たなごころ / 11



 振るった手の先で枯れ枝のへし折れる様な厭な音がした。ち、と舌打ちをして手の先を見れば、その握りしめる竹刀が中途からぐしゃりと折れていた。
 ひえ、と息を呑む様に口にしたのは、その竹刀の突き出されたほんの僅か横に座り込んだ原田の苦り切った表情であった。
 「……副長、ちぃと気合い入り過ぎじゃねぇっスか?」
 降参を示す様に両手を挙げてみせる禿頭の男を見下ろして、土方は二度目の舌打ちをすると、壊れた竹刀を手放した。竹の割れ目の痛そうな、竹刀だったものは、道場の床にただのゴミの様に落下して乾いた空しい音を響かせる。
 はぁー、と大袈裟な溜息をついて立ち上がった原田は、無造作に棄てられた竹刀を拾い上げると、そこらでうろちょろしていた鉄之助を呼んでそれを片付ける様言って渡し、それから相変わらず憮然とした侭の表情で居る土方の肩をぽんと叩いた。途端鬼の形相がその手を振り払うのに、道場内で各々鍛錬をしつつもちらちらと様子を窺っていた隊士たちが身を竦ませる。
 「剣の相手になら幾らでもなってやれますがね、八つ当たりの矛先にゃ易々なれねぇっスよ」
 鬼の副長のあからさまな『不機嫌』の剣幕に、然し原田は付き合いの長さもあって慣れているのだろう、青ざめたり肝を冷やしたりしている隊士らの反応とは違い、平然としたものだ。
 道場に現れるなり珍しくも、相手をしてやるから好きにかかって来いと言い出した土方に、当初はすわ鬼の首を獲る好機とその場の全員が息巻いたのだが──結果は数十分も経たない内の惨敗であった。一応は副長手ずからの指導と言う事で、これは良い稽古にも経験にもなる、…かと思いきや、土方のそれは指導や勝負と言うよりただの八つ当たりであった。…特に誰も指摘はしなかったが。
 それもその筈。土方が、ストレスを溜めた挙げ句の運動として道場で暴れる事自体は実の所それ程珍しい事でも無い。…のだが、今回のそれは少しばかり度が過ぎた。
 勝てず負けて積み上がった隊士らの屍──死んではいないが──がその場の半数以上を越えた所で、見かねた原田が割って入ったのだが、これまた結果はご覧の通りである。
 珍しく防戦一方だった原田は壁際までの後退を余儀なくされ、一本、と言う意味で振り下ろされた土方の竹刀の一撃は、足を取られた素振りで座り込んだ原田の、その禿頭の真横を抜けて壁を直撃した。無惨に割れた竹刀は果たして土方に多少の冷静さを取り戻させてくれたのか否か。
 ともあれ、土方はぎろりと眼光鋭く辺りを見遣ると、己の『八つ当たり』に於ける消化不良を示す様に大きく息を吐きはしたものの、それ以上の苛立ちを露わにする事もなく視線をそっと遠くへ向ける。
 解り難い事この上無いが、それが土方なりに反省──に近いもの──を感じている態度であると判じたのか、原田は苦笑して肩を竦める。
 「ま、机に齧り付きっぱなしってのも良くはねぇが、あんま稽古に励み過ぎんのも何っスから」
 怪我をしても仕様が無いし、と付け足した原田が、傍でまだおろおろとしている鉄之助の抱えていた手ぬぐいを勝手に奪い取って土方に投げ渡した。
 「……そうだな」
 受け取った、洗濯されたばかりの匂いのする清潔な手ぬぐいを肩に掛けると、その端で額を拭った土方は、道場を訪れた時よりは静かな足取りで出口へと向かう。
 「てめーら、ぼーっと見てねェでしっかり稽古に励めよ!」
 「「は、はい!」」
 最後に威嚇する様な一喝を残す副長の背に向け、見えないと知りながらも道場に居る隊士らは一斉に背筋を正して返事する。身に染みた何とやらと言うやつか。その侭風呂場の方へ歩いて行く土方の足音が遠ざかった頃、原田はやれやれと嘆息した。
 その横で、折れた竹刀を所在なげに抱えていた鉄之助がおずおずと訊く。
 「……原田隊長、副長は一体どうしたんですか?何かここの所随分と荒れてるみたいなんですけど…」
 「ん?ああ…、俺も細ぇ事はよく知らねぇんだが、万事屋と喧嘩したとか何とか、山崎がそんな事を言ってたっけな」
 「万事屋さんとですか?喧嘩ならしょっちゅうしているんじゃ…。あ、ひょっとして何日か留守にしていたのもそれが原因で…?」
 「さあなぁ。沖田隊長も絡んでたらしいから、碌な事じゃねぇのは間違い無ぇだろう。ま、触らぬ神に祟りなし、って奴だ」
 土方の様子が心配なのか、八つ当たりの矛先となった哀れな竹刀を抱えながら、幼げな顔つきを案ずる様なものに変えて言う鉄之助に、原田は殊更に軽くそう答えてやった。
 詳細を知らないと言う言葉に偽りは無いが、あの、折り合いが悪いと土方が言って憚らない万事屋の銀髪頭とのトラブルとなると、何となく想像はつかないでもない。仔細を知るだろう山崎は怖じ気づいて深入りしたがらないだろうし、沖田は逆に趣味の悪い諧謔味を見出して状況を悪化させていそうだ。そうなると土方の八つ当たりモードにも得心がいく。
 (…ま、元々面倒くせぇお人だからな。輪をかけて面倒さが増した所で、今更だ)
 未だ心配顔でいる鉄之助の背をぽんと叩いて、稽古に戻る事を促すと、原田は自分の使っていた竹刀を片付けて欠伸をした。鬼の居ぬ間に休憩でもさせて貰おうと、道場の奥の物置へとふらりと歩き出す。
 
