たなごころ / 13



 それはまるで、目が醒めた時の様な感覚だった。
 意識の奥底、自分でも制御出来ない類の部分が銀時の足をただ前へと進ませ、行く宛も理由も不明瞭な侭にただ『それ』を探せと、焦げ付きぴりぴりとした痛痒感に直接心臓を撫でられてでもいる様な不快感がそう訴えて来る事だけしか解らなくなっていた。
 そうして行く先に『それ』を見つけた時には、酷い安堵と共に、焦燥感しか無かった意識が醒める様に冷めて覚醒し──そう意識した時にはもう体が勝手に走り出していた。
 刀に手をかけ、驚きに目を瞠って、然し抜いたり斬りかかったりする事は出来ずに銀時を見ている、彼の事が視界一杯になって、それだけで己の裡の全てが埋め尽くされるのが解った。
 それは大凡銀時の憶えた初めての感覚で、然し酷く慕わしげな顔をしてそこに湧いてそして根付いた。
 ただ、「好きだ」と思った。
 そうだったのだと、解った。
 元より彼に対しては否定的な感情よりも、口には決して出さなかったが、共感めいたものを憶える事の方が多かった気がする。
 そしてそれの正体と意味とがこの感情に由来するものなのだと確信して、その瞬間には泣きたくなる様な安堵を感じたから、後はもう衝動に任せる侭にする事にした。
 どうせ好かれてなどいまい。だからもう斬られようが罵られようが構わない。已められないのだから、構わない。
 
