?→! / 20



 滴る雨粒が冽たく身体を冷やす。屋根の半分崩れ落ちた建物は天から滴る水を殆どその侭内部へと流し込んでいて、最早屋外に居るのと殆ど違いが無い有り様だった。
 雨量はそう多く無いし勢いも無いが、何にも遮られる事のない雨粒はひっきりなしに土方の頭髪や肩を叩いてその身を濡らして行く。頭上に屋根の無い事をこんなにも悔やむ瞬間は恐らく今以上には有り得まい。
 既に使われなくなって久しい、解体工事待ちの様な小さな工場だ。天人の来訪後暫くの間は羽振りが良くこんな建物を造って操業するに至ったのだろうが、その後様々な文化や文明の流入と急速に進んだ発展に振り回されて廃業したのだろう。型の古そうな道具や機械が建物の残骸の中でその侭朽ちるに任せ生々しい錆色を浮かばせている。
 トタン貼りだった天井は自然災害でか大部分が壊れて落ちており、空との境にぼろぼろの木製の梁を未練がましく晒している。そこから降り注ぐ雨粒が、工場の二階部分の張り出しに潜む土方の身を容赦なく濡らしていた。
 ずぶ濡れと言うには未だ至らないが、身体に貼り付く濡れた衣服が体温をじわじわと奪って行く。防水加工の施された制服の上着を着てはいるが、湿った床上に殆ど腹這いに横たわっているので最早全く意味など無い。
 だがそれも、己の行動を振り返ってみれば、悔やむ反面で、仕方がなかった、とも思えるので、諦めておくほか無いのだが。
 
 銀時と別れた後、土方は自らの足で態と危険な界隈に深入りをして歩いた。命を狙う輩でも現れたなら腹いせに斬り捨ててやる、ぐらいの、散歩や見廻りにしては少しばかり物騒な心地を抱えて。
 一応建前として、ぐれむりんを盗難中と思しき指名手配の密輸業者が見つかるかも知れないし、と打算にもならない思考を添えながら。
 一般人である銀時を、真選組との繋がりを期待して、或いは疑って襲撃した挙げ句罠に填めようとした様な奴だ、こんな地域を単身歩く真選組副長を発見し、これ幸いと始末しようと言う考えにもひょっとしたら至ってくれるかも知れない。
 そんな考えさえもこじつけめいて繋げていた所であっても、然し実際目の前にいつか見た手配書の顔が通りすがるのを目にした時に斬りかかるより咄嗟に隠れる方を選んで仕舞ったのは、幾ら憤慨に浸されていても土方がまだ幾分冷静だったからだと言えるだろうか。
 指名手配をされていても猶余裕なのか、はたまた無警戒なだけなのか。それとも罠なのか。城から逃がされたぐれむりんを共謀の末何体か確保し盗難の末に増殖させテロを目論んだ主犯と目される男は平然と素顔を晒して仲間と歩いていた。罪状となる言葉が長い上に回り諄いのは、残念ながら未だ明確に男当人に結びつく証拠が出ていないからだ。
 尤もそんな罪状が無くとも、指名手配にされている時点で警察には逮捕が可能である。土方は男らの後を追って、違法物品の売買やら違法賭博やらで密かな賑わいを見せる界隈へと入り込んだ。途中で目立つので一旦上着を脱いでスカーフも外したが、それでも近付けば容易く勘付かれる事だろうと、距離を取って慎重に行動すること小一時間ばかりか。
 取引相手なのだろうか、頭巾を被った天人数人と合流した連中は今度は人気の無い方へと戻り、そうしてこの廃工場へと入り込んだのだった。
 最早何かの取引がある事を疑う余地は無い。それがぐれむりんの売買かどうかは知れないが、指名手配犯を野放しにしておくつもりも土方にはそもそも無い。だが、ここで誤算が生じた。応援を呼ぶ為に屯所に連絡を入れようとしたは良いが、携帯電話が見つからなかったのである。どうやら何処かに落としたらしい。上着を脱いだ時だろうとは直ぐに思い至ったが、今から探しに行く訳にも行かない。
 携帯電話と言う、直ぐに応援を呼べる道具に慢心し単独行動を行ったのは己の過失に他ならない。それは目前でこれから起きるかも知れない違法行為を単身で止めなければならない或いは看過せねばならないと言う意味でもあるが、後悔をここで積み重ね天を仰いで嘆いた所で始まらない。
 大体経緯はそんな所だ。建物の裏口から元は事務所だったと思しき所に入り込んだ土方は、取り敢えず視界確保の為にもバルコニー状になっている二階部分に上がり、色々あった末にこうして雨に打たれながら横たわっている。
