゃねーの?」
 「いえ別にマヨまでは禁じてないんですけど」
 あの子こう言う時ジッとしてられる様な殊勝な子じゃないでしょ、と揶揄する様な銀時の言い種に山崎は惰性の様に訂正はしたが、別段怒るでもなく、得た様な苦笑を浮かべて返して寄越す。
 「そうなんですけどね。一応少しの間はじっとしていて貰わないと困るんで。ていうか旦那、副長に見舞いを持って行くって、どうせ煙草でしょう?医務室は灰皿も無いし、火災報知器鳴らされても何ですから、出来れば自重願いたいとこなんですけど…」
 「大丈夫、チラつかせて見せる用だからコレ。どうせ医務室に火なんざ無ぇだろうが。俺もライターなんぞ持ち歩かねーし。沖田くん産だかんな何せ。イヤガラセ以外の何にもならねーよ」
 言いつつ袂に放り込んだ煙草の箱をちらと見下ろす。
 沖田は銀時の「見舞い」の理由にと言う素振りでこれを渡して寄越した訳だが、よくよく考えれば現在の土方がそれを吸える筈もないのだ。このチョイスは土方へのイヤガラセ、と言う意味以上に、銀時へのちょっとした意趣返しも含まれていると取って良いだろう。本当にあの少年のひねくれ方は相当のものだと思い知らされる。
 沖田産、と言う言い回しで、その煙草がどう言った経緯で銀時の手にあるのか、と言う所までを何となく悟ったのか、山崎は地味顔に何処か同情的な色を添えて、何かを伺う様に銀時の姿を見上げて来る。
 「で、だ。実際の所どうなの、副長サンのお加減は」
 その表情が、はっきりと明言しないまでも「この場を早く辞したい」と言う気配を纏っている事に気付き、銀時は先手を打ってそう唐突に切り出した。律儀な礼と言う社交辞令の後、適当に謝礼の話でも切り出して立ち去る心算だったのだろう、山崎の表情が瞬時にして硬いものに変わるのが珍しくも顕著に確認出来た。
 「……どう、も何も。絶対安静ですよ。怪我人ですから。勿論ずっと医務室暮らしだと隊士達に不審に思われますから、自室で内勤に励んで貰う事になると思いますけど…。本人も仕事はしたいみたいですしね」
 一見澱みない様に紡がれる言葉は銀時の問いに対するそれ相応の答えになっており、力を抜いた様な口調も、「デスクワークが捗ると逆に缶詰状態の副長の機嫌は悪くなるんですけどね」などと苦笑を混ぜて付け足して来るのも、ごく普通の物言いだ。不審さを差し挟む隙など、監察と言う人心の把握に優れた山崎が見せる筈などない。──常日頃であれば。
 然し今の山崎は行動も言も態度にも、どこか本来の生彩を欠いている。それは深い付き合いでもない銀時にすら「何かあるな」と思わせる様な隙を晒している事にすら気付いていない程の手落ちと言えるだろう。
 理由として思い当たるのは、他にはないだろう昨晩の一件だ。
 すっかり意識を失って仕舞った土方を抱え真選組屯所に向かって走っていた銀時が捕まえたのは、昨日の夜番だった十番隊の原田の乗り合わせた車輌だった。土方の連絡を受けた屯所の通信室からの指示で現場に向かっていた原田のパトカーを止めた銀時は速やかに土方を連れて後部席に乗り込み、事態を直ぐに察した原田も禿頭に冷や汗をかきつつ即座にハンドルを切ってくれた。
 原田の車輌は夜番であった為、乗り合わせていた隊士が原田当人のほか部下がただ一人だったのは、土方にとっては幸いと言えただろう。副長が襲撃を受けて負傷し、一般人に救助されたと言う失態を知る者を最小限に留める事が出来たのだから。
