散華有情 / 20 想い合って、繋ぎ合って、重ね合ったが、ひとつにはならなかった。 それは安堵と等価の不安を土方にもたらし、銀時には不満と悋気とをもたらした。 互いに互い以外の『不可侵』があって、それを尊重して、束縛も確約もしなかった代わりの様に妥協があった。土方は真選組と、坂田銀時と言う、己にとって何よりも、己よりも時には重要視される大義名分を通して、譲らない分だけ、諦念と怯懦を憶えた。 一度踏み外した想いは繰り返し履行される。異など唱えさせはしない。ただ、後悔はない信念だけが気付かぬうちに身をそっと滅ぼす。誤りであると最期の瞬間までこれっぽっちも思わないくせ、破綻を密かに待つ。諦めて、怯えながら、その瞬間をただ、覚悟する。 銀時に止められたい訳ではない。縛られたい訳でもない。仮に、もしも銀時がそんな──精神性だけの話でも──暴挙に出たとしたら、即座にその存在を不要だと切り捨てて諦めていただろう。切り捨てるしかないものだったのだと、己に言い聞かせながら。 だが、同時に。銀時にひとつを譲歩される度、心の裡に生まれる感情があった。 覚悟と諦めを引き連れた、怯えだ。 矛盾した心の行き着く先の、破綻しかない結果など解っている。そうだ、"どうあっても自分はこれしか選べない"。 ほんとうは、今日の下らない会議と言うスケジュールなど忘れて、あの侭戯れに睦み合ってゆっくり眠っていたかった。応えられないくせ、引き留めて貰いたかった。物わかりよく譲歩をひとつ寄越して、否の答えの期待などしない風情で傷ついた様に笑ってなど欲しくはなかった。 何処に妥協をすればいいのか。何処で見誤って仕舞ったのか。 いつの間にだろうか。やっと取り戻した、その存在を。手を再び取られたあの瞬間に得た安堵と充足と、あってはならない程不釣り合いで泣きたくなる程の幸福を。もう失うのは怖いなどと、恐らくはどこかで臆病な自分がそんな事を囁いて寄越したのだろう。 仕事がある。互いに譲れないものがある。埋まらない空隙がある。交わる途がない。後悔が無いから罪悪感もない。 この想いを棄てられる理由が無かったから、諦めて良い理由を必死で探す。探して、見つからない事に諦める。覚悟だけを抱いて、諦める。 銀時の与える譲歩や折れる妥協や許容する優しさが、怖かった。 それは決して己の事を捕まえておく鎖ではないから、怖かった。 ひとりの人間を、この想いを選んだ選択が、いつか誤りであったと突きつけられるのが、怖かった。 今の自分は、真選組の仲間たちが見ても、佐々木や幕僚たちの目から見ても、銀時と相対していても、怯えて警戒し身構えて噛み付く針鼠の様な、矮小で無様な存在にしか見えないものに違いない。 (──だって言うのに、俺は、) 選ぶ自由なぞ昔からずっと放棄してきた。重荷(リスク)を得る選択肢など必要ない。 己が、個を選び取る可能性などは無い方が良い。 近藤をして言わしめた、それが土方の『悪い癖』。己の事に、余りにも物わかりと諦めが良すぎるのだ。感情の追いつかない所で、理性が先に最適解を断じて仕舞う、欠点。 況してそれが、自分のための誰かのためと言う、情しか原動力にない様なものであれば尚更の事。 (俺は、なんで、) お前を選んで仕舞ったのだろう? お前を選ぶ以外の選択肢を探せなくなったのだろう? 惨めに追い縋る心でも、お前を、諦めたくないのだろう……? どうあっても自分は『これ』しか選べない。 選べないのだから。 あの銀色の侍への憧れと、届きたい願いと、抱いた慕情に返った情愛を、もう、棄てることなど出来はしないのだから。 どうあっても、俺には、お前しか選べないのだから。 正しさなど失った俺を、それでも赦すだろう、お前に失望して仕舞うその先に。 何度だってお前を選ぶのだろう、正しさなどないこの選択が、いつか身を喰うその前に。