GOLA / 7



 「……そうか。俺は、死んだのか」
 曖昧な靄の中で絡まった糸はその一言で容易く解けて、記憶がするりと蘇れば同時に全てが理解出来た。
 憶えている。帰ろうと足掻いた事も、生きようと戦った事も、負けまいと抗った事も。そして終わった事も。全て。
 後悔も畏れも無かった。信じられないと嘆く気持ちも湧かなかった。ただ、『そう』なのだとだけ、解る。そしてそれが全てなのだとも、解った。
 だから平気だったのだ。こんな優しい飽食の時間に置かれても、本来していただろう仕事の心配一つせずにいられたのは、ほんとうの事を土方自身がきっと何処かで認識していたからに違いない。
 過去を思い出し戻った筈の時は、然し進み続けている。憧憬にも感傷にも拘わらず、未来を喪った者を置き去りにして。呑み込んで、忘れて、遠ざけて、悼んで、乗り越えて、生者はそうして生きて、進んで行くのだろう。
 見上げた先では銀時のやさしい目が土方の事を静かに見下ろしていた。痛みでも堪える様な顔をして、それでも口元を笑む様に歪めて引き結んで、ただじっと。
 きっとあの後──つまりあれから何日か経った今、土方はどうやってか此処に来たのだ。銀時はそれを知っていた。どう言う訳かもう灰になった筈の土方の姿を此処に見た。気付いてくれた。
 それはそれで喜ばしい事なのか。実の所土方にはよく解らなかった。もどかしい様な苛立つ様な感覚と同時に安堵がある。だがその安堵は本来憶えてはいけないものなのだとは、なんとなく、解る。
 「…死んだってんなら、何で俺ァこんな所に居るんだろうな。化けて出るなんざ、タマじゃねェって今の今までそう思ってたのに」
 昔の自分であれば、あの状況なら腹でも斬って自害していたか、派手に討ち死にしようとか考えていただろう。だが、いつからか土方は己の最期に生き汚くあっても構うまいと思う様になっていた。生きていないと得られないものや、生きていてこそ得られるものがある事を知ったからだ。近藤や銀時や、他沢山の人たちにそう教えられた。
 死に花なんて咲かない。生きてそいつらと笑い合う事以上に、得難いものなど無いのだと。
 そうやって生き抜いても結局は果てた。だがその後まで諦め悪く此岸に居座り、死んだ事さえ忘れてだらだらと恋人の元で過ごすなど。土方にその現実は自身でさえ全く思いも寄らない事だった。
 肉体を失い魂と成り果てて、それでも今生に縋る事は少し惨めに思えた。生きる事を諦めたくなくとも終わった、その現実を拒絶してまで今更何を悪足掻きしようと言うのか。
 そう思って皮肉気に笑う土方に、銀時はその宿した表情同様の静かな声音で、至極簡単な事の様にあっさりと言う。
 「そんなの、未練にしてくれた以外の何だってんだよ」
 未練、と口中で鸚鵡返しにして、それから土方はゆっくり頷いた。
 確かに未練だった。最期の近付くその瞬間まで、約束とか、その先の日々を考えてただ戻ろうとしていた。帰ろうとしていた。向かおうとしていた。
 「だから、来てくれたんだろ」
 銀時が静かにそう言うのに、土方はもう一度はっきりと頷いた。だから、来た。そうだ、それ以外、他に何があると言うのか。
 生き汚く無様に足掻いたのも、多くの屍を拵えたのも、たったひとつ、それだけの為に。
 唇が戦慄いた。声が震える。目の奥がつんと痛みを訴える。
 「俺、は、」
 だって、生きたかった。死にたくなかった。戦いたかった。護りたかった。
 「お前と一緒に、生きてみたかった」
 これからの時間をずっと。あとどれだけ続くのか解らない時を、銀時と共に生きて行きたかった。
 添い遂げる訳ではなく、ただ意識せずとも自然と生活の中に居る、そんな存在として共に歩いてみたかった。喧嘩や言い合いはきっと絶えない。時に修羅場めいた事だって起きるだろうし、愛想ぐらい尽かす。本気で怒り合ったりぶつかり合ったりも何度も、数え切れないぐらいしただろう。
 それでも──そんな日々が欲しかった。
 それは普通に、漫然と過ごしていて訪れ続けるものだと、そう信じていたものだった。
 だが、その未来は潰えた。土方を失った銀時の未来の日々を道連れにして、消えて仕舞ったのだ。
 それが、銀時や沖田にあんな顔をさせている。近藤もきっと同じだろう。土方を知り関わって来た多くの者らが、彼らと同じ様にして嘆いて悲しんだ筈だ。
 (……本当に、死に様には花なんて咲きやしねェんだな)
 鮮やかさも美しさも何も無い。死はただの結果で、現象だ。途切れた生と、これからも続く生とを最も深く隔てる現象であり現実。此岸と彼岸との隔たりには何も無い。埋めるものも届くものも、何も。横たわった未練以外には、何も。
 もう触れる事など叶わない、銀時の腕に手を伸ばして土方は苦しさから逃れる様に息を吐く。触れた所で感触も感慨もある筈が無いのも道理だ。既にこの身は誰かの嘆きの果ての忘却に在るものとなったのだから。
 「……すまねぇ」
 「後悔なんざしてねェ癖に」
 何処か諦めにも似た笑みで言われるのに、土方はまたしても躊躇いなく頷いた。この先へ続く途は潰えたが、そうと解っていたとしても抗って戦ってそして死ぬ、それ以外の道はきっと無かった。あの瞬間でなくとも。いつか訪れる日にそうなったとしても。
 「手前ェ自身がそう思う侭に、望む侭に生きてくれた事ァ、正直言や少し悔しいさ。俺ァそんな物分かりは良くねェんだ。今だってまだ、悲しめば良いのか悲しんで良いのかさえよく解ってねェよ」
 そう真っ直ぐに土方の事を見て告げる銀時の言葉には、呑み込み損ねた感情の欠片が刺さっていた。喉に刺さって鈍い痛みを齎すそれに堪える様に、銀時は寸時目を伏せた。
 それでも、泣く事も嘆く事も喚く事も責め立てる事もせずに。笑う。心配はいらないと、笑う。
 「ただ、おめーがあんないつも通りの、小さな約束ひとつを憶えてくれてた、それだけで十分だ。今はそれだけで。
 次は俺から、そう遠くない内に会いに行ってやるから、それまで待ってろ」
 白い歯を見せて目を細めてみせる銀時に、土方も目の裏の痛みを堪えて笑った。握った、届かない拳を胸に押し当てる。殴ってやりたかった訳では無かったが、これが、この想いひとつが銀時の胸の奥底まで届けば良いと思って。
 「ジジイになるまで生きろ、馬鹿」
 届けば良い。そうして生きてくれれば良い。今も。これからもずっと。この場所で。万事屋の坂田銀時を創ったこの優しくて温かい世界の中で。呑み込んで、忘れて、遠ざけて、悼んで、乗り越えて、そうやって生きて行って欲しい。
 「そうして人生たっぷり謳歌して、てめぇが生きるのに飽いて満足したら、その時はまた会ってやっても良い。尤も、そんな約束をてめぇのその爆発した頭で憶えてられたらって事が前提だが」
 「そんなの当たり前だろうが。仕事仕事でしょっちゅう約束の一つも忘れるおめーが憶えてられた程度の事、俺が忘れる訳ねェっつぅの」
 棘の無い軽口を投げ合う。こんな容易い口約束は果たして履行されるだろうか。若い時分のほんの僅かの時間を埋めただけの恋が。
 ……きっと、叶うのだろう。確信もない癖に疑い無くそう感じて、土方は笑う銀時の姿を見つめた。
 何か知悉するだけのものがあった訳ではない。付き合いの期間も生きていた時間から見れば余りに密やかで短かった。それでもそうと信じた心は不思議ともう穏やかで、未練も無念も苦しさもなにひとつ感じられない。
 それはきっとこの男が、自分を待っていてくれたからなのだろうと思う。
 解って、待って、受け入れてくれたから。だから、もう。
 