 銀時の本心としては、土方の治療をまず考えていた為に、実際誰がどう事態を知ろうが、サイレン全開で病院へ乗り付けようが、別段構わなかった。それで土方の命が助かる可能性が幾分高いのであれば、迷いなくそうするのが普通だろう。
 だが、パトカーに乗り込んだ所で──少なからず狼狽した真選組の人間の気配を間近に感じた所で、ふと我に返った。そして、土方ならばこう言う時どうするだろうか、と咄嗟に考えを巡らせ、病院ではなく屯所へ戻る事を提案し、続け様、土方の携帯電話を拝借して山崎へコールする事にした。
 真選組屯所の裏口から戻ったパトカーを──負傷者である土方を迎えたのは、銀時からの知らせを受けてすっかり準備を整えていた山崎だった。そしてまるで腫れ物を扱う様な慎重さで土方は医務室に連れて行かれ、銀時も事情を後で聞かせて欲しいと屯所に留め置かれる事となったのだった。
 一連の作業はまるで何かの秘密の儀式の様だったと思う。それは銀時が「病院へ」と原田に一言伝えていただけで崩れていた様な、不安定な必然の秘匿。何かの偶然一つで破綻していた様な、そんな意趣めいたものを、彼らの──特に山崎の一連の行動に想起させられずにいられない。
 「絶対安静にしてなきゃなんねぇ程の怪我人に、内勤とか務まるたァ思えねーけどな」
 「……」
 探る、と言うよりは確実に踏み込んだだろう銀時の切っ先に、山崎の表情は珍しくも正直に強張った。俯き加減で視線を逸らすその脇に抱えられた書類束を何となく見遣る。そこに全ての子細が書かれていると言う訳ではないのだろうが、それを記した者は恐らく全てに近いものを知っている。銀時の知りたい答えを、知っている。
 警察と言う仕事柄、一般人である銀時には漏らす事の出来ない機密事項があるのは理解出来るし、そうやって『秘密』にされるものを、銀時はわざわざ暴こうとまでは思わない。だが、山崎の行動や噤んだ口からは、本来曲げてはならないものを曲げて言っている様な、そんな違和感を憶えずにいられない。そこからは、隠さなければならない事、と言うよりは、嘘で覆い隠そうとしている事、に近いものを感じるのだ。
 これは邪推だろうか、余計な嘴だろうか、とは思わないでもない。だが正直な所、気にしていなければ、聴取も疾うに終わったこんな時間まで真選組の屯所で居心地悪く座り込んでる筈など無い。
 昨晩の事情聴取自体はそう時間も掛からず終わったが、土方の事が気懸かりだったのもあり、一応関係者と言う事で追い返されなかったのを良い事に、銀時は気付けばその侭夜を明かして今に至っている。
 飲みに出た銀時が朝帰り或いは昼帰りする事など珍しくも無い話だから、神楽も新八も特に心配はしないだろうと思い、万事屋に連絡は未だ入れていない。連絡を入れようにも携帯電話を持っていなかった、と言う訳では断じて無い。…多分。
 山崎も、その辺りを突いて銀時を屯所から追い出す事くらい恐らく考えた筈だ。だが、それをしなかったのもやはり、一連の流れに在る奇妙さの一つだ。世話になった、と言う言葉通りの恩は恐らく感じているのだろうがそれ以上に、強く言えない様な──喩えて言うのであれば、負い目、の様なものをそこには感じる。
 そう。例えば。嘘をついて追い出すには申し訳ない、と言う様な。
 俺も余裕無ェのかな、と胸中で小さくこぼし、銀時は庭を眺める様な風情で、絞った声量で呟いた。
 「それに、安静も何も、大した怪我してねーだろ、アイツ」
 「っ、」