お前を諦める事を赦してはくれないか。 (あの時、お前を失いたくはないと思ったその瞬間から──対等さなどなく、敗北が決していたと、知っていたのに) * 銀時はまるで己が罵倒されているかの様に、表情を苦しげに歪めていた。 なにひとつ、楽になれない選択と、それを選ぶほかない狭窄的な自問しか繰り返せない土方の事が、酷く愚かで、堪らなく愛しかった。どこまでも内罰的で、真選組の副長である己と言う存在以外の土方十四郎自身には何の価値も与えられない、不器用で、傍若無人な程に他者の心に無関心な男。 鋭く眉尻を憤慨の形に持ち上げていた、その貌が驚きに瞠られ、それから茫然と、憑き物が落ちた様に表情筋から硬さが抜けた。寄る辺のない子供の様に頼り無い眼差しが揺らぎ、手錠を掛けられた両の手がことりと畳の上に落ちる。 馬鹿を言うな、とか。何己惚れてんだ、とか。常の土方ならば銀時の暴言にも近い言い種に呆れた様にそう返すか、真っ向から憤慨するかの、何れかの反応を示す事も叶っただろう。 だが、焦点も定まらない侭で投じた銀時の、然し確かに土方の心の最も脆くなった部分に刺さった刃は、まるでその身から反抗や否定をする気力の根こそぎを奪っていったかの様だった。 嘘がばれて、親に叱られるのを待つ幼子の様に、ただじっと『続き』を──土方にとっては『裁決』をだろうか──待っている。諦めながら、待っている。 そう。いつもそうだった。最初からそうだった。 土方は、真選組の関わらぬ己の事に関しては、常に手を伸ばすより先にそれが正しいものかを──自分にとってではない、組にとって、だ──斟酌し、そうしながらも、手放す事を考えている。 この男には、自分自身を幸福に出来る解答が、常に欠落しているのだ。 "お前を選んだから、此処に居る"。 銀時の手を取り、確かに心を通わせてそう口にしながらも、幸福の享受をこそ正しい事だとは思っていない。何故幸福なのか、と己を責める様に問いてさえいたかも知れない。 それを不幸とは言わないし、思わない。 この男は、もう少し自分が幸福になれる努力をすべきなのだ。もう少し、自分の為に様々な事を赦してやるべきなのだ。 諦める以外の、手放す以外の、切り捨てる以外の、何かを享受する事を、憶えるべきなのだ。 咲くだけの花ではなく。吼えるだけの狗でもなく。有情たる人間として。 「土方」 判決を待つ死刑囚の様な表情の中で、そっと伸ばした銀時の手の動きを緩慢な視線だけが追い掛けてくる。 その手を、銀時は床の上に落ちた土方の手指に──嘗て絡み合わせ心を明け渡した左手に、ぎりぎり触れるか触れないか、と言うところにそっと置いた。 じっと見つめる瞳に怯えはない。 韜晦の末の諦めしか、見ていない。 その事がもどかしかった。そう、解って仕舞うのが悔しかった。届いていない事実を思い知らされる、諦められる事が苦しかった。 ほんの数ミリの距離に置いた指先に視線を落とした土方に向けて、銀時は息を吐かず飲み込んでから続ける。 「お前は本当、不器用で頑固で、狡くて利口なくせガキみてぇで…、」 今、呼吸を次いだら、怒鳴りそうだった。叫びそうだった。 なんでお前はそんなに馬鹿なんだと言ってやりたかった。なんでもっと他人に寄りかからないのだと言いたかった。なんで俺を信じているくせ、真っ当な甘えのひとつも出来ないのかと問いたかった。 「何でわかんねぇのかなぁ、何で伝わんねぇのかなぁ…、何で…、好きなんだろうなぁ……」 伸ばした手は、届いたけど、届かなかった。 告げた言葉は、伝わったのに、伝わらなかった。 自分では、足り得なかった。 では、諦めて手を離してやるのか。土方自身が望まぬ侭望んでいる結末の為に。 (それこそ、有り得ねぇ) 土方が、自由を知ろうともしない公人で、多分昔からの性情でなのか、頑固で盲目的で勁くてその分脆い男なればこそ、銀時が同じ様に頑固で馬鹿で臆病にぶつかるのでは、きっと駄目なのだ。 