 *
 
 柔く目を細めて微笑んでいた姿は、瞬きの瞬間にはまるで夢か幻だったかの様に消えていた。
 日に焼けた畳の目をじっと見つめて、襖に掛けた手を震わせ漸く引き剥がしても。今し方までそこに確かに居た筈の存在は、もう何処にも見当たらなかった。
 否、それはもう既に失われていた筈のものだった。
 土方の触れた胸に手を当て、銀時はそっと項垂れた。正直、起きた事と突きつけられた現実とが余りに重すぎて、息をするのも苦しい。脳は往生際悪く思考を続けて血流を早め酸素を食い潰して行くのに、肉体の反応はそれに全く追いつこうとはしてくれなかった。
 これが本来、あの電話での報を受けた時に感じているべきだった感情である事は明白だった。
 心に孔を穿って、その柔らかく深い所に無造作に突き刺さった侭、ただ痛みだけをいつまでも残し続ける。それを──決して取り戻す事も代わりに埋める事も出来ぬそれを、亡失の疵であると銀時は知っている。知っているからこそ、その痛みから逃れるのが容易ではない事も理解していた。
 あの時はそれを認める事も受け入れる事も出来ないと思った。いつかこの疵を諦め、悼む事で薄らがせていく事は必要だとは感じていたが、現実そのものに向かう作業については想像も及ばなかったと言う方が正しい。
 喪失の現実も、疵も、受け入れ難いと思ったからだ。だから、受けた報以上の事は何も考えなかったし、誰かに訊ねてみようとも思わなかった。
 それは、銀時が土方の死に目を見ていない、と言う単純な理由からばかりではなかった筈なのだが、皮肉な事にも『受け入れ難い』、それこそがその最たる言い訳の一つとなっていたのだ。
 
