雨上がりの花 / 6



 地上に出れば、想像以上に辺りは騒然とした空気に包まれていた。もう夜も遅い時刻だと言うのに辺りは未だ慌ただしく、真選組隊士たちの黒いシルエットがあちらこちらに蠢いている。
 「…こんな所にあったのか」
 肩を竦めた土方が、立ち入り禁止のテープに囲われた『非常口』と書かれた扉を潜り出れば、そこは大阪城楼閣の賭博フロアの一角だった。
 地下の煉獄関への、一般用入り口の一つである。地上とを繋ぐ通路は他にも、従業員用のものや搬入口やらあるらしいが、此処が主に一般の観戦客を招き入れていた入り口だと言う。
 当然扉を潜れば直ぐ地下、と言う訳ではなく、巧妙に隠された上、見張りが常駐しているとの事だが。成程確かに此処ならば、警護用のPDAの、警護対象者のマーカーが在室後は動かない様になっているフロアだ。上層階のVIPエリアから入るには至らない客らであっても、誰に気取られる事もなく『遊び』に行く事が可能だろう。
 佐久間ら煉獄関の主や、VIP観戦席に通される様な上客は、上層のフロアから直通であの、高台の特別観戦席へと案内されると言う訳だ。一般人も入れるエリアと完全に切り分けている辺り、プライバシーやセキュリティを相当に気にする様な客ばかりを相手にしているのだろう。確かにこれは相当に実入りの良い『釣り』になりそうだ。松平が動かない手はない。
 入り口を見張っている隊士らがテープを持ち上げてくれるのを、「ご苦労」と労いながら潜り抜ければ、見慣れた隊服の見慣れた顔達の動き回る、居慣れた『現場』の喧噪がそこにあった。なんだか漸く元の世界に戻って来た様な心地になる。
 「あー。眠ィし疲れたわ。ここのスイートとか一泊開けてくれて良い貢献度じゃねぇ俺?もちろん土方くん付きdうぼぁッ」
 「普段碌に働いて無ェんだ、帳尻取れて結構な事じゃねーか」
 後に続いて出て来た銀時が妙な事を宣いかける寸前に、その顔面へと土方は容赦なく靴底を叩き込んだ。強打したらしい鼻っ柱を抑えて呻く銀時へ、追い打ちをかける様に煙草の煙を吐き出す。
 「ちょっと前までのしおらしい土方くん行方不明だよ捜索願い出してイイ?」
 猶もぶつくさと不満そうに続けようとする銀時の胸倉を掴み上げて、土方はにこりと笑いかける。口元でだけ。
 「寝言か?眠気がキレて遂に立った侭お休みか?起こしてやらねーと気の毒だよなァ」
 「イヤ起きてますスミマセンっした」
 「ふン」
 諦めた様に諸手を上げて降参を示す銀時からぱっと手を離し、土方は銀時に背を向けた。一部始終をぽかんと見ていた見張りの隊士二人をぎろりと睨めば、彼らは慌てた様に視線を逸らして仕舞う。
 その侭辺りを軽く見回し、広い賭博フロアに目的の姿が無いと知ると、
 「近藤さんが来てると訊いたが、何処だ?」
 土方は率直に問いを声に乗せた。特別不機嫌を顕わにした訳でもないが、びくりと身を竦める様な仕草をして、隊士らは互いに何やら目配せをしている。どうやら、どちらが答えるかを押しつけあっているらしい。
 「何処だ」
 もう一度問えば、今度は幾分トーンが下がっているのが自分でも解って、土方は少しばつの悪い思いを、短くなった煙草と共に揉み消した。
 「……急ぎの報告があんだよ。大体で良い。何処に居る」
 告げた居場所が間違っていたらそれだけで斬り殺されかねないとでも思ったのだろうか。極力柔らかく言い直せば、恐る恐る、と言った感じで「多分、一階のロビーにおられる…のではないかと」と応えが返る。
 「そうか、助かった。その侭警備に励んでてくれ」
