道化のコッペリア 長めの午睡から醒めた時の様な、はっきりとしない心地だった。 きちんと解って眠った訳ではないから、時間がはっきりとしない。今は朝だろうか。それとも夜だろうか。 視界は不自然なほどに白く明るい。太陽光ではなく、白熱球のものだろうか。天井から控えめに吊されているどころか、頭の直ぐ上で暴力的なまでの光量を降らせて来ている様だ。堪らなくなって土方は目を眇めた。心地としてはもう一度目蓋を下ろして仕舞いたいぐらいだったのだが、何とか目を瞑る事だけは堪える。時間と、場所と、どう言う状況に己が在るのかをまず知りたかったのだ。 少なくとも、土方がそう──違和感を感じたのは、そこが己の慣れた寝所ではなかった事にすぐに気付いたからだ。 そうだ、ここは真選組の屯所の何処でもない。 背中には固い感触。床、と言う割には天井の位置を見るだに少し高い。寝台と言うにも高い。寝心地と言う意味では最悪だ。 鼻孔には嗅ぎ慣れない鉄と油の臭い。そのくせ、空気は埃っぽい感じがしない。工場か何かかと思ったのだが、そう言う訳でもなさそうだ。 もしかして、へまをやらかして攘夷浪士に捕まりでもしたのだろうか。思って身じろぐが、手も足も『動く』様だ。拘束されている様子ではない。 こんな、感覚に覚えのない場所で転た寝をする様な真似をした憶えもない。 否、それ以前に。 はっとなって、土方は眼前の眩しさを振り払って目を見開いた。勢いよく上体を起こすと、震える両方の腕を目の前に出し、手を、握って、開いて、握って── 「……え?」 愕然と、声が漏れた。この腕は、この眼は、この身体は。もう、 だって、もう。 「土方!」 身を戦慄かせた時に飛んで来た声に、弾かれた様に振り返る。明るい部屋の、扉らしき所から入って来た銀時の、安堵に歪んだ声と笑みと。見覚えのある、泣きそうな表情。 「よ、ろずや……?」 「なんだよ、化け物でも見たみてェな面して。らしくもねェって思うかも知れねーけど、これでも銀さん凄ェ心配したんだかんな? ──無事で、本当に…、無事に目を醒ましてくれて、良かった」 土方の狼狽を振り切って、迷いの無い動きで近付いて来た銀時はその背を抱くとそう、心底の安堵に震える涙声でそんな事を。言う。 銀時に抱きすくめられた侭、土方は恐る恐る頭を巡らせた。安堵の震えが伝播して──否、わけがわからなくて、背筋をぞわりと冷やす怖れに震えていた。 裸身の上に薄いシーツの様な布一枚を掛けられただけの様な己の有り様。感覚で手繰っても、その身体の何処にも異常は見受けられない。動かなかった筈の腕も、脚も。見えなかった筈の眼も、抉られた筈の眼も、全く以前の侭の様で。憶え深い、『病』に罹る前の己のもの、そのものの様に見えて。 想像した通りに、寝ていたのは寝台よりも少し高い、まるで手術台か作業台の様な、冷たく冷えた場所の上だった。到底病人を寝かせておくに適した場所とは思えない。 近い電気は、天井ではなく寝台(?)の横脇に置かれた、長いアームを持つスタンドに取り付けられたものだった。眩しすぎる白熱灯。手元を照らす事が出来る様にか、自由に動かせる様になっている。 一瞬。ここは病院かどこかで、『病』を治す手立てが見つかり、その処置を施されたのだろうかと、そう思った土方の期待はあえなく打ち砕かれた。 病院と言うより、この部屋はまるで実験室か作業室の様だった。飾り気のない打ちっ放しの、窓の無い壁。機械の配線の様なものが走る天井。鉄と油の染み込んだ臭いは、機械(からくり)のものだ。 「……よろずや」 乾いた声が出た。応えは返らず、ただ背に回された手が、硬直した身体を解す様に緩やかに上下に動かされている。 震える指先で、土方は抉り抜かれた筈の右の眼に触れた。目元に瑕はない。小刻みに揺れる指も見える。眼球も──勿論、ある。 ……どうして。 右の眼は抉り抜かれた筈。あの激痛は記憶の中に厭になるぐらいに鮮明だ。否、それ以前に、確かにこの身は、四肢は一度もう動かないモノと成り果てていた筈だったと言うのに。どうして、──どうして。 