リナリア



 屯所の警備は、警察と言う役職の者の集う場所なだけあって厳しい。正門には昼夜を問わず見張り番が立つし、例えば爆弾を抱えた不審者や、屯所にカチ込みに来る様な襲撃者を察知次第、屯所全体に警報が伝わる様になっている。更には、屯所の戦力で手に負えない様な非常事態時には情報の精査の後、他警察組織や外回りの隊士にも報告されると言う、万一の時の備えとも言えるシステムも用意されている。生憎とそのシステムが必要とされる事態に至った事は今の所無いが。
 ともあれそこまで全力の警備モードに入らずとも、基本的に真選組屯所の警備は厳しい。見てくれが古めかしい武家屋敷であろうが、警察組織として然るべき警戒は怠らない。不審者やアポイント無しの者は、一般市民であろうが無害そうな女子供であろうが絶対に門を通さぬ様に見張りにも常々言い含めてある。
 正門だけではなく裏門も、そこを通る荷物も。真選組屯所の門を潜るものは、その全てが厳しいチェックを経てのみ内部に入れる様になっているのだ。それに例外は無い。決して、無い。
 そこまで考えても土方の頭には、どうやって、と言う疑問は何故か湧いて来なかった。恐らく何処かで無意識に判断して仕舞っていたのだ。銀時なら──戦火の中を生き延びて来た様な男にとってなら、警察の警備の一つや二つを越えて来る事ぐらいきっと朝飯前なのだろう、と。
 それが的外れで酷くどうでも良い想像である事は解っていた。銀時が忍者よろしく塀を乗り越えて来ようが、スパイよろしく空から降って来ようが、或いは顔見知りの民間人らしく普通に正門を通って来ようが、今屯所の奥部にある副長室に、土方の目前に到達して来ている事は事実なのだから。
 茫然と畳の上に座り込んでその姿を見上げる土方の視線の先で、銀時は襖を後ろ手に閉じるとその場に立ち尽くした侭で視線をぐるりと游がせた。
 今は執務中では無かったから、土方は机に向かっていない。寛いでいた訳でも無いから、畳には座布団一つ敷かれていないし茶の一つも卓には乗っていない。見た限りでは──見えない限りでは、銀時が土方の存在を気取る事や、その痕跡を見出す事など不可能な筈であった。
 流石に驚きで茫然としてはいたが、きょろきょろと視線を漂わせる銀時の姿を見上げる内、土方には冷静さが戻ってくる。己の知覚に銀時が『見え』て居ると言う事は、万事屋を訪れる事でうっかりと思い出しそうになった恋情やそれに類する感情を、何とか今は制御出来ていると言う事だ。それに関しては矢張り、薬を使ったと言う自覚が己にあるだけ楽だったと言う事なのだろう。
 だが、銀時は未だそうでは無い筈だ。万事屋の玄関先で見た時同様、彼は全身の神経を研ぎ澄ませて土方の気配をここから感じ取ろうとしている。少しでも尾を見せようものなら引きずり出されるやも知れないと、畏れを以て土方は銀時の野性的な勘を認めざるを得なかった。
 (…いや。薬の効果が残っている上で、俺の事が見える様になってんなら、それはそれで構わねェ筈なんだが…、)
 思って、否、と打ち消す。もしもそうだとしたら端から、銀時が普段決して寄りつく事などない真選組屯所の、しかも土方の居る副長室などピンポイントで訪れなどしない。
 恐らくこれは、忘れて諦める決意を固めていた筈の土方が、つい万事屋を訪ねて仕舞ったのと同じ事だ。
 薬の絡繰りが露見したと言う訳では無いのだろう。ただ銀時にも何か思う事があって、こうして土方に会いに来た。そしてその行動の引き金を引いて仕舞ったのは、土方が万事屋の玄関先に迂闊にも佇んで、それが何故か見破られた事に由来している。つくづく、馬鹿な事をしでかしたものだと、土方は後悔の苦味を噛み締めただ押し黙った。
 あの玄関先で土方の存在を銀時が手繰る事が出来た、その理由が銀時の持つ野性的な勘なのだとしたら、土方にはもう二度はぼろを出すまい、感情を揺らがすまいと言う事ぐらいしか出来る対策が無い。薬の効果が少しづつ薄れて来ているのであれば猶更だ。何かをすれば、僅かの空気の変化一つでも銀時は恐らく、気付いて仕舞う。
 なれば、黙っていれば、動かなければ、気取られる理由は無い。銀時が、土方を想うのを、探すのを已めてくれない限りは、見つかる筈は無いのだ。
 彷徨う銀時の視線は、やがて部屋の中央辺りに膝を付いて座っている土方の方へと向けられた。多分、気配を何処にも感じ取れ無かったから、真ん中に戻って来ただけに過ぎないのだと、土方は視線の決して合う事の無い銀時の顔を睨む様にして見上げた。
 今更、だ。
 銀時が本当は土方の事を想っていたとしても、土方はもうそれを、自分の感じていたそれを棄てて仕舞おうと、忘れて仕舞おうと決めたのだ。あんな関係性を望んでいた訳では無いのだと、気付いたから、だから醒めた。