雨の中咲く花を無理矢理引っこ抜く事も、柵で囲って仕舞う事も容易い。 自分の手で散らした花はきっと無惨で美しくて、銀時の嗜虐心を酷く震わせるに違いない。 悲嘆と隣り合わせの無情はひとときの歓喜をそこに残して、そして──酷い傷痕ばかりそこに残す。今、こうしている様に。誤り合う事しか出来ない愚かな二人の人間の様に。 いい加減、俺も往生際が悪い。 「……やァめた」 「──」 不意に、全身の力を抜く様に銀時が息を吐いてそう言うのに、土方の身体がびしりと強張った。震え出すのを、叫び出すのを、裡に全て留めるかの様に。 それはまるでひび割れる寸前の硝子細工のよう。全身に力を込めて硬直したそれは、ほんの僅か外部から力を加えただけで容易く粉々に砕け散るだろう。 「、」 「やめた。面倒くせぇ。ほんっと、面倒くせぇ。面倒くせぇよ、お前」 はく、と口を開きかけた土方の動きを制する様に、銀時は続ける。 自分から砕ける事を選ぶ様な短慮を起こす前に。触れない侭、全身に走った綻びからそっと手を離す。離しても放り出さず、じっと捕まえながら。 がりがりと乱暴な仕草で湿った頭髪を引っ掻き回して、銀時は次々涌き出す己の感情を止められない侭止めなかった。心のどこかの扉が開きっぱなしになって、そこから、ずっと溜め込んだ澱が濁流の様に溢れ出すのに、押し流されて行く。 駄目だ、止められない。理性が追っつかない。慎重に、優しく受け止めてやろうなんて言う大人の余裕が崩れていく。 「そもそも何で俺がお前に気ィいちいち遣ってんのって話だよ。お前面倒くせーし、お前らの事情も面倒くせーし、気なんて遣ってたらキリねーわ」 それはそうだ。だって、こんな恋情ははじめてだったのだから。こんな、どうしようもなく愛しい馬鹿に言い聞かせる言葉を探した事なんて無かったのだから。 「正直、惚れた弱味だと思ったしよ、そんな面倒くせぇお前が言う事なら、信念とか性質とか、そういうの全部引っくるめて好きだったし、愛してやりたかったし、尊重してやるべきだと思ってた。縛る様な真似とかしたら嫌われて見限られんのはこっちだと思ってたし、だから出来るだけありの侭のお前を享受しようと思ってたよ。さっきまでそう思ってたよ。 ──でもよ、お前馬鹿だろ。本当、馬鹿だろ。面倒くせぇよ、馬鹿、」 これで、終わりだろうと。いつもの様に慣れた『諦め』で顔を青白くして、ひび割れて行く感情をその侭にしていた土方の目の奥に、ひととき強くなった銀時の言葉を受けて僅かの光が見えた気がした。 それが反射的な憤慨なのか、燠火の様に燻る心の反論なのか。命の火種なのか、感情の発露なのか。そんなものはもう、どうでも良く。 ただ。物わかり良くはなれない、土方自身の、諦めきれない本心の様なものがそこに未だ在るのだと信じて。 そこへと、真っ直ぐ捻じ込む。捕まえる。逃がさない。 「土方」 吼える様に。唸る様に。銀時は獰猛にわらった。泣き笑いの様に、感情を剥き出しにして、わらった。 「お前のそんな面倒くせぇ心は俺のもんじゃねぇ。俺のもんにはならねぇ。そんなの解ってる。俺の事と真選組の事とでいっぱいいっぱいな癖に、俺のもんじゃなくて、真選組(アイツら)のもんでもねぇ。紛れもなくそれはお前自身のもんだ。 だから面倒くせぇ事ばっか考えてるし、面倒くせぇ様にしか考えねぇし、頑固で馬鹿で、利口な癖に何もうまいこと融通ある答えも選べねぇし、つまんねぇ男にしかなれねぇ」 選びたい。選びたくない。是と否。そんな選択のひとつひとつを迫られる度に、己の心以外の判断基準が常に土方自身の命令権者の様に居座っている。