指先まで、動く。ちゃんとした、人間の様に。 土方はまるで、人形の身に魂を与えられたかの様な心地を憶えずにいられなかった。いや、実際そうだったのかも知れない。失くした筈の感覚も、視力も、声も、何もかもが。元通り……元通り? 「万事屋、何で、だ…、俺は、」 俺は『死んだ』筈だろう……? 胸中に浮かんだ不安の通り、正直にそう問うには、土方の畏れは余りに強かった。 一度は、覚悟を通り越して、慥かに諦めを受け入れた筈、だったのだ。それがまるで『無かったこと』の様になるなど。そんな都合の良い話がある訳がない。死者が生き返るなど、そんな都合の良い奇蹟が起こる訳がない。 厳密には死んではいなかったのかも知れない。だが、動かないモノと成り果てた、その意味では慥かに死んだも同然だったのだ。 「俺は、どうして…、」 生きているのか。元に戻っているのか。言葉に出すには迂闊な気のする問いを重ねるのを躊躇った土方は、己を支える様にしている銀時の身をなんとか引き剥がした。 言葉にすれば、夢が醒めて仕舞う。そんなお伽話の様な事を本気で考えた訳ではない。だが、もう一度『生』を得た──その事だけは紛れもない僥倖だった。僥倖である筈だった。 確信には触れない土方の問いを、その意味を正しく解した銀時は、押される侭にそっと身体を離すと、「どこかおかしな所とか無ェか?」答えの代わりにそんなごく当たり前の様な事を訊いて来た。 その言葉で土方は確信する。 これは慥かに現実だが、本来存在するには無理のある『現実』なのだ、と。 完成した『病』から戻った者は、少なくとも記録の限りではいない。病院も、呪い師も、祈祷師も、そして詐欺師も。何もかも、誰もかれもがお手上げだったと、数少ない記録もそう伝えている。 では、今こうして土方が『元に戻って』──病院でもない、こんな機械の臭いのする場所で再び目覚めた事は、本来イレギュラーである事なのだろうと。認めるほか、ない。 「痛ェとか、動き辛ェとか、」 「万事屋!」 はぐらかすにも似た銀時の笑みを強い言葉で遮り、土方は自らの手で右の眼を覆った。 ここ、だけは。慥かに己が痛みを憶え、失った場所だ。だから、『これ』がここにある筈がないのだ。目の前の男が抉り取った。そんなものが、元に戻っている筈が、ないのだ。 「──、なんだよ、一体どうしたんだよ、土方」 銀時の声が狼狽の気配を纏うのを、土方は刺々しい警戒心も顕わに挑み見た。この男の言葉に、態度に嘘や偽りや不自然なものはないかと、透かし見てやろうと必死になる。 だが、どれだけ見つめようがどれだけ疑おうが、銀時の声からは慥かに、無心の安堵と、喜びと、心配と──そして、困惑する土方の事を理解出来ないと言う感情しか見えては来ない。 「俺は──」 「よう、目ェ醒めたみてェだな、鬼の字」 焦れた土方が遂に紡ぎかけた問いを遮ったのは、いつの間にか戸口に現れていた老人の声だった。 「アンタは、」 髷が申し訳程度に乗った禿頭に、油汚れの目立つ作業着。人相を隠す様なゴーグル。その老人は土方の記憶にはうんざりする程に憶えのある人物だ。 平賀源外。元々は小さな機械(からくり)を個人で作っているだけの技師だったが、数年前に将軍暗殺と言う大事件をやってのけ、未遂に終わってはいるが未だに指名手配とされている老人だ。 江戸ではまだ珍しい、市井の機械技師と言う職業柄もあってか。はたまた戦で息子を失った老人と言う境遇もあってか。今では警察も本気で追ってはいないし、市民も見て見ぬフリをしている。幕府の面子の問題で指名手配扱いはそうそう解けるものではないが。 「おう、ジーさん。オメーもコイツの事ちゃんと看てやってくれよ」 銀時にも憶えが──否、銀時の方がこの老人との付き合いは長い。それらしい気易い声を上げて手をひらりと振ると、銀時は土方の身を起こしている台から数歩離れた。室内に入って来た源外に場所を空ける形だ。 「具合はどうだ、鬼の字」 慣れない、巫山戯た呼び名は、土方が『鬼の副長』と市井で呼ばれている事に由来する。