JULIA BIRD どうも、と軽く頭を下げて玄関に立った地味顔の男を、その日の銀時と土方は嘗て無い緊張を以て出迎えた。 尤も山崎の方も、玄関戸を潜るなり己を地獄の門番の様に迎え入れた二人の姿に大層驚いた事だろうが。 それでもある程度はそんな展開を想像していたのか、山崎は最初は引きつった愛想笑いを浮かべたものの、その後は気を取り直した様に背筋を正して、三和土の前に立つ土方の方へと向かう。 「副長。お話したものはこれです」 そう言いながら山崎が、小脇に抱えた頑丈なケースを開く。そうして、これ以上ない程に慎重な仕草で取り出される小壜を、土方は畏れを孕んだ目でじっと見つめていた。 * 連絡を受けたのは朝方の事だった。朝食の片付けの最中に万事屋に鳴り響いた電話を取った銀時は、──或いは、そろそろ『来る』のではないか、と言う覚悟をしていた。 「……もしもしィ?」 万事屋銀ちゃんです、と、営業用の言葉を続けなかったのは、それが主な理由である。尤も、電話を掛けた張本人である所の山崎はそんな銀時の態度を特に気にする様な事も無かったのだが。 《もしもし、お早うございます、旦那》 丁寧な挨拶を寄越す地味声に、やっぱり来たか、と臍を噛みたくなる銀時だ。ちら、と室内を振り返れば、食事の後のお茶を煽る神楽と食器を片付ける新八の姿──に加えて、何の電話だろうかと怪訝な視線を向けて来ている土方の姿もある。 やっぱり来たか、に並べて、遂に来たか、と付け加えた銀時は、その侭無言で社長椅子に腰を下ろした。そうして無言で続きを促せば、ほんの少しの間、山崎はその沈黙の意を計る様に黙っていたが、やがて小さく溜息を吐いた。続ける。 《悪い連絡じゃあ無いんですけどね…。先日、漸く作戦が決行されまして、件の薬品を製造していた天人の犯罪組織は無事に解体されました》 溜息と言い、言い種と言い、どことなく呆れた響きが濃い。良い加減己の悋気が駄々漏れになっている気がしないでもない。銀時は電話の向こうの山崎に向けてぶすりと顔を顰めた。無意味とは解っているが。 「ああ。だろうと思ってた。本題」 促せば、山崎は声のトーンを少し落とした。音量を潜めたかったと言うよりは真剣な話題である事を強調する様に。 《問題の薬物の押収ですが、無事に叶いました。サンプル程度でしたが、対抗薬になるものが運良くも処分されずに保管されていた様で…、》 声を奪う、など、元より商品化の難しい、用途の限られた効能の薬物だ。他の星では金になる可能性があるかも知れないが、少なくとも地球ではその需要は限られる。金にならない物品を──違法と知れている品を──保持する事は万が一の危険も伴う筈なので、発見出来た事は単純に幸運だったと言って良いだろう。 説明する山崎の口調には安堵と喜びとが滲み出ている。何だか毒気を抜かれたのと、何かあったのか、と近付いて来る土方の、音声を紡がぬ言葉を──それをすっかりと『聞き慣れ』たこととを思って、銀時はどうしようもない様な感情に任せる侭に笑みを作った。 「お宅の地味な部下から。朗報だとよ」 そう。悪くはない。朗報の筈だ。 朗報、の正体は告げずにそう言えば、土方は虚を衝かれた様に瞬きを繰り返した。銀時の笑みからも、朗報と言う言葉からも、それが決して悪いものでは、皮肉めいたものではないと即座に判断はした様だが、何か聞き慣れない単語を耳にした時の様に訝しげな表情を向けて来る。 件の組織を摘発したら、どの道土方は真選組での生活に帰るのだから。音声が元に戻ると言う話があってもなくても、『今日』がその日だったと言うだけのことだ。 (……遂に来た、って事だな) もう一度そう胸中で呟いて、銀時は内心の複雑な──純粋な歓喜と、一抹の寂しさの混じった感情を、柔い笑み一つに束ねた。 土方はそんな銀時を前に、悟ったのか、それとも単に信じ難いだけなのか、困惑を抱えた面持ちで立ち尽くしている。 そんな二人の様子を遠目に、神楽と新八とは、一体何事だろうかと不思議そうに視線を交わし合っていた。 * 手の中には小さな壜がひとつ。成人男性の掌にころりと収まって仕舞うぐらいの小さなそれは、細い形を見ればアンプルの様であったが、硝子で出来た上部には金属製の捩子式の蓋がきっちりと填められている。 高さ10糎程度、直径一糎程度。茶色い硝子で出来た、細長く、小さな壜であった。 『………』 それが、己の今抱える問題を解消する奇跡の様な物品だ、と言われた所で、俄には信じ難い。