散華有情 / 1 「なぁ、近藤さん。あんたは何か大事な物を隠すとしたら何処に隠す?」 問いながら、土方は書棚から適当に抜き出したぶ厚い書籍をぱらぱらと適当にめくった。法律関係の専門書らしく、細かい文字でびっしりと、さして意味も無さそうな真っ当な言葉だけが紙の上に連なっている。 「え?俺か?? 〜うーん、そうだな……小さいものなら枕の中とか?後は縁の下とか天井裏とかも良いが、家に上がると結構見つかり易いからなあその辺は。 そうだ、いっそ貸金庫とか倉庫とか、手元に置いておかないってのも良いと思うぞ?」 「枕の中はハズレだった。貸金庫ってのはなかなか良いアイデアだな。だがな、天井裏だの縁の下だのに隠した物品を見つけられんのなんざ、あんたぐらいだよ。 ……で、志村家の天井裏には何かあったか」 「最初は土地の権利書とかが入ってる袋が置いてあったんだが、お妙さんに不用心だと進言したら快く聞き入れてくれてなあ。今は天井裏にも縁の下にも何も隠してはいないようだぞ」 湧いた疲労感にうんざりした調子で問いを上げれば、何やら無駄に得意満面と言った近藤の豪快な笑顔が返ってくる。想像はしていたが想像以上に想像通りの答えに、土方は掌に顔を埋めて深く深く溜息を吐いた。 「…………近藤さん。ストーカー行為だけでも問題だってのに、住居への不法侵入と窃盗未遂が加わるぞソレ。〜頼むから自重してくれ」 「えっ。い、いや待ってくれトシ、俺は警察として志村家とお妙さんの安全確保の為に日々通っているだけで、別にそんな」 以前新八がこぼしていたのを聞いた所、それこそ天井裏や縁の下、押し入れの中、果てはコタツの中まで。近藤の出現する場所は枚挙に暇がないと言う。いっそ忍者にでも転職した方が良いのではなかろうか。 日頃真選組局長の顔をして現場に立つ時にはそんな素振りなど全く見せない辺り、これがストーカーの執念と言う奴なのだろうか。思って土方はかぶりを振る。追うも追われるも自分には到底縁は無いが、なかなかにぞっとしない話だ。 「あんたの行動が一番安全じゃねーんだろうが。幾ら警察ってもな、令状や家主の許可も無く敷居を跨ぐなァ犯罪なんだよ。天井裏情報とか普通得ちゃいけねえもんだろ」 近藤の事を悪く言う心算は土方には天地神明に誓って無いが、真選組にとって悩みの種となると話は別だ。やめろと言って聞かない──もとい、効果が無いのは疾うに知れた事だが、こうして時折生々しい事実(の片鱗)を聞かされる度、苦言を呈さずにいられない。 とは言え、土方が毎回小言程度でその矛先を収めるのは、追う側の近藤がストーカーじみた奇矯な行動を起こす反面で真面目で頭が硬い男であると言う事と、追われる側の志村妙が妖怪じみた迫力と化け物じみた膂力の持ち主であると言う事に尽きる。 …つまる所、放っておいても間違いなどは絶対起こさない確信があると言う事だ。毎度返り討ちに遭う近藤もだが、志村妙は満更でもないのかそれとも既に諦めているのか、今まで拳に訴えた行動は何度もあれど、法的な意味で訴えられる様な事には至っていない。 ついぞ先程の自白もだが、近藤の行動は控えめに見た所で、どう弁護や保護解釈を巡らせても犯罪者にしかならない。お白州に引き出される様な事が万が一起きれば、確実に腹を斬る羽目になるだろう。 (まぁ、強かなあの女の事だ。幕臣と事構える様な馬鹿な真似ァまずしねぇだろう。逆に、俺らに局長の犯罪行為を見過ごしてやってるんだぞアピールをして、負い目で首根っこ押さえられてるって感もするがな) 思考の狭間には煙草が無性に欲しくなる。そんな衝動を堪えて、土方は先頃本棚から抜き出した本を手の間でもてあそんだ。背後では近藤が「それは違うぞ」から始まる独自のストーカー論を展開しているが、もう聞いても疲れるだけだろう。 調べ物でもあったのか、本には幾つかの頁に付箋が貼ってあった。奉行などただお白州の上の犯罪者へと沙汰を下すだけと思っていたが、昨今の裁判制度ではそうも行かないのやも知れない。弁護士の中には様々な言を並べて、半ば屁理屈で殺人犯の無罪を勝ち取る者も居ると言うのだから、この『公正な裁判』と言う法整備は、現場の人間としては全く有り難くない話だ。 (まぁ、真選組(ウチ)が扱うのなんざ、裁判沙汰になんざならねぇ様な手合いばかりだがな) ぴん、と指先で、法についての何か小難しい内容の書かれた頁を示した付箋を弾き、土方がそれを本棚に戻そうとした時。 