 今更都合良く、「好きでした」、「奇遇だね俺もだよ」、などと言い合う下手な恋愛ドラマの様な結末を迎える事など土方は望んではいない。
 だからこそ、土方の眼には銀時の姿が今ははっきりと見えているのだ。
 困った様に寄せた眉の尻を少し下げて、ばつが悪そうに癖の酷い銀髪をがりがりと掻いて、ゆっくりと息を吐く、そんな男の姿が。
 「………そこに居るんだろ、土方」
 見る事の叶わない筈の眸で、世界にいない筈の者を探す銀時の、確信の笑みが。
 「──」
 寸時息を呑み、土方は銀時の姿を益々強く睨み付けた。その眸には、世界には、確かにこの愚かな男は居ない筈だ。恋を棄てろと願った男の、小さく卑怯な姿は。隠れて逃げようとする、大凡銀時の想像し得る土方十四郎には有り得ないだろう、弱い有り様は。
 「どうして、見えてもねェのに、てめぇがそこに居るって思っちまうんだろうな」
 溜息。小さな笑い声。震える、土方の視界の中の銀髪の男の言葉。
 「まあ居ても居なくても良いから聞いて欲しい…、って、居ねェんなら独り言になんのかコレ?何かスゲー恥ずかしいし馬鹿みてーだけど…、」
 ぶつぶつと猶もぼやくと、銀時はその場にしゃがみ込んだ。奇しくも土方の眼の、視界の丁度その前に。
 「何なんだほんとコレ、避け過ぎて姿まで見えなくなっちまったんだか何か知らねーけど、ひょっとして隠れんぼ的な何かっつぅドッキリとか?まァ何でも良いけどよ、」
 目を閉じてがしがしと自らの頭髪を掻いて、小さく息継ぎをすると、銀時は目前の土方に──そこに居る筈の男に向けて力なく笑いかけた。
 笑みに潜む確信に気付いて仕舞う事が馬鹿だと、土方は思った。思って、揺らぎそうになる決意に、姿に、抗う様に唇を無理矢理に引き結ぶ。
 「居なくなってから気付く、とかよく言うけどさ、アレその通りなのな。俺ァお前が当たり前みてーに俺の許に居てくれたって事実に、多分甘えてたんだと思う。だから、情けねェけど俺はお前が何か腹立てたんだろう理由も実は解っちゃいねェ。けど、もしも怒りてェならやっぱ直で文句言って貰いてえし、訳わかんねえ侭無かった事になっちまうのも我慢がならねェ」
 そこまで一息に言うと、銀時は膝を崩し、まるで居直り強盗か何かの様にその場にどっかりと座り込んだ。やっぱ目合わせねえと話辛ェな、と早口でごちながら、室内をぐるりと見回した視線が再び目前へと戻ってくる。
 探していた、と言うよりは、ここに居る、と言う確信の様に。
 見えていない。解る訳がない。幾度と無く己に言い聞かせた現象を思いながら、土方はその事に感謝をすれば良いのか怒れば良いのかがよく解らなくなって、絶望した人の様に力なく空を見上げた。
 救いも思いつきも無く、天井だけが冷たく見下ろすその下。向かい合う、見えない二人の人間の、酷く馬鹿げた遣り取り。誰が傍から見た所で、どうしてこれが通じていないのかきっと解らないだろう、そんな捻れたすれ違い。
 「……遅ェんだよ、馬鹿天パ」
 こぼれた言葉は力が無い。吐いた己で笑えるぐらいに、情けなくて堪らない様な声音だった。
 どうせ聞こえていないのだから構わないのか、聞こえていない事を嘆くべきなのか。
 それを望んだのも、一方的に銀時に強いたのも土方だ。そうしてでも逃げたかった。そうしてでも已めたかった。怖くなって、それでも終わりにはしたくなかったから、諦めが欲しかった。
 欲しかったのはあんな形では無かったのだと、多分、それだけを解って貰いたかったのだろうけれど。
 「そもそも、てめぇがあんな、ッ、」
 目前で揺らぐ銀時を激しく睨んで、土方は思い出した激しい感情の侭に一息に膝で立ち上がると、辛うじて意識に留まってはっきりと見えていたその胸倉を掴み上げた。
 ただの喧嘩を楽しむ腐れ縁。そんなもので、潜む好意を抱いたその侭で良かった、それを銀時は壊しておいて、そこから進む事を已めて仕舞ったから。
 「だから、俺ァてめぇの事が、嫌いなんだ!」
 涌いた激情の正体を掴まぬ侭、土方は目を白黒とさせる銀時の横頬を振り上げた拳で殴りつけた。
 「ぐえ!?」
 流石に見えない所からの痛打を躱す事は出来ず、面白いぐらいにぐるりと半回転した銀時の体が畳の上に転がる。
 ぼた、と畳に滴り落ちる鼻血。手の甲で拭ったそれを見て、銀時は顔を思いきり引きつらせながら、己を殴りつけた下手人の居る辺りを見て声を上げた。
 「殴ったよね?!今おめー完ッ全に俺の事殴ったよね?!」
 言いながら銀時は腕を伸ばすと、土方の居そうな辺りを探る様に掌をひらひらと彷徨わせた。