現金なもので、あれだけ渇望したものだと言うのに、実際手に収まって仕舞えば疑りや躊躇いが急激に心の奥から湧き出すのだ。 土方は小壜を慎重に手の中で転がして、望んだ効能を実証し、僅か涌いた疑念を払拭してくれる筈の山崎の説明を待った。 「何分少量でしたので、生物への投薬実験は行えていません。ですが、サンプルの分析では人体に害はないとされています。効能が慥かに出るかどうかは──『その』症状に罹った人にしか知れないでしょう」 裡なる不安感を見抜いたのか、信じて飲むも、恐れて飲まぬも自由、とでも言いたげな山崎を軽く睨み付けてから、土方は銀時の方を見遣った。 「治る可能性があってリスクは多分ゼロ、っつーなら、試してみる価値はあるんじゃね?要するに、『症状』を持った人間以外には水みてーなもんだって事なんだろ?」 『……』 後押しが欲しかった訳ではないが、まるで得た様にそう言われて、土方は『そうだな』と唇の動きだけでそう返すと、怖じけそうになる心を振り切って、壜の蓋をねじり開けた。一息に喉に流し込む。 部下達の調べたもの、得て来たものを疑う心算は土方には元より無い。だから恐れは、壜の中身が危険な副作用を齎す薬品だとか、そんな疑いにあった訳では無い。ただ、効くか、効いて仕舞うのか、効かないのか、と言う不確定の期待が怖いだけだ。 ごく、と喉が上下する。ほんのり苦味がした様な気がしただけで、味と言う味はしなかった。茶に混ぜられた、声を奪ったあの忌々しい薬と同じ様に。 『 』 早速言葉を紡ぐ土方だったが、期待に反して音声は相変わらず何も出て来ない。ぱくぱくと虚しく上下する口を見て、銀時は露骨に眉を寄せたが、山崎は腕時計をちらりと見下ろして言う。 「効果が出るには少し時間がかかるやも知れない、との事です。あの薬、本来出ている筈の音声を、身体が──と言うか頭が、無意識にシャットアウトして無理矢理声を出せなくして仕舞うと言うメカニズムらしいので、対抗薬を飲んでも暫くは身体が慣れない可能性があるんだとか」 「……早く言えやそう言う事は」 苛立ちも顕わに拳をぺしりと自らの掌に打ち付ける銀時。殴られるのは流石に勘弁だと思ったのか、大人しく両手を挙げると山崎は、 「症状に変化が出たら連絡を下さい。万一にでも悪化する可能性は無いとは思いますが、念の為、旦那も土方さんから目を離さないで下さい。結果の如何は問わず俺はいつも通り夕方にまた来ますんで」 そう、暇の言葉をひとことふたこと添えると、ぺこりと頭を下げて万事屋を後にしていった。 「『…………』」 取り残された形になった銀時の土方は、何となく沈黙した。土方は自らの喉に触れながら、発声する様な真似をしては首を傾げる。何だか喉に何かが詰まった様な違和感があって、その違和感そのものが発声を阻害しているのか、と言う実感はある。今までは形や感覚として得た事の無い『症状』、その顕れに惑いは消えない。それを横目に見ている銀時の表情は、「ほんとに治るのか?」と言いたげではあったが、流石に口に出して言う程無神経でも無かったらしい。 (………治る…、いや、、………治った?これで…?) ざらりと喉を、砂糖の混じりすぎた水の様に滑り落ちた薬品の感触を反芻しながら、土方は僅かな緊張に唇を湿らせた。 未だ解らない。そして治ったと言う実感もない。だが。慥かな事はただ一つ。 今日で、万事屋での──『安堵』に満ちた生活も終わりを告げ、ずっと渇望し続けた仕事と刀との血腥い日々に戻ると言う事だ。 戻れると言う事だ。何より渇望した筈の、『真選組の副長』として。 それは同時に、万事屋に留まる土方十四郎と言う存在が終わる事をも意味する。真選組の副長である土方十四郎は、用もなく万事屋で漫然と日々を過ごしていられる様な男ではないのだから。 「……良かったな」 横合いから伸びて来た銀時の手が土方の髪をぐしゃりと撫でた。撫でたと言うよりは掻き混ぜる様な雑な仕草に目を眇めて、土方は唇を動かす。 『戻れるとは、余り思ってはいなかったのにな』 紡げば正直な苦笑が浮かぶ。もう二度とこの身に音声が戻る事はないだろうと、漠然とした不安を一ヶ月少々の間ずっと隣り合わせに抱えて来た土方には、急に降って湧いた様な『治る』などと言う言葉には何だか現実味が涌かないのだ。 その一ヶ月少々の、土方にとっての懊悩の日々の向こうで、山崎を始めとして皆で件の組織の特定や追求に全力を注いでくれたのだから、疑う傲慢も贅沢もあってはならない事である。 ……況してや、戻れなかった時の、可能性の話など。 「まあ、でも一番良い結果になった訳だろ?ジミーにも感謝しねェとな」 『………そうだな。あと、万事屋(お前ら)にも』 憮然とした素振りを僅かに滲ませながら言う銀時に、土方は、ふ、と小さく笑った。こんな些細な事だが、これが銀時の嫉妬とか落胆の様なものだったら良いなどとつい考えて仕舞った己を諫める様に。 ここでの日々は、予め定められていた通りに終わる。ここに居続ける事は出来ない。居たいと願った自分は、果たして『声』の無い不自由と真選組で役割を果たせない辛さから逃げただけだったのだろうか。 否。その代わりに、言葉より雄弁な『言葉』を告げられた。それが知れただけでも、通じ合えただけでも、きっと良い。憮然として聞こえるだけの銀時の言葉に、情や複雑な想いを聞き取れているのだから。それで、良い。 この男の認めてくれていた、真選組の副長に戻れるのだから。 『万事屋、』 「ん?」 「──、」 口を開きかけた所で、然し土方は留まった。喉をそっと押さえる。 「土方?」 対抗薬とは言え、得体の知れない薬物を飲み下した後だ。土方の顔を覗き見る銀時の表情が心配に曇る。 「………、」 もう一度口を開き掛けて、そこで土方は目を僅かに逸らせた。訝しむ銀時の顔を前に、浮かび掛けた笑みを頬の所で無理矢理に止めて──堪えきれず、く、と喉を鳴らしてわらった。 「……声がある方が、伝えられそうだと思ったのにな」 未だ少し掠れて弱い、己の『聲』が空気をふわりと震わせ、それが銀時の耳にまで飛び込んだ瞬間、土方は真正面から思い切りその腕に抱き締められていた。 「案外、難しそうだ」 肩に乗せられた銀髪の後頭部をぽふりと叩いて言えば、その場で左右に振られる首。頬をなぞるふわふわとした髪がくすぐったくて、土方は目を柔く細めた。 「解るから良い」 誰よりもお前の『言葉』を聞けたから、それで。 鼻先を土方の首元に寄せて言う、少しくぐもった銀時の聲には、慥かな安堵や喜びと同時に──ほんの少しだけ、惜しむ様な気配が漂っている。 それらが入り交じった吐息が耳を優しく撫でる。言葉が、言葉にはならない聲が、その感情を伝えようと渦巻くのを感じながら、土方は銀時の胸倉をぐいと掴んだ。 「駄目だ。ちゃんと『言わせ』ろ」 勢い余って至近で額がこつりとぶつかり合う。きっと今の自分は耳まで真っ赤だろうけれど、多分笑えている。呆気に取られた様な表情を寸時浮かべた銀時も、然し次の瞬間には土方と同じ様に笑った。口の片端を緩やかに吊り上げて眉を器用に持ち上げてみせるその表情は、大凡優しかったりする類のものでは無かったが──、それでも土方は酷く安堵した。この男が居る事に、安堵した。 聞いてくれるのなら、あの時は聲には出来なかった言葉を、紡いでやろうと思った。 お前の聞きたがっていた聲で、正しく伝えられる、難しい、とても難しい一言を。 「俺も、てめぇの事が──」 口では悪態、胸の裡でも悪態。言いたい事は結局悪態に漬かった他愛もない一言。 紆余曲折や着地点変更があったりして大分フラフラした挙げ句無駄に長くなって仕舞いましたが…、ここまでお付き合い下さりましてありがとうございました。 ← : ↑ * * * いつもの蛇足っぽい事とか言い訳とかそういうもの。 どうでも良い方はその侭回れ右推奨。 途中でも書きましたが、土方に警察としての自覚が涌く様な、原作での「真選組になれたよ」的な事をやらせるつもりでいたんですが、タイミング的に被らせたくなかったのもあってハンドル無理矢理切って途中大幅に変わったら結果的に結末も変わってました、とか言う酷い為体につき、なんだか始終フワッフワした侭で話が落ち着きませんでした…。途中で計画変更って駄目だなと猛省した次第。 あ。当初は声が戻らない侭土方は真選組に戻るけど銀さんの存在に救われているので何とか…と言う後味宜しくない感じでした。 どうでもいい話なんですがこのタイトル、XX年前からタイトルだけずっと頭と言うか創作メモにあって、どう言う経緯で思いついたのか全然憶えてないんですが、いつか本のタイトルにでも使おうとか思って結局使わず終いでいたものでした。 だので語感だけで思いついた適当極まりない造語です。多分。 昔聞いた言葉とかが頭に残ってたのかなとか気になって近年ググったけど、検索結果は何か全然違いそうなので…。 ▲ |