ナグルファルに捧ぐ花 / 22 「まぁつまりは、なんだ。感化されたとでも言うのか…、単純にそうとだけ断じる気には到底なれやしねぇが」 雪の降る中、素足に着物一枚と言う実に寒そうな格好で、土方はそんな事を口にした。 崖の淵。嘗て多くの供物が、生贄が、人命が、そこから投じられたと言う。その淵に危なげもなく佇む、その横顔は酷く静かであった。 いつもは煙草をくわえている唇は寒さに戦慄く様な事もなく、寒そうなその肩に雪を積もらせる事もない。曰く、幽体離脱でスタンドの様な状態だから、だそうだが。そんな状態でも言葉が交わせている辺り、銀時のスタンド感知能力(とでも言うべきもの)は優れていると言う事なのかも知れない。正直を言えばそんな能力など願い下げなのだが、それで土方を救い出し、こうして意志の疎通を普通に行えていると思えば、そんなものでも役立つ事があったと認めざるを得まい。 だからと言って半透明なアレやコレを全面的に許容出来る気は、相変わらず起きないが。 「…それが、おめーが選ばれた理由ってやつ?」 「……さてな。それを語れる様な者はいねぇだろ。少なくとも生者の中には。ただ、沢山の犠牲を引き連れて生きていて、その存在を気取る事も出来ずにのうのうと振る舞う奴に、何か思う所でもあったんだろうよ」 土方らしくもない、少し捨て鉢にも聞こえる言い種だった。茶々を入れるか反論するか慰めの言葉でも投げてみるべきかと、僅か躊躇った銀時の考えをまるで見抜きでもした様に、彼はわらう。 「そこに来て、名前を呼ぶ迂闊な真似をしやがったのが居たから、まぁ棚ぼたみてーな感じだったんだろ」 「……それについては本当にすまねぇと思っています」 さらりとした調子で背中から刺されでもした様な心地になって、銀時は腰を九十度に折った。幾ら非常事態──異常事態と言うべきか──だったからと言って、お岩にわざわざ禁じられていた、名前と言うものを呼ぶ事で、土方を本格的に危険に晒した事は紛れもなく、全面的に、銀時が悪いとしか言い様がない。 幾らあの不気味な存在が、眠る土方にまとわりついていたとは言え、その時点では放っておいて問題の無い様なものだった。つい、変なカ●ナシの様なものが部屋に居るとかそんな事を土方が口にしていた為に、何か悪いものなのではないかと咄嗟に銀時は判断して叫んで仕舞ったのだが、早計に過ぎた。そして迂闊にも過ぎた。 名前を掌握される事は魂を掴まれるも同義。それ故に、危うく土方は人身御供の犠牲にされる所であった。それも、何の意味も持たされずに。 雪の中に綺麗に突き立って、懐中電灯の光に鈍い煌めきを反射させていた刀を、土方の愛刀を抜き取る。投げるなどと言う後先を考えない事をやらかした割には、奇跡的にも刃に傷はないし、折れたり曲がったりして仕舞っている様子は無い。 それによって縄は断たれて、土方は人身御供の儀式の再現から解放された。それをした存在自体をどうこう出来た訳ではないから、それ自体は未だ居るのかも知れないが、少なくとも今はもう土方の魂を縛ってはいないらしい。そもそもにして土方が魅入られ連れ出されたのも、単純に『名前』を知られただけではなく、土方自身の精神状態や様々な要因があったのだろう。 そう易々と、呪詛なんてものは現世に顕在化するものではないのだ。もしもそれがまかり通っていたら、世界中が呪いで溢れて仕舞う。人の業の深さは歴史の積層と同じだけ存在しているのだから。 崖下で放り捨てた筈の鞘が、刀と同じ様に雪の中に埋もれているのを見つけて、銀時はそれも拾い上げた。幸いにも中に雪が入り込んでいる様子はない。これならば傷む心配もないだろう。 銀時のそんな動作をちらりと見て、土方は再び崖の淵へと視線を投じた。どことなく物憂げな声が、溜息混じりに吐き出される。 「目的なんぞ、人間の言う様な尺度では値しないんだろう。生贄として身勝手に捧げられた当初は、手前ェらの死に英雄的な意味を見出そうとしていたのかも知れねェが、長年屍と魂とが堆積して行く内に、真っ当な概念すら保てなくなっちまったんだ。それは当然『神』でもねェし、最早『人』でもねェ。そこに在るかも知れねェだけの、無意味だ」 信仰に犠牲に怨嗟に無念に寂寞。そう言った澱みの果てに、地相に生じた変化がいつしかこの地を、スタンドを集め易い場所にしていた。