 一体どれだけ俺は不機嫌そうに見えるのだろうか。そんな事を考えつつ、土方はまだぶちぶちと文句らしきものを言いながらその場にしゃがみ込んでいる銀時を蹴り飛ばして歩き出した。
 「何。急にDVな年頃?」
 どうしたんだよ、と口にしながら横に貼り付いて来る銀時を押し退けた所で、土方は己の『不機嫌そうな』様子とやらに漸く得心がいく。
 「……あんま近付くんじゃねぇ。マジでDVにするぞ」
 「今でも充分ドメスティックなバイオレンス以外の何でもねーよ。何、ほんとどうしたのお前」
 「〜だから近付くんじゃねえって」
 顔を覗き込む様に寄せられ、土方はぴしゃりと掌を銀時の顔面に叩き付けた。「あ痛」と後ろ向きに仰け反りはするが、その手は確と土方の腕を掴んでいる。
 「離せ」
 「何で」
 苛々と問えば真顔で返される。簡潔。そして明かな不満。
 「なあ土方、何かあるならちゃんと話せや。さっきそう言ったばかりじゃねぇ?」
 それでも銀時は辛抱強く言う。以前までだったらとっくに匙を投げ「あっそう」と拗ねて踵を返している所だ。それを思えば、『待て』の効かない飼い犬の様に纏わりつく今の様は決して悪いものではない、筈だと言うのに。
 はあ、と溜息をつく。恐らく自分の自己認識はとても正しいと土方は諦め混じりに思う。同時に、この腐れ天パの考えている事もそれなり正しくて。そして疎い。
 「……言いたくねぇ」
 上手い返し方も思いつかず、でも苛立ちの気配だけは何とか呑み込んでそう口にすれば、続けて煙草を探りかけた手を取られた。
 「土方」
 不安で。そしてほんの少し怒った様な声。そこに、日頃の銀時からは感じられない様なある種の真剣さ──誠実さだ──を確りと聞き取って仕舞った土方は、仕方無しに足を止めた。
 苛々と早足で歩くうちに辿り着いていた一階ロビーの一角。エントランスから続く中央階段は避けて来た、少し小さめの「く」の字に折れた階段の下。ホール中央にある噴水から流されている水路が足下にあり、金箔貼りのその中を高級そうな錦鯉が、人間たちの喧噪など知らぬ顔で優雅に泳いで行くのが見える。
 滑らかに動くその、一体何処が高級とも知れない魚影を見下ろしながら、土方は小さく咳払いをした。
 「…………なんつーか。その。弁えろ」
 直ぐ近くには居ないが、真選組の隊士らが動き回っている姿は視界には入っている。当然向こうからも特に意識せずとも見えているだろう。当然だ。別に隠れ潜んでいる訳でもないのだから。
 だが、不審そうな動きや気配をしない限りは気に留められもしない。銀髪の浪人めいた男を伴った、隊長格の者の制服が何となく視界に入るだけ。わざわざ好んで近付いて来る物好きな隊士もいない。
 ああ全く。何でこんなにこっちが気を遣ってやらないといけないのだろう。
 「解ったんなら離せ」
 極力目立たない様にと言う土方のその努力は、然し次の瞬間無惨にも引き裂かれた。
 「……っおい!」
 真顔の銀時が、この上更に大真面目な顔を作ったかと思えば、突然真正面から土方を抱き締めた。寧ろ抱きつく勢いで。
 「黙っとけ」
 銀時にそう言われる迄もなく怒鳴り声は呑んだが、それでも、視界に入る妙な絵面へと隊士らの注視が向くのが解る。
 そうだ、妙な絵面だ。大の男が真っ向から乳繰り合…ってはいないが、抱擁を交わしているなどと。しかもその片方は自分達の上司である鬼の副長なのだ。
 「悪ィ。〜もうお前なんなの、この侭そこらに持ち込み寧ろテイクアウトしたいんですけど。銀さんの銀さんが色んな意味で泣きそうだよどう責任取ってくれんのお前コレ」
 早口でそう、土方の耳元へと囁く様に言うと、銀時はなけなしの理性を総動員しましたと表情にでかでかと書いた様な、弛みきった情けない面で土方の身体をぐいと引き剥がした。