茨の中で雁字搦めになるのに慣れた心は、自分が傷つく事に酷く鈍くなって、酷く狭窄的な視野は、その空隙に入り込む全てを『敵』の様に疑って、組織を護る為と言う慎重さを通り越し、いっそ滑稽な程の警戒心ばかりを周囲に向けているのだ。 この男は、もう少し己と言うものを知るべきだ。 恋情だの幸福だの、己を見る他者の心だの。或いは、己自身の本心、の様なものを。 「だからやめた。面倒くせぇのはもうやめた。お前に気ィ遣ってお前を大事な花みてーに丹精して、愛でるばっかで満足すんのは、もうやめにすらァ」 雨上がりの庭に咲く花を見つめていた庭師は、如雨露をその手から放り棄てた。 散る間際の様な花を、必死で凛と在り続けようとする花を、摘み取ってやろうと手を伸ばす。 散ったら枯れるものだ、などと。誰が決めたのか。 臆病で頑固で互いにぶつかり合って、諦めて、見送って、手を伸ばして、足りなくて、そこまで来てやっと悪足掻きをして形振り構わず追い縋った。 想い合って、繋ぎ合って、重ね合って、それでもひとつにはならなかったものを、お互い諦めて仕舞える程に潔が良く無かった。 手を繋いで、近くに居たくせ、近くを歩く事も、離れかかる手に、そっちは違うよと留める事もしなかった。互いの不可侵を尊重しようなどと言う体裁で、黙って見過ごした。全く以て馬鹿な話だ。 (今更、お前の心なんざ疑わねぇ。お前も、俺にはお前を潔く諦めるなんて選択肢が無ェのくらい、もう解ってんだから) 頑固な程に勁く見据えた途しか往く事の出来ない、そんな生き方を選んだ不器用な男を、愚かであると罵る心算はない。 そこから、何が正しいのかを見誤って立ち上がる事の出来ない、そんな真正直な男を、融通が利かないと呆れる心算もない。 男の選ぶ途に沿って歩いてやる事は出来なくとも、近付いたその時に引っ張り起こしてやる事は出来る。黙って待って、振り捨てて往く答えしか見えなくなって仕舞うその前に。 行ける所まで一緒に行ってみないかと、後悔なぞないくせに傷しか作らない茨道を、手を引いて導いてやる事は、出来る。 間違っても大丈夫だと、お前以外の者を信じろと、寄り添ってやる事だって、きっと出来る。 不器用で馬鹿で真っ直ぐ過ぎて愛しい男の、一人往こうとする途を、ただ見送ってその決断を待つばかりだなんて、もう堪えられそうにない。 二度目の告白の時には、酷い野郎だと言われた。強制力のない、飽く迄選択を土方自身に委ねたその、応えに。 だから、今度は。 自ら散ろうとする、その前に。俺はお前を全力で、かっ攫ってやる。 「全部をくれとは言わねぇ。ただ、俺ァお前の本心が欲しい。そんだけで良い。お前自身が本当に思ってる言葉が欲しい」 そのひとつだけ。 たったひとつだけの、お前の本音が。本当の気持ちが。本当に望みたい事だけを、貰う。奪い取る。お前の心から、根こそぎに。 是ならばただそれを享受しよう。 でも、否と嘘を未だ吐くのなら、攫ってでも、囲ってでも、『嘘』をつくまで大事に大事に枯らしてやる。 そのぐらいの覚悟と決意が無ければ、己の感情を容易く諦めと選ぶ、そんな習い性に気付いてもいない、お前にはきっと届かない。 だから、斬り込んでやろう。容赦なく、無情に。そう、お前が以前ずっと望んでいた白刃の遣り取りの様に。 ──答えろ。応えろ。応じて、斬り返して、笑え。 そんな全てを諦めた様な呆けた面じゃない、いつものお前の、獰猛な鬼の面で。 * ひたり、と見据えられた眼球の奥には果たして何が潜んでいるのだろうか。 白い夜叉なのか、ただの人間の雄なのか、いつもの自堕落な男なのか。 「 、」 触れそうで触れない指の温度に、土方は、ひゅ、と喉を鳴らした。 目の前の男に怯えている訳ではない。怖じけている訳でもない。 こわいのは、それで全てが決して仕舞う事だ。こわいのは、己の振った刃が何をなぎ払うのかも知れない侭で居る事だ。 組織人である土方に必要だったのは、慎重さと、本音を弁えた理性だ。 