徒名を更に略すとはどう言う呼び方だとは思うが、面倒だったのでいちいち訂正も指摘もしていない。 と言うより、源外と関わる事になった、銀時と土方の魂が入れ替わった頓狂な事件の時にはそんな事を気にしている余裕もなかっただけとも言えたが。 ともあれ、件の出来事の元凶となった人物と言う意味もあって、土方はここに唐突に現れた源外に対して警戒心を抱いていた。それこそ、土方の魂を抜き取って『どうのこうの』したと説明されても、納得出来て仕舞うだけの経験と前例とがあるのだから。 「……どうも、こうも、」 どうだ、と問われた所で、どう答えたら良いのか解らない。土方は台の横に立った源外の、表情の伺えないゴーグルの向こうを伺い見て呻いた。矢張り老人の表情は、まるで掴めない。 「銀の字よ。処置は成功したんだ。俺ァ出来るだけの事は尽くしたし、手前ェの腕も疑っちゃいねェ。それはお前さんもそうだろうよ」 伺い見る警戒心も隠さない土方から視線を外さず、源外はそう銀時に向かって言う。すれば銀時も、「まあ、そうだけどよ」と苦笑を浮かべながら頷いた。 それは、源外の『腕』は慥かである事と、それを銀時が信じている事の肯定。 その『腕』が。土方に『何か』を、した事の肯定でもある。 焦燥に澱んだ土方の表情を不安であるとでも取ったのか、銀時はまた『大丈夫だ』と言い聞かせるにも似た安堵の笑みを向けて寄越した。それは、一点の曇りもそこからは見てとれない程に──嬉しそう、な。 「…………」 混乱がまるで解けない。夢ではないのだと理解はしたが、何が、どうして、こう、なったのか。己の理解が追いつかないのか、それとも。 「銀の字。鬼の字の関係者にこの事を早く教えてやんな。心配してんだろうよ」 「あー…、そうだな。アイツらにもちゃんと教えてやらねェとな。な?お前も早く復職してェよな」 最後は土方に向けて言うと、銀時は部屋からいそいそと出て行った。珍しい事だが、今にも鼻歌でも歌い出しそうに上機嫌な風情であると、そんな様を見た事もない癖に土方には解って仕舞った。 己の焦燥と。疑問と。銀時の上機嫌と。打算など何もない、本心からの喜び、と。まるで噛み合わない。 どうして。たった一つの、その疑問の通りに。 「……鬼の字よ」 銀時の足音が遠ざかってから、源外は真剣な調子でそう切り出した。土方とて、源外が銀時を態と遠ざけたのだろうと言う事ぐらいは解っている。あの、喜び以外の何も感じていない様な銀時が居たのではし辛い様な話を──土方にとって恐らくは、銀時の感情とは真逆に、受け取り難いものとなるのだろう、望む答えを。源外は告げようとしているのだと。 「俺は、……いや、俺の身体は」 だから土方は先にそう切り出した。これが己の望む、望みたくはない答えであり、意には決して沿わぬ内容になるのだろうと確信があったからこそ。 動く、左腕にそっと触れれば、そこには憶え深い己の皮膚の感触と──その下に、大凡人間の肉とは言えはしないだろう、冽たく固い感触が在る。 『病』に罹ったその時と、まるで変わらない。感触。軋む関節の音。違うのは、それが己の意思で、今までの『人間』だった頃の様に動かせると言う点のみ。 「ああ。生憎だが、お前さんの『症状』については、俺にはお手上げだ。いや、俺でなくとも、機械技師だろうが医者だろうがお手上げだろうが──」 源外の解答もまた、簡潔でそして解り易かった。土方は胸の裡に寸時鈍い痛みを憶えたが、今更全てが治るなどと言う甘い話などある訳がないと、己に言い聞かせて感情を持ち直す。 土方の身体を蝕んだ『病』は、ウィルスが徐々に宿主の身体を己の生存に適した素材へと分子置換を行っていく事を症状として顕すものだ。置き換わるのは飽く迄生体部品ではあるが、それは人間ではなく、況して人間の部品に戻るものでもない。 それは、解りきっていた事だ。 大丈夫だ、と言う土方の首肯を待ってから、源外は続ける。 「だが、諦めの悪ィ銀の字は一つの事に気付いちまった。お前さんを『殺した』ウィルスは、お前さんと言う宿主を本当の意味で殺しちまったら当然生きる事が出来ねェ。 