 そしてその朝、珍しく早く目を醒ましてみれば、死んだと言われていた筈の男がそこに居た。
 ソファに腰掛け静かに眠っている男の姿に驚かなかった訳は無い。遂に参って夢や幻でも見ているのかと半ば己に呆れながら風呂場で頭を冷やして戻った銀時に、その間に目覚めていたらしい男は暢気にもこう口にした。「俺は、どうして此処に居るんだ…?」と。
 その一言で銀時は何となくこの事態を理解した。死んだ筈の男が万事屋のソファに座って眠っている、そんな現実離れした光景に対する得体の知れない理屈はどうでも良く、目の前で起きている事だけが確かな全てだった。
 ただ、きっと、土方は此処に帰って来ようとしてくれたのだろうと思った。仕事に対してはきっかりしている癖に少し抜けた所のあるこの男の事だ、自分が死んだ事をころっと忘れて、あの日の約束を護ろうとしてくれたのだ、と。
 定春は動物の鋭敏な感覚でか、土方の姿が見えている様だったが、神楽にはそうでは無かった。恐らく新八も同じ事だっただろう。幸いにと言うべきなのか、土方自身がその事実に気付く事は無かった。気付いていたら、思い出して仕舞っていたら、穏やかな時間を僅かでも過ごす事はきっと叶わなかっただろう。それはきっと土方の望む処では無い。
 土方はきっと此処に来たかったのだ。交わした約束を果たす為と、恋人である銀時に会う為と、此処でしか得られない安らぎをもう一度求める為に。ただ、それだけの為に。
 「……お疲れさん」
 気付けば自然と、そう口からこぼれ出ていた。真選組の為に尽くして、銀時の元へと戻ろうとして、そうして斃れた愛しい人間に手向ける様に。
 銀時は目前に先頃まで在った男の面影を、疾うに喪われていた筈の温もりを呑み込み胸の底に大事に仕舞い込む事で、涌き出そうになる感情を堪えた。
 痛みは当分去らない。喪われたそれはどうした所で消えないし埋まらないし忘れられもしない。
 だが、それでもそれを悼んで抱えて行く以外に、人は喪失に対する術を持たないのだ。
 
 
 
 
 
 
 




















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 目を開けたら目の前に、懐かしくて愛しい顔が目を細めて静かに微笑んでいた。
 ずっと会いたかったそれに手を伸ばし、空白になった時の堆積を埋める様に思い切り抱き締める。
 「待たせちまって、悪ィ」
 「…そんなに待っちゃいねェさ」
 返るのは穏やかな声と、髪をそっと撫でてくれる手。
 「お疲れさん」
 いつか手向けた気のする言葉を貰って、後はただ心穏やかに全てを呑み込み受け入れた。
 喪失の悲しみを飲み下す一番の方法はこうだったのだろう、と皮肉めいた理解を得ながら。
 




しにわかれネタですいませんでした…。

死ぬ事が怖いんじゃなくて、消せない事こそが怖かった、と言うのが未練の正体。

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普通に余計な蛇足。
どうでも良い方は黙って回れ右推奨。

見て下さっている方への初見ファーストアタックしか考えなかったのでこんな話に…。

お墓ですが、49日前なので納骨はまだしてないです。寄る辺としての結束固めみたいな意味で墓だけ作ったんです。まだ襲撃者の逮捕も出来てないので、盗難などこれ以上の土方への辱めを避ける為に、お骨は多分屯所の何処かに隠してあるとかそんな。
………と言う事を今適当に考えました。……はい、単に細かい現実事情を忘れてただけです。

感情をまず飲み下すのは、喉。刺さるのも、喉。受け入れ難く現実や感情を吐くのも、喉。