?→! / 1 料亭美や狐と言えば江戸下町ではそれなり名の知れた店である。 高級過ぎず華美過ぎず、かと言って質素ではない品の良い佇まいや雰囲気から、芸能人や幕府のお偉いさんにも人気が高い。どちらかと言えば賑やかで派手な宴席よりも、密談や会合に好まれる手合いだ。 噂好きな江戸の町人、それも下町の方となればよりその傾向は強まるので、店への入店は裏手にある駐車場に密やかに車を乗り入れて行われる事が多い。土地の狭さ故に遠目に人を遮る様な仕掛けは施せないが、繁華街とは異なり一度陽が沈めば忽ちに暗がりに沈むこの辺りでは宵闇に乗じて仕舞えば何の問題も無い。 店に務める者たちには暗黙の了解の守秘義務が徹底されている。何処の何某様だとか、有名人が見た事もない婦人を伴っていようが、興味を抱く事は固く禁じられている。従業員内で客についての噂話をする事さえも許されはしない。高級料亭に支払われる金の殆どは料理や酒や美しい芸妓にではなく、『信用』を買う代金だからだ。 だが、その日料亭美や狐を訪れた客については別だった。 未だ陽の高い内に高級車で乗り付けて来た娘は、どこぞの名家の姫君か何かなのだろう。高級な仕立ての着物を纏い、立ち居振る舞いも楚々としたものだ。店の中で最も高級な部屋に予約を入れて来たのもこの姫君の方であった。彼女は運転手の他には護衛らしき少数のお供を伴い入店し、食事はお客様が来たら運んで欲しいと言って先に部屋で待っていた。 それから暫くして、徒歩で店の門を潜ったのは三人と一匹の客であった。店主も店員も一目見て彼らの様に胡散臭さを感じずにはいられなかったのだが、この連中が待ち合わせと言って出した名こそが件の姫君風の客だった為に、浮かんだ不審さは隠し客商売の態度を崩さず彼らを部屋へと案内する事にした。 浪人風の風体をした胡散臭い男。如何にも一般市民と言った風情の眼鏡の少年。天人そのものの容貌をした少女。宇宙生物の一種だろうか、犬種を問うも馬鹿馬鹿しくなる様な巨大な犬。 最早興味以前の問題であった。興味は惹かれないが只管に疑問ばかりが募る。芸人か何かを招いたのではないかと誰かが言い出せば、姫君に集る勢いで食事を平らげていく様に脅しを掛けるやくざ紛いの人間なのではないかと言う意見が出て、いやきっと偉いさんの変装なのだろうとか以下数知れず、奇妙な客達についての埒もない話題は料亭美や狐をその後も暫し賑わせ続ける事となったのだがそれはまた別の話である。 * そんな料亭の裏の話なぞ知る由もなく── 銀時は目の前に居並ぶ料理の数々に、向こう暫くは食事の心配をしないで済む様に手と口とを動かし続けていた。左隣の神楽も同様に。右隣の新八は少し遠慮がちにしていたが、きっと持ち帰りは可能だろうかと真剣に考えているだろう。 尤も胃に一度に食物を詰め込んだ所で保つカロリーなぞ然程には変わらないのだが、食べれる時に腹を満たす以上に押し込んでおくのは、毎日毎時間真っ当に適量の食事を摂れる事の少ない人間の習性の様なものである。毎回飲み過ぎて翌朝に酔いを引き摺るのと何ら変わりない。 「銀ちゃん、それ私の卵焼きネ!こっちよこすアル!」 「馬鹿野郎、こう言うのは先に取ったもん勝ちなんだよ!つーかお前もう三皿も喰ってんじゃねーか!」 「まあまあ、銀さんも神楽ちゃんも落ち着いて。まだまだ沢山あるんだから喧嘩しないでも良いでしょ、みっともないんだからもう……」 繊細な味のだし巻き卵の乗った皿を奪い合う銀時と神楽を宥めながら、新八は対面に座っている"暫定"依頼人へと申し訳なさそうな愛想笑いを向けた。 "暫定"依頼人こと彼女──将軍の妹君であるそよ姫は自分の呼び出した万事屋一行が、到着するなり挨拶もそこそこに運ばれて来た食事を食い散らかしている様に別段何か不満を感じている風でも無い。概ねいつも通りに、少女らしい穏やかな微笑みを浮かべ黙ってこちらを見ているばかりだ。 「ねぇそよちゃん、この煮魚すごい美味しいアルよ、そよちゃんも食べるネ!」 「そう?じゃあ………あ、本当、美味しい」 行儀悪くも箸で皿を指す神楽の姿に、そよ姫の背後に佇んでいる護衛の男が物言いたげに顔を顰めたが、仕えるべき対象である姫が何も言わないのでその侭無言を貫いた。実に弁えた勤務態度である。 まあ礼儀云々など、卓に並べられた料理を片っ端から胃袋に押し込む万事屋一行の姿を前にすれば今更と言った所だろうが。ちなみに定春はそのサイズ故に店側から部屋入りを拒否されたので、庭で別に食事もとい餌に肖っている。 