そうしてお岩の様な『見える』者が、そこに僅かでも安らぎを与えようとし続けてきたのだ。 「……それでも、捨てる神ありゃ、拾う神もある、ってか」 どんな奇妙で理解不能な事象にも、原因や理由はある。銀時は事の顛末をそう勝手に想像しておく事にした。ここに捧げる事が出来るのは、安っぽい同情心でも義侠心でも何でもない。観測する生者が認識を続ける事で『それ』と言う概念も死者の念も途絶えはしなくなる。救えない以上、救われない以上、安易な感情だけで、手を合わせる訳にも、花を捧げる訳にもいかないのだ。 (墓を訪うのなんざ、そいつを知っている奴やそいつに会わせたい奴だけで充分だろ。余り騒がしくしちまうと、おちおち眠ってもいられなくなっちまわァ) 頭を掻いて、もうやんで仕舞った雪の代わりに覗く、雲間の月を遠く見上げる。そろそろ深夜と言う時間も過ぎた空の淵はほんのりと明るく、鋭い弧を描く月を頂いた天頂だけが、天鵞絨の様な深い夜の藍色を湛えて暗い。 結局一晩中駆け回ったも同然だ。改めてそう思うと、ずしりとした疲労が背にのし掛かる。それでも、そんな状況でも、お岩の事だ、バイトに手心なぞ加えてくれはしないだろう。銀時は手にした抜き身の刃に宿る静かな光をぼんやりと見つつ、いっそこの侭遭難でもして仕舞おうかと現実逃避気味に考えて笑った。 「万事屋」 水平にした刃に土方の姿が映る。一瞬だけの幻の様に。呼ばれてそっと視線を切っ先の方へと滑らせていけば、相も変わらず寒々しそうな格好をした土方が雪の中に佇んでいる、後ろ姿が見えた。 幽霊でも、足はある。だが、無い者も居る。その理由も違いも解らない。そこまで深くを知りたくはない。だが、不意に気になった。土方の場合は、雪に足跡は残るのだろうか。冷たそうな素足は震えもせず立っているが。 「…………俺は、あいつらを拾えたか?無意味に成り果てる前に、それを犠牲と言う名前にして、手段にして、数にだけはしない様にして、それであいつらを、拾う事が出来たのか…?」 紡いだ内容の割に、声ははっきりと透った。空までか、崖の下までかは解らないが。 土方の言う『あいつら』とは、犠牲になって果てた隊士たちの事だ。平和と言う名をした時代になって、それでも生まれて仕舞った犠牲者たちの事だ。何かと、何かの狭間の澱みに因って殺められた者たちの屍の事だ。 その死を手段として扱うも辞さなかった。そうする事で、それが何かを善くも悪くもするのであれば、それは大真面目に人身御供を信じていた時代と何一つ変わりのない事なのかも知れない。 澄んだ土方の声は、己が取れる最善を尽くそうとしたと言う、明確な意志を紡いでもいた。躊躇いも澱みも無い、透徹とした言葉。きっとそれこそが、土方にとって彼岸へ舟を送り出す行為でもあったのだろう。 取った刃も、選んだ途も、血に塗れながら切り開く覚悟と決意なのだと。銀時はそれをよく知っている。共感でも理解でもなく、ただ、知っている。 「…さぁなァ。それこそ、それを語れる様な奴なんざ、生きてる者の中にはいねェだろうよ」 ただ──、 そう付け足そうとした言葉を飲み込んで、銀時は両の足で雪原にしっかりと立つ、土方の背を見つめた。それこそ無粋だと思った。生者の勝手な解釈など、慰め程度にしかならないし、きっと土方にそんなものは不要なのだろうから。 (深夜に飛び起きた時も、姿を消したおめーを探した時も、今ここに辿り着いた事も、誰かが──何かが、言葉にもならねェ想いみてェなもんだけで、俺の背を押して来てくれたんだ、なんて) あの、言葉には満たないざわめきの様なものが、土方の背後について来たと言うものたちだったのかすら解らない、優れているなどと言われた所で、所詮はほんの少しだけスタンドの『見えて仕舞うだけ』の人間である銀時には、それを勝手に思い込んで伝える事は出来やしない。それは無粋で、不躾で、冒涜でしかない。 彼らは──彼らだったのだろうものたちは、土方について、そこに居た。その事実から意味を酌み取るのは土方自身である。 そして土方は、銀時からのお愛想めいた慰めの言葉など必要とはしていない。 銀時が確信を以てそう思うのと同時に、土方が少し苦みを孕んだ笑みを浮かべて振り向いた。 「酷ェ目には遭わされたが、てめぇのお陰で気も晴れたよ。元々、年寄りみてぇに日がな一日温泉で休むなんざ柄でもねェからな、バイトってのもそんな悪いもんでも無かった」 課す事は忘れなかったが、悔い続けていた訳では無かった。