ハコの中の空 / 12



 恐らく、ただの善意だったのだと思う。
 『筺』を作るなどと言う訳の解らない力があったゆえに、搾取されるだけしかなかった日々の中で、偶々に、酔っ払いの気まぐれの様なものであっても、優しくされたから。
 きっと殺される事は覚悟で抜け出して来た。もう悪意を叶える所業が限界だったのだろう。最期の晩餐にとでも思ったのか適当な飲み屋の暖簾をくぐった。
 愚痴の様な話を、然しそこに銀時の確かに込めて仕舞った片恋を聞き取った。
 だからきっとこれは、ただの善意。
 帰ったら殺されるだろう。それでも帰る場所は他になかった。死を思いながらも抜け出して来たアジトに戻ったら、よりによってその片恋の相手の警察組織に保護され、きっとそこで確信したのだ。
 それが偶然にしか過ぎない事であれば、何か意味のある偶然だと思ってもおかしくない。
 何れ自らが組織に消される未来は解りきっている。警察では己の命を守りきれはしない。
 死ぬ前に巡った、これが何の偶然だと言うのか。ただの偶然?否、意味のある『偶然』なのではないか。
 親切にされたから。片恋の愚痴話に諦めの目を見たから。その相手が目の前に現れたから。
 死ぬ前に、悪意の『依頼』以外のものを叶えたい。『筺』と言う小世界を作れる己の能力で、善い事をしてみたいと。…きっとそう思ったのだ。
 
 ──ただの善意。優しい気まぐれな酔っ払いに、己が死ぬ前に何か恩を返したかったと言うだけの。
 
 土方は、朝の巡回中だったと言う。銀時は、よく覚えていないが眠ってからの記憶が曖昧になっている。二日酔いだったから仕方がない。だが、土方は会った様な記憶があると口にした。
 『筺』に閉ざされる条件は、恐らくだが、想いを寄せる者と寄せられる者、銀時と土方とが次に会った時。
 新聞でも取りに玄関を出たのか、空気を入れ替えようと窓でも開けたのか。とにかく、両者が互いをそうだと認識した時にでも放り込まれたのだろう。
 尤も、そんなプロセスを想像した所で仕様がない。実際に銀時は土方と共に『筺』に閉じ込められたのだから。
 そしてその理由は、最初から『筺』の中に在った。
 解放条件も、『筺』の裡、銀時の本心の中にこそ在ったのだ。だから提示されていなかったのだ。『筺』の中で目覚めた銀時が真っ先に思いつく様な願望こそが、答えでしか無かったのだから。
 恩人の片恋を叶えてあげたいと言う、ただの迷惑な善意だなどと無論思いもしなかった。先入観は断じてなかった。
 それでも、最初に思った通り、吊り橋効果の様なものや、二人で協力をしようとか、そう言った願望は余りに解り易く胸の裡から即座に湧いて来ていた。この状況で何とか距離が縮まるぐらいの事があっても良いのではないかとも浅ましく思った。
 扉を閉ざす錠前が、部屋の内側に在るのはそう言う事だ。
 そして、執拗に閉ざされた鎖は、それを開ける困難さのそのもの。
 中に閉じ込められた人間こそが、鎖を解く事も鍵を開ける事も出来る唯一のもの。
 
 ……こんなものは銀時のただの想像だ。真実は解らない。
 ぐしゃぐしゃのシャツの狭間から汗ばんだ背を晒して悶えている土方が、恐らくは、銀時に明確に恋情を抱いてくれない限りは、『筺』が開く条件は達成されない。
 枕を噛んで唸って、決して甘い言葉も酷い罵声も漏らさず。シーツを、爪が割れそうになるまで掻き毟っている腕が背に回される事も無く。
 (……好きだ、とか言ったら、何か変わるか…?)
 いや、と思った直後に打ち消して唇を噛む。ありえない。有り得ていたら、最初からこんな事にはなっていない。
 片恋を片恋の侭に飲み込んで、偶々会っただけの見知らぬ天人に、諦めきれない楽観的な諦めをこぼす程度しか出来なかった、銀時にはそれが出来る訳もなかった。
 ぐ、と腰を沈めて背に覆いかぶさりながら、シーツを掴む土方の手に己の手を伸ばしかけて、やめる。
 こうして言いくるめて体を一時手に入れてみたところで、何も変わらないのだ。
 指を絡めて握ったところで、声を必死に堪えて血を流す唇に口接けてみたところで、髪の隙間から覗く耳に恥ずかしい恋の果てを紡いでみたところで。
 無理なのは、解っていた。無駄なのも、解っていた。だから、嫌い合ってはいなさそうだから、と言う諦めの悪い着地点に落ち着こうとしていたと言うのに。
 それでも想いはみっともなく、未練がましく、諦めきれずに、ここに在った。どこにも行けないくせに、受け取っても貰えないくせに、ここに残り続けて仕舞った。
 だからこうして、それでも何も変わらない。解りきっている。伸ばす手の先に応えを呉れるものはない。
 『外』に出ても、それを誤りであったと思えないぐらいに強固に、想いを抱いてくれない限りは。きっとこの『筺』は空かない。想いを詰め込むだけ詰め込んで、閉ざされた侭に残り続けて仕舞う。
 互いに肉体的に憔悴でもすれば解らない。だが、ここでは生憎と全ては『もとに戻る』。記憶は甘く残るのか、苦く残るのか。甘さを堆積し続ければいつかはそれが恋になるとでも言うのか。
 
 果たしてそう思ったことが、そう感じたことが、何度目であったのかさえも解らない。
 手前勝手に、了承も殆ど得ない様に抱かれて疲れ切って伏していた土方の手が、転がっていた刀の柄を探ろうとしているのが視界の隅にはきっと映っていたと思う。
 それでも銀時は、自嘲に口を歪ませるだけだった。
 
 ほら、またこうなるんだ。
 
 筺の中の空筺の中の空筺の中の空筺の中も、カラ。
 幾ら開けようとしても、開けたとしても、無為しか続かない。開いた中に在るのは空。最初から空いた侭の筺。永遠に続く空っぽの筺。
 この恋は叶わない。
 土方の手が漸く刀を探って、掴む。
 また、もとに戻るだけ。いずれ、もとに戻るだけ。
 銀時は次の瞬間をまた待ち侘びる様に目を閉じた。





はこのなかのから、ばこのなかのから、ばこのなかの、空。

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蛇足でしかない蛇足。
どうでも良い方は回れ右推奨。

バッドエンド…と言うか、単に最初っから見込みのない銀→土だっただけ…なんですが実質バッドエンドですねすいませんでした。
銀が何もアクション起こさなかったから伝わってすらいないと言うのが正解です。駄目銀。
「○○しないと出られない部屋」のご都合設定でどこまで笑えない感じにするか、みたいなひねた発想から。
一応ですが、現実なのか銀の比喩的な自問自答なのかと言うのはご想像におまかせ。
もひとつ一応ですが、土が銀を殺して仕舞う事はあっても、逆は絶対に(普通では)無いだろうと。


ハコは単体。ばこは空から繋がる。だから最初からカラだった訳では無いのに。