Manufacture / 0 誰にだって初めての事ぐらいある。 と言うか人生なんて何事もが初めての連続で出来ている。母親の乳を吸うのも二足歩行を開始するのも誰かと殴り合うのも異性と手を繋ぐのも仕事に就くのも子供を作るのも皆例外なく、初めて、と言う経験を経て行くものだ。生まれてこの方身に起こる全てを経験済みの者など居る訳がない。 そして初めての事には失敗や戸惑いが付き物だ。緊張や想定外が手伝えばその確率は跳ね上がる。頭で幾らシミュレートしようが事前に幾ら勉強していようが、実際試験の日になれば上手く行かない事なんて珍しくもない。 だからそう、初めての事に上手く行かない現実があったとして、仕方ないじゃん?と開き直る類の言葉や言い訳は銀時の裡に山と湧いていた。実際初めてなのだからと言う免罪符はそんな思考を寧ろ後押ししてくれるものの筈だった。 ……が、銀時がそれらの言葉を吐く事は無かった。 苦しそうに痛そうにしながらも抗議も文句も口にせず、事後になっても責める類の言葉一つ口にしなかった土方の姿を目の当たりにして仕舞えば、言い訳を並べる事など寧ろ罪悪感にしかならなかったのだ。 盛り上がろうとする気分の問題だとすれば、最中に何も言わずとも後から我に返って文句の一つぐらい出そうなものなのだが、そう言った様子がまるで無かった事を思えば、初めから土方には銀時を責めるつもりは一切無かった、のだろう。 そこまで思い出して銀時は頭を抱えて項垂れた。どう控えめに見ても気持ち良いどころか苦しそうでしか無かった土方の方が「気にするな」と言いたげですらあった、それは銀時の男としての沽券に大いに関わる事である。初めてなんだから、などと免罪符を貼り付けた軽薄な言い訳など、罪悪感でも自尊心の問題でも出せる筈も無い。 ……そう。要するに銀時は、漸く口説き落とした愛しい男との初セックスで、見事に失敗して仕舞ったのだった。 否、失敗と言い切るには語弊がある。何しろお互いに碌な予備知識すら持たなかった上での『初めて』の話なのだ。多少は問題が起こる事は全く考えていなかった訳ではない。だが、何とかなるだろうと軽い気持ちで居たのも事実だった。 そこに来て少々問題だったのは、初めて後孔を開かれ苦しむ事しか出来ない土方を相手に──と言うより寧ろ『使って』──銀時はちゃっかりと良い思いをしたのに、土方の方は全く駄目だったと言う点である。 これでは銀時がただ『下手くそ』だったと言う様な感じにしか見えない。実際その通りだったのかも知れないが、心がへし折れそうなのでそこは考えずにおく。 ともあれこれでは土方の「気にしないで良い」と言う態度も、何だか下手くそな男に気を遣ってくれた商売女と言った図の様に思えて来て、銀時としては酷く居た堪れないのを通り越して落ち込めて来る次第なのだった。 朝、痛みを引き摺りながらも送る提案を断って土方は屯所へと帰って行き、それを見送るしかなかった銀時に残されたのは後味の苦さと数日に渡る懊悩。初めてなんだから、と言う決まり文句の免罪符は結局銀時の納得には一切収まる事なく、思い出す度落ち込んだり後悔してみたりと言う繰り返し。これは最早『初めて』由来の甘酸っぱい記憶ではない、呑み込めないえぐさだ。 そして銀時は遂に決意した。気鬱に抱えていた頭をぶんぶんと振り払い、見上げるその先にあるもの──偶にオカマバーのバイトなぞをさせられる知り合いの店の戸を叩く事を。 正直ここの怪物どもに借りを作るのは好ましくない話だが、男の精神性でも何気に心は乙女である事の多い連中だ。彼女を──と言うか彼氏だが──悦ばせたいと言う切実にプライドの関わる男心にも理解があるだろう。 (初めてなんだし気にするな?気にせずにいられるかってんだボケェ!) 土方の、具合悪そうにしながらもそれを呑み込んだ殊勝な態度は、思い出せば日に日に、逆に銀時の自尊心を叩いて煽って仕舞っていたのだった。 * 軽く酒を楽しむのもそこそこに、土方が銀時に半ば引っ張られる様に連れて来られたのは一軒のラブホテルだった。それも、目抜き通りにある様な派手な類の店ではなく、うらぶれた雑居ビルの狭間にある様なこぢんまりとした店。 「ここなら男同士でも利用構わねェ店だから」 そう言われ、通りからは見えない様になっている入り口を潜れば、そこには機械式のフロントがあった。銀時は手際よくそれを操作すると、居慣れぬ雰囲気に落ち着かずきょろきょろとしている土方を伴って部屋へと向かう。 土方は職務上でもこんなラブホテルに利用客として入る事など無かったので、手慣れた様子の銀時にまず戸惑いを憶えた。 何せ、ラブホテルと言う事は有り体に言って『それ』が目的だと言う事である。前回の様に、飲み直しなどと言う理由をつけて万事屋の寝室に土方を招いたのとは訳が違う。 正直を言えば前回の『それ』は決して悦いものでは無かった。だが、互いに初めての事だし、初めてなのだから勝手が解らないのも当然だしと、それ程土方は気にしていなかった。