JULIA BIRD / 1 探り当てた煙草の箱は空だった。増える喫煙量を雄弁に語るその手応えに暫し悩みかけて、止める。こんな些事に煩わされる事自体がそもそも無駄だ。どうした所でここの所嵩を増して行くフラストレーションに対抗する手段は他に無いのだから。 仕方がないと舌打ちした土方は、運転席であんぱんを囓っている山崎に煙草の空箱を押しつけると助手席の戸を開けた。 「煙草ですか?」 問われるのに小さく頷き、「俺、行って来ましょうか」そう申し出るのにはかぶりを振って応えて、車を降りた土方は目の前のスーパーへと向かった。少し前に昼食の調達にと山崎が車輌を停車させたのはスーパーの正面に併設された平面駐車場だった。近くのコンビニは生憎どこも車を駐車出来そうになかったので、仕方なく選んだ平日の昼過ぎで客の少ない店。そこに堂々と停まる警察車輌は悪い意味で目立っていたが、昼食の一時を終えれば長時間停車する心算は端から無い。 店内に入って来た武装警察の制服に、暇そうな店員や少ない客が興を惹かれた様に視線を寄越して来る。目立つのは正直な所土方としては本意では無かったが、コンビニでは為せない用事なのだから致し方あるまい。肩を竦めてそう思いながらも堂々たる足取りでスーパーの入り口付近に置いてある煙草の自販機に向かうが、隅から隅まで見回しても、お目当ての銘柄のボタンには『売り切れ』の表示が光るのみだった。 またしても苛立ちながら舌を打ち、土方はレジの並びに混じったサービスカウンターを振り返る。煙草の自販機には、”サービスカウンターでも煙草の販売を受け付けております”と書かれた紙が貼ってあったが──カウンターに常駐している店員の姿は無い様だった。他でレジを担当している人間を呼ぶほかなさそうだ。 否、仮に店員が常駐していたとしても、自販機と違って相手が人間ならば銘柄を直接告げる必要がある。 悩む間もなく土方はこのスーパーでの煙草の購入を諦めた。ここまで来たら煙草自体を諦めると言う選択肢は最早無い。 店の外へ出ると、他に付近に煙草の自販機は無いものかと頭を巡らせながら記憶を探る。すれば、車道を挟んだ通りの反対側にコンビニがあるのが目に留まった。十字路の角に位置したそこは、確か外に自販機が幾つか並んでいた筈だ。 土方は車内からこちらを見ている山崎に向けて、コンビニの方を示して見せてから、足早に横断歩道へと向かった。走るのは流石に目立つので飽く迄早足で。 コンビニの入り口横の二台ばかりの駐車場は両方とも普通の乗用車が停まっている。そこに果たして目当ての煙草の自販機はあった。飲み物などの自販機と並んで設置されているその前に向かい掛け──然し土方は踵を返して出入り口から店内に入った。「いらっしゃいませ」店員の声を横耳に聞きながら、入ってすぐの棚の間へと曲がり込む。 通りに面した全面ガラス貼りの窓側は雑誌コーナーだ。暇そうな若者が一人、手にした雑誌のページをぱらぱらとめくっている。その後ろ側を歩いて店の奥、角まで歩いた所で土方は天井に取り付けられている防犯用の鏡をちらと見上げた。その湾曲した鏡面には、一つ向こうの棚の間を商品を物色しながら歩いている、二人組の男が映し出されている。 運送業者だろう、見覚えのある作業着姿にキャップを被った、二十代から三十代の男たちだ。彼らは乾物の物色を終えると壁際の弁当や惣菜のコーナーへと移動した。互いに軽口を交わし合いながら食事を探す姿は、少し遅い昼休み中の姿にしか見えない、が。 ミラー越しに二人組の姿を油断なく観察した土方の『慣れた』目には、その二人組が真っ当な類の人間ではないと映っていた。