寄生虫と同じ様なもんだ。宿主が生きる機能だけは、連中は奪いやしない様に出来ているからな」 人間の内臓に棲む寄生虫の類も、或いはもっと目立たないダニの様なものも。己の餌、或いは己の生存に適した『環境』を自ら殺す真似はしない。当然、それは自死と同じ結果を招くからである。 「そのウィルスは、お前さんの身体を作り替えた。だが、お前さん自身が死んじまったら、作り換えた生体部品諸共滅んじまう。内臓は食物も栄養も摂取しないでも構わねェ物質になったとして、作り換えたパーツそのものまで個々で生存が可能な訳じゃねェ。例えば呼吸をする事、大気中から水分を摂取する事。それらはどうやったって宿主の肉体そのものが、身体の各パーツに『そう命じ』なきゃァならねェ。 そしてそれを行う、宿主の神経系の機能を生かしているパーツだけは、どうやら連中は作り替えちまう事が出来ねェらしい、と」 源外の続ける通り。銀時は『それ』に気付いたのだ、と。土方は妙に静かな心地で悟っていた。 気付かぬ道理は無かったのかも知れない。『それ』は人間と言うイキモノを構成する上で、最も複雑怪奇な器官だ。『魂』などと言うものの存在の証明は『それ』そのものなのではないかとも言われている。 内臓をどれだけ模倣して拵えたとして。その器官を、その侭に再現する事なぞ、如何な科学力であれ、如何な『病』であれ──出来ないだろう。況してこのウィルスは神経を死したパーツへ置き換えるのだ。『それ』を生かした侭──その侭の機能を持たせた侭で別の物資へと置き換える事など出来はすまい。 「………………脳、か」 掠れた声で土方がそう呟くのに、源外は無言の肯定を寄越した。 思えば、土方の身体があらゆる機能を失った所で、思考だけは最後まで在った。目を抉り抜かれた、あの時の激痛と衝撃とで、土方は『眠る』事を選んだだけで。 動かなくなった、見えなく、聞こえなく、喋れなくなった身体の中で、思考と意識だけは、ひょっとしたらずっと存在していたのかも知れない。ただ、外的刺激の一切が無い以上、それは己が思考している事さえ理解も証明も出来ない、ただのホルマリンの中を揺蕩う脳の標本と同じであった、と言うだけで。 宿主──この場合は土方の身体を、生体として活かし続ける為に、ウィルスは脳から繋がる全ての機能を奪う事で人体を『モノ』へと換えた。そして脳だけは生体である『モノ』を生かす為に変質せず残された。 それは、想像にも易く、理にも適った解答の様に思われた。 「銀の字は」 土方が己なりの納得を得る迄の、暫しの沈黙の後。源外は深い溜息を吐き出した。続ける。 告解にも似た重たい呟き。そこには、懊悩の色が慥かにあった。どうしようもない様なものを持て余した果てに行き着いたのが、老人にとってのそんな感情だっだのだろう。そこには後悔や申し訳の無さは篭もっていない。 「待てど暮らせどてめーがいつまでも完全な人形に成り果てねェ事に気付いて。そして俺に相談を持ちかけて来た」 相談。 機械(からくり)技師に。医者でもなく、近藤たちでもなく、一流の腕を持つ機械(からくり)の技師に。 それがどんな意味を示すのか。土方は、気付かぬ振りをする事が出来そうもなかった。 目蓋をそっと閉ざして──その下の、贋物の侭の眼球が苦悩に揺れるのを、黙って感じながら、決定的な続きを待つ。 「『機械(からくり)を動かす手段』はないか、と。奴は俺に、そう訊いたよ。 そして俺は頷いた。当然だ。俺は機械技師だ。思いつかねェ訳がねェ。手段がねェ訳じゃあねェ」 源外の懊悩は、そこに嘘や偽りを差し挟め無かった事にあるのだろうか。そう思ってから土方は、いや、と直ぐにその可能性を打ち消した。 この老人は純粋な機械技師だ。己の技術を扱う事を至上とする職人だ。己の腕を誇りに思うこの老人が、銀時の持ちかけた『問い』に、良心が咎めたとして──偽でそれを断る様な事は、有り得ない。 源外は飽く迄、己の技術に挑んだだけだ。己に正直に手を尽くしただけだ。 善もないし悪もない。だから、それを恨む心算は土方には無い。 