 当然だが好きでこんなびしょ濡れの場所に転がっている訳では無い。
 「オイ!いい加減出て来たらどうだ、真選組の鬼副長さんがこそこそ鼠みてーに逃げ隠れしてて恥ずかしくねェのか?」
 嘲弄の言葉と同時に、身を隠していた丈の低い機械に銃弾が当たった。響く銃声は雨の中雷鳴の様に響いて土方の耳朶へと緊張感をびりびりと叩き付けて来る。
 僅か跳ねた背が見えた訳ではあるまいが、下方からどっと哄笑が起こる。挑発めいた嘲る声たちの中には些か看過しかねるには難しい内容や下劣で下らない冗句も含まれていたが、土方は己の裡の罵声と共にそれらを聞き流す。生憎と安い挑発に乗ってやる程安い男ではないつもりだ。
 銀時が罠に飛び込んだ経緯を思えば可能性は考えて然るべきだったのだが、連中は土方の追跡には気付いていて、態とこのひとけの無い場所へと取引のついでに連れて来たのだ。男の無防備な歩き方は慢心でも無警戒でもない、罠だったと言う訳だ。
 詰まる所ここまで良い様におびき寄せられて仕舞ったと言える。本来ならば部下を大量に引き連れて検挙に押し寄せるべき土方が単身でうろうろとしていたのを良い事に、撒くよりも始末して仕舞えと考えたらしい。血気盛んな真選組副長の習性を、一度は真選組の追撃から逃れただけあって熟知していた様だ。
 そこに来て、土方は途中で携帯電話を落とし、仲間との連絡がつかないと言う事態に陥っている。釣りをしていたつもりが気付けば水の中に引き込まれ人食い鮫を前にしている。そんな状況ではあったが、未だ絶望感と言うには至らない。もっと酷い修羅場は何度も経験して来ているのだ。
 更に。仮に仲間に連絡がついたとして、おいそれと踏み込めない状況が眼下にはあった。
 指名手配の男とその仲間が合計六名。取引相手らしい天人が三名。彼らが一階の広場で囲んでいるのは、三つの小振りのケージだった。当然その中には、爆発物認定されている毛玉ことぐれむりんが何匹もそれぞれに押し込められている。
 今はぐれむりん達は未だ落ち着いている状態にある様だったが、響いた何度かの銃声を受けてか何匹かは危険状態にシフトしている様に見える。連中が電話の音やアラーム音でも鳴らしながらそれをバルコニーに隠れている土方へと投げつければ、それでお終いだ。自身の命も、真選組の負ったお役目も。
 とは言え連中も出来れば商品であるぐれむりんを無駄に使いたくはないのだろう。二階部分に図らずとも立てこもる形になって仕舞った土方を何とか無理なく始末出来やしないかと、先程から安い挑発を投げてはああだこうだと言い合いをしている。
 この状況では仮に真選組の応援が来たとしても容易く踏み込めはしない。何しろ、土方含む真選組側はと言えば、ぐれむりんの全頭数を爆発させたり損なったりする事無く回収したいのだ。連中が自棄を起こすなり、一匹や二匹の損失は構わないと言った行動を起こしたりさせる訳には絶対に行かない。
 土方が二階部分に向かったのは殆ど偶然とその場の流れからだ。侵入するなり待ち構えていた連中に狙い撃ちされそうになって、反撃しようとしたが捕獲されていたぐれむりんを見て思いとどまり、やむなく刀を抜くのは止めて二階へと上がったのだ。幸いにか、ぐれむりんの鎮静剤の入った狙撃銃が手元にはあるのだ。何とか狙撃が叶えば少なくとも連中の『爆弾』──或いは『人質』──と言う武器は封じる事が出来る。
 二階部分へ上がる階段は老朽化もあって土方が駈け上がると同時に崩落して仕舞ったので、連中も手がそうそう出せなくなって仕舞い、こんな膠着状態にも似た状況が出来上がったと言う訳だ。
 連中は土方がぐれむりんを無力化する銃器を所持している事に恐らくは気付いていない。とは言っても、刀一本しか持っておらず応援もいない侍なぞ放置しておいても問題無い──とは流石に思えないからか、物陰に隠れて動かない土方を何とか焙り出そうと躍起になっている。
 バルコニー部分から一階部分は丸ごと睥睨出来る角度ではあったが、同時にそれはあちらから見ても丸見えで、顔を出せば即撃たれる可能性が高いと言う事でもある。土方が咄嗟に身を隠したクレーンか何かの機械ボックスの丈は低く、腰を屈めて座れば身を最大限丸めていなければ頭が露出して仕舞う程度しか無い。ボックスが頑丈で、鉛玉程度ならば完全に防いでくれている強度があると言う事だけが救いだった。
