たなごころ / 10 《世間を騒がせた奇病、通称モフモフ病ですが、この度の幕府発表で遂にその終息が宣言されました》 テレビから流れて来る、ここ数日ですっかりと耳慣れて仕舞った単語に、新八はハタキをかける手を思わず止めた。振り向いた旧式のブラウン管の中では、昼のワイドショーでお馴染みの女性キャスターが原稿を読み上げている姿が映し出されている。 《検疫を抜けて来たモフモフ星人たちへの処罰、入国管理の徹底、現場の人間たちの情報共有など、様々な問題も浮き彫りとなった今回の事態について、専門家の方にお話を伺います》 キャスターの紹介を受けて画面が切り替わると、スタジオに置かれた余り実用的では無さそうなデザインの長卓についている、専門家とやらが頭を下げつつも話を始める。 《そもそも今回の問題は幕府の初動対応が──》 解説の書かれたボードや他のコメンテーターも交えての話は、病についての情報や対応と言うよりは、幕府や入国管理局への批判に主眼を置いたものらしい。直ぐに興味を失った新八は両肩で軽く息をつくとハタキかけを再開させた。 まあ今更情報も何も無いか、とは思うのだが、矢張り聞き慣れた単語が飛び込んで来ると思わず気にして仕舞うのだ。 ソファに座っている神楽は、ニュースの内容に興味が無いのか、いつもの酢昆布を、餌を貰うペンギンの様な仕草でもぐもぐとやっている。 「……」 視線をその向かい側へと向けると、そこにはソファに俯せに、草臥れたトドの様な姿勢で横たわっている銀時の姿がある。彼の耳にも当然、件の単語ぐらいは飛び込んでいた筈だが、何か気にした風情は無い。ひょっとしたら寧ろ聞かない様に努めているのかも知れない。そんな事を思って大きく溜息をつく。 「………銀さん」 「…………」 思わず声を掛けるが、反応は返って来ない。特に何と言葉を続けようとも考えていなかった新八は、両手を腰に当てて、今度は「はぁ」と声に出して息を吐いた。 万事屋の社長はあれ以来ずっとこんな様子だ。労働意欲に乏しいだけなら「いつもの事」なのだが、何と言うか今の銀時は労働どころか生活意欲に欠けて仕舞っている。食事は出されれば食べるがずっと上の空の侭だし、風呂を促せば沸かすのも忘れて入る始末だ。 放っておけばずっと布団から出て来そうも無かったので、布団を干すからと言って半ば無理矢理にソファに移動させたのだが、そうしたら今度はソファに場所を移して横臥すばかり。服装も寝間着代わりの甚平の侭だ。 (…まあ、こっ酷い失恋をした様なものだし、気持ちは解らないでも無いけど…) 狭いソファに器用に大きな体躯を収めた、人生経験に於いては新八などよりずっと豊富な筈の年長者の、まるで子供の様な姿を見下ろして思わず肩を落とす。 過日の一件は、普通に考えれば寝耳に水も良い所の事態であった。何しろ、あの頓狂なモフモフ病の症状を、銀時が自ら演じていたと言うのだから──、有り体に言えば「ドン引き」、この一言に尽きた。 銀時曰く、最初の内は本当にモフモフ病に罹っていたから全部演技って訳じゃない、だそうだが、どちらにしても驚く事に変わりはない。 何しろ、坂田銀時が日頃から何かと諍いやいがみ合いを起こしがちな土方十四郎に恋慕していたと言うのだから。それも、モフモフ病の症状として表現されていた「可愛い」だのと言う、俄には信じ難い様な感想を添えての事なのだから。 まあ問題はそこではない。確かにそれも驚くべき箇所ではあるが、一言で言えば「銀さんは土方さんの事を好きだったらしい」と言う客観的な理解で終わる。納得の有無は当事者では無い新八には元より関係の無い話だ。 「当然ですよ。あんな嘘ついてたら」 非難と言うよりは呆れの濃い調子で呟きをこぼせば、眼下の大人の肩がぴくりと震えた。 そう。問題は、病気と言う言い訳を得てちゃっかりと手前勝手な役得を、嘘をついてまで得ていた事の方だ。生活を共にして距離が縮まる事で恋愛成就、どころか、それから最もかけ離れた手段(ルート)を選んで仕舞ったのだから。全く以て自業自得としか言い様の無い話だ。 「…だってよぉ…」 年下の呆れの言葉が、存外に繊細な部分に刺さりでもしたのか、俯せて両腕の中に顔を埋めた侭の銀時がもごもごと明瞭ではない言葉をこぼす。一応は反論と言うか言い分はあるらしいのだが、最低と言わしめられた己の所行を思えば矢張り余り強くは言えないらしい。普段であれば口先だけで適当な事を言って丸め込むのが天才的に上手い筈の銀時にしては、珍しいどころか尋常ならざる落ち込みようである。 