JULIA BIRD / 2 平日の昼下がり。定期的な務めの無い人間にとっては実に長閑な時間帯である。昼食さえ済ませて仕舞えば当面身体の活動能力に問題が生じる事もない。依頼を待ってごろごろするも、パチンコ屋でだらだらと過ごすも、そこいらで厄介事をついうっかりと拾って仕舞うのにも。 いや最後の一つは論外だろうと思い直し、銀時は愛車の原付を手で押し転がして歩いていく。どうも暫く乗っていない間に調子でも悪くしたのか、エンジンが掛からなくなって仕舞ったのだ。 自動二輪なんてエンジンが無ければただの自転車より重たくて自転車より役に立たないだけの代物だからね、と、跨ってもうんともすんとも言わない愛車を宥めるのを早々に諦めた銀時は、修理に出す為に源外の家を目指していた。このご時世、原付とは言えど乗り物がないと何かと不便なのである。 一応万事屋には定春と言う飼い犬兼乗り物がいるが、流石に三人揃って飼い犬──と言うには規格外の存在だが──に乗ると言うのも余り宜しくない。主に見た目の問題で。 まあそれはさておいても、この愛車は、手狭な道の多いかぶき町での銀時の重要な足なのだ。故障したのならば早い内に修理しなければ後々に差し支える。 自動では最早無くなった二輪を押して歩くのは、人の行き交いの多い通りでは邪魔な事この上ない。その為に銀時は少々遠回りにはなるが裏道を選んで進んでいた。生憎空模様は晴天とは言えなかったが、長閑な昼下がりだと言うのになんでこんな気怠げな空気を纏った道を重たい原付を押して行かねばならないのか。尤も、夜だったら夜だったで、いかがわしい空気に転じるだけなのだが。……そんな区域である。 「どの道しょっちゅう壊れんだし、もういっそ修理しなくても良いんじゃねぇ?この侭元自動二輪ですって存在でよくね?いっそペダル付けて自転車にしちまえばいんじゃね?アレ、そんなら修理費で自転車買えばいいのか?」 どうでも良い愚痴が思わず口をついて出る。いや和服で自転車って結構危ないんだよな、と銀時が更にどうでも良いその先を続けようとしたその時。 ごす、とも、ぼご、ともつかない轟音が頭上で鳴った。普通に耳にする様な音では到底ない上、真横に停車していたトラックの車体までがくりと跳ねているのだ。どう考えてもただ事ではない。 「な、んだァ?」 トラックの後方辺りに原付を停め置くと、銀時は慌ててトラックへと駆け寄った。荷台は平台で、幌の掛けられた輸送用のトラックの様だ。見慣れぬ運送会社の名前が車体には書かれている。辺りを素早く見回してみれば、トラックの横付けされている解体作業中らしい雑居ビルには足場が組んであった。 後部に足を掛けると、幌の庇を掴んで銀時は懸垂の要領でその上を覗き込む。状況と言い音と言い振動と言い、十中八九間違いなく、横のビルの足場から、トラックの屋根の上に何かが落ちて来たのだ。 庇に肘をついた侭で頭を幌の上へと突き出してみれば。そこには見覚えのある黒い装束を纏った見覚えのある姿形が転がっていた。 「親方!空からチンピラ警察が!ってこれラピュタ!?ラピュタなの!?」 痛みに顔を顰めつつ土方が上体を起こした所で、そんな困惑しきった叫びを思わず上げて仕舞った銀時の顔とばたりと出会う。寸時ぽかんとした表情を作った土方は、予期せぬ状況にか口をぱくぱくと無意味に開閉させ、それから忽ちに緊張の面持ちを作った。手を伸ばすと銀時の頭を横に除けながらトラックの後部へと下り、勝手に幌のカーテンを縛っている紐を解いていく。 「へ?」 続け様に土方は銀時の足を掴んでカーテンの隙間から荷台へと引きずり込んだ。