「捜し物は見つかりましたか」 横合いから飛んで来たフラットな声音に、土方はそちらを振り向くより先に、露骨に顔を顰め舌を打った。 「おお、すみませんな、佐々木殿。申し訳ないが余りはかばかしく無いのですよ。ご迷惑とは察しますが、もう暫く時間を頂きたい」 そんな土方と対照的にも、近藤はいつもの笑みにほんの少しの申し訳無さを込めて、廊下に佇んでいる佐々木異三郎に向けて素早く口を開いていた。いきなり悪態をつきかねない土方を牽制している心算なのかも知れない。 その事に対して、と言う訳ではないが、行き場を無くした苛立ちに益々仏頂面になった土方は、書棚に戻しかけた本を自らの肩上に引き、とん、と叩いた。書棚へと伸ばした手を引き戻して鯉口を切るより、本を投げて牽制しながら抜刀した方が良い。 (……って。違ェだろ) つい斬り合いに向けた思考に傾くのは恐らく土方の本能的な反応だ。常識的に考えて、他の真選組隊士も付近にいるこの場で斬り合いなぞ始まる訳もない。そもそも、佐々木に敵対し私闘に興じたあの時とは決定的に状況が違い過ぎる。仮にもお互い幕府管轄の警察組織の人間だ。それが真っ向から刃を交える様な真似などそうそう起こりはすまい。否、本来起こすべきではない。 何を馬鹿な事を、と考えるだけの理性はあるが、本能の下した警戒態勢はそう簡単にあの男に気を許す気にはなれないらしい。 「何の因果か家人の護衛任を一応受諾している身ですので、アナタ方の捜査協力要請自体は吝かなものではありません。ですが、我々も決して暇な訳ではありませんので。願わくば速やかに御用事を済ませて頂きたいものです。任務に支障を来すのはエリートとして恥ですから。こんな些事であっても、です」 淡々と、手にした携帯電話から目も離さずに極力ソフトな嫌味と、抗議に近いトーンで釘を刺して寄越す佐々木を、土方は近藤の肩越しにじろりと睨め付けた。 今日も今日とて嫌味な迄に清廉そうな立ち姿だ、と思わせるのは、その纏う白い制服が主な原因だろうか。土方の視線の先ではゆっくりと片眼鏡の向こうの感情の読めない目が近藤に向けられ、あれやこれやとエリートの正論、と言う名の嫌味が続けられている。 ふ、と溜息には短い細い息を吐き出し、土方は肩上に当てていた本を持ち上げて無造作に手から離した。書棚の九十度向かいに置かれていた小卓の上にばさりと落ちる重たい音に、近藤が驚いた様に振り返る。 「トシ?どうした、」 「ただでさえ必要以上に時間浪費してんだ、この上エリート様の嫌味にいちいち付き合ってたら、それこそ時間が幾らあった所で足りやしねぇ。近藤さん、こんだけ探しても無ェんだ、ひとまず今回はもう諦めた方が良い。どうせあるとも無いとも知れねぇ代物なんだしな」 言いながらちらりと佐々木の様子を伺う。佐々木には今回の『捜し物』については特に『何』とは伝えていない。仔細を問われたらどう答えるか──そう考える土方の視線の先では、幸いにと言うべきか佐々木が何らか興味を示した様子は見て取れなかった。 (或いは、野良犬どもの『捜し物』なんざ、エリート様にとっちゃァ興味の範疇にも無ェのかもな) 肩透かしを食らったと言う程ではないが、拍子抜けしたのも事実だ。土方は小さく肩を竦め、今や三人の成人男性を招き入れ、手狭にも見える書斎をぐるりと見回した。 ここは佐久間の住んでいた屋敷だ。今は家人に戒厳令が出されており、家主は疎か妻子にも自由は一切無く、完全なる監視下に置かれている。その担当が見廻組であるとは、ついぞ先程局長である佐々木の口にした通りだ。 そして今土方らが居るのは佐久間の書斎だ。広さ八畳程度の和室。縁側に続く廊下は障子に仕切られているが、部屋自体が裏庭に面した離れにある為に日当たりは良くない。壁際に並べられた書棚には小難しそうな専門書から趣味の将棋や歴史小説まで、各種沢山の本がぎっしりと収められている。ひょっとしたら日当たりの悪さはそれら蔵書の為に意図的に設計されたものなのかも知れない。 高級そうな黒漆仕立ての文机が幾つかの書棚に向かう形で部屋の中央付近にあり、その上に置いてあるノートPCを書類の山が囲っている。逆側の壁は襖仕切りの納戸になっており、書棚に収まりきれなかったらしい蔵書や仕事関係と思しき資料やら書類やらが収納されていた。 