 そう言う病なのだと言われても、それならそれで都合が良いとさえ思って──そして。
 
 *
 
 掴まれた腕の先で、坂田銀時の顔が少しの間俯いた。恐らくは己の心を──想いとやらを伝える事の出来る言葉を探していたのだろうと、そう推測して仕舞ってから土方は眉間に皺を寄せた。
 一体自分は何をしたいのか、何を待とうとしているのか。今ひとつ見えて来ない感覚の先には、沖田が投げ置いて行った、火種の気配の無い不発弾がひとつ。
 隊服のぶ厚い布地越しでも解る、指やてのひらの力の強さが、熱さが厭になる。散々触れられて慣れさせられたその体温が近い事こそが、厭になる。
 やがて銀時が顔を起こす。土方は下唇を噛んだ。代わりに噛み締めたかった煙草は無い。だが、吸うには片手が塞がっている。
 「…ちっとも良くはねェ。この侭じゃすっきりしねェんだろ。てめぇは未だ何か怒ってるし、そんなら俺は…その、それを謝りてぇ、と、思ってる」
 「……」
 以前何かの折に新八が、銀時は易々謝る様な性格では無いと言っていた言葉を、土方は何となく思い出していた。
 つまり、今の発言は坂田銀時と言う男にしては矢張り相当に珍しいもので、直ぐに短気を起こさなかった事同様に、恐らくは彼自身の性質を多少なりとも曲げてでも堪えようとしたのだろう。
 (…馬鹿野郎が、)
 無性に腹立たしくなって舌を打つ。沖田の投げて寄越した余計な爆弾は、その意味は、銀時の行動や言動と合わさって一つの結論を、確かなものであると土方に突きつけて来る。
 モフモフ病の対象になって、
 病が恐らくは治っても黙ってそれを享受し、
 忍耐強くも会話を──謝罪を成立させようとしている、
 (それが、坂田銀時の、恋心)
 理由も意味も合致して仕舞った。説明もついて仕舞った。至った結論の無駄の無さに、土方は毒づきながら、掴まれている腕を見た。
 モフモフ抱きしめている必要なんて無い、今はただ掌だけが接点となった箇所。
 『それ』が明確に目の前に存在する事には、病に付き合っていた時よりも抵抗があった。あの時は「何でよりによって俺なんだ」としか思えなかったし、そう言うものならば仕方がないと諦める理由も充分に揃っていた。
 だが、最早モフモフ病と言う厄介なものは──理由は無い。
 どうやら己が恋われているらしいと言う事実以外には、今この腕ひとつで繋ぎ留められている理由は無い。
 (つまりは、そう言う事、で)
 散々囁かれて来た呪いめいた言葉が耳の奥にふと蘇る。病の所為だと解っていても、戯言だと思っていても、背筋を粟立たせて心の臓に熱と激しい鼓動とを促したそんな言葉たちが、恐らくは目の前の男の裡には宿っている。『本気』で。
 「……てめぇに謝られる謂われなんざねェよ」
 『それ』を──不発の侭転がったその爆弾をどう処理すべきなのかが見えて来ず、土方はそう言って再び腕を、自覚した惑いの感情ごと振り払おうとするのだが、それでも矢張り銀時の腕は離れていこうとはしない。
 「だったら何で怒ってんだ」
 呻く銀時の声に苛立ちの質が確かに混じったのを聞き取って、土方はそこに縋る事にした。
 そうだ、怒れば良いのだ。いつもの様に言い合いから喧嘩別れをして、それで終われば。
 (終われば、それで…?)
 「怒ってねぇよ」
 「どう見たって怒ってんだろうが!、」
 (終わった所で、意味なんざ、)
 土方の殊更に素っ気ない言い種に、案の定か銀時は声を荒らげかけて、然しぐっと口をへの字に曲げると視線を游がせた。
 矢張りこれも堪える気か、と何処か諦めの混じった調子でそんな事を思うと、土方は掴まれた侭の腕にまた視線を落とすと、己を捕らえて放すまいとしている、その理由を今一度見つめた。
 沖田の言った通り、嘘はついたが、確かに銀時の態度や感情は誠実だった。それは解って仕舞った。理由も合致して仕舞った。
 ではこの腕を振り解こうとしても解けない理由は何なのか。モフモフ病の症状だからと受け入れた時と同じで、本気で刀に手をかけてまで抵抗するのは馬鹿馬鹿しいと思っているからなのか。
 本当にそうなのか。それだけなのか。
 あれからずっと消えない不快感や苛立ちは、多分に銀時に騙されて下らない事に付き合わされて時間を無駄にしたからだ、と思っていた。
 だが、既にあの一件で生じた仕事の遅れは取り戻せているし、取り戻せない様な重要な出来事があった訳でも無い。言って仕舞えば、土方の負っている負債などとうに無い筈であった。
 それでも苛立って、道場で憂さを晴らして──そうした所で易々晴れなどしない鬱屈にそろそろ嫌気も憶えていた頃、まるで呆れた様に沖田には厄介な爆弾を手渡された。
 「……別に、俺はただ…、」
 記憶の中の己に、今の己の吐いた言葉が噛み合った様な気がして、然しそこで土方は言葉に詰まった。