 並んで咲く桔梗の花の群れに視線を注ぐ銀時の横顔へ、山崎が刺す様な表情を向けてくる。驚きと言うよりは瞋恚。だが銀時がそのことに疑問を返す前に、山崎は自らの足下に視線を落とした。ぐ、と握られた拳が硬く、震えている。まるで何かを堪える様に。
 「……ええ。連中に負わされた負傷自体は、幾ら刃物に因るものとは言え殆どかすり傷みたいなものばかりです」
 長い間の後、山崎は絞る様な掠れた声音でそう、銀時に、と言うより、足下に向けて吐き出した。
 何故か痛ましくも見えるその姿に、銀時は横目の注視を暫し注ぎ、肺から息を吐く。安堵、の筈の吐息は、然し歯にものが詰まった様なすっきりしない不快感を内包している。
 あの時、銀時が最初から土方が負傷した可能性を考えなかったのは、当然その想像を銀時自身が反射的に忌避した事が大きいが、それ以上に奇妙な確信、経験に因る安心があったからだ。倒れた土方を抱え上げた時も、そこに死の気配は全く感じ無かった。故に、その寝首を掻く様に己の手が刃を求めた事実にこそ背筋を粟立たせたのだから。
 彼の隊服や皮膚を彩っていたのは殆どが返り血だった。思えばそれも当然だろう。襲撃者達は銀時が駆けつけたその瞬間正に、捕らえた獲物を嬲り殺しにしようと言う所だったのだから。あの時点で土方が致命傷を与えられていたとしたら、連中の刀も手ももう少し血に塗れていた筈だ。
 「…じゃ、倒れたのは連日の激務に因る疲労、って奴か?」
 そう口に乗せて問いてから、そんな訳はないだろうと否定の声が裡で首を擡げる。徹夜や疲労だけで、あんな紙の様な顔色で、あんなに苦しそうな表情で、銀時を拒絶する様に「離せ」と口にする筈もない。
 昼間会った彼とは、剰りにも違い過ぎるのだ。それが、あの時感じた、恐らくは最初の違和感。
 「…………疲労、は一因だと思います。今回の…、神明党に因る隊士襲撃の事件は、副長が倒れる原因になる程に、あの人に激務を強いていましたから」
 「答えになってねーよ、それ」
 「……」
 不承不承口を開いた山崎に銀時は尚も斬り込み、両者の間に暫し沈黙が落ちる。無意味な静寂ではなく、迷う刹那の静けさ。或いは躊躇いか、それとも──先頃感じた様な怒りに因るものなのか。
 真選組の内情に関わる気の無い銀時には全てが理解出来ている、訳ではない。だが、邪推ならば幾らでも可能だ。
 倒れた土方。沖田のどこか不快そうな、それを隠せない自分に少しだけ腹を立てていた様子。山崎のどこか悄然とした歯切れの悪さ。これらの材料でどんな人の悪い想像が出来るか。
 沖田はともかく、山崎の役割やそれをこなす心理は、土方を長く見る内に、土方の傍に長く居る内に直ぐに知れた。この地味に有能な監察職の男は真選組やその局長である近藤の為というより、土方の為に仕事をしている様な奴なのだと。
 同時に、日頃土方が誰に対するよりも邪険な扱いや無茶振りを山崎に向ける事は、信頼や気安さの現れなのだとも知った。
 そんな山崎がこうして貝の様に口を噤み、言い訳も歯切れ悪く、銀時へと怒りに似たものをちらちらと向けている姿から想像出来る事は何か。
 少なくともそれは紛れもない、土方の為になる事なのだろう。だとしたら、銀時に関わる謂われがないのは間違い無い。
 だが、沖田も、山崎も。まるで銀時に「何かがある」様な目を向けて来るのだ。土方が『負傷』の名目で寝かされる事となった現状、そして現状に至る──曰く『疲労』に因る意識の喪失。それらに何か、関わりがあるのだと。彼らの纏った針の様な気配がそう、表に出さずに訴えて来ているのだ。
 (俺が、アイツと懇ろな仲にある、事が原因か…?)