 「っあのな…、」
 「いやだって君ね、ここで恥ずかしがるとか何。さっきまで何かもっと凄ェ爛れた会話してなかったっけ俺ら、つーかお前。だのになんでここで、人が見てるから…的な恥じらいな訳、どっちもギャップになんかこうムラッと」
 「黙れェェェェ!!」
 結局最後の引導を渡して仕舞ったのは土方自身だった。銀時の顎に思い切り良い痛打を極めて、その絶叫と行動とにぽかんと動きを停止させる隊士らをぐるりと全方位に睨み付ける。
 敵を見つけた猫の様に、周囲を威嚇するモードに入った副長に何を思ったかは知れない。が、隊士らは目を逸らしてそそくさと己の仕事に戻っていく。触らぬ神になんとやら。
 「……浮かれてんじゃねぇ。告り直したからってなテメェ、別に今までの俺らと何か変わる訳じゃねぇんだ」
 「えー。良いじゃねぇの、慣れようやそー言うのも。隠れ忍ぶ逢瀬で育むレンアイってのも悪かねーけど、もっとこうオープンで憚りなく、お前のもんは俺のもん、俺のもんは俺のもんだけどお前のもんでもある、って宣言してェ」
 打たれた顎をさすりながら、何やら譲歩があるのか無いのか判然とし辛いジャイアン理論的な何かを展開する男を、土方は「黙れ」の意を込めて思い切り睨みつけた。が、返るのは掴み所のない、深い笑みばかりだ。
 深海から光を求めて上がって来た魚の様な。眩しいものを見る様な目だ。
 「な?悪くねぇだろ、こう言うの」
 言って、ぴん、と土方の額を指で弾く様な仕草をすると、銀時は自然な所作で一歩離れ、それからロビーを見回して不意に手を上げた。
 「おーい、ゴリラー。こっちこっち」
 打って変わって暢気なその声に思わず土方が銀時の視線の先を追えば、エントランスの近くに隊士を伴って立つ近藤の姿が目に入る。
 「おお、そこに居たのか、トシ、万事屋!」
 顔を上げてこちらに気付くなり近藤が向かって来るのに、土方は泡を食った。「止め」の仕草をしながら、慌てて自分の方から足を向ける。この場所に用があるなら兎も角、そう言う訳ではない。大将を呼びつける様な真似など言語道断だ。
 通り過ぎ様、土方はにやにやと人の悪い笑みを浮かべる銀時へと、行儀悪くも中指を立てた。
 「…テメェ、散々人をからかいやがって。後で憶えてろよ」
 銀時の一連の奇行に、彼自身の願望がまるで無かったとは思わない、が。恐らく今までであったらこんな応酬を繰り広げる前に背を向け合って終わっていた筈だ。それでも、約束をしていた夜になればそんな些末な喧嘩など互いに流して、『恋人同士』の夜を過ごしていただろう。
 流して、目を逸らして、干渉もせず、ただ不平不満を言い募らない分だけ執着だけは深まる。まるで甘く優しい泥沼の様に。
 だから──認めるのは実に癪に障る話だが、こんな埒もなく意味もない遣り取りが有り難いのは確かだ。どれだけ苛立ちを伴うものであったとしても、それが銀時の本心から出たものなのだと確信を抱いて仕舞えば猶更のこと。
 銀時の行動や言動に一喜一憂し、本気で狼狽える己が、全く忌々しいことこの上ない。
 極力凄味を持たせて吐いた棄て台詞は然し、
 「忘れねぇよ」
 そんな風に、真っ向から受け止められて仕舞った。
 クソ、と胸中で何度も悪態を吐き散らしつつ、確かにこのペースには慣れる必要があるなと呻いた土方が近藤の前に辿り着く頃には、頭に血を昇らせていた気配など微塵も残してはいなかった。
 「近藤さん。すまねぇ、こんな所までわざわざ出て来て貰っちまって」
 近藤が何か労いの言葉などを口にするより早く、土方は腰を折った綺麗な姿勢で頭を下げた。