 *
 
 大浴場は珍しくも他に利用者がいなかったので、土方は広い風呂にゆっくりと浸かる事が出来た。そのお陰でかリラックス効果が多少はあった様で、部屋に戻る頃には稽古に顔を出す前より幾分か感情の温度は下がっていた。
 あれから一週間と少しが経過している。既に仕事の遅れは取り戻したし、万事屋の面々と関わる様な事もない。世間的にモフモフ病の起こした騒動もすっかりと収まっており、世はすっかりいつも通りに事も無く平和だ。事態の再発防止策も検討され、近い内には入管にも新しい検疫のシステムが導入される予定だと言う。
 それだと言うのに未だ土方が苛立ちを抱えながら日々を過ごす理由とは──要するに、平和だから、であった。
 あの思い起こすも腹立たしい出来事以来、その溜め込んだ鬱積を晴らせる様な事が何も起きていない、と言う事だ。
 土方には真選組の副長として日々為すべき事をこなして行く事しか出来ないし、ただでさえ多忙且つストレスの溜まりがちなそんな生活の中で、易々気の晴れやかになる様な事が起きる筈もない。
 道場で体を動かす事で大分マシにはなったが、あの原田の呆れ顔を見るだに、どうやら「やりすぎ」らしいとは知れた。稽古と名付けたパワハラぐらい然して珍しい事では無い筈なのだが、頻度や程度に問題があると言う事なのだろう。
 サンドバッグでも買うか。それとも山崎を呼ぼうか。そんな物騒な事を半ば冗談交じりに考えながら部屋に戻った土方を迎えたのは、畳の上で我が物顔で寝そべっている沖田の姿であった。
 「………」
 見慣れた、ふざけた柄のアイマスクに目元をしっかりと覆わせて、隊服の上着とスカーフとを辺りに脱ぎ散らして仰向けに転がる沖田を見て、土方は眉間が引き攣るのを感じながらも、まずは頭を拭いていたタオルをハンガーに掛けた。それから爪先で軽く彼を小突く。
 「オイ、ここはてめぇの寝床じゃねェだろうが」
 「こっちのが寝心地が悪ィもんで」
 言えば、狸寝入りをするつもりは無いらしく、あっさりと応えが返って来る。が、その意味は全く知れず、土方は眉を寄せつつ卓の前へと座布団を放った。
 「どう言う理屈だ」
 然し沖田の横たわる位置は、卓に接近し過ぎてはいないが離れていると言う程でも無く、要するに、卓に向かって土方が座るには程良く邪魔な距離を保っている。これが偶然や恣意で生じた空隙とは到底思えず、土方は腰に手を当て嘆息した。どこまでも己に対するイヤガラセや嫌味に励むのを忘れないのが、沖田総悟と言う少年である。
 「本格的に寝ちまわねェで済むって寸法でさァ」
 「そもそも勤務中に寝ようとすんな」
 しゃあしゃあと宣う彼を、仕方がないので足で軽く転がすと、生じた僅かの隙に土方はさっさと身を差し入れ座り込む。横向きに転がりかけた沖田はごろりと土方の背にぶつかる形で戻って止まると、そこで漸く迷惑そうに身じろいだ。
 沖田の体は、上着が無いとは言え厚手の隊服を纏っているからか、少し体温が低く感じる。銀時の無駄な代謝の良さから成る温かい温度とは矢張り違う様だ。
 構わず、土方は卓の上に置かれた書類ボックスを見遣った。稽古に出ている間に山崎が入れて行ったのだろう、増えた分を取り出して検分を始める。