「生きているお前さんの脳と、機械の脳とも言える中枢電脳管を接続して、脊椎(その)辺りに収めた。それから、身体中のパーツに神経接続を施す。そうすりゃァ、脳からの電気信号を受けた電脳管が、今までと何ら変わり無く身体中の機能を動かすって寸法だ。 まァ以前よりは勝手が利かないかも知れんが、それでも義手や義足に比べりゃァ不自由は無いだろうよ。ウィルスの置き換えたパーツが、精巧に人間のそれに倣ったものだったからこそ、可能だった話だな」 そんな、説明書を読み上げる様な内容に、土方はそっと目蓋を開いて。その目の前で慥かに、己の望んだ通りに動く、元通りの様な挙動の叶う指先を見つめて、確実な理解をそこに置かざるを得なかった。 別の物質に置き換えられ、断たれていた神経を、代理の脳とも言える機械の部品を通して接続した。たったそれだけの話。機械に強くはない土方であっても、その程度の理屈は解る。 手足が予期せず不自由になった患者にも、病状次第で施す事の叶う処置。それの、派生版と言った所だ。元になっているものが、土方の身体そのものだったのだから、物質として異なると言う差異しかないそれは、非常に精巧な義肢とも言えるだろう。 「眼ン玉だけは、元から義眼の様なもんになってたからな。天人製の義眼に置き換えた。慥かな技術と効力で知られてるものだ、値が張っただけあって、問題は無ェだろう?」 「…………ああ」 ぐるりと室内を見回して、土方は静かに頷いた。天人の機械製の義肢や義眼にはもっと利便性が高いものが流通している。生身の眼球と殆ど変わらぬ外見で、超人的な視力を備えたものもあると聞いた事がある。 だが、極力人間の視界と変わらぬものを選んだのだろう。その視界は、視力が以前より少しばかり良くなった様な気がする以上には、何ら異常はなかった。 「……………」 土方十四郎の肉体は、別の物質に変化して。 そうして、別の物質の侭、蘇った。 死を乗り越えて生き返ったとは、もう思わない。思える筈もない。 黙り込んだ土方の横顔を暫し見つめていた源外は、やがて大きな溜息をつくと、今までの様などこか事務的な調子を止め、固い声で言う。ひとりごとを呟く様に。 「……お前さんも解ってんだろうが。こんなんは、人間の外科手術じゃねェ。まるで、機械(からくり)造りだった」 まるで、と言ったが、それは、からくり造りでしかなかった、と言う意味と同質に聞こえて。 恐らくそれは正しいのだろうと思って、土方は口元を苦く歪めた。 そうだ。そういう、ことなのだ。 土方十四郎と言う人間は、坂田銀時の望みで、絡繰り人形となった。 そして──銀時の笑みと、安堵とに、嘘は無い。あの男は本気で、土方がまた動ける様になった事を喜んでくれている。 これを元通りだと、思っている。思ってくれている。 土方が真選組の副長に戻って、また生きられるのだと、心底から思ってくれている。 「………………野郎の頼みを断らなかった事に関しちゃァ、俺が機械技師だから、としか弁解のしようがねェ。『これ』が少なくとも、お前さんの望む結果なのかどうかは、俺にゃ解らねェ。だが」 「解ってる」 苦いものの混じる源外の言葉を鋭く遮って言うと、土方は『動く身体』で自らの身を手繰って、息を吐き出した。機械仕掛けの人形が溜息をつくなど、おかしな話だろうかと自嘲めいて思いながら。 「……解っている」 繰り返す。『これ』が銀時の掛け値無しの思い遣りであって、土方にとっても再び生きて動ける肉体を心底に安堵して受け入れる、ものであるのだと。 機械(からくり)の力と言われても、再び身体が動く事、目が見える事、口が利ける事、全てに喜びを感じずにいられない。 また、真選組の副長として『生きる』事が出来る──その事実に得る歓喜だけは、どうあってももう捨てる事なぞ出来ないだろう。 「…………ならいいが」 罪悪感はあったのだろうか。それとも他に引っ掛かるものを憶えていたのか。源外は土方の答えと納得とを受けると、ひとつ頷きを残して、「まだ予後の経過は解らねェからな。月イチでメンテには来るんだぞ」そう言いながら部屋を出て行った。 