 土方は近藤に、今回の件をなにひとつ伝えてはいない。近藤が一体『何』の命令を受諾し江戸を離れて来たかは知れないが、今回の大捕り物を成功に至らしめたのは、摘発対象の内部に土方や沖田や山崎が潜入していたからだ。彼らの持ち出した『証拠』があってこその、いきなりの御用改めであると言える。
 だがそれは本来局長を通さなければならない程の大事だ。最初の切っ掛けが土方の個人的な目的や意図であったとして、副長職の人間が勝手に行動を起こしたと言う責は重い。隊長の一人を個人的に動かしていたと言うだけでも問題が生じると言うのに、そこに持って来て今回の『問題』は真選組内部に留まる事では決してないのだ。
 副長が隊を掌握している。内部叛乱にもなりかねない。そんな風聞が囁かれる事は決してあってはならないのだ。
 近藤が、土方の個人的な意図に因る行動を、此処に至るまで、どの程度知り得ていたかは知れない。ひょっとしなくとも、全く気にしていない可能性は高い。それは近藤が愚鈍だと言う意味ではなく、近藤が、土方のする事に疑いを抱いていない、と言う意味での信頼の顕れなのだが、周りはそうとは見ないだろう。
 だからこそ土方は、この衆目の中でそれを示さなければならない。なまじとぼけた侭やり過ごせば誤魔化せる問題であるからこそ、それだけは我慢がならない。
 こうすれば近藤は何らかの形で、単独行動を起こした副長に叱責なり罰を与える必要性が生じる。これは副長の独断専行の末起きた事であり、近藤はそれを咎めた、と言う形が残る。そうなれば、万一の責を『上』から問われたとして、責任の所在は土方にあると証明出来る。
 だが、顔を完全に床へと向けた土方の頭へと、降って来たのは叱責の言葉ではなく、大きな掌だった。
 ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられ、ぽんと肩を叩かれる。
 「全く、心配したんだぞトシ。隙あらば決行したいとは言っていたが、まさかいきなり実行するとはなぁ。でも何にしてもお前らが全員無事で良かったよ」
 「こ、」
 んどうさん、と続けるより先に、聞き慣れた豪快な笑い声が、土方の想定とは真逆の事を口にするのが聞こえて、土方はばっと顔を起こした。
 「っちょ、待て近藤さん、それは」
 「本当に、良かったよ。……お疲れさん、トシ」
 土方の反論をぴしゃりと封じるそれは、無理に厳格な顔を作ろうとしている近藤の、酷く苦しそうな声だった。今にも泣きそうな表情だった。
 近藤が。何処までを承伏して此処に来たかは知れない。だが、その言葉や表情からは、力んだ気遣いや不自然な演技は全く伺えなかった。
 恐らくは。概ねの事実を知るからこそ出た、それを真実としては残さないと言う決意の顕れだ。
 本当は怒っているに違いないのだ。憤慨の正体は己への無力感と、話をしなかった土方と、当事者になった銀時へと向けられた、純粋な怒りや悲しみだ。
 だが、土方が何でそれを近藤には一切口にしなかったのか。その理由も解って仕舞うから、だから問い質しはしない。
 ただ、結果として残る事となった、事実のみを受け止める心算なのだ。
 沖田か山崎かが説明したのだろう、『こういう形』に収まった事実を。有りの侭で置こうと言う、真選組局長であり、土方の友でもある近藤の、それが決断だった。
 何処までを知っているか。どう思っているか。それは問題ではない。ただ近藤は、今回の捕り物を『織り込み済み』の事だとはっきり口にした。責任の所在は何処にもないのだと決めたのだ。
 故に、土方にはそれを振り払う事など出来なかった。友のくれた思いを無碍にしてまで、己の頑固な間違った正しさを突き通す事が正しいなどとは到底思えやしない。