棘の様なそれも、飲み込めていた。だから、此岸に舟はもう無い。 「下手クソな気遣いとやらで申し訳ねェけどな」 「まぁ、ああは言ったが、思えばその方がてめぇらしかった」 先頃の言葉尻をとらえた銀時の皮肉めいた言い種に、土方はどこか嬉しそうに笑って返した。 「申し訳ねェとか少しでも思うなら、帰ったら何か埋め合わせでも用意してくれ」 * いつの時代も、どんな事象の中でも、死と言う分銅は何か大きな力を働かせるものだ。それは決して超常的な現象や都合の良い奇跡を招く様なものではないが、それでもやはり、命を対価にした時に人はそこに何か意味を、祝福であれ呪いであれ、見出さずにはいられないのだ。 命には価値がある。命には意味がある。 人間ひとり分の質量と言う有機物。電気信号を走らせ思考や人格を紡ぐ脳、その脳を含めた肉体を生かし動かす役割を果たす心臓、生きている故に機能する腑。たったのそれだけで構成されたものは、価値と言う意味を与えられなければただの生ける塊でしかない。 だが、それが意志を、言葉を、精々百年程度の未来を持つから、その生に意味はあるのだと誰もが口にする。魂の存在の是非は問わずとも、それこそが恐らく大体の人間が共通して抱く感想だろう。 それは宗教的な観念と言うよりは、もっと単純に道徳的な意味合いを持ったものだ。 歴史上も幾度となく、誰かや誰かたちの死が犠牲と言う名を持ち、世界を変革へと促して来た。たったひとりの死が多くの生を救った事もあるし、その逆もある。 だから、そう言う意味では確かに、命とは途方もない価値と無限の意味を持つに至ったと言えよう。それが大河の一滴であろうがなかろうが何ら変わりなく。等しく等価に。そう理想を抱く限りは確実に。 数ではない命であると言うのであれば、より明確に。 数にはしたくないと思えど、数は結局ものを言う。所詮は綺麗事を被った、社会で通じるだけの単純な理屈だ。その皮肉を前に、土方は紅い椿の花をそっとそこに置いた。辺りで適当に咲いていたのを手折って来たものだ。 警察庁の敷地内にある、殉職者たちの合同の慰霊碑である。そこには常に職員の手に因って立派な花が手向けられている。 黒く無骨な石の表面には幾つもの名前が刻まれている。探せばその末尾のどこかに、彼らの名前もあるのだろう。だが、敢えてそれを探そうとはせずに土方は碑に背を向けた。 無造作に置かれただけの、折った枝の侭の花を、無粋だと、無礼だと、見た者は思うかも知れない。だがそれでも良い。豪華な花束など手向けた日には、それを揶揄する声が上がりかねないのだから。 もしも、あのスタンド温泉旅館での一件の後にレイに元通り『閉じて』貰ったチャンネルとやらが開いた侭であったとして、土方のその目で見ても、ここにはきっと誰も、何も居なかっただろうと言う確信はある。ただ、生者の授けた意味だけがここには存在している。その為だけに。 そうでなくとも、これはただの気紛れだ。土方は、区切りやけじめや赦免や、罪悪感の軽減を求めて慰霊碑の前に立った訳ではない。単に、警察庁に偶々用があって、通りすがって、茂みに咲く花を見かけたからだ。 此岸で捧げられた花など、彼らの乗った舟には届かない。だから、何でも良かった。 今はまだ、捧ぐ花にもその行為にも意味を与えるつもりはない。 話数の割には後半説明不足感はんぱない…。あっこれぎんひじでなくてもいいやつなのでは…(土下座 ← : ↑ * * * 蛇足と言い訳とその他諸々。 どうでも良い方はそっと閉じて下さいませ。 命の重さだのなんだの壮大で大層なものをやりたかった訳ではなく、単に幽霊旅館でちょこっと匂わせる程度のつもりだったのですが…、アレェ…。 動乱篇の最後とか、土方くんは他者の死も自分の進む理由、生きる理由にして割り切る事が出来ている人なので、自分の責に関しては悔いてうじうじはしないだろうと思うのです。 死生観やその理屈の設定的な部分は、大方の宗教に抵触しない様にフワッと、更にいろいろちゃんぽん状態にしましたので、また別の話では変わると思います。 ナグルファルとはラグナロクの際に死した戦士たちを神界へと運ぶ舟。つまりは死してなお戦いに赴く為の軍船(と解釈)。 共に在ると言えば、在るのかも知れない。妄想かも知れない。けれど、それが歩みを止めぬ理由や力になる。 ▲ |