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 まず見えたのは巨大なキジトラ柄の毛玉だった。──否、毛玉では断じて無いのだろうが、一見しただけではそれは毛玉としか言い様の無い物体にしか見えなかった。万事屋の白い犬と同じぐらいか、それ以上の大きさはある。
 廃工場の壁をぶち被って、ぼよぼよと、弾む様な動きで転がって来た『毛玉』からは赤い紐が下がっていた。それは後方へとぴんと伸びて、その紐を──引き綱を必死で引っ張っている銀髪の男の手の中へと繋がっている。
 毛玉は男を引き擦る勢いで短い手足を動かして弾んだ。と言うか、走ったのだろう。眼前十米以内の距離にまで迫ったケージに向けて。
 土方はそこで理解する。巨大で珍妙なその毛玉こそが、写真でしか見た事の無かったぐれむりんの『本体』なのだ、と。
 じりじりと迫る巨大なぐれむりんとケージとの間に挟まれた形になった密売人が、泡を食ってケージの一つを掴んだ。中に入っている小さな、緊張状態のぐれむりんたちが身の危険を感じたのか更に毛を逆立てる。
 『客』だった天人達が何処の言語とも知れない言葉で騒ぎ立てるのを男は一瞥する事もなく無視した。或いは意味が通じなかったのかも知れない。否、通じていたとして恐らくは制止の類だろうその言葉を聞き入れるつもりは無かっただろう。眼前の『化け物』をどうにかする方が先だ。
 男がケージを振り上げようとしたその時、土方の指が銃爪を引いた。狙い違えず着弾したアンプル弾はぐれむりんの一体に当たってその中身を撒き散らし、忽ちに沈静状態を起こさせる。
 「な、」
 急速に萎むぐれむりん達の収まった、手の中のケージを見つめたその目が次に見たものは、目の前に迫った巨大な体毛の塊だった。
 それさえも理解出来たかどうか。次の瞬間には、ケージとその中身のぐれむりんたちが、がっしゃああ、と賑やかな騒音を立てて地面に転がっていた。その直中に押し潰された男は打ち所でも悪かったのか、ぐれむりんの『本体』に下敷きにされた侭ぴくりともせず沈黙する。
 目標の沈黙を確認してからスコープから目を外した土方は安堵とも達成感とも異なる溜息をそっと吐くとレバーを引いて排莢した銃をその場に置いて、散々遮蔽物となって貰っていたクレーンの操作台から階下へと飛び降りた。大将を置いて逃げようとしていた男らの前に着地するなりすかさず抜きはなった侭で居た刀を向けて「御用改めである」そう尊大に告げる。客だった天人らは既に逃走を諦めたのか──この国には譬え犯罪者であろうとも他星の天人を護る厄介な法律があるのだ──立ち尽くしているが、連中は単身の警察を目にしただけではそう易々諦めるつもりは無かったらしい。くそ、だの、やっちまえ、だのとありきたりな言葉を上げて各々銃や刀を向けようとし──、
 ぼふ、と柔らかそうな音を立てて、再び弾む様に突進して来た巨大なぐれむりんの体当たりを受けて次々無様に転がされて仕舞う。
 「待て、待てったら!駄目!待て、だからマテって!!拾い食いはしちゃ駄目だってお城じゃ教育されてねェのかこれだから育ちの良いボンボンは!」
 ずるずると、ぐれむりんの首──らしき部位──から伸びている赤い引き綱を必死で引っ張って、否、引き擦られている銀時の姿を見て土方は、日頃飼い犬に振り回されている姿と何ら変わりの無いその様子に、思わず頬が引き攣るのに似た反応で弛むのを感じて喉を鳴らして笑う。
 「これキングスライムどころじゃねーよ、ちょっとしたスプラッタだよ。モザイク後で入れとかねーと発禁だよ間違いなく」