 「…っ、近藤さん、俺は」
 感謝とか諦めとか憤慨とか。沸き起こるそれらの感情を吐き出しかかる土方の両肩をもう一度ぽんと叩き──抑える様に──、近藤は首を擡げるとその背後にいた銀時を見て、男臭い笑みを浮かべた。
 「万事屋。お前にも色々と助けられちまったようだ。ありがとう」
 その「ありがとう」の意味の深さに、土方の胸の奥が痛む。動揺も狼狽もしなかったが、何だか居心地が悪い気がして仕方がない。
 トシを助けてくれて、ありがとう。恐らくそう言う心算で口にしたのだろう、近藤の笑顔を受けて、銀時が「あー」と歯切れ悪く呻くのが聞こえる。
 「……なぁ、何このゴリラ。いつからこんな訳知りお父さんになってる訳?お前言う訳ないよね?寧ろ墓まで持ってくぐらいの気持ちだったよね??」
 ぼそぼそと、土方や近藤までにしか聞こえない様な不明瞭な声音で呻く銀時に「当然だ馬鹿野郎。つーかゴリラ言うな」と一応釘は刺す。斯く言う土方とて、近藤がまさか銀時と自分との憚りある関係に気付いていたなどとは、この間までこれっぽっちも思っていなかったのだから。
 「……すまねぇ、近藤さん」
 込めた思いは、謝罪と、感謝と──まだ沢山ある。伝えきれない思いでもう一度そう口にすれば、はいはい、とばかりに背中をばんばんと豪快な手つきで叩かれた。
 「良かったな。トシ」
 万感の思いを込めてそう言われ、何だか目の奥が熱くなりそうになった土方は、誤魔化す様に目を瞑った。ぼす、と握った拳を近藤の胸に押し当てて笑う。
 近藤はいつだって、こう言う人だった。土方や銀時とは違う、不器用なぶつかり方ではなく、真っ向からこうして全てを受け入れて仕舞う。
 それは憧憬で尊敬だ。他の何にも代え難い、そんな人がいてくれるからこそ、真選組と言う自分たちの居場所がある。自分の生き様がある。
 きっと、少し愚かな想いへ身を浸して仕舞ったとしても、自分の魂の置き所、そこだけは変わらずに居るだろう。
 ここが、自分の居場所なのだと。強く願う。
 「……ありがとう」
 苦しくて泣きそうな衝動を振り払う様にそう、小さな声で呟きを落とすと、土方は近藤の前から離れてゆるりと銀時を振り返った。ぱちり、と音の出そうな瞬きをして、それから困った様に目を泳がせる銀時のそんな様子から、きっと今の自分は真選組副長の顔をちゃんと出来ているのだろうと確信する。
 その確信の侭に、少々意地の悪さを込めて口角を持ち上げた。犬歯を見せて笑う。案の定か、銀時の口端が土方とは真逆に「へ」の字に下がった。心底厭そうな。もとい、厭な予感を隠しきれない表情だ。
 「つー訳だから万事屋。テメェはとっとと帰りやがれ」
 「うっわ。何か来るたァ思ってたがいきなりそう来ますか」
 先頃の意趣返しが多少乗っていなかったとは言わない。厭そうな顔で半眼を更に細めて言う銀時へと、捲し立てる様に土方は続けた。
 「こっちはな公務なんだよ。今はまだ真選組(ウチ)の連中だけで固めてるが、こんだけデケェ捕り物だからな、朝になればお偉いさんからの監査官とかも派遣されて来る。胡散臭ェ民間人の手借りたとか大っぴらに公式文書に残させる訳にゃ行かねーんだよ」
 だからとっとと帰れ、と、野良犬を払う様な仕草をしつつ煙草をくわえる。
 「依頼料、つか報酬は総悟か山崎に必ず払わせる。アイツらが調査報告まとめて戻って来るまでの辛抱だからな、それまで大人しく家で待ってろや。ハウスしろハウス」
 「って俺は犬かおいィィ!オメーな、散々人に迷惑かけといてさっぱりすっきりお別れってナニソレ薄情過ぎねぇ!?イヤ別にシタゴコロとかあった訳じゃねーけどォ、なんか期待が無い訳でもねーけどォ、もうちょいなんかこう。なんか」