 取り敢えず土方は仰向けになって肩をボックスへと寄り掛からせると、音を立てない様にして狙撃銃を組み立てた。実際に銃器を真選組で扱う事はこう言った特殊な状況下や専門部隊を除けば滅多に無いが、凶悪化する犯罪に対応する為にと言う松平の意向もあって実習だけは土方にも経験がある。
 そう言えば近藤は自分は刀一本しか扱えないとそれを辞退していたが、沖田は江戸に出たての頃から嬉々としてそう言った火器実習を受けていたなと土方は苦々しく思い出す。それが後々に至るまで町中で展開されているバズーカ砲の被害に繋がるのだとあの頃予測出来ていたのなら、副長権限を振り翳してでも全力で止めていただろうに。
 濡れた手で何度も滑りながら、スコープをなんとか銃身に取り付ける。続けて特殊弾頭となるアンプルの封を開けて特殊な銃弾に装着して装填するとレバーを引く。薬室に銃弾の押し込まれる小さな音は徐々に強くなる雨音に掻き消されてくれただろうか。
 刀と違って重火器と言うものには触り慣れがない。小さな拳銃でさえもそうだと言うのに、こんな長大な狙撃銃を扱う事自体土方にとっては初めての事になる。実習では銃器を扱った事があるが、あの時は遠距離の動かない的への狙撃だった。こんな近距離の、万一にでも外したり的を撃ち損ねてはならないものにきちんと当てられる目算は正直な所を言えば全く無い。
 こんな時に万事屋の手でもあれば、と寸時思考してから、そこは真選組の仲間と言う所だろうが、と思い直して舌を打つ。想像には至らぬ確信の中の銀時は、土方の思い描いた通りに連中の注意を引き付け上手く動いてくれた。言葉や命令を投げ合わずとも、一歩でも互いが動けばその意思を不思議と察する事が叶う、そんな共闘に憶えは深い。
 だが、生憎その万事屋はこの場にはいない。どころか依頼も既に放棄した関係では協力を求めるどころの話では無い。無い物ねだりなぞしても仕方が無いのだが、想像し得る最大戦力で最善手を打ってみたいと先ず思って仕舞うのは指揮官の性だ。
 煙草が欲しいと心底思いながら、土方は胸の前に真っ直ぐ狙撃銃を置いた。もう一度腹這いになって遮蔽物から転がり出て撃つ、と頭の中でざっと己の動きをシミュレートする。ぐれむりんの入ったケージの位置は先頃確認した時に頭の中にきちんと刻まれている。問題は人間の配置だが、声で大体の居所を察するに、殆どの人間がこちらに注視し近付いていると判断した。三つのケージ全てとの間に人間が立ち塞がっていたのならアウトだが、それはなさそうだ。ここが音の反響する密閉空間では無く、屋根まで吹き抜けた場所で良かった、と、先頃思った事とは全く変わった意見に、土方は降り注ぎ続ける雨を見上げながら皮肉めいて笑みをこぼした。
 連中が撃ち返す弾は、土方が這い蹲ってさえ居れば一階からの射角もあってそう易々と命中するものでは無い筈だ。然し銃に当てられる可能性はあるので、そうなる前に何とかぐれむりんのケージ三つ全てに鎮静剤のアンプルを撃ち込まねばなるまい。難しかったらせめて連中に最も近い一つにだけでも。
 目先の問題であるぐれむりんの対処さえ片付けば、後は鬱陶しい銃なぞ棄てて刀を抜いて飛び降りるだけだ。相手が銃器で武装しているとは言え、乱戦で負ける気は土方には全く無い。
 兎に角、ぐれむりんを無力化する事で、連中がそれを最早武器にも手段にも商品にもならない、と取れば良いのだ。
 階下の声は相変わらず土方を挑発し続けている。この張り出しの真下は事務所跡だったから、業を煮やした連中に床を貫かれるなどと言う最悪の手段は取られないだろうが、こう言った膠着状態は極力長く続かせないと言うのが警察のセオリーだ。
 (立て籠もり犯の気持ちが解った気がするな。別に解りたくも無ェが)
 悪態未満の感想を吐き捨てた所でふと土方は気付く。警察なら、自分ならばこう言う時、立て籠もった犯人を確保ないし始末するにどう言う手段を取るか、と。
 「…………、」
 階下から途切れない罵声。それを受けて土方は胸に置いた銃を素早く傍らに転げ落とした。決まっている。その解答を己の裡で叫ぶのとほぼ同時にずぶ濡れの両膝を曲げて左手で腰から鞘を外す。