 ぐれむりんの『本体』が一心に目指しているのは、言う迄もない分裂した己の一部分たちの収まったケージだ。一番最初に衝突したケージを見遣ればそれは既に空になっているが、銀時のげっそりとした表情を見るだに、分裂する時同様の『融合』の凄惨な有り様を目の当たりにして仕舞ったらしい。見ていなくて良かった、とこっそり思う土方を余所に、巨大なぐれむりんは残された最後のケージに向かってぼよんと弾んだ。着地。そして毛玉の中にあっと言う間にケージは埋もれて見えなくなる。
 何やら毛玉と言う物体の何処から出ているのか解らない様なぐじょぐじょとした粘着質の音が聞こえて来るがきっと気の所為だろう。
 最早全てのケージの中身を『吸収』して仕舞ったからか、銀時は諦めた様に引き綱を掴む手を緩めて嘆息した。これで分裂した全頭数が戻ったのか、バラバラになった『部品』たちを『吸収』したぐれむりんはすっかりと大人しい。ご満悦で居るらしいぐれむりんがそれ以上暴れ出す気配が無さそうだと言う事を油断なく確認してから、土方は足下に転がって伸びている男らを、彼らの衣服の帯などを使って拘束した。
 主犯の男はすっかりと目を回しており、こんな奴に嘗て逃げられてさっきまで振り回されていたのかと思えば少々腹立たしいものを感じずにいられないが、この男から未だ聞き出さねばならない情報も山とある事を思えば余計な傷を負わせず楽に捕獲出来たのは有り難い。
 客の天人たちからも依然逃走の気配は感じられなかったので捨て置く事にして、土方は「で、」と銀時の方を振り返った。懐をまさぐって煙草を見つけたは良いが、すっかり湿気っている箱にうんざりと口の端を下げてそれを投げ捨てる。
 「どうやってあの『本体』を城から持ち出した?」
 それは浮かんで然るべき疑問であった。何しろああ見えて将軍の私物となるペット様だ。実際以前に土方が『本体』の持ち出しを申し出た時には、「これだから学の無い田舎侍は」「身分と言う物を弁えろ痴れ者め」と言わんばかりの態度で断られているのである。
 銀時は以前土方との話で出た通りに『本体』の、分裂体を求める本能に頼ってこの場所に至ったのだろう。頭の固いお上の連中にさえ断られなければこんなにも簡単に騒動が解決していたと言う結果には憤慨よりも寧ろ純粋に疑問が勝った。
 「最初の依頼主に──つまり姫さんに頼んでな。何とか持ち出さして貰ったんだよ」
 言いながらぽふりと毛玉の表面を撫でる様な仕草をすれば、ぐれむりん(本体)はそれこそ猫か何かの様にその場に丸くなって仕舞う。大きささえ普通ならばちょっと毛の多いデブ猫そのものだ。
 流石に『本体』のこの大きさは土方には予想外だったが、分裂した個体のサイズを思えば、確かに『元に戻れ』ばこの巨躯は納得である。見せられた写真に周りの物とサイズ比較が出来る物が写っていなかったのと、『猫』と言う印象から勝手に想像で決め込んで仕舞っていた。その事を注釈しなかった松平に恨みがましいものは抱かずにいられないが、猫の様な姿と言う先入観から問いを重ねなかった土方も土方であった。
 果たして最後の数匹を捜索する為にと城から連れ出す願いが聞き届けられたとして、こんなサイズと質量を町中で真選組が連れ回していればさぞ目立った事だろう。日頃から巨大な犬を連れている万事屋一行ならばそれほどでも無いのかも知れないが。
 「もう期日も迫ってるし?残りの『猫』を追って姿消しちゃった副長さんもいるしで、真選組(ゴリラたち)から捜索依頼されちまったし?こりゃもう姫さんに直接頼むしか、ってな。
 大分無理を通す形にはなっちまったが、まぁ結果的にペット様も無事なんだ、口煩ェ連中も何も言えやしねェだろうよ」