 一瞬そう思ってから、いや、と首を振る。仮にそうだとしたら、沖田が気に入るだの気に入らないだのと感想を抱く筈もない。銀時が先程似た様な思考をした通りに、あれは寧ろその事実をチラつかせて楽しむ方だ。
 そして山崎は、仮に土方が銀時に慕情を抱いていたとしてもそれを妬むタイプではない。寧ろ土方が望む事であればと、黙って見守る手合いだろう。
 (…………或いは、それも『一因』って奴なのかも知んねーけど。今回の場合)
 ごちながら思い出すのは、路地裏で、銀時の速やかな救助に持ち直した土方の事だ。
 あの時土方は「無駄足で死んでちゃ、世話無ェ」と力のない声音で漏らした。銀時が路地裏なぞにいた理由を訊いた上で「無駄足」と表したのだから、恐らく土方は万事屋に向かっていたのだ。昼間、中途半端に別れた銀時に、ひょっとしたら会いに来てくれようとしてたのかも知れない。
 それにしては深夜と言う時間は気にかかる。何故、そんな時刻に単身、夜道を万事屋に向かって歩いていたのか。
 銀時とて朝のニュースぐらいは観る(主にお天気お姉さんの為なのだが)。故に、ついこの間真選組の隊士が単身行動の末に攘夷浪士に襲撃され殺められたのだと言う事ぐらいは、報道で知れる程度には耳にしている。故に、ここ数日の土方の『激務』と言うのも、この事件が原因なのではないか、とも、一応は思い至っている。
 (いる、けど。理解と感情は生憎切り離されている、ってだけで)
 だからこそ余計に。『昼間とは違い過ぎる印象で』『こんな時期に』『疲労の挙げ句』『夜中に』『なんで一人で』『万事屋を訪おうとしていたのか』、が知れない。
 「ま、オメーらの事情には俺が立ち入って良い訳でもねーんだろうけど。一つだけ教えてくんねえ?」
 「……なんですか」
 意識して軽い声音で問う銀時に、応じる山崎の声は乾いて掠れている。恐らく、握り固めた拳の内に、怒りと、緊張とを孕んで。振り向かぬ顔が、それでも雄弁に語る。何故なのかと、問う様な瞋恚の炎をじっと灯して。
 そんな山崎の様子で、銀時は己のある程度の想像を確信せざるを得なかった。
 (『俺』が、俺の知らねぇ所で関わってる──それが多分、理由だ)
 「アイツは自分の傷の程度が大したもんじゃない、つうか、少なくとも重症じゃねぇってのを知らねェのか?」
 じゃなければ、あの土方が。怪我を負っても構わず突き進む様なあの激しい気性の持ち主が、言われる侭大人しく寝ている筈などないだろうよ、と言外にはせずに続ければ、山崎はほんの寸時だけ躊躇う様に眉間に力を込めたが、やがてかぶりを振った。
 「…いえ。さっきも言いましたが、傷自体は大した事ありません。ですが、意識を失った、事に対する理由が必要でしたから、襲撃者達の刃に毒性の薬物が仕込まれていた、と言う事にしておきました」
 言いながら山崎はちらりと銀時に視線を向けてくる。要するに「そう言う事にしてくれ」と言う事らしい。
 「あの人、すぐに無理しますから。これを機に少しぐらい休んで貰った方が良いかなー、なんて思いましてね」
 そこだけ誤魔化す様に、いつもの茫洋とした声音で笑って寄越す。そんな山崎の様子には、先程感じていた様なぴりぴりとした気配は見当たらない。感情を、激情を抑え隠すのも監察と言う役割には必要なスキルなのだろうか。思って銀時は気取られない程度に溜息をつく。
 どうせ隠すのであれば、しっかりと、少しも澱が漏れ出さぬ程にしっかりと、蓋を閉めておきやがれ。そんな苛立ちを潜ませて。