 抱きしめられていた腕の温度や密着した体温、鼓動。いつしか確かに慣れきって仕舞っていたらしいそれに不快感の類は無かった。寧ろそれを沖田に指摘された時の方が余程に腹が立っていた。
 こちらの甘さにつけ込んで嘘をついていたと言う銀時の行動は、根底の想いが誠実だろうが何だろうが、矢張り度し難いとは思うのだ。
 ──本当に、本気で、想っているのだとすれば、尚更に。
 (……そうだ。モフモフとか馬鹿な事やってねぇで、ハッキリそうと言や良かっただろうが)
 そこが果たして正しい着地点なのかは解らない侭、土方は浮かべた渋面の中で舌を打つ。どうやら己は、彼の存在が引っ付いている事に慣れきっていたばかりか、苛立つ程度の愛着を憶える程度には至って仕舞って居たらしい。
 得た納得に憶えたのは、果たして不快の晴れた理由に対する満足感だけだったのか。
 掴まれた腕の、そこから見える感情の正体を、どう扱えば再びあの不快感を得ずに済むのかと静かに理解しながら、両肩からそっと力を抜いて溜息をついた。
 「……ただ、……呆れただけだ」
 抜けた力に警戒したのか、掴む指に力を込めた銀時だったが、土方のそんな言葉に眉を寄せた。ぱちりと音のしそうな瞬きを一つして、
 「…………へ?」
 と、己の疑問を表す一音を時間をかけて吐き出す。その顔がそれなりに間が抜けて見えたので、気の少し空いた土方は、真っ向からその顔を見返してやりつつふんと鼻を鳴らして小さく、苦くも笑った。
 「病気の振りして優しくして貰いてェって、ガキかってんだよ、こん馬鹿が」
 改めて己の罪状を突きつけられた形になった銀時は、「う」と解り易く言葉に詰まった気まずげな表情を形作ると、改めて真剣な声で言う。
 「……だな。解ってる。悪かった」
 「それはもう良いって言ってんだろうが」
 言って、土方は空いていた手で銀時の胸倉をぐいと掴んだ。思わず鼻白んだ様子を間近に見て、病と言う言い訳さえあればあんな呪いめいた言葉まで吐けていた癖、今はすっかり臆病でひねくれ者になって仕舞ったらしい唇までの距離を一気に詰める。
 「モフモフ病とやらの助けを借りねェと駄目とか、今更抜かすなよ?」
 「…………、」
 笑って。病の時よりも至近に迫った彼我の狭間で、そう挑発的に言う土方の姿を確かな驚きを以て、たっぷり十秒以上は見つめてから、銀時は「〜あー…」と呻いて自らの後頭部を掻いた。
 「…その。少っしもモフモフしてなきゃ可愛くも何ともねェおめーの事が、好き、だ。…です」
 漸く観念したのか、固い言葉でそう言う銀時に、土方は目を閉じて静かに笑んだ。
 「そうか」
 それだけではきっと通じない言葉だったのだろう。病由来とは言え距離を詰めて、言葉以外のものを添わせられる事を知ったから、だから多分これは土方にも届く様になって仕舞ったのだ。
 つまりこれは、なんだかんだと口説き落とされた形にでもなるのか、と思って、溜息が出る前に目の前の唇にかすめる程度の口接けを呉れてやる。
 「っ、そう言う訳だから今すぐモフモフさせて下さい」
 息を呑んでから、さも言い難そうにもごもごと不明瞭に紡ぐ銀時の、恐らくは嘘無しに初めて聞いただろう『本気』の言葉に、土方は奇妙な満足感を得ながら胸倉を掴んでいた指をそっと解く。
 それから抱擁を求める様に、あれだけしっかりと掴まれていた腕が解放されて、その代わりの様に近づいて来た銀時の両の腕を、土方は然しかぶりを振って止めた。
 「え」と言いたげな顔で固まる銀時の、ついさっきまで土方の腕を何よりも強い想いで捉えていた手を、熱いてのひらを、静かに取って握りしめる。
 「別に全身で鬱陶しい程に貼り付かねェでも、てのひら程度で良いだろ。そこに居るって解るぐらいの、それだけで良い」
 そう、手指を甘く絡めて囁けば、銀時はしっかりと重なって絡んだ体温の出所を見つめて、困った様に笑って、繋いだ手ごと土方をそっと引き寄せた。
 「…でもやっぱ今は物足りねェから、」
 大目に見て下さい。
 殆ど囁く様な言葉と同時に、土方の体は銀時の腕に抱きしめられていた。





…モフモフって言葉がゲシュタルト崩壊してた。

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モフモフしてたかな…?と思いつつも蛇足。
余談と言うか言い訳と言うかまあそんな感じ。

「略してモフモフ病」って言わせたかっただけの所から出た、お馬鹿なお話でしたとさ。
銀さんはモフモフに罹って土方が必要=好きと自覚した訳ですが、土方くんちょろいですね?
…まあ何か切っ掛けがあればそれで、的な、シンプル時々すれ違いな、ぎんひじテンプレの様です。
あと入れるタイミングを逸してすっかり忘れちゃってたんですが、今後は土方が病でもないのに銀さんの頭をもっふもっふする様になるとかならないとか。

てのひら一つ程度でも困らないのに。