一応、(殆ど最後は自分で扱いていた様なものだったが)銀時は達することが出来ていたし、全く成果が無かった訳では無いと言えるだろう。初めて、と言う意味では。多分。 それどころか、突っ込まれても苦しむ事しか出来ずにいた自分を、それでも欲の対象にしてくれた銀時に申し訳なささえ土方は憶えていた。同じ男の体を前にして、上手く受け入れられずに居る無様な有り様に笑う事も萎える事もせずに居てくれた、それだけで土方には十分な『初めて』の体験と言えたのだ。 そして今日、二度目。また『それ』が有り得るかも知れないと一応は思って、土方は念の為に風呂は浴びて来ていたのだが、まさかあからさまにラブホテルに連れて来られるとは流石に思っていなかった。故に動揺は隠せない。銀時は男との行為は初めてだと前回は口にしていたから、よもや別の誰かと利用した事がある、と言う事は無いだろうが…。 「ちょっと座って」 部屋の中央に鎮座している『それ』目的でしかない大きなベッドを指して銀時が言い、土方は気後れしている己が堂々として居る銀時に比べなんだか卑小な者である様に感じられて、「ああ」と乾く喉を誤魔化して頷いた。 ぎくしゃくとしそうになる体運びを隠してベッドに腰掛ければ、その隣に銀時がどすりと腰を下ろした。ふう、と深呼吸の様な溜息をひとつ。 「……あのな、」 そうして切り出す銀時の表情が思いの外に真剣であった為、土方はどきりと跳ねた心臓を押さえたくなる手を、何とか固く握って留めた。 「前回、その…、あんま上手く、っつぅの?行かなかった訳じゃん?」 「…あ、いや、そりゃ初めてなんだから、仕方ねぇっつぅか…、そう言う事もあるだろ。その内…その、慣れる?、かも知れねェし…」 「その内、っていつだよ」 「っ、」 いきなり真剣な様子で振られた話題が話題で、しどろもどろになる土方の手を掴んで銀時がぐいと顔を寄せて来る。睨む様な挑む様な眼差しに至近で曝され、土方は目を逸らす事が出来なくなる。 「そ、その内、…、ほら、何度かやってりゃ、きっと慣れんだろ?」 おろおろと答える土方をじっと見詰めて、銀時は僅かだけ肩の力を抜いた。その事でまた少し距離が戻る。責められる筋合いは無いのではないかと思う冷静な思考もあったのだが、土方はよもや自分(の体)が悪い所為で銀時が満足出来ないのではないかと言う思い当たりに行き着いて仕舞い、思わず俯く。 (やっぱり、男の体同士でセックスしようなんて事がそもそも無謀で…、いやでも、) 「その内、なんてのがいつ来るかなんて解らねェだろ?」 落とした視線の先で、土方の手を掴んでいた銀時の指が解けた。そして続いた声は想像していたより穏やかだった。だから土方は咄嗟に銀時の顔を見上げた。譲歩を申し出られた子供の様にどこか縋る心地で。 「だから、」 そこで一息つくと、銀時は着流しの懐に手を突っ込み、何やら派手な色彩をした雑誌を取り出した。土方に見えているのは裏表紙。そこにはモザイクをかけなければいけない様ないかがわしい商品……、の広告が載っている様に見える。 眉を寄せる土方に、銀時は取りだした雑誌をベッドの上にぽんと置いて言う。 「土方くんのお尻、開発してェ」 置かれた事で目についた雑誌の表紙には、ガタイの良い男二人が何故か際どい格好で寄り添っていた。雑誌のタイトルになど憶えはないが、それがそう言った用途の書籍だと言う事ぐらいは土方にも想像がつく。 「…………」 は?と言いたくなるのを辛うじて土方が何とか踏み留まったのは、銀時に対する負い目が大きかったからだろう。それでも常より大分引きつった表情筋で雑誌を見下ろせば、その表紙に踊るあからさまな写真や文字が脳に飛び込んで来て憤慨若しくは戸惑いと言った感情で頭が上手く回らなくなる。そんな混乱めいた思考の狭間で、怒鳴れば楽だ、と己の経験則が訴えて来るのを土方は必死で黙殺した。楽かもしれないが解決にはならない。 「これな、知り合いのオカマに貰った。色々やり方とか詳しく書いてあっから役に立つ筈だってな。このホテルの事もそいつらに教えて貰ったんだよ。同性でも問題無いしそれ用のアイテムも置いてあるし安いしって」 「…………そ、そうか…」 今更の様に言い訳めいた事を連ね始める銀時に、土方は自分でも間が抜けていると思う相槌を返しながら、いかがわしすぎて直視したくもない件の雑誌から漸く視線を逸らした。すると銀時が再び身を乗り出して来て、今度は土方の両手を掴んだ。ティーンの少年が告白でもする時の様な勢いで身を乗り出して来る。 「なぁ、頼む。絶対に気持ち良くするから、オメーのケツの開発させてくれ!」 大真面目に叫ぶ事か、馬鹿。 とんでもない事を真顔で訴えられて、真っ赤に茹だった頭で土方は存外まともにそんな事を思ったのだが、矢張りそれは口から出る事は無く。 前回の『初めて』を思えば銀時に対する負い目が沸き起こって来るのは禁じ得ず、土方は半ば勢いに圧されながらもおずおずと頷いたのだった。 ただの頭悪いアレな感じの話と言うかネタです。 ↑ : → |