密花に宿れば / 1



 「アンタら、暇ならバイトをする気は無いかい?」

 そうお登勢に持ちかけられたのは、彼女の城である一階のスナックで、果たして何日目になるか食事の無心をしていた時だった。
 「良い働き口があるんだけどね、どうだい?」
 重ねて言うお登勢の姿を、銀時はカウンター越しにちらと見上げる。そこに在るのはいつも通りの妖怪も驚きの老婆の顔だ。言葉からも別段どうと言うものは見えて来そうもない。
 「おいおいバーさん、俺たちは万事屋だぞ?一夏のアルバイトに励んで色々期待しちゃう学生じゃねェんだよ」
 塩を振って握っただけの塩握り飯をぽいと口に放り込みながら言う銀時に、そのおにぎりを握った張本人であるお登勢は、ふん、と少し態とらしい仕草で肩を竦めながら煙草に火を点けた。濁った煙を溜息と共に吐き出す。
 「そうして日がな一日、仕事が無いのを良い事にグータラしてんのが万事屋かィ。アンタね、変に気取って仕事を選べる程、優雅な生活送れる身分なのかい?」
 言うなりお登勢は、銀時の手を伸ばした先にあったおにぎりの乗った皿をひょいと引っ込めて仕舞う。指先が空を掻いた所で、銀時は苦虫を噛み潰して溜息をひとつ。おにぎりに手が届かないのも痛いが、指摘がぐさりと刺さるのはもっと痛い。
 確かに万事屋にはここ一ヶ月近くまともに依頼が来ていない。金はとっくに尽きているし、家賃はいつもの様に滞納しているし、挙げ句の果てにはこうして腹が減ったからと子供をダシに大家に食事をたかりに来ている有り様である。
 お登勢の温情──と言うのも少々癪だが──が無ければ疾うに、階上には神楽共々に干物の様になった銀時の姿があった事だろう。
 塩味だけのシンプルなおにぎりは、それでも残飯や余りものの類ではない。空腹に項垂れる銀時や神楽の姿を見たお登勢が、いつもの事かと呆れながらも見かねてわざわざ作ってくれたものだ。
 「この暑い中だから、誰もわざわざ万事屋なんて訪ねて来ないアル。商売あがったりなのは夏の所為ネ」
 そのおにぎりをもぐもぐと味わいながら、神楽。こちらは皿は奪われていないが、上には既に何も乗っていない。とっくに胃袋の中である。
 「そうそう。俺らだって好きで働かないんじゃないの。働きたくても働けねェだけなの」
 取り上げられたおにぎりの皿に手を伸ばす銀時に、てっきり嫌味の一つぐらいはまた追加されると思ったのだが、お登勢はあっさりと皿を元通りに置いた。すかさず横合いから手を伸ばして来る神楽の手の甲を軽くはたいて、銀時は塩味のよく利いたおにぎりを頬張る。
 シンプルな味わいは、少々物足りなさがあるが美味しい。自然と手も口も進む、そんな類のものだ。
 「まあご託は良いよ。受けるか受けないか、それだけさね」
 「……」
 お客さん、良い話があるよ?と怪しげな店で客へと持ちかける悪人の様な、食えない笑みを浮かべてみせるお登勢の表情には、どうせ選択の余地なんて無いだろうに、と言いたげな気配がある。それをも重々承知の銀時は、態とらしい溜息をつきながらおにぎりを咀嚼すると冷たい緑茶を啜った。飲み込む。
 お登勢の持ってくる話なのだから、信用が無いと言う事はまずない。それどころか良心的な類である可能性は高い。幾らかぶき町四天王だのと呼ばれていようが、基本的にお登勢は善い人物なのだ。その紹介する仕事ならば、例えば妙な犯罪に関わるとか、真っ当では無い類のものと言う事は考え難い。
 故に銀時としては、単に「面倒臭い」と言った所なのだ。何しろ江戸は現在異常気象の真夏の最中にある。熔けそうな程に暑い外へ出る事すら面倒且つ苦痛であると言うのに、わざわざそんな中に働きに出ると言うのは、余程の事でも無い限り御免である。
 夜になっても暑苦しい程の気温の下では、人々の活気も常より控えめだ。そんな環境だからこそ働き口があると言うのも頷ける話だが、それこそ相当の給金が約束されていないと到底働く意欲も沸きはしない。
 それでも万事屋の窮状を思えば、あれこれと選り好みなど出来ないと言うのもまた、確かだ。
 「……で、どんなバイトだって?」
 結局溜息混じりにそう訊いた銀時に、お登勢はにやりと、濃い口紅で縁取られた唇を持ち上げて笑ってみせた。
 「知り合いの宿なんだけどね。人手不足で困ってるから、従業員に活きが良いのが何人か欲しいって話でね」
 その笑みと言い種とに、銀時は口端をうんざりと下げた。どうにも嫌な予感がして来てならない。
 「……おいおい、またスタンド温泉とか言うんじゃねェだろうな?」
 「スタンド?…ああ、お岩の所とは違うよ。残念だけどね。で、どうだい?やってみるかい?」
 言う言葉は一応疑問系ではあったが、どうせ選択の余地など無いと言うのが正しい所だろう。塩だけの味付けとは言え、ちゃんとした米の飯をしっかりと腹に収めて仕舞った銀時は、頷く代わりに両肩をそっと落としてみせた。何せこうした食事の無心も一度や二度ではないのだ。この侭温情に甘え続けると言う訳にもいくまいし、何より後が怖い。
 「お代わりヨロシ?」
 そんな銀時の横で神楽がお代わりを要求するのに、銀時は思わず彼女の後頭部をはたいた。今度は結構力が入って仕舞ったらしく、良い音がした。







  :