確信はあるが証拠も証明方法もない、が、百戦錬磨の己の勘が、二人組の様子に『何か』を見て感じ取っている。 目深に被ったキャップで人相は伺えない。二人の纏う作業着は某運送会社の制服に似ているしキャップにもそのロゴが入っている。だが、外の駐車場にも街路にも、この運送会社の車が停まっている様子はない。かと言って周辺の地図を思い浮かべた所で近くに配送センターがある憶えもない。 鍛えられているらしい体つきは、日頃重い荷物を運搬する運送業の人間であればそうおかしなものではない。が。咄嗟に腰の辺りを見遣るが、長物を潜ませている様子はない。そのくせ身体の左半身に違和感がある。 拳銃などの火器を隠し持っている可能性がある──土方の至った結論はそれだった。長物でも無い限りは薄く目立たぬ刀剣類とは異なり、ある程度の殺傷力を持つ銃器はコンパクトなサイズであっても重たく大きくなる。懐や腰に忍ばせれば、余程気を付けて持ち歩かないとどうしたって目立つ。服の様子や身体の動きに自然と違和感が出て仕舞うのだ。 どこぞのエリート局長も、腰に提げる銃が目立たぬ様にと言う意味もあるのだろう、長いコートを纏っている。元より示威として所持する目的としては、銃器と言うのは未だ江戸では些か物騒に過ぎる代物なのだ。 さて、そんな銃器を、運送業者の恰好をした二人組が、二人ともに懐に隠し持っている。そんな可能性の推定事実だけでも、警察である土方が注意を留める対象になるには充分に過ぎた。ヤクザ者の風体には見えない。攘夷浪士かはたまた。 考えに沈む内に二人組がレジに向かって動きだしたので、土方はミラーを見るのは止めて棚の商品を物色する素振りをしながらその様子を伺った。肉眼で目にすれば益々に二人組が怪しく見えて来る。否、銃器を持っている(だろう)時点で、怪しかろうが怪しくなかろうが、どの道捨て置く訳には行かないのだが。 取り敢えず山崎に連絡しようと土方は携帯電話をポケットから取りだした。だが、メール作成画面を開いた時にはもう、会計を終えた二人組は店から出て行って仕舞っている。 棚の陰に居る土方(警察)には気付いた様子もなく、二人組はその侭コンビニの角を曲がって大通りから逸れた方角に向かい歩き出す。 咄嗟にスーパーの駐車場の方を伺うが、警察車輌は当然だがそこから動いてはおらず、中で待つ山崎がこちらに何か気付いた様子もない。尤も、土方の目で見ても警察車輌は解るが、中の人間までは伺えない程度の距離は軽くあるのだから仕方あるまい。更に今し方の二人組の異常に気付けなどと、流石にそこまで部下に無茶振りをする心算もない。 いつもならばこんな面倒な事にはならないのに。ささくれ立ちそうになる心の隅でそうぼやくと、携帯電話を仕舞って土方はコンビニから出た。雑踏の少ない道を進んで行く、二人組の背中を追って歩き出す。 * 二人組の様子はどこまでも無造作だった。 正直なところ土方は、自分が隊服姿である事や人のそう多い訳でもない道と言う事もあり、どれだけ注意深く隠れ進んだ所で直ぐに尾行など気付かれ終わるのではないかと思っていた。……のだが、そんな土方の懸念とは裏腹に、二人組は背後を気にする素振りなぞ僅かたりとも見せる事なく、時折談笑しながら歩いて行く。端から尾行──警察に目を付けられる可能性、など頭から除外しているかの様だ。 尾行に気付かれ、慌てて逃げ出す二人組をなんでかんでと捕まえると言う当初のプランは残念ながら──残念とかかるのかは疑問だが──破綻した。こうなれば気付かれずに、或いは気付かれるまで追うほかない。 土方はお世辞にも尾行と言う行動に長けているとは言い難い。私服であれ隊服であれ、何でも無い様に『多く』の雑踏にどうにも紛れ込めないらしい。 