 ち、と舌を打ったのは己か、それとも雨を降り下とし続けている屋根の上から跳躍して来た男の方か。土方は曲げた膝で地を踏んで腹筋の力だけで上体を起こした。その侭前方に身体を投げ出して低い姿勢を保ち濡れた地面を転がる。
 振り向けば、ど、と重たい音を立てて屋根から落ちて来た男がつい先程まで土方が身を横たえていた場所に着地する。その手に鈍く光るのは雨水に濡れた刃。長さは短い。脇差か小太刀か。
 そこまでをじっくりと観察する余裕は生憎無かった。射角が悪くなった事で狙撃の心配は薄れたが、目の前には刃物を手にした敵が増えているのだ。
 階下の必要以上の挑発や罵声や銃撃は、土方の意識を階下側へと向けておく為のもので、本命は屋根から襲撃を掛けるこの男の方だった。目前に立て籠もり犯の意識を向けさせておいて裏から別働隊が強襲する、と言うのは土方でなくとも思いつく簡単な戦術未満の作戦だ。
 強襲の失敗に直ぐ様手段を変えた男が刃を振り翳して来るのに、土方は相変わらず姿勢を低く保った侭で、先頃既に腰から外してあった自らの愛刀の鞘を踏んだ。蹴る様にして刀身を引き抜き様、眼前にまで迫っていた刃を辛うじて受ける。
 階下の様子は伺えない。だが声に勝利を確信した様な歓声が上がったのだけは解った。
 だがそんな事はどうでも良い。歓声でも罵声でも何でも良い、上に回った男が土方の動きを封じているその間は連中にとっては好機でもある。取引の場にすんなりと訪れ、客側もこの事態に何も口出ししないと言う事は既に交渉は済んでいると考えて良いだろう。『商品』を売って客を逃がせば真選組の──土方の敗北が死亡以外の意味でも決する。それどころか、主犯の男もこの仲間を棄て石に逃げるだろう。ぐれむりんの捕獲はならず、追い詰めた筈の指名手配犯もまた逃す。土方と真選組と、双方の負う事となる責は重い。
 単身別行動の役を買って出たのか指名されたのか、そして下手を打てば己が見殺しにされるだろう事を知っているのかは定かでは無いが、男の体捌きにはそれなり腕のある者の勁さを感じられた。念の為に、階下の方に男の身体が行く様に位置取りをしながら刀を数度打ち合わせ、土方は短く息を吐いた。
 濡れた服が思いの外に身体の動きを、軽さを阻害している。冷えた指先は先程銃を覚束なく組み立てた時とは比べものにならない程にしっかりと刀を握ってはいたが、暗さと寒さと動き辛さとが少しづつ土方の状況を不利に追い詰めて行く。
 負ける気はしない。が、時間が取られる。時間が取られると言う事は即ち負けるのと同じ意味になる。
 時間が無い、焦りが。
 応援を呼べない、苛立ちが。
 山の様な失態と、避けねばならぬ敗北とを悟りかけている、己が。
 「──」
 罵声にもならない咆哮を、意味のない何か感情の発露の様なものを土方の喉が叫んだ、その瞬間。
 どぉん、と階下から轟音が響き渡った。続け様に地震にも似た振動が辺りを襲う。一瞬、ぐれむりんが爆発したのか、と考え、その音ではないと直ぐ様に己の裡から否定が返る。
 奴らの打った何かの手か、と次に疑ったが、土方と打ち合っていた男が驚愕も顕わに動きを止めた事でその可能性も消えた。
 めりめり、と何かが壊れる様な音。壁か門かの割れた音だと聴覚が理解し、生じた新たな可能性を思い浮かべ吟味するよりも先に、土方の翻した刀が目の前で隙を晒していた男の身を軽々薙いだ。
 階下から動揺の声たち。混じって一際響く、声。
 「待ちやがれこの毛玉ァァァ!!」
 「、」
 全てを悟った訳ではない。然し土方は己の勘と感覚とを信じる事を今度もまた選び、先程床に転がした狙撃銃を拾い上げると腹這いになって、狙いを記憶していた位置へと銃口を向けた。





実は:土方が嫌々火器を使う、とシチュエーションをやりたかった。…と言うのがこのgdgd話の生まれた発端でしたとさ。
ミツバ篇の時にバズーカ撃ったり手榴弾投げたりしてましたよね>火器の扱いの講習とかちゃんと受けたのかな>刀メインで重火器サブウェポンとかなにそれ格好良い>て言うかテロ鎮圧目的で、初手の威嚇用ファイヤーパワーでバズーカとかぶっぱしてるのかな真選組>定春巨大化の時にバズーカ部隊指揮してたしね土方>でも基本白兵戦を得手にしてる連中だからあんま慣れなさそう>刀をさらっと振るうのに銃だともたつくとかなにそれかわいい。
……とか言う趣味と偏見と妄想が炸裂した次第。

  :