縁側の真向かいは続き間になっており、寝具や寝間着の類が仕舞われている押し入れがある他は特に目立った家財道具は置いていない。この書斎とは別に私室が母屋にあるが、仕事が立て込んだりするとこちらで休む事も珍しく無かったと言う。 望まずして寝室に招かれた経緯を持つ土方にとって、それは余り憶えの良い記憶でもない。渋面を堪えて目を逸らせば、片隅に置かれた将棋盤が目についた。局面は途中の様だ。片付けられていない所を見ると、何か意味のある対局だったのかも知れない。 が、それも、指し手が死んで仕舞えば、何を物語る事も無い。 獄中の佐久間が『病死』したと報が入ったのはつい先週の話だ。警察関係の人間が大阪の煉獄関を作り人身売買に始まる各種の罪を犯した主犯、と言う事情もあり、佐久間の逮捕はマスコミにはその一切が伏せられた。だが、だからと言って無罪放免になる筈もない。因って、内々で処理出来る様な沙汰が決まるまでは警察庁の特別拘留所へ繋がれる事となっていた。 そしてこの時点で佐久間の家人への極秘監査が行われ、彼らに一切の関与の痕跡がない事の確認の後。佐久間は、大阪煉獄関への関与を認めて自刃したと伝えられた。 佐久間とその仲間らのした事は警察組織の威信にも関わる重大な汚名を残す罪科だ。これによって佐久間の一族は全て国賊と見なされ、江戸を遠く離れた田舎にて蟄居の生活を強いられる事となったのである。 息子もまた警察関係の重職に居た事もあってか、家人の理解は早かった。佐久間の『悪行』を世間には決して漏れる事のない様努める代わりに田舎送りで許してやろうと言う『提案』の見返りは、口封じとして何らかの容疑を与えられて始末される、可能性の否定。 これで幕臣としてそれなりの歴史を築き上げて来た佐久間の家柄とその権威は完全に途絶える事となった。皮肉にも世間的には佐久間の名誉は完全に守られた侭で。 だが、当事者達にとってそれは降って湧いた悲劇の様なものだ。急な家の没落に対し、家人は愚かな罪を犯した家長を怨むほかない。 なお、蟄居を下された理由は表向きには、家長の『病死』によって妻子が精神的に疲労し、自ら願い出たと言う事になっているらしい。佐久間自身も急な病に倒れ、自宅で息を引き取った、と言う『話』だそうだ。 事情を知らぬ者にも、余りにも急で思いも寄らぬ事の運びに疑問を感じる余地は山の様にある。だが、嘘とは大仰に嘘らしく嘯いた方がそれらしく見えるものだ。実際、葬儀に訪れた佐久間の部下にも知人にも、出来た『話』を疑う者はいなかった。少なくとも、見て解る限りでは。 そんな経緯で『引っ越す』羽目になった佐久間の家の者らだが、完全にその身柄が江戸から離れるまでは見廻組が監視任に就き続ける為、事実護送の様な形になる。不名誉の名前もここまで来るといっそ気の毒にすら感じられる程だ。 その、見廻組の完全監視下となっている佐久間邸を土方らが訪れたのは勿論理由あっての事だ。表向きには『証拠物件を探す家宅捜索』として見廻組──と言うより佐々木個人──に願い出て便宜を計って貰っている形になる。……大変不本意ながら。 故に佐々木が、土方ら真選組の『捜し物』が何なのかを気にするのは本来必定とも言える筈なのだが──幸いと言うべきか、どう誤魔化すかを考える迄もなく佐々木はまるきり真選組──と言うよりは土方個人──の、見廻組に借りを作ってまで欲した『用件』に興味などない風に見える。 とは言え。それが本心を隠した態度故のものであったとして、佐々木の鉄面皮から土方が感じられそうなものは一切見つかりそうもないのだから、これ以上の邪推は無意味だろうか。 「しかしな、トシ」 探す『物』が物だけにか近藤は渋る様子を隠しもしないが、土方は軽く手を振る仕草で一蹴した。『物』を探す意味と目的そのものが誰あろう土方自身にある為に、近藤は口角を難しげな形に下げたが、それ以上口出しはしようとしなかった。 近藤も、本当ならばこんな捜し物に土方が他者の手を借りたいなどと思っていない事を承知でいるのだし、元より土方とて単独でこの『用件』を済ませる心算でいたのだ。 この、嫌味を言いに来たんだか邪魔をしに来たんだか定かでない、エリート様の用意した『提案』さえ無ければ。 蛇足と言う名の余計な解決篇いきます。 : → /2 |