 言葉の半ばから目を細めた土方の絶対零度に凍り付いた眼差しに晒されて、銀時の言葉が尻すぼみになって行く。理解は出来ているが、何とも納得の行かない様な。微妙な態度だ。
 元より土方の抱え持つ仕事や面倒事には、足を突っ込んでおきながら、解決した時にはさっさと立ち去って仕舞う風な印象が銀時にはあった。のだが。
 「離し難ェなぁ……みてーな?俺も珍しくちょっとテンション上がってるらしいわ」
 やけに追い縋るな、と眉を寄せた土方の不審そうな態度から、正しく疑問を解したらしい。銀時は首の後ろを照れ隠しの様に掻きながらそう呻いて、なおもぶつぶつと不明瞭な呟きを続けている。
 今すぐ押し倒してぇとかなんか物騒な言葉が聞こえて来るのを目一杯凄みを利かせた睨み一つでいなし、土方は煙草に火を点けた。ちらりと一瞬、背後でああだこうだと指示出しに戻っている近藤を見遣って、それから銀時を軽く手招きながら煙草を指に摘む。
 すい、とその侭土方が顔を近づければ、キスをしそうな程の至近距離で銀時の顔が呆気に取られるのが見えた。
 「え、、」
 そこに容赦なく紫煙を吹きかけて、たちまちげほごほと咽せて顔を背ける銀時へと、土方は悠然と笑いかけてやった。
 「って、てめぇぇぇ!!」
 「日帰りなんだろう?とっととガキ共ん所帰ってやれや。俺も、事後処理が済んだらちゃんと帰るから、」
 大人しく『そこ』で待ってろや。そう言うなりついと踵を返して近藤の居る方へと足を向ける土方の背中へと、銀時の罵声にも似た悪態が飛んでくる。
 「ホンっト可愛くねーなオメーは!ちゃんと帰って来やがるまで許さねーから覚悟しやがれ!」
 結局大声で叫びを上げるものだから、隊士らも、近藤も、きょとんとこちらを見て、それから、まるで波が引く様に、笑いの残滓だけを残して元に戻っていく。
 別に鬼の副長が睨みを利かせた訳ではないのだが、ひょっとしたら、万事屋や自分達が繰り広げているささやかな応酬になどいつの間にか慣れていたのかも知れない。
 上等だ、と言う代わりにひらりと手を振って、それから土方は隊服のスカーフを引き締める様に直した。
 一度も振り返りはしない。同じ様に、去っていく気配も一度も振り返りはしないから、これはお互い様だ。お互いに、大切な、違う帰る場所がある。
 だが、もうそれを無理に得ようとは思わない。無理に手を伸ばして焦がれようとも思わない。
 不器用なもの同士でぶつかりあって、ほんの少し出来た窪みに互いがするりと自然に入り込んでいた。お互いに慣れない距離感の取り方が解らなくて、益々に居たたまれ無くなって行った。それだけの事だった。
 決定的に近付くのも、徹底的に分かたれるのにも怯えて、向かい合って取った距離は互いしか見えない盲目の視野しかない。お互い肩越しのものに羨望を抱いて、睨み合った侭魅入られた様に動けない。子供の様に愚かで容易い恋だ。
 きっとそんなものは何処の間にも誰の間にもある様なものなのだろう。ただ、それが自分たちの間には上手く作用するのに、時間が掛かっただけの事で。
 お前ならきっと大丈夫な筈だと解っていた筈なのに、何処かで、お前を好きな自分を信じきれておらず、お前が俺を好きだなどと言うのも信じていなかった。
 そうでなかったら、いっそ斬り棄てていればなどと、そんなつまらない後悔の仕方はしなくて済んだのに。もっと早く気付く事が出来たかも知れないのに。
 本当に。俺も大概、大馬鹿野郎だ。




次で最後です。

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