「皆さんはお料理、お口に合っていますか?前に神楽ちゃんがお城の食事は味気ないと言っていたので、今日はお店にお願いして町人の方に親しみ易いものをお願いしてみたんですよ」 要するに高級志向の懐石料理ではなく、比較的に一般客向けの宴会料理と言った所か。並べられた皿たち──殆ど空になりつつあったが──を見回した銀時は成程と頷く。刺身に天ぷらに煮物に吸い物、何れに使われている食材もお上品なものばかりではない。有名な料亭らしくないとは思ったのだが、常に極貧の万事屋一行から見れば高級でもそうでなくとも食事と言うだけで価値があるのだから余り関係は無いのでさして気にしていなかったのだが。 「とても美味しいですよ。僕らじゃこんな豪華なご飯、滅多に食べられませんし」 腹も脹れて気持ちに余裕があるのだろう、にこにこと答える新八に、そよ姫は「良かった」と胸を撫で下ろす仕草をしながら微笑む。一見してお淑やかな姫君そのものとしか言い様の無い少女の笑顔を横目に、銀時は海老の天ぷらを囓った。天ぷらは天つゆ派だったのだが、塩でさっぱりと食すのも悪くない。 「で、」 「はい?」 そろそろ皿の上には真っ当に食せる形をしたものが少ない。箸を置いた銀時が声を上げるのに、そよ姫は可愛らしげな仕草で、不思議そうな表情を乗せた首を傾げてみせた。こう見えて一応は将軍家の娘だ。将来は何処か名のある幕臣の家や御三家にでも嫁がされるのだろうが、この天然良い所の性格では何だか色々と心配になって仕舞いそうだ。主に、姫を大事にしている舞蔵爺やが。 とは言えその心配をする爺やはこの場にはいない。置いて行かれたのか内緒で出て来たのかは定かではないし、それはこれから解るのだろう。後者だったら面倒な事になりそうだが。思いながら、銀時は軽く肩を竦めながら湯飲みを傾けた。余り飲み慣れない玉露の味を舌先で転がしてから言う。 「まさかただの食事会だけで万事屋(うち)に『依頼』をと言う訳じゃないんでしょ?そろそろ用向きをお伺いしたい所なんですけど」 少々不躾な調子ではあったが、逆に要点は伝わり易かったらしい。そよ姫は「ああ!」と手を打って納得を示してみせた。本気で忘れていたならそれこそ先行きが心配で以下略。 「皆さんとのお食事会が楽しくて、つい用事を忘れる所でした。ええとですね、折り入って万事屋さんにお願いしたい事があるんです」 「そよちゃんのお願いなら何でも聞くヨ!ねぇ銀ちゃん?まずは私たちに話してみて欲しいアル」 どんと胸を叩いて言う神楽を若干渋い表情で見下ろして、銀時はすっかり空皿だらけになった卓の上をぐるりと見回した。この食事だけでも既に結構な額になっているだろう。幾ら姫君と言った所で国費を自由に扱える訳は無いのだから、これは所謂お小遣い──そよ姫の個人的な出費と見て良い。神楽が安請け合いをして仕舞う様な関係性、破格の持て成し。この時点で既に断り辛い材料は揃って仕舞っている。 銀時とて、神楽の数少ない親友の少女の『依頼』を聞いてやる事は吝かでない。彼女の兄とも非公式ながら面識があるので、頭から断るには抵抗があるのは確かだ。だが、経験上身分のある人間が持って来る『依頼』と言う所に不安を憶えずにはいられないのだ。 (少なくとも俺が舞蔵爺さんなら、姫様自らに万事屋を頼らせる様な真似はしねェわな) 「ありがとう、神楽ちゃん。あの、実は爺やには反対されて仕舞ったので今日は内緒で来ているんです。危険かも知れないんですが、私個人からのお願いとして」 胸中で考えた事に対する解答と余計なS感がそよ姫自らの口から発せられて、銀時は思わず肩を落とした。隣ではそんな銀時の様子には気付くでもなく、神楽が「それで?」と食い入る様に問いている。 舞蔵はそよ姫に過保護なきらいはあるが、人格としては酷く真っ当な男だ。その舞蔵が難色を示したと言う事は、そよ姫の持って来た『依頼』とやらが万事屋の手には負えない可能性は高い。……或いは、『公式』にそれが解決されねばならない理由がある、とか。 「兄上様が……、凄く困っているんです」 「将ちゃんも?それは益々捨て置けないアルな」 言いながら『依頼』の事を思ってか、不安そうな色に表情を翳らせるそよ姫を少しでも安心させようと、神楽が力こぶを作って言う。新八もうんうんと頷いてそれを手伝っている。 現将軍まで絡むとなると益々に関わりたくないと言うのが銀時の本音だが、なんでかんであっても相手は一応知己である。それに、自分達に向かって伸ばされた困った人間の手を、厄介事だからと払い除けられる性分ではない。 