たなごころ / 12



 何かと不意打ちと言うものに縁があるのは職業柄だ。正面からではまともに戦り合ってなどられぬとばかりに、卑怯な襲撃を受ける事など珍しくもない。
 要は喧嘩と同じだ。不意を打って囲んで倒して仕舞えば良い。勝率として見れば高く、無難で、効率的に過ぎる。
 今時お上品に一対一の決闘の作法だの何だのと言っていられるのは、命も名誉も矜持さえも取り合わない、設えられたスポーツや遊戯の場でだけ通る様なものぐらいだ。勝ちたければ、命を確実に奪いたければ、手段など選ばないのが道理。
 故に土方はその待ち伏せを、襲撃に因るものだろうと判断した。己を害するものには応報をと、防衛本能は意識せずともそれに応えて刀の鯉口を切っている。
 進む道の先、暗がりに潜む影は不意を打とうと待ち構えているに違いない。それならば、態と最初の一手を打たせておいて反撃すると言う手段の方がスマート且つ確実なのだが、生憎と今の土方の機嫌は悪い。必殺の一撃を外して、驚愕に顔を歪める刺客を打ち倒すよりも、真っ向から斬り合いに励みたい気分ですらあった。八つ当たりの気分は昨日の稽古時より強い。血を見たいと言うよりはただ暴れたかったのだ。
 左の手で鯉口を切り、右の手を柄に添わせて地面を蹴る。相手が少しでも使える奴である事を願いながら、瞬時に詰まった距離の空隙に小さく呼気を吸って、止める。一連の慣れた動きに合わせて柄を握りしめ、いつでも鞘を飛ばせる様に身構え、
 「ちょ、待った待った!いきなり町中で一般人に斬りかかるのは流石にねーから!」
 「!」
 瞬間、泡を食った様子で物陰から飛び出して来た男の姿に、声に、思わず土方はその場に急停止させられた。本来ならその侭斬りかかっても良い相手だと思えたのだろうが、両手を挙げたその様を見て、それでも構わず殺気を向けると言うのは流石に拙いと辛うじて理性が働いた。
 「……、」
 肩より上に両手の平を向けて挙げて、腰の得物には意識すら向けていない男のその鼻先に、土方の抜刀した刃が停止している。刀を振り抜いた腕よりも足の方が先に止まっていたから、刃からは既に勢いが失われて仕舞っている。その侭斬りつけていた所で大したダメージは与えられないか、はたまた届かないかの何れかだ。
 それでも銀時は──あの腹立たしい病に端を発する一連の生活で散々見慣れた気のする顔の男は、態とらしく頭を反らして眼前の刃を苦笑いを浮かべて見つめている。
 「……………」
 待ち伏せは待ち伏せで、不意打ちと言う意味で言えば最悪だ。土方は露骨に舌打ちはしたものの、それはこの侭刀を突きつけ続けている無意味さに対しての意味合いが強い。結局無言の侭で刀を引けば、銀時はこれもまた態とらしい動作で首の角度を、仰け反り気味の所からゆっくりと定位置へと戻した。
 (…驚いてすらいねェ癖に)
 また平然と嘘を吐く男の顔に苛々と、吐き捨てる事さえも出来ない言葉を飲み込んで、土方は刀を鞘へと収めた。夕暮れ時の、真選組屯所付近の人通りの無い道。電柱の陰に潜んでいた男は、その銀髪を斜陽の茜色に染めて所在なさげにその場に立ち尽くしている。
 「……その、話したい事があんだよ」
 「俺には無ェ」
 それがこの待ち伏せの理由と言う事なのだろう、手をおずおずと下ろして言う男の横を、土方はさっさとすり抜けようとした。正直、ここまでの苛立ちの原因──つまりは諸悪の根源を前に、余り愉快な気分でいられるものでもない。
 「待てって!」
 土方が横をすり抜けた瞬間、銀時はぐっと眉を寄せて珍しい顰め面を作りながら、然し追い縋った。
 てっきり怖じけて諦めるかと思いきや、予想だにしない力強さで腕を掴まれて、土方はその場に再び足を止めさせられる。振り解こうとは頭を過ぎったが、思わぬ強い膂力を逆に思い知らされた気がして、止める。捻られるのは本意ではない。
 振り向いて睨みつければ、余程凶悪に不機嫌顔を晒していたのか、銀時は一瞬鼻白んだ様であったが、手は決して離そうとはせずに、口を開く。
 「その…、悪かった」
 「…………」
 主語は無くともその向かう言葉の先と意味とは明白。然し土方はまた一つ苛立ちの積み木を重ねる心地でかぶりを振った。
 「…それだけか」
 小さく返す言葉に乗せた、侮蔑や呆れの質の濃さに気付いていない筈は無いだろうに、銀時は己を睨んだ侭の土方から目を游がせて呻く。
 「いやその、迷惑かけたと思ってるし、てめぇの仕事を増やしちまったとも思ってるし…、」
 それだけ、の意味を、謝罪の不足と取ったのだろう、銀時は罪状でもカウントする様な重たい調子でぼそぼそと、然し考えながらゆっくりと紡いでいく。
 「もういい」
 この様子では幾ら待った所で確定的な言葉は続くまいと、土方は溜息一つで銀時の謝罪を遮った。未だ掴まれた侭の腕を振り解こうと引っ張るが、更に強い力で制止されて止まる。
 「ちっとも良くねぇだろ、」
 恐らく、だが。基本面倒くさがりで覇気の無い、坂田銀時と言う男にしては粘ったものだと、土方はそう思う。本来であればとっくに臍を曲げるなり匙を投げるなりしている場面で、然し彼はそうはしなかった。
 ──出来なかったのだろう。これは直感的に判じる。
 沖田の言う事が、見立てが正しければ──土方にとっては複雑で業腹な話ではあるが──、坂田銀時は『本気』だからだ。
 