 「例の『連日の疲労』って奴か。倒れる程激務って、お前ら労働基準法とか解ってる??あ、やっぱりこんなヤクザな警察稼業には訊くだけ野暮?」
 「上に立つ人間自らあの調子ですから。超過労働は当たり前な上、有給とか殆ど取らんですからね、あの人。定休だって招集があれば秒単位で応じるしで。嘘ついて休ませるくらい、後が怖いですが…、大目に見てやっちゃくれませんかね」
 「お宅、局長(ゴリラ)や沖田くん筆頭にダラけてるイメージ結構あったんだけどな」
 フォローの達人、中間管理職は苦労するねぇと余所事の様に諳んじると、「全くです」と同意の苦笑をこぼして寄越す山崎へ、銀時は返す刀を振りかぶった。斬り込む、と言うよりは、先程斬り込んだ刃をその侭喉元に向ける様な調子で。
 「『疲労』で副長サンが倒れる程疲れてる、って。沖田くんも知ってる訳?」
 「──、」
 喉元の刃に今更気付いた様に、山崎の顔から再び笑みが消えた。「え?」と問い返す様な顔が銀時を見上げてくる。
 どうやら予想外の切り口だったらしい。袖を抜いた右腕で銀時は首の後ろをカリと引っ掻いた。これは有効な手札だろうか、と暫し考え、やがて駆け引きは諦めた。幾ら何でも趣味が悪すぎる。
 「さっき会った時、なんか土方くんの事について意味深に話振られたんでな。探る様な調子が強かったが、どっちかってェと……、苛立つ感情を仕舞い込んだ筈なのに仕舞いきれてなくて、そんな自分に腹を立ててる様な」
 沖田の、自身が歯切れ悪いのを隠す様な些か遠回しな口振りを思い出しながらそう言えば、山崎は銀時の表情と挙動とを油断なく暫し見上げ、それから溜息混じりにこぼした。
 「………………そうですか、沖田隊長が…」
 「…その口振りからすっと、『疲労』で倒れた副長サン、の事を知ってるのはやっぱてめーだけ、って事みてェだな」
 「……」
 (まるでアイツらが、いやコイツが、か?土方の事を柵で囲おうとしてるみてェじゃねーか、これだと)
 柵の中で枯れる花。咲かない花。土方の望んで住む真選組と言う場所に在ってもそんなものが存在するのかと、苦々しい思いを噛む。
 『疲労』と名付けられて説明された、昨晩突然倒れた土方の。その理由。
 負傷による被毒で意識を喪失したのだ、と理由を与えられ医務室に大人しく伏す土方は当然それを知る筈がない。
 近藤はどうだろうか、と考えるが、昨晩屯所に留め置かれた銀時の前に挨拶程度で軽く顔を付き合わせた様子には、土方の事を案じる様な気配はあれど、他には何の意趣も作為も感じられなかった。そうでなくても人格だけは真正直で愚直なあの侍が、隠し事、などと言うものに向くとは到底思えない。
 先程銀時の前にぷらりと現れた沖田の飄々とした様子からは果たして何を言いたかったのか、は知れなかったが──何かを堪える様な、それ故に探る様な、試す様な。そんな躊躇いに似たものは伺えた。
 恐らく沖田は、山崎の隠した、土方の隠したい、何らかの事実がある事には、それが隠匿されている事には気付いている。だからこそ銀時にそれを問いに来た。答えやその行き先は解らぬ侭、だがきっと彼にとって酷く不快なその『何か』を見つけられはしないか、と思って。
 それは確信ではない。正しい答えに向いた角度でも恐らくはない。だが、静かに伺う様な、牽制に似たものが語る所はひとつだ。
 「てめーらが…、いや、てめー自身がか。箱入りの副長サンを囲っておきてぇのは構わねェが、ちっと過保護過ぎんじゃねぇ?どんな『疲労』かなんざ知れねーが、手前ェで疲れてりゃちゃんと休むだろ。わざわざ重症のお膳立てまでしてやるたァ…、」