山崎に言わせれば「副長は堂々とし過ぎなんですよ。隊服を着てなくても警察オーラが出ているって言うか…、ただでさえメディア露出もある人間ですからね、目立ったら簡単にバレますよそりゃ」…だそうだが。 呆れた──と言うより諦めに似た素振りと調子とでそんな事を言われたのは、確か土方が慣れぬ尾行に失敗した時だった。だから俺に任せていればよかったんです、と付け足された事まで忌々しくもよく憶えている。「テメェは地味さだけは役に立つな」と嫌味を投げるぐらいしか真っ当な反撃が出来なかった故に。 ……ともあれ。件の前例とは裏腹に、前方を行く二人組は背後を振り返る事も、周囲を伺う事もなくただただ無造作に歩を進めていく。時折自販機の前に立ち止まったり、露店に顔を向けたりして慎重に後を尾ける土方の様子は、己を客観視してみても大凡自然なものとは言い難かっただろうに。 (素人同然の奴が銃器なんぞぶら提げて歩く訳も無ェ。……と、なると、警察に目ェ付けられる様な心配なんぞ端からしてねぇのか、単に不用心過ぎるだけか、) そこまで考えた所で、二人組の姿が細い路地へと消えた。家々の隙間と言う程ではないが、車輌が一台通れる程度の道だ。日中の今は静まり返っているが、夜になれば違法スレスレのいかがわしい店の点在するその界隈は、余り治安の宜しくない地域でもある。 流石に目立つだろうか、と思いながらも土方は注意深く二人組の行方を追った。多くの人間と言う遮蔽物が無い道では幾ら無造作な連中とは言った所で、流石に後ろを警察(だれか)が歩いている事ぐらいには気付くだろう。土方は取り敢えず路地に入った直ぐの所にあった、雑居ビルの入り口に入り込んで視線だけで二人組を伺い見る。 すれば、二人組の目的地は路地に入って直ぐそこだった。正面にトラックの停車している、解体工事中の外壁に囲われたビルの前で立ち止まると、そこで漸く彼らは辺りをきょろきょろと窺う様な素振りをしつつ、工事中の柵を越えてビルの内部へと消えて行った。 (……成程?) 口の端を僅かに歪めつつ、土方は幌のついた荷台を乗せたトラックへと近付いた。ナントカ運送と名前は入っているが、それが先頃の二人組の作業着と全く合っていない事に気付けば思わず苦笑が浮かぶ。 車の後部からサイドミラーを伺うが、車中に人の姿は無い。まあ土方の想像通りなら先の二人組が乗るのだろうから、他に留守番が居る筈も無かったが。 ナンバーをちらと見下ろし、幌を見遣る。カーテン状になった入り口は紐で留められていて内部は伺えない。覗き込もうかと少し考えてから矢張り止めて、土方は二人組の消えたビルへと近付いた。解体工事中と書かれた看板と工事作業員のイラスト。立ち入り禁止の注意書きを越えて囲いの内側に入って行く。 建物の外壁に沿って足場が組まれているが、長い事工事し掛けで放置されている様で、地面に置いてある、資材に掛けられた覆いには土埃が付いていた。 まさか崩れやしねぇだろうなと思いつつも、土方は足場に取り付けられた梯子を慎重に昇って二階に出る。軋む音に顔を顰めつつ、響く足音を殺しながら外壁に沿って少し歩くと、開け放たれた窓枠があった。窓硝子はもう取り外されており、室内には風雨が入り放題になっている。 中に取り敢えず二人組の姿がない事を確認してから、土方は窓枠を乗り越えて建物内へと入り込んだ。家財は疎か設置式のガスや水道の類も全て取り払われており、解体途中らしく無造作に壊された壁にはカラースプレーで低俗な落書きがしてあった。その上あちこちにゴミが放り出してある。見事なまでに荒れ放題と言った様相だった。 どうやら何かの都合で作業が滞っている間に、辺りを溜まり場にしている悪ガキ共が好きに出入りをしているらしい。 