GOLA / 1



 死体の正確な数はきちんと数えてみないとよく解らなかったが、最初に見た時はもっと人数が居た様に思う。
 人間だったものの数を確認するには頭部の数を数えるのが一番良い。大抵の場合はそれで通じる。腕や足だと宛にならない。胴体だとそれだけしか無い時に判別が付き辛い。
 一人の人間を一人と、或いは一体と証明するには首から上が一番だ。胴体と泣き別れになっている様な凄惨な状況であれば死亡確認も出来て一石二鳥。首を刎ねられ生きている人間は普通いない。
 職業柄か。それにしても陰惨に思えるそんな事を考えながら見遣った首たちは然し何れも胴体と分かれてはいない。各々血を流して斃れて、湿った地面を生ぬるくどす黒く染めて行っているだけの、数えるには別段困る事もないただの死体だ。
 悲しげとも恨めしげとも取れる表情を刻んだそれらを見返して、土方はもう一度その数を数えた。
 矢張り、足りない。最初に見た人数より、明らかに転がる死体の数は少ない。一体が確実に一人とカウント出来る状況だと言うのに、足りていない。
 三度目を数えた所で、土方は舌を打つ。どうにも失血で意識と思考とが散漫になっている。流れる血と共に意識まで地面に滴り落ちそうになって、慌てて刀を握り直した。然し紅く濡れた掌には力が上手く入らず、何度か指を震わせゆっくりと柄を掌中に捉える。
 しっかりしろと己を叱咤しながら、息をゆっくりと吸って、吐き出す。
 死体が襲撃者の数に足りないと言う事は、死体になる前に逃げたと言う事だ。そいつらが仲間を連れて戻って来たり、静かになった現場に様子を伺いに戻って来たりしたら危険な事になる。
 厄介な事になった。ぶるりと肩を震わせて見上げた空は、ぶ厚く黒い雲に阻まれて星も月も光明さえも伺えない。
 ──真っ暗だ。
 街灯の光さえも届かない薄暗い路地裏。遠い町灯りを受けて雲は仄かに明るいが、こんな狭く暗く凝った隘路にまでその僅かな光を行き届かせるには至らない。
 光も無く人も無く、最早誰にも省みられる事の無くなった死体たちを見回して、土方は強く握り直した刀の切っ先を地面に当てた。立ち上がれるだろうか。無理ならばこの死体たちの仲間入りをするのもそう遠くは無い事になるだけだが。
 考えながら視線を落とした先。流れる血に濡れた地面に、ぽつりと滴が落ちた事に不意に気付いた。まるく不定形に浸みる黒い色。そうする間にもそんな滴の数は増え、湿ったぬるい足下を忽ちに侵食していく。
 (ああ、道理で冷えると思ったら、)
 雨が、降り始めていた。
 