 途中で顔を露骨に顰めた土方に「どうどう」と言いたげなジェスチャーを取ってそう言うと、銀時は態とらしい戯けた仕草で肩を竦めてみせる。
 「……そもそも、俺が『猫』を捕まえた密輸業者を追って行った、なんて確証は無かっただろうが」
 なんとなく。答えが見えて仕舞った心地はしたが一応は憮然と土方がそうこぼすのに、銀時は少し苛々と自らの頭髪を引っ掻きながら目を游がせた。
 「おめーが勘違いしたり心配したりしちまったのと同じ事ぐれェ、俺も考えちまったんだから仕方ねェだろ」
 尖らせた唇がぶっきらぼうに紡ぐ言葉を、土方もまた目を逸らし聞いていた。この分だとどうやら、自分が勝手に勘違いをして銀時を探し回っていた事は既にバレているらしい。そうなると恐らくは、八つ当たりで投げた言葉の意味についても。居心地悪い事この上無いと、身体ごと横を向けた土方に向けて、「あとこれ、」と銀時が懐から何かを取りだし放り投げて寄越す。
 「大事な落としもんだろ?」
 咄嗟に受け取ったそれが、途中で落とした己の携帯電話だと気付いた土方は思いきり舌を打ってから銀時に背を向けた。手早く真選組屯所へとコールする。
 電話を取ったのは山崎だった。泡を食った様子で、《旦那が『本体』を誘拐したとかなんとかって城から抗議が来てるんですけど一体どう言う、》と騒いで来たが、面倒になった土方は一旦それを全部スルーする事にして、事態の収束と応援を寄越す様にと言う旨を告げると応えは待たずに通話を切った。混乱中の山崎や屯所の皆には悪いが、屯所内に一体どう言う風に現状が伝わっているのか、把握されているのか、と言った部分を考えると眩暈を起こしそうだ。
 と、閉じようとしていた携帯電話が再び震えた。見れば、液晶には『万事屋』の名前とメール受信を示すアイコンとが表示されている。
 一瞬迷ってから土方はそれを開いた。暗い中で薄ら明るく手元を照らす画面の上に並ぶのは、見慣れた無機質なテキスト。
 "仕事もメル友も終わった訳だけど、この電話、どうすんの"
 その文字列に潜んだ感情は、わざわざ振り返って銀時の表情を伺ってみずとも解るものだった。
 "メル友とか言うな気色悪ィ。もう俺の名前はアドレス帳から消して構わねェ。本体の方は好きにしろ"
 素早くそう打ち込んで送信ボタンを押してから、土方は携帯電話を閉じて背後の銀時を振り返った。すれば銀時はたった今着信した土方からの『返信』を読んで、片眉を器用に持ち上げてみせた。困惑とも歓喜とも取れぬ曖昧な表情。
 ちらちらと土方の顔を伺いながら携帯電話に乗せた指を動かそうとする銀時にあからさまに溜息をつくと、土方は己が手にしている携帯電話を上着に仕舞い込んで言ってやる。
 「……言いてェ事があんなら普通に言や良いだろうが」
 「………だな」
 は、と笑ってみせる土方に、銀時も応じて肩を揺らして笑うと、最早用の済んだ携帯電話を何の躊躇いもなくぽいと放り投げた。雨の滴る位置に違えず落ちたそれが、今となっては本当の意味で役立たずの器物と成り果てた事は疑う迄も無い。
 依頼が終了したから、と言う意味で。そしてもう一つは──
 雨をぱらぱらと降らせ続ける夜空を土方が仰げば、横で同じ様に銀時も頭を擡げる。その傍らで巨大なぐれむりんが欠伸をする音。全ての元凶が全く暢気なものだと思って、ふと手に触れた体毛を軽く撫でればそこからは生きているもの特有の体温と気配とがきちんと感じられた。宇宙生物だろうが爆弾扱いの危険な存在だろうが、将軍とそよ姫、そしてバカ皇子にとっては紛れもなくただのペットでしか無いのだろう。そう実感すれば任務を全う出来た心地を漸く憶えられた気がして、土方はそっと息を吐いて疲労感を肉体の外へと逃がした。