庇にぶら下がる形でいた銀時の身は為す術もなく押される侭に荷台へと僅かの高さを落下する。 なにしやがんだ、と怒鳴り掛けた口に人差し指を当てられ、静かにしろ、とジェスチャーで言いながら、土方はカーテンの紐を緩く結び直し、作った隙間から自らも荷台へと身を滑り込ませて来る。 「オイてめぇ、」 額に青筋を浮かべる銀時に猶も、静かに、と再度念押しをする様に仕草を寄越すと、土方は緊張に固い面持ちの侭、幌の内側に耳を付けて外の様子を伺っている。複数人の男性の声と、トラックの運転席を開けて乗り込んで来る音。荷台に近付く者はどうやらいないらしいが…。 (捕り物、か?) どう考えても冗談や意趣返しでする行動ではない。そして土方の職業と言えば、自他共に認めるチンピラ警察である。多少無茶な行動でもしている所に偶々銀時が通りかかったので、取り敢えず騒がれる事で存在を気取られるのは望ましくないとそう思って、ヒトを荷台に押し込むなどと言う暴挙に出たとか、大体そんな所だろうか。 可能性に思い至った銀時は視線を巡らせて薄暗い荷台の内部を見回してみた。幌は頑丈だったらしく、上から降ってきたシータもとい土方を受け止めてもびくともしていない。多少凹んでいる様だが、支柱が折れたり曲がったりしている訳でもないので、上から見ない限りはまず解らないだろう。 荷台と運転席とは完全に幌で隔てられており、小窓の類もないから、幌を開けでもしない限りは荷台に潜む二人の人間の存在を気取られる事も無さそうだ。 荷台の中には積荷らしき箱が幾つか乗せられている。触ってみれば頑丈そうなつくりの木箱と知れたが、中身が何であるかまでは余り考えたくはない。どうせ白い粉とか黒い鉄とか胡散臭いブランド物のコピー商品だとか、そんなものが詰まっているに違いないのだから。 (…………厭な予感しかしねぇんだけど) 背筋に薄ら寒さを覚えた銀時がそろそろと荷台の入り口に後ずさりし始めたその時。どるる、と振動音が車体を揺らした。トラックのエンジンがかけられたのだ。 「………………………………えー…」 思わず引きつった口元が苦笑いを浮かべて仕舞う。走り出す車の慣性に押されて幌に寄り掛かった銀時は、ぎくしゃくと荷台の入り口を振り返った。下りるならスピードの遅く人目も少ない裏通りを走っている今しかない。 と、緩めに結ばれた紐を解こうとカーテンの隙間から手を出した銀時の、着物の裾がぐいと引かれる。犯人はここに居るもう一人以外にはいないので、無視して作業を進めようとすれば、今度は二度、更に強く引っ張られた。 「なんだよ、」 問いながら振り向けば、思いの外間近に居た土方の頭がゆっくりと左右に振られた。懇願する様な表情からするに、今下りたらバレる恐れがあるから止めてくれ、と言った所だろうか。荷台から落ちた時点では解らなくとも、少し進めばサイドミラーに落ちたものが映り込んで仕舞う。 そうは思うが。そうは言われても。 「冗談じゃねぇぞ、俺ァチンピラ警察とは無縁の一般人なの!何しれっと厄介事に巻き込もうとしてんだよ、原チャも置きっ放しだしとっとと下りてぇんだからそこんとこ酌んでくれない」 小声で、然しトゲトゲとした調子で捲し立てれば、土方は鼻白んだ様に口を開閉させ、それから何かを悩む様に視線を彷徨わせる。 その様子を見て銀時は僅か違和感を憶える。土方十四郎と言うこのチンピラ警察の副長は、鬼と言うよりヤンチャ坊主の様な喧嘩好きだった筈だ。少なくとも銀時が知る限り、吹っ掛けられれば八割方は乗って来る。状況と相手を選ぶ公人らしい分別は持ち合わせてはいる様だが、基本的に喧嘩っ早いのだろう。 