 かちかちかち、とノック式のボールペンを何度か鳴らしてから土方は、よし、と集中態勢に入った。背筋を正して書面の活字を追い始める。元々こう言う細かい事務仕事など好きでも好んでやりたいものでもないのだが、結成当初の真選組で他に出来そうな者がいないから仕方がないと買って出てからと言うものの、年月の堆積と共に気がついたら慣れて仕舞ったのだ。
 そうして暫し集中し仕事を片付けていると、やがて背中に触れていた沖田の肩が揺れる気配がした。意識をそちらに僅かに向けた所で、彼は態とらしい伸びをしながら体を起こす。
 「慣れたもんですねィ」
 「そりゃ、てめぇらが誰も書類一枚まともに書けねぇから仕方ねェだろうが。悔しかったらちったぁ出来る様になりやがれ」
 「いや全く悔しくも何ともねーんですが…、」
 振り向いた土方の愚痴めいた言い種に、アイマスクを額に持ち上げた沖田は、生ぬるさを保った笑みを浮かべると「そうじゃなくて」と態とらしい仕草で肩を竦めてみせた。
 「慣れたもんだな、と」
 「……?」
 言い直された筈の台詞に、然し違いは無かった様な気がして、眉を寄せた土方は手にしたボールペンの尻で自らの顎をとん、と突いた。
 慣れるだの慣れないだのとは、沖田が以前に万事屋へと、土方のこなせる仕事を持って来た時にも確か口にしていた言葉だ。
 あの時も何やら、慣れて仕舞えば楽だとかそんな不本意な事を言われた気がするが、今はもう背中に仮病で貼り付いている迷惑な男は居ない。慣れるより先に、茶番は終わったのだ。
 「……何の話だ?」
 少し考えはしたが、無駄の様な気がして白旗を揚げると、沖田は、ふ、と土方の経験記憶上余り宜しくない質の笑みを浮かべた。
 聞いた方が良いのか、今からでも知らぬ振りを決め込んだ方が良いのか。土方は寸時躊躇ったものの、結局は怖じ気づいている様に取られるのを避けて結論は消極的にしか出さなかった。つまりは何もせずに押し黙った。
 土方にイヤガラセをする事に関してはあらゆる労力を惜しまない、ドSの微笑みは背筋を凍らせるに等しい。そんな悪魔めいた表情で沖田は、
 「人ひとり背中にくっつけて、よく仕事になんて集中出来るな、と」
 慣れてたでしょ?と、先頃まで己の背のくっついていた辺りを指すと、とびきりに人の悪い笑みを浮かべてみせた。
 「──、」
 寄越された言葉の意味を咀嚼すべく、一瞬の間を置いた土方は、然し次の瞬間にはかっと顔を熱くした。
 坂田銀時を背にくっつけて仕事をする事にすっかりと慣れていた。そしてあれから一週間以上経過しても未だ慣れはその侭で、沖田が僅かとは言え寄りかかっていた事にも全く何の邪魔も迷惑も感じていなかった、事実。
 そればかりか、背中に他者の体温がある事に落ち着きすら憶えていた。
 土方は憤慨よりも不覚を羞じて、咄嗟に拳を握りしめて仕舞うが、沖田はあっけらかんとした様子で、相変わらず人が悪そうににやにやと笑んでいる。
 「まあ、旦那の『病』に関しては、俺はとっくに気付いてやしたけどね」
 そうして更に不意打ちの様に投げられた爆弾に、土方は今度こそ驚いて目を見開いていた。





切れ目がいつも通り悪いのです…。

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