 *
 
 いつの間にか雨が降って来ていたらしい。
 銀時がそれを知ったのは、店の戸をくぐった客が傘を手にしているのに気付いたからだった。客は濡れた番傘を外に向けて軽く降って水気を落とすと、入り口に置いてある傘立てにそれを放り込んだ。陶製の、余り本数など収まりそうにない細身の傘立てだ。傘立てだと言われなければ変わった花瓶の類だと思ったやも知れない。
 店の広さと客の人数から見ればその傘立ては余りにも頼りが無く見えた。濡れた番傘を一本とは言え違えず放り込まれているのだから、一応その名の通りの役割は果たしているのだろうが。
 元々、日頃から余り使われる事も無いのか、それとも実用性より置物(インテリア)としての用途を重用視でもしたのかも知れない。或いは単に貰い物か何かなのか、店主の趣味なのか。
 幾ら傘立てを観察した所でそんな答えが出よう筈もない。銀時は寸時興味を惹かれた傘立てからあっさりと興味を失い、視線を壁に掛けてある時計へと向けた。雨が降っているらしいと言う事さえ解れば、それ以上の情報を傘立てに求めても仕様がない。
 時計の針は約束をした時刻を大きく回っていた。解ってはいたが思わず溜息が漏れる。思いの外湿ったその響きにこっそり顔を顰めながら、盃を傾けてともすれば湧きそうになる感情ごと飲み下す。
 今日ここで二時間前に銀時と会う約束をしていた男は、いつも多忙だ。仕事が立て込めば時間が遅れる事もあるし、緊急の用事でも入れば約束そのものが反故にされるのも珍しい事ではない。その際に特に連絡が無いと言う所まで含めて、概ねいつもの事だ。尤もそれについては銀時が自宅電話以外の連絡手段を持ち合わせていないと言う原因もあるのだが。
 再び時計を見上げる。つい今し方見上げた時との変化は秒針の位置ぐらいのものだ。今度は溜息を出る前から呑み込んで、銀時はカウンターに頬杖をついて箸を手に取った。先頃から一人でちまちまとやっているツマミの皿から浅蜊の佃煮を摘んで口へと放り込む。
 二時間も経過していると言う事はもう、遅れる、と言うレベルでは無い。銀時の経験では大体の場合、この待ち人は一時間来なければほぼ確実に来ない。つまりそれは、仕事がなかなか片付かないとか言う事情ではなく、もっと込み入った──先程の話で言えば後者、約束そのものがキャンセルになる様な事が起こったと考える方が良い。
 二つ目の佃煮を咀嚼しながら、カウンターの上に置いてあるテレビを見遣る。小型の、旧式のブラウン管の画面に映し出されているのは、週末のゴールデンタイムを占拠した野球中継だ。七回裏、一点差に追い上げられた一死二三塁。四球が出て観客と店内とに落胆の声が流れる。これで一死満塁だ。マウンド上の土を蹴って慣らす投手の周りに内野陣が集まって来る。
 緊迫した場面なのだろうが、銀時は早々に視線をテレビから外した。別に野球が嫌いな訳では無いのだが、今はどうでも良いだけだ。懸念していた様なニュース速報の類も画面に表示される様子は無かった。
 佃煮の濃い味を誤魔化す様にそっと酒を煽る。店内とテレビとで歓声が湧く。試合が動いたらしい。ダブルプレーコースか、逆転タイムリーヒットコースかは解らないしわざわざ視線を向ける程でも無い。
 「親父ィ、酒たのまァ」
 空になった猪口を振って銀時が言えば、テレビの中の試合の行方を注視していたらしい店主は、注文からワンテンポ遅れて「あいよ」と返事だけは愛想良い声を寄越して来る。
 お座なりな所作で置かれた猪口を傾けると、透明なアルコールで満たした盃には浮かない顔をした銀髪の男が映っていた。
 毎回、解っている、と繰り返す癖、なんだかんだとダメージを受けているらしい己を軽く笑い飛ばして、銀時は一息に酒を飲み干した。
 そう。毎回の事だ。あの多忙な恋人とまともな逢瀬など滅多には過ごせない。事前に約束をするよりも急な約束の方が未だ勝率が高いと思えるぐらい、恋人の予定は侭ならないのだ。
 そんな思考を割いて、店の戸が開く音に反射的に頭を巡らせるが、銀時の希望とは異なりそこには見ず知らずの中年男性が立っていた。その男もまた、手にしていた傘をあの役に立ちそうもない傘立てに突っ込むと、店主と世間話めいた挨拶を投げ合いながら席について行く。置物にしか見えない傘立てだが、そう思えていたのは銀時の感じたひねた印象だけだったのかも知れない。
 雨は結構降っているのだろうか、と銀時は酒を舐めながら、二本並んで傘立てに放り込まれた傘を見た。傘を置いて座る客の姿を見れば、それ程酷く降っていると言う訳では無いのだろう、着物が雨に濡らされている様子は見受けられない。
 それでも、傘が必要だと感じられる程度の空模様なのだろう。果たして帰るまでに止むだろうか。それとももっと酷くなって仕舞うだろうか。思い起こせば、夜に家を出る時にはもう既に雲は厚く、風は生ぬるい湿気を含んでいた様な気がするが、今更そんな事を思い出してみた所で銀時は傘など持っていないし、あの役立たずに思える傘立てを見ても、誰かの忘れ物を拝借したり出来る様子では無さそうだ。
 (仕事でも、捕り物でも、雨に降られてなきゃ良いんだけどな)
 だから銀時の心配は寧ろ、この雨の中外に駆り出され仕事に就いているだろう恋人の方にあった。約束した待ち合わせの時刻には未だ雨は降っていなかった。そうなるとそれ以前に入った仕事ならば傘なんて持たずに出掛けている可能性の方が高い。
 店内は穏やかな喧噪に包まれ、暖かな壁に阻まれて、幾ら耳を澄ませど雨音の一つでさえ銀時の耳には届かせてはくれない。それでも、扉一枚を隔てた外では雨が降っているのだろう。あの男の元にも、恐らくは平等に降り注いでいるのだろう。
 そんな雨の触れぬ場所にいる銀時に出来る事は、ただその訪れを待って怠惰に酒を干す事ぐらいしかない。もしも遅れても来てくれると言う可能性が僅かにでもあれば、それを待たず帰る気になどなれない。
 どうせ暇なんだ。
 その度に諳んじて来たそんな言葉に、銀時は自ら淡く笑う。そうまでして約束が履行された回数は限りなく少ない。それでもきっと、店じまいの時間になって店主に追い出されるまでここを動かないのだろう己を思って。







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