 その指先に触れるか触れないかと言う位置でぜいぜいと、上がった血圧の侭に息を切らせている土方は、猶も形にならない暴言を吐きかけていた唇を噛み締めて、薄らぎ始めている銀時の気配に向けて、ちくしょう、と負け惜しみの様に呻いた。
 まるでパントマイムでもしている人の様に手を彷徨わせる銀時は、見えていない筈のそんな土方に向けて、鼻血と、歯で傷つけた血で汚れた唇を歪めて器用に笑いかけてみせる。
 「お前がどう言う原理で俺には見えてねェのかなんざさっぱり解んねェけど、そこに居んのは解ってるし、殴りかかる程嫌われてんのも解った。殴りたくなる程好かれてんのも解った」
 憎らしい程に確信に満ちた笑みを前に、土方は大きく息を吐いた。正直、銀時に対する怒りは冷めやらないが、そこから更に面倒臭い事態を招いたのは己のみっともない未練だったと言う自覚は十分にあった為、段々と馬鹿らしくなって来たのだ。一度思いきり殴って落ち着いた、と言うのもある。
 (……そうか。いつもみてェに、そうやって怒ってやりゃ良かったのか)
 忌憚なく喧嘩を出来る関係で居たい、などと思っていたその癖、セフレと言う関係に収まって仕舞ってから、そう言った本音を出す事が出来なくなっていたのは自分の方だったのか、と今更の様に再認識した途端、どっと疲れの様なものが押し寄せて来るのを感じる。
 中空を漂う銀時の手を、土方はまるでハイタッチでもする時の様に掴んだ。薬の効果はそう言った触覚も本来無意識に払い除ける筈なのだが、銀時の手は気付いた様にぴたと動きを止め、指をそっと折り畳む。
 だから土方は手から力をそっと抜いた。段々と己の視覚と聴覚と触覚とが、その存在を、目の前に居る筈の銀時の事を遠ざけて薄めて行くのを膚で感じながら、然しそれに抗おうとはせずに。
 この最低で最悪な、腐れ縁でセフレで呑み仲間で喧嘩相手でもある男の事が、諦めて棄てて仕舞いたくなる程に好きなのだと、認めて行く。
 「………卑怯な隠れんぼだろ?探せば探す程見つからなくなっちまうなんて」
 「なぁオイ、もう隠れんぼの時間は終わりにしてぇんだけど」
 ぽつりと吐いた言葉には、微妙に噛み合わない言葉が返る。独り言を、身勝手な思いの丈を互いに向かい合って投げ合う。さぞ馬鹿でおかしな光景だろう。
 想えば、想いの自覚が強くなればなる程に、想う相手は己の認識する世界から希釈されていってしまう。だからきっと銀時に土方は見えない侭だし、土方にも直に銀時が見えなくなって行く筈だ。
 それでも、銀時の手が掴んで止めた、土方の手から解ける事は無かった。
 薬の効果が薄らいで来たからなのか、銀時の野生の勘が鋭すぎるのか、想う余りに逆に見つけようと躍起になっているのか。それは解らないし、何れであっても同じ事だが。
 やがて時間を掛けて、銀時の両の手が、無い筈の触感を辿って土方の掌を包み込んだ。
 「つかまえた」
 最後にそう聞こえた気のする言葉に、土方は苦し紛れに返す。
 「かくれんぼならそこは、見つけた、だろうが」
 もうお互いに聞こえていないし、見えてもいないが、多分未だ触れ合っているのだろう手を見つめて、土方は苦く笑んだ。
 馬鹿なふたりとは言えまい。きっと己の方が馬鹿だったし狡かった。
 何れ訪れるだろう薬の効果が切れるまで、あと少しはこの、想いを棄てきれず隠しきれず、無様に過ぎるこの顔も姿も見られずに済むと思えば、有り難い様で残念なものだと思った。





見えてるより見えない方が素直になれると言うどうしようもない人たち。
土方は多分に恋はしたくなかったのです。ので、いつもより精神幼めで逆ギレして仕舞った模様。

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蛇足書き出したら止まらなくなる奴やこれ…、状態。
どうでも良い方は黙って回れ右推奨。

好意を持たれてるんだろうな、と言う確信があったからこそ土方は忌憚無く遠慮も無く気楽に銀さんと喧嘩していられたんだけども、うっかりそれを越えちゃった銀さんは銀さんで、好きだとかそう言う自覚があんまり無かったって言う、最初っから擦れ違い通り越して認識ズレてるスタートライン的な…。
もう何日か経って薬効が完全に切れたら、一悶着あった末にまあなんとかなるんじゃないの…?取り敢えずセフレ脱却して交換日記からお付き合い始めると良いよ君たち…。
銀さんの想像を裏切って、逃げ腰でちょっと狡い事や警察として駄目な事をする程弱気な一面も土方にはあった様ですと言う話でした。要するに最初から最後まで好意以外は噛み合ってなくて、そしてその後まで擦れ違い続ける、と。

"わたしの想いに気付いてください" ……と言う花言葉。