 その瞬間の山崎の表情は見物だった。弾かれた様に銀時の横顔を睨み上げ、手が空いてたら掴みかかるぐらいはしたかも知れないその表情を、しかし一瞬で抑え込んで俯いた。頬の内側を噛んで項垂れ、然しもう一度だけ、泣きそうに歪んだ顔を持ち上げる。
 沖田も、山崎も、同じだった。様々な言葉や仕草に内包されたそれは、言葉には出来ない問いかけ。

 何故、この人なのか、と。
 何故、あなたがそんな事を言うのだと。──そんな、怒り或いは苛立ち。

 (それと。説明しねぇのは、説明できねぇのは、公平じゃねぇとも解ってるから、ぶつける事も出来やしねぇって言う感じの)
 隠されている身にもなりやがれ、と胸中で吐き捨てながら、銀時はその侭山崎の横をするりと通り抜けた。中庭に並ぶ桔梗の群れの遙か頭上には、今にも落ちて来そうな重たい曇天。
 押し潰されそうだ、と。冗談ではない、と。空を軽く仰いだ銀時の背を、山崎の声が追って来る。
 「っ……、旦那にだけは、言えんのです…!」
 ぺたり、と。板張りの廊下に、湿気を纏った大気が踏みつけられて場違いに暢気な足音を立てた。
 立ち止まった銀時は振り返らない。構う事なく、山崎が、まるで血を吐く様に続ける。
 「俺は…ッ、旦那こそ、旦那にこそそれを知る義務があると、そう思っています。──ですが、土方さんはそれを望まない。あの人は、アンタにだけは知られまいとしてるんです。旦那しか、止められはしないのだと。旦那になら止められるのだと、多分解っとるんです。あの人は」
 山崎の叫ぶ様な言葉の、意味の殆どを、伝えるべき先の殆どを、銀時は知らない。知らせてはいけないのだと、そう語る通りに。
 だから振り返りはしない。恐らくは山崎のこの吐露ですら、本来は土方の望む所ではないのだろうから。
 「…………すみません、旦那…。アンタが悪い訳じゃないんです。沖田隊長も、多分に全てを知っている訳ではないあの人も、俺や土方さんが口を噤むだろうと思ったからこそ旦那に答えを求めたんだと思います。だから…、旦那には何かを誰かに責められる謂われなんて無いんです。解ってるんです」
 「………」
 振り返らずとも、俯いて頭を下げた山崎の、下ろした拳は怒りと苛立ちとに震えているに違いないと、確信はある。
 だからこそ、銀時は振り返りも意識もしない侭、ただ黙って歩を再開した。
 (……俺だって、あの子が辛ェのは、望んでねェのは、厭に決まってんだろ)
 こんな気休めさえ吐けない。恐らくは、知らない人間には──知らされてはいけない人間には、吐く資格などないのだ。
 (なぁ土方。お前は一体、俺の為に何をした?)
 庭に咲かなかった筈の花と。思ったのは短絡的だったろうか。
 恐らくはずっと咲いていた。
 種子を腐らせたその内側でも、花はずっと密やかに咲いていてくれていたのだ。
 囲いの無い荒れた庭で、ただ密やかに。庭師にすら知れない程の、まるで秘め事の様に。
 (お前は、多分俺が知ろうとしなかっただけで──…、ずっとずっと其処に居てくれて、)
 『何かをした』のだ。
 恐らくは、銀時がそれを知れば、負い目や怒りを抱くだろうと、そう思ったからこそ口を噤んで。
 苦い思いを呑み込む事が出来ず、銀時は廊下の角を曲がった所で足を止めた。忌々しい心地と同じで、全く晴れ間の無い空を見上げる。
 見上げる厚い雲。見下ろす遠い雷鳴。並んで咲く桔梗たちが、風に一斉に揺らされる。
 ああ、雨が降りそうだ。







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