「だっても何も、今回のは全面的に銀さんが悪いのは間違いないですからね」 取り敢えずどんな情けない為体であろうが、この年上の兄貴分を甘やかしてやるつもりの全く無い新八が辛辣にそう続けると、銀時はソファから半端にはみ出した足をばたばたと動かした。本当に年齢が下がった仕舞った様な態度だ。 (恋をすると皆子供になるんだっけ?まあ何でも良いけど…、多分苛々してるだけだろうし) 何しろ元来ひねくれ者の男だ。どう言う訳か土方に恋をしたは良いが、まともに「それっぽい」態度など取れなかった事は、彼らの度々喧嘩する姿を見ていれば一目瞭然と言えよう。 そんな矢先に件の病気に罹って、ほぼ無条件でずっと恋愛対象に貼り付いていられると言うのならば、正に渡りに船と飛びつきたくもなったのだろうが。 案の定、それが当の土方の怒りに触れて仕舞ったのは言う迄もない。日頃どちらかと言えば短気で、二言目には斬るだの切腹しろだの言う人間が、銀時を一発殴ったきり妙に静かに憤っていたと言うのは正直少し怖いものがあった。 一応は民間人の為と思って、土方は不便なのも仲の悪い相手なのも我慢して、言って仕舞えばボランティアで付き合ってくれていた様なものだったのだ。それが、嘘でした、となれば怒るとか呆れるとかを通り越して仕舞うのも無理のない話だろう。『嘘』の範囲が全部だろうが半分だろうが、嘘をつかれていた事実に変わりなど無いのだ。 「俺もよォ…、そりゃ可愛いっつーかまあその何だ、アレな感じだとは思ってはいたんだよ?でもまさか手前ェでもあんながっつり症状出るとは思って無かったんだよ、しゃーねーだろ不可抗力だろあんなん」 言い訳と言うより泣き言めいた言葉を漏らすばかりで、顔すら上げずにいる銀時の背に向けて、新八は手にしていたハタキの柄向けるとこつりと突いた。 「問題はそこじゃないでしょ。モフモフ病に罹った事は仕方ないですけど、嘘をついたのは仕方なくも何でも無いですよ。誠意が無いから信用もされないんです」 「そうアル。女には誠意が一番大事ネ。取り敢えず真面目に見えてれば大概の奴はコロッと行くアルから、まずは認知してやるヨロシ」 新八の棘(物理込み)に追従する様に、仰向いて酢昆布を囓っていた神楽がそれに乗って来る。ワイドショーやドラマ仕込みと明らかに知れる言葉に、新八は苦笑する。 「いや神楽ちゃん、そもそも土方さんは女性じゃないし、認知する様なものも無いからね?余り話をややこしくしない方が…」 「だから銀ちゃんは変な趣味って言ったアルよ。マヨラーはマヨネーズとお金ぐらいしか持ってないネ」 モフモフしても楽しくないアル、と肩を竦める神楽を見て新八は、ひょっとしたら彼女は比較的早い内に銀時の恋心に気付いていたのかも知れないと思うが、これ以上銀時をソファ上と言う名の天の岩戸に閉じ込めても仕様がないので、敢えて聞き流す事にした。 「金以外はマヨと煙草しか無ぇのなんか解ってんだよ、そんでも仕方無ぇだろ…、かわいいんだから」 これは罹患中に散々言っていた言葉だからすんなりと出たのか、存外正直にそう言うと銀時は大きな溜息を自らの腕の中へと吸わせた。 「重症アルな」 いつかと同じ様にそうぼやく神楽の言いたい事は新八にも良く解った。処置無し。そう言う事だ。 「そんなに真剣なら、嘘なんてつかなければ良かったじゃないですか…」 「……役得だと思ってたら、何か離し難くなっちまったんだよ。癖になってたっつーか…。自分でもどの程度から治ってたのかとか解んねぇし…」 新八の呆れ声の正論に、遂に銀時は頭を抱えて仕舞った。ソファの背もたれに向かって転がると、もう何も聞きたくないとでも言う様に、大き過ぎる溜息をつく。 重症だな、と先頃の神楽の呟きに重ねる様にして新八は胸中でぼやいた。他人の恋路など面白いものでも何でもないとは言えど、身内の事だから出来る事なら協力ぐらいしてやりたい所だが、こうも加害者と被害者との構図がはっきりしていると、言える事は最早一つしかない。 「…とにかく、謝りにぐらいは行った方が良いですよ。土方さん、銀さんに付き合ってずっと不自由な思いをしながら仕事に向き合ってたんですから」 「………わぁってるよ」 返るのは到底年齢に合わぬ拗ねた様な声だったが、そこから本気の消沈の気配を感じ取って仕舞い、新八はそれ以上の言葉を飲み込んだ。 正直、無責任な大人だなあとは思うのだが、それは概ねいつもの事だ。飲み込んだ言葉が憤りよりは慕わしい感情を保って胸の裡で落ち着く事に、新八はそれ程驚きはしなかった。 狡くて情けなくてどうしようもないおとなとしか言い様が無いのに、それが恋ゆえにと思ったら、何故か少しだけ安心して仕舞ったのだ。 。 ← : → |