それとほぼ入れ替わる形で、銀時が戻ってくる。 「ゴリラ達に連絡入れといた。直ぐ迎えに来るってよ。アイツら皆、またお前が復職出来るってそりゃもう喜んでたぜ。沖田くんも不満そうな声はしてたけど、アレ絶対本心じゃ安心してたね」 土方が死に瀕していた事を知る近藤たちに、一体どの様な説明がされたのか。土方には解らないし、今となっては問いたいとも、知りたいとも思わなかった。 含羞んで笑った銀時の手が、土方の頬をそっと捉える。「お前がまた動ける様になってよかった」そう笑う表情に嘘も偽りもない。 土方が『元通り』に生きる事の出来る生活を我が事の様に喜んでいる。疑いようもないほどに。一心に。 痛い程にその思い遣りを感じる。食事を供されていた時と同じ。想いをそっと唱えた時と同じ。坂田銀時と言う男から滲み出て土方の心までを浸した、そんな情。 「また忙しくなっちまったら、今までみてェに会うのも難しくなるかも知んねェけど…、まァお前が生きてんだから、いつだって何遍だって時間はあるんだしィ?」 一旦そっぽを向いて照れ笑いに乗せて言う銀時の手は。触れた土方の頬の上に、どんな温度を感じているのだろうか。 つめたい、人形の手触り? 皮膚の上にだけ残った、人間だったものの手触り? それとも──、 「……万事屋」 「ん?」 どうしたんだ、と土方の顔を覗き込んで来る銀時の両頬を、伸ばした腕でそっと捕まえる。 銀時からの想いを寄越された、あの時にはもう、こうすることは出来なかった。だからなのか、少し驚いた様に瞠られる瞳を、引き寄せて間近に感じながら、土方は銀時の唇に自ら口接けた。 「、」 仕掛ける様な行動に少し眉を寄せた銀時は、然しそれが不器用な男なりの愛情表現か、はたまた礼かとでも思ったのだろう。幸福を湛えた笑みを口元に乗せながら、舌を出してそれに応えて来る。 口接けの時間は長くはない。だが、銀時の笑みと柔い吐息とは、それを幸福な事と享受していた。 「土方」 好きだ、とでも言おうとしたのか。言葉の代わりに、押しつけられる口唇のやわらかく優しげな所作に。重ね合って探り合った舌先に。 「……………」 土方は、静かな絶望を憶えながら、そっと唇と手を離した。至近距離で微笑んだ銀時が、もう一度啄む様に唇を重ねて、そうして離れて行くのを、酷く虚ろな心地で見送る。 身体が動く。元通りに生きられる。 だが、『これ』は人間なのだろうか。 腑は変容しもう戻らない。だから、機械仕掛けのこの身にもう食事は必要がない。 お前の食事を美味いと思って食する事のもう叶わなくなった、こんなモノが、人間であって良いのだろうか。 探った舌先には、あの時感じた甘い不快な味はしなかった。 味蕾は何ひとつ。飢餓感も何ひとつ。与えてはくれない。 当たり前だ。──これは人形なのだから。 歪に継いで接いだ身体を、お前と言う糸に繰られて生きる、機械仕掛けの空繰り人形。 銀時の幸福感と裏腹に、土方は己が身に降り注いだ真の絶望、その無味をそっと噛み締めた。 ……元より一方通行バッドエンド想定だったもので相変わらず歪みっぱなし。 当初タイトルは人でなしの恋でした(ネタそのまんま)。お察し下さい。ここまでお読み下さりありがとうございました。 ← : ↑ * * * いつもの蛇足。 説明とかなんかそういうの無くてもいいよね感なので、どうでも良い方は黙って回れ右推奨。 相変わらずトンデモで…。源外は無骨な機械専門ぽいですが、結構に因果律ねじ曲げてるので、知識はあるだろうと言う感じで。 真性なので銀さんは自分の想いとその先は見てるけど土方の事は見てる様で見えてない。最初から最後まで押しつけで終わる。<このへんがバッドエンド定義。 眼まで抉った癖に、土方がまた動いてればそれで良いので、多分瓶ごとポイ捨て。<このへんが一方通行。 リアル事情ですが、認知寝たきりの方の病室によく出入りします。その都度憶えるひねた心情に皮肉をぶつける内こうなりました。大概、酷い話です。 各タイトルは「砂男」と「ホフマン物語」の人々。まとまりないな驚くくらい…。 ▲ |