諦めにも似た溜息をひとつ。まあここで食い散らかした飯代ぐらいは働くかと決め込んで、銀時は無言の侭仕草だけでそよ姫に続きを促した。 「ありがとうございます、皆さん。お礼は……、ええと、報酬と言うのでしたよね?ちゃんとお支払いしますから」 余程に安堵したのか、ほっと肩の力を抜いたそよ姫はそう言うと、背後に立っている二人の護衛に一旦の退室を命じた。珍妙な三人組がそよ姫と親しそうだから良いと思ったのか、はたまた危機感など別段無いのか、護衛二人組は大人しく外へと出て行った。廊下で控えるとは言え、有事の際はどうするのだろうと余計な事を思わず考えて仕舞う銀時だ。幕府の人間と言うのは基本的に何処か危機感がなさ過ぎるきらいがある。長い平和と、それ以降の攘夷戦争の戦禍に江戸が殆ど曝されなかった事とが彼らを平和ボケにでもしているのかも知れない。 上がこれでは、下っ端として江戸の平和を護るべく日々奔走している幕府の狗たちの苦労も浮かばれぬ事だろう。 「それでですね、皆さんにはペットを探して頂きたいんです」 漸くそよ姫の切り出した『依頼』──その『ペット』の言葉に、銀時らは思わず顔を見合わせた。 「ペットって何アルか?」 硬直と浮かんだ疑問符とから抜け出して真っ先にそう問いを放ったのは神楽だった。否、神楽の事だ、端からペットと言う言葉に特に何も思う所が無かったに違いない。 だが、一方の銀時と新八は違う。ペット探し、と言う依頼ならば万事屋では比較的によくあるものなのだが、それが金持ちや身分のある人間からとなると話は別だ。単語を聞いて真っ先に思い出して仕舞うのは、何処ぞの星のバカ皇子とその暴挙である。 出端から印象が宜しくない。思った銀時と新八とが見合わせていた視線を戻せば、そよ姫が帯の間から一枚の写真を取り出して卓の上へと滑らせた所だった。 「猫アルか?」 「……似た宇宙生物らしいです。私も詳しくは解らないんですが、何処かの星の偉い方に友好の証として贈られた子だそうなんです。何でも、凄く稀少なので、極秘で兄上に個人的な贈り物として贈られたみたいです」 「それは、迷子になったんだとしたら困りますね…」 探して欲しいと言う事は、その動物は城から逃げ出したと言う事である。寿命で死んだのならば仕方がないが、贈答された動物を逃がして仕舞ったとなると外交の面で余り宜しくない事になる。眉を寄せて腕を組む新八にそよ姫も頷く。 「その偉い方が来月国賓として江戸を訪問する予定で、それまでに何としてもこの子を見つけ出さないといけなくて…、兄上様も、周りの人たちも総力で捜索に当たっているんですが、見つからない侭で…、私もじっと見てられなくて」 そこまで言ってそよ姫は俯いて仕舞う。兄上様こと将軍が自らペット捜索などをする筈が無いとは言え、それに割く人員はある筈だし、人手を投じる事には人も金も要する。幾ら外交の為と言うお題目があったとしてそれらの行動に対して将軍の負う責も掛かる心労もあるのだろう。 成程それで非公式な依頼なのかと得心しながら、銀時は卓の上に乗せられた写真を手にとって見た。小さな紙には何やら長毛の太った猫(っぽい生き物)が座布団の様なものの上で丸くなっている姿が写されている。横から写真を覗き込んだ新八が口の動きだけで「不細工だなあ」と呟くのが見えて銀時は苦笑した。幾ら不細工で不格好な生き物であれど、この場合は将軍の──国の財産である。 「この、猫っぽい奴を探せば良いって?」 「はい。お願い出来ますか?」 「お願いも何も、今の姫様は依頼人でしょ。その代わり報酬の方は弾んで下さいよ」 報酬なぞ元よりそよ姫から金銭で貰うつもりはないが、銀時が親指と人差し指で輪を作って戯けて言うと、そよ姫は「ありがとうございます」と顔を輝かせてみせた。余程に兄の事が心配だったのだろう。神楽と手を取り合って喜んでいる様子は年相応の娘の姿だ。 銀時はそんな娘二人の姿を見ながらもう一度手に取った写真に目を落とした。長毛で太った猫(っぽい生き物)のふてぶてしい顔を記憶に焼き付ける。 新八の言う通りの不細工な生き物に相違無いそれが──たかだか小動物が、幾らお上の仕事とは言えそんなにも長期間逃げおおせられるのだろうかと言う所に疑問は感じないでもないが、市井の万事屋にはこちらなりの探し方と言うのもある。 何にせよ、暫くは何かと忙しい事になるかも知れない。どう探したら良いものかと考えながら銀時は飲みつけない玉露を啜った。 。 ↑ : → |