そんな土方だ、棘を纏わせた銀時の言い分ぐらいなら、仮令己の分が悪かろうが何だろうがどうせ乗って来るだろうと、そう思っていたのだが。 トラックが角を曲がる。緩やかな慣性。大通りに出るのだろう、信号の一旦停止の間。幌の向こうから聞こえて来る車の走行音たち。 その侭たっぷり三十秒ぐらいの間は経過しただろうか。やがて土方は意を決した様に胸ポケットに手を突っ込むと、そこからリング式の小さなメモ帳を取りだした。メモ帳自体はそこいらの文具屋などで何冊セットで売っている様なものの様だが、大凡銀時の知る土方の所持して歩く様な物品には見えなかった。情報もスケジュールも自分の頭、或いは地味な部下の手帳にしか記されていなさそうな、そんな印象がどうやらあったらしい。 メモ帳を何枚かひとまとめに捲ると、一緒に取り出したボールペンのキャップを歯を使って取る。唇の間に見慣れた煙草ではなくボールペンのキャップなぞをくわえた土方は、一体何が起こるのかときょとんとしている銀時へと、さらさらと書き付けた紙面を向けて来る。薄暗くてよく読めないので、間近に突きつけられた文字を目を細めて読む。そこには、 "他言無用にしろ。何なら口止め料も払う" と、書き殴られた文面。読み辛かった訳ではないが思わず二度読み返して、 「他言無用って。トラックの上に落ちて来た事?まあ確かに不格好だし恥ずかしいシータだったけど」 そう言ってやれば、無言でぎろりと音の付きそうな勢いで睨まれた。鬼と言われるだけの凄味はある鋭い視線ではあったが、銀時にとっては別段何を感じるものでもない。ただ、どうやら違うらしいと言う事、茶化す態度に苛々としている事だけは解る。 喉奥で威嚇の唸り声を上げる犬の様な土方に、はいはい悪かったよ、と言う意味で軽く両手を挙げてみせれば、土方は未だ不満そうに顔を顰めた侭ではあったが、メモ帳を再び捲った。先頃まとめて捲った分を戻す形だ。 そしてそれを、今度は何を書き付けるでもなくその侭銀時の方へと向けた。どうやら予め書いてあったものの様だ。書き殴りの文とは違い、几帳面そうな文字が並んでいる。 "訳があって声が出ない" その文字列を今度は三度読み返して、銀時は「へ?」と思わず声を上げた。すれば土方はキャップを填めたボールペンの尻部分で自らの喉をとんと示して、それから一音一音──否、一言一言ゆっくりと口を動かして紡ぐ。見ての通りだ、と。 「声??え?何で?マヨとヤニの摂り過ぎ?」 "マヨも煙草も関係ねぇ" かかっ、とボールペンが紙に当たる音。苛々とした調子でそんな反論を書き殴って見せると、土方は再びメモを捲り、最初に書いた"他言無用"のページを再度示した。ボールペンの先にキャップを戻し、はあ、と大きな溜息を吐き出す。 「…………」 驚きと疑心と理解し難い現状とに毒気を抜かれて、銀時は眉を寄せながら"他言無用"の文字を再び見下ろした。可笑しなものだが、疑わしい話ではあっても、疑う事に意味を見出せない、そんな確信だけはあったものだから、どうしたものか、と思うより先に、どうしたのだろうか、と言う疑問が浮かんで仕舞ったのだ。 声が出ない。軽口にも喧嘩にも応じられない。他言無用。……声が、出ない。 理由は解らないが。他言無用と言う以上懇切丁寧に説明をくれるとも思えないが。 ただ銀時が思ったのは、そんな状況に置かれているからこそ、土方は単身こんな所でこんな真似をしている事なぞ赦されない筈だろうと言う懸念と──、 そんな状況であっても、否、そんな状況だからこそ動いて仕舞うのだろう、そんな土方の性質への諦めにも似た納得。 長閑な昼下がり。どうやら、ついうっかりと厄介事をまた拾って仕舞った様だ。 。 ← : → |