何故ならば、知っているからだ。灼き切れた己の激情が嘗てなにをしたのかを、忘れたことはないからだ。 幼い手が、血に塗れながらも狙ったのは、義兄の欠損したものと同じ、眼球だった。紛れもない報復。復讐だった。 そう。理性は時に容易く千切れる。公人となって、真選組の頭脳として、老獪な為政者たちの手から真選組(あの場所)を護る為に立つ事を選んだ己にとって、それは決して忘れてはいけない戒めでもあった。 それだと言うのに、土方は誤った。恐らくは、──選択を。 感情は理性より時に容易く折れる。真選組の副長として、それは決してしてはならない選択だった。 あの男を──坂田銀時を、選んで仕舞った。 その先に起きた事に後悔はない。それを誤りだったと思えた事も、無い。有り得てはならない判断だと理解していると言うのに、違えた己を、正しさなどなかった結果を、少したりとも悔やんでいないのだ。 感情は理性など無視して容易く喜悦した。真選組の副長として、それは決して有り得てはならない事だった。 土方のそんな選択一つが。沖田を、山崎を、近藤を、真選組を巻き込んだ。銀時を巻き込んだ。波紋のひとつは危うい幕府の土台を僅かに揺らし、松平はその土台の大幅な整頓にかかり、粛正と言う改革で幾人もの人間の運命が少しとは言え変わった。一橋派や佐々木がそれに乗じて暗躍した。 己の選択が。本来ならば誤っていると思わなければならなかった選択が、それらを確かに引き起こす切っ掛けとなった。 諦めきれなかったただ一人の男の為に。そうやって己の振るった刃のその先に、『何』があるかなど──思いもしなかった。 だから、終わらなければならないと思ったのだろう。終わらせて仕舞わなければいけないと、きっと何処かで思っていた。諦めを容易く選べる心がそう、いつだってそんな理性を囁いて寄越していた。 想いあっても通じないものがある。だから、破綻を見るより先に、悲嘆で破り捨てようと。矢張り無ければ良かったのだと、転嫁して諦めながら逃げようとした。 それを、逃げないで言え、と、震える指の先が告げる。 触れない、寸前の、僅かの距離。爪一枚分も離れていない空隙。 手錠をかけられているとは言え、土方の手の動き自体はそこに留められている訳ではない。伸ばすも、退くも、自由だ。 選べ、とは言わない。 言え、と迫る。 お前が、 お前のことが、 本心など、ほんとうの心など、後ろめたくなるばかりに心当たりがあり過ぎて、苦しい。 惨めにも諦めきれない、憧憬や慕情が。羨望や嫉妬が。対等で在りたい想いが、何処にも行けずに、苦しい。 お前に望まれても良い、理由が。欲しい。お前を望んでも良い、この言葉を口に乗せても良い、答えが。欲しい。 「俺とか、真選組とか、そう言う建前も理由も要らねぇ。お前の言葉で、お前の思う事を、聞きてぇ」 戦慄き、それでも竦んだ土方へと、不意に斬り込む様な一閃。 真選組の副長で在ろうとした筈の男ではなく、ただの土方十四郎として。有情たるひとりの男として。 諦めるんじゃねぇと、銀髪の侍が其処で告げる。 戦え、と。 お前自身で戦って刀を拾えと。 その無様な情の刃で、俺と戦えと。 「なんなら、そこの携帯電話を拾ってくれって言うのでも良い。それで、手前ェをそこから解放する仲間を呼ぶのでも」 立ち合う、緊張感の張り詰めた、憶え深いその気配。 「手錠の鍵を拾ってくれって言うのでも良い。それで、手前ェ自身でそっから逃れるのでも」 抜かれる、白刃の様な。 静かな佇まいに獰猛な戦の気配を潜ませた刃が。真っ直ぐに向けられる、 「……………それを外せと、俺に願うのでも良い。最初の予定通りに、俺はお前を助けに来た。それだけの話なんだからよ」 恰も。それは決闘の様相に似ていた。 死合う侍の、真剣の立ち合いに。突きつけられる刃を前に。 同じく、真剣で向かえない程に。