 *
 
 「まあ、旦那の『病』に関しては、俺はとっくに気付いてやしたけどね」
 無駄に洞察だけは良い部下の、余りにあっけらかんとした言葉に土方は寸時ぽかんと、間の抜けた事にも目と口とを開いて凝固させられる羽目になった。
 「野郎が、仮病だと?」
 「いえまあ、多分最初は本当に罹ってたんでしょうがね、途中からは嘘と願望の半々て所だったんだと思いまさァ」
 睨むべき対象は議題の当人こと銀時なのだが、この場には居ないので、結果、土方はさらりと爆弾を投げて寄越した沖田を睨んだ。
 「ああ見えてヘタレな所のある旦那だ、モフモフ病にでも罹ってなきゃァ、アンタに抱きついたり可愛いとかほざいたり出来る訳ねーですよ」
 それに怯えてと言う訳では無論無いのだろうが、彼はまたしても酷くあっさりとそう続ける。
 「……嘘と気付いてたんならもっと早く言え」
 取り敢えず、根拠はともかく沖田が銀時の仮病の気配には気付いていたと言う事は間違い無い様で、土方は溜息と同時に額を揉んだ。何だか頭痛がして来た気がする。
 「いやまあ面白…、俺は純粋に土方さんの幸せを願ってただけですぜィ」
 「今面白いって言いかけたよね。純粋に面白がってただけだよねお前」
 おっと、と態とらしく口を片手で覆って、失言を飲み込む様な仕草をしてみせる沖田を猶も睨みつつ、土方は肩を大きく落として息を吐いた。
 「大体、何が幸せだ、ふざけんな」
 モフモフ病に銀時が罹ったのが事実だとして、その先、嘘をついてまで土方にイヤガラセとしか思えない事をしていた事を思えば腹にもいい加減据えかねる。
 「まあ、旦那が姑息な嘘をついてたのは事実なんでしょうがねィ、つまりはそれだけ本気だったって事でしょ」
 「何が」
 半ば反射的に問い返した土方に、沖田は呆れたと言わんばかりに目を細めて、やれやれ、と肩を竦めてみせた。その様子を見れば何だか厭な予感がして、土方は解答を求めて仕舞った己に後悔を憶える。手遅れだと解ってはいたが。
 「土方さんへの想いが、以外に何があんでィ」
 「……………」
 想い、と言う言葉が何処に結びつくのかが解らず、だが呆れた様に言われる事で己にも非があるのだと言われていると思えて来て、土方は思わず押し黙った。矢張り厭な予感は的中したのだ。最も触れたくはない部分で、合致して仕舞った。
 思えば当然だ。土方にとって銀時のついた嘘はイヤガラセを由来としたものであると、そう言う認識だったからだ。
 そうでなければ説明がつけられない。どうして銀時が『そう』思ったのかなど土方には解らない。あの呪いの言葉を『本気』で囁いていたなどと、到底思えない。
 「それこそ、離し難ぇと思う程に、でさァ」
 そう言う沖田の調子に誠実さがあるとは思えなかったが、それでも嘘で無い事だけは直感的に判じる事が出来た。全てに説明がついて仕舞った、と言う答えから順に辿れる、それが結果であると。
 「ま。部下の進言ぐらい素直に受け取っときなせェよ」
 いつかの言葉を再び無責任にも投げて寄越すと、沖田は起き上がって欠伸を噛み殺す仕草をしながら出て行って仕舞う。どうやら本当に八割方この用件だけでここに居たと言う事らしい。
 無責任な言葉を、今度は投げつけられた様なものだと思いながらも土方は受け取って、そうしてそれを仕舞い込んで、どうしたものかと呻いた。
 ただ一つ確かなのは、そうして沖田の投げて寄越した爆弾は、結局不発の侭土方の胸に重たく取り残される事となったと言う事だけだった。







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