室内をぐるりと見回してから、土方はそっと廊下へと出た。扉の類も外され何も残っていない廊下は他にも幾つかの部屋へ通じている様だったが、どうやらこのフロアには他に誰の気配も無い様だ。と、なるとあの二人組は一階に居るのだろう。 銃器を所持。運送業の制服を着ていて、用意されているトラック。二人分の食事。人気のない廃ビル。 (食事が終わったら出発、って所か…?積荷は何だ?何処へ運んで行く…?) 考えを巡らせながら、土方は鞘が壁に当たらぬ様注意を払いつつ階段を数段下りた。どうやら予想通り、階下の一室──ドアは無いし壁も壊れかけているが──に彼らは入ったらしい。壁の向こうからは話し声が漏れ聞こえて来る。 階段を下りた土方は壁に貼り付いた。扉……のあった四角い枠の向こうは薄暗い建物の中でも明るい。ぱちぱちと何かの燃える様な音からして、火を焚いているのだろう。危なっかしい話だ。 「煙ひっでぇなあ」 「我慢しろよ。どうせ長居する訳じゃねぇんだ」 「そりゃそうだけどよお…」 ぶちぶちと、片方が何やら愚痴っている。一斗缶やドラム缶の中で廃材でも燃やしているのだろうか。煙や火種で事故でも起こさなければ良いのだが。思いながら土方はその侭暫しの間耳を澄ませ続けた。 土方の想像通り、昼食を取ったら外のトラックで『積荷』を『取引の場所』へと持って行くらしいと言う段取りが、益体もない話の合間から聞き取れた、有用そうな情報だった。どうやらこの二人の所属する組織が主導で『取引』を行おうとしているらしく、当人たちはただの下っ端の運び屋と言った所か。まあ銃なぞ所持させている辺り、大凡真っ当な『組織』である筈もないが。 或いはそれだけ大きな金銭の動く『取引』なのか。 だ、としたら違法な品、それも密造や密輸の可能性も生じる。もしも薬物の類であったら、それはかねてより追っている別件の手がかりになるかも知れないのだ。土方にはそれを逃す選択肢は無い。 ものが何にせよ銃の所持に不慣れな運び人程度にまで武装させているのだ。『取引』とやらを行う組織の規模も、動く利益もそれ相応のものである事に間違いはないだろう。 土方は懐からメモ帳を取り出すとそこに素早く、外に停車していたトラックのナンバーと、立ち聞きした情報の幾つかを書き記していく。と。 「よし、じゃあそろそろ行くか」 「だな。でも先に火の始末しとかねぇとヤベェぞ」 「確かどっかに雨水が入ってるタンクが落ちてたろ」 食事を済ませたらしい二人組が動き出す。つい立ち聞きに夢中になって仕舞っていた己の迂闊さを呪いながらも、土方は足音を立てない様に、然し急いで階段を昇った。 今から、スーパーの駐車場で待っているだろう山崎──そろそろ土方の戻りが遅い事にやきもきし始めている頃だろうが──に連絡を入れても間に合わない。だから寧ろここは、この侭あの二人組を追って取引の現場を直接押さえた方が良い。 そう判断した土方は、二階に上がると先頃自分の侵入した窓へと戻る。足場まで出た所で下を見下ろすが、まだ二人組が外に出て来る様子はない。だが、梯子を降りていれば途中で見つかる恐れもあるし、急げば音も響く。 逡巡は寸時。土方は先程記したメモをリングから破り取ると二つに折って、足場を固定している捩子の隙間に挟んだ。これならそう易々と風に飛ばされる事もないだろう。 続け様に素早く、工事用の防音壁の向こうに停車しているトラックの幌を見下ろした土方は、悩む間も無く足場から身を投じた。幌が自分の体重を受けて、破れたり壊れたりする事が無い様にと願いつつ、一瞬の浮遊感に身を任せる。 悲鳴も罵声も、喉からは出て来る事はなかった。 。 ← : → |