 やがて遠くからサイレンの音が聞こえ始めた頃、銀時がまるで夜空の厚い雲に向ける様にして口を開いた。
 「どうも俺ァ、おめーの事が好きみてェだ」
 ぽつ、と落ちる雨粒に掻き消えそうに発せられた声は、隣に立つ土方の耳ぐらいにしか届かない程に小さかった。──だが。
 「……奇遇だな。俺もだよ」
 文字では決して伝えられなかっただろうそんな言葉に。隣に居なければ届きはしなかっただろうそんな言葉に、同じ様にそう返して土方は目を細め苦笑した。ぐれむりんの捕獲が手段さえ選ばなければ容易だったのと同じ様に、互いの裡に潜んでいた確信もまた、正直に言葉に出していれば理解はこんなにも早かったのかと思って。
 応じた返信──否、返答に銀時は少し驚いた様に瞠目していたので、土方はもう少し言葉を重ねてやる事にした。
 「最初の、レシートの支払いが未だだったな。依頼料の事もあるし、その内また訪ねる。そん時気が変わってなきゃ、」
 「変わる訳ねェだろ。どんだけ抱えて拗らせて来たと思ってんの」
 「…威張る所かよ」
 我に返った様に、言いかけた言葉を素早く遮って言う銀時にそう悪態をついたものの、土方は雨にびしょ濡れだと言うのに仄かに己の体温が高くなった感覚を憶えた。一体何をどうしてこんな所でこんな恥ずかしい言葉を交わし合う羽目になっているのだか。憶えのない言葉を連ねたテキストに一人忍び笑うよりも余程に、向かい合って交わす互いに向けた『言葉』の方が余程に恥ずかしくて、だがそれ以上に嬉しい。
 (大体の事ァ解ってる気がしてた、なんて思い込みしてた手前ェが一番恥ずかしい所か)
 常に理解より先に確信があって、それは大概の場合外れてはいなかった。だから、だ。それが望んだ事だったから。…だから、だ。
 「本当はそんな言い訳が無くても来て貰いてェけどな」
 まあ贅沢は言わねェ。そう口早に言ってふいと目を背ける銀時の頬も同じ様に熱いのだろうかと寸時考えて、それから土方は密かに笑った。訊いてみれば良いだけだ。見てみれば良いだけだ。言葉も表情も、携帯電話を片手にメールをしたためるより余程に解り易くて簡単なのだから。
 一度は忌々しくさえ思った恋情の果てに何が在るのかは幾ら想像を巡らせた所で見える訳も無い。嘗て片恋にして散らした情にしか憶えの無い土方には、どうした所でそれが理解出来る筈も無いのだ。想像で怖れて、想像を厭って、無意味な事ばかりをひとりで続けて来たのが酷く馬鹿馬鹿しいとさえ今となっては思える。
 想う心があって、想われた心を許して、認めて、それから何か。そこから何か。
 「……今度こそ茶でも出してくれんなら考えてやらねェでも無い」
 雨を避ける様に俯いたら思いの外にふて腐れた様な声音が出たが、隣の銀時はそれを聞いて何だか楽しそうに笑ったのだった。
 




言わなくても通じてる=互いについて同じ事を考えてる、そんな関係。

細切れ分割の所為で無駄に伸びましたが文通関係もこれにて終了です。お付き合い下さりありがとうございました。

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要らないかもしれない蛇足。
説明とか特にしてないのでどうでも良い方は黙って回れ右推奨。

ぐれむりんって名前ごとそのまんま昔の映画のアレからです。分裂とか結構エグい画だった記憶が…。
見た目と爆発は主に某漫画の火薬生物リスペクトですが、単に超長毛の丸く太った猫と言うイメージで。

タイトルは有名なアレです。世界で一番短い手紙。「?」と送って「!」と返ったアレです。