土方十四郎は、腑抜けた侍でも、牙を抜かれた狗でも無かった。 「なぁ。言ってくれよ、土方。俺の事が好きでも、俺の事が嫌いでも、それ以外でも構わねぇ」 突きつけられる刃の先で、己の向かうべき手にする刃を必死で手繰る。 諦めではなく、認める覚悟を。 お前に肯定して貰う、そんな己をこそまず肯定するに必要なのは、その覚悟だけだ。 良いのだろうか。そう、望んでも、選んでも良いのだろうか。 己の無様な感情ひとつが何を生むのかと、知っていても、選んでも良いのだろうか。 向かい合い、死合い、お前の刃を受けて。決した戦に、尚も殺される事を、選んでも良いのだろうか。 向き合え。逃げるな。認めろ。後悔が無いならばこそ、畏れるな。突きつけられた抜き身の刃に、ただ、向かい立てばいい。 戦え。 凪いで静かに揺らいでいた土方の心の奥底に、銀時の真っ直ぐで勁い意思だけがじっと向かって待っている。無理にそこから引っ張り出す様な真似はせず、大昔何処かに落として来て仕舞ったのだろう刀を、土方が探し出すのを、ただ待ってくれている。 一度静かに目蓋を伏せて、それから土方は目の前の光景をゆっくりと見た。 待っている、触れそうで触れない指先をじっと見下ろして、そこに繋がれた時の温度を静かに思い出した。 翻すならここが最後の機会。刃を鞘に納め、降伏するなら、ここが最期の機会。 だが。 今日は死ぬにはきっと良い日だ。 「お前の──土方十四郎の、『本当』だけで良いから。俺にくれ」 お前が、こうして向かってくれた。 白刃を以て向かい合い、強い信念で互いに鎬を削って討ち合う覚悟を与えてくれた。 侍同士が互いの信念を以て向かい合うならば、それは、真剣勝負と言う名の戦いだ。 そこから逃げ出す様な腑抜けは、士道不覚悟で切腹させてやる。 銀時は、是か否かが欲しいと、確かな覚悟を以て土方に決着を迫った。 受ける刃は覚悟の刃。 手繰ったそれを握り締めて、土方は銀時の顔を静かに見上げた。 そこに居てくれたのは、真っ直ぐで美しい程の信念で相対している、銀色の鈍い刃の様な侍がひとり。 土方の魂を、心を、どうしようもなく捕らえてやまなかった、侍の姿が、 決していた。そんなことは知っていた。思ったら、土方の口の端は自然と持ち上がっていた。 「ああ。くれてやる。テメェにこの一つはくれてやる。 お前の事が好きだ。諦める事に苦しまなきゃなんねぇぐらいは、好きなんだ。結局諦めきれねぇぐらいには、好きなんだ」 どうあっても自分は『これ』しか選べない。 だから、どうか。 「──助けてくれ、銀時」 俺を『ここ』から、助けてくれないか。 死合いに捧げた命が手折れる、そんな奇妙な穏やかさに乗せて、自分でも驚く程に静かな笑みを浮かべてそう言うと。 土方は、眼前でずっと待っていた銀時の手に、鎖を引き摺った己の手で触れた。 覚悟に強張っていた互いの手指が、焦がれる事を許された瞬間には繋がれて、そして。 「…………お前って、本当に面倒くせぇ奴」 柔らかな苦笑の気配を保った互いの狭間で、額をこつりと合わせてから、銀時はどうしようもなく無惨な心地で、それでも浮かび上がった嬉しさの侭に笑った。 「俺の事が好きだって白状するだけに、どんだけの手間掛けてんだよ。どんだけお前不器用なんだよ。どんだけお前、」 そこで一旦言葉を切って、銀時は肺の中の全ての呼気を吐き出す様に大きく息を付いた。 言葉が浮かばなかった訳でもまとまらなかった訳でもない。届かないと思って引っ込めた訳でもない。安堵を思ったら、不意に見えて来て仕舞ったのだ。 「どんだけ俺、お前の事好きなんだよ」 本当に面倒くせぇ。見えたものをとりこぼさずにそう思わず言ってやれば、可笑しそうに喉を鳴らす音が聞こえた。 「それこそ、お互い様、って事にしてやらァ」 忘れた頃の本編の回収業。 /19← : ↑ |