ナグルファルに捧ぐ花 / 21 雨乞いと言うものは100%成功する様に出来ている。何故なら、雨が降るまで乞い続けるからだ。 それが、雨乞いの儀を始めて一分後でも、十日後でも同じ事。乞うた通りに降れば、それは叶った事になる。 そして雨とは誰が約束する訳でなくとも、いつかは必ず降る。気象に、この星に異常でも起こらない限りは必ず降る。もしも雨が降らなくなるなどと言う異常が起きていれば、それは最早雨を乞う以前の事態である。海が涸れ果てるとか、例えばそう言う事だ。 だから雨乞いは大体の場合必ず成功する。降るまでの時間の長さに因っては失敗と途中でみなされるかも知れないが、結局はいつか必ず降る。 即ちそれは、人間が何をしようが、何を望もうが、そんな事とは無関係に動く、自然の摂理と言う事だ。 その事実の物語る事は、人の命を代償に出来る事など何も無いと言う現実に尽きる。雨を乞うて延々祈るも、人命を捧げる事も同じ。 崖下に繁る椿の木を見上げて、銀時は寒さと陰鬱さとに白く濁った息を吐き出した。真っ赤な花で色づいた椿の木のその下には申し訳程度の塚の様な石が置かれており、その周囲には人骨が散乱していた。崖上から吹きつける冷風に晒され続け、雪に半ば埋もれたその有り様は正しく、遙か昔に忘れ去られた墓所か何かの様だ。 だが、墓所だとしたら普通は、そこに葬られた者らは埋葬されている筈だ。然しここに散らばる骨たちには手厚く葬られた様子はない。まともな形状を保ったものは殆ど無く、粉砕でもされた様にあちらこちらに散っている。崖下の岩に囲まれた狭い地形からすれば、熊など大型の獣に喰われた可能性は低いだろうが、鳥や小動物ならば或いは。 砕け散った骨の様子を見るだに、それが死因なのかも知れないが、詳しくは解らない。銀時は骨の散らばる地面についていた膝を持ち上げ、続けて塚の様な石に積もった雪を払った。だが、そこには墓碑銘や碑文ひとつ刻まれていない。これが考えた通りに人身御供の儀式の痕跡なのだとしたら、それも当然だろうが。 細かく拾って検分する訳にはいかないが、ぱっと見た限りでは骨は相当に古いものの様だ。その事もお岩の言っていた、人身御供の風習のあった年代に合致するだろうか。 (…まぁ、可能性は高ェだろうな) 肩を竦めると、防寒着に積もっていた雪がぱらぱらと落ちた。先頃まで立っていた崖上の地形を見上げて懐中電灯の光を曇った空に向かって投げかけると、丁度あの奇岩がそう高くない崖の淵の所に聳えているのが見えた。その威容とも言える姿と、薄暗い窪地となった崖の下とが、人命を捧げるに値する様な地であるかなど解りもしない。 それでも。多分。恐らく。多くの命がここで失われたのだ。 無意味と。そう現実的に断じるのが残酷であると思える程に、多くが。それに意味があるのだと信じて。 必ず成功する雨乞いと同じ様に、一度そうしたら、人心を乱していた問題が解決したから。 (…だが、今は『そう言う』目的じゃねェ。なら、土方がこの連中の仲間入りをして良いなんて言う道理はねぇんだ) 『偶然』を以て銀時をここまで導いてくれた気のする、刀を手の裡に握り締める。きっと理由なんてそんなものでしかなかった。ただの、思い。或いはその残滓。 手袋をしていてなお、銀時の手指はかじかんで冷たい。歯で固い生地を噛んで手袋を抜き取ると、冷えた指を自由にする。 幾度か拳を握る。指を折りたたんで、刀の柄の感触を確かめる。 意味のある行動では無かったと思う。ただ単に、その方が刀は取り回し易いのだと、経験の蓄積して出来た本能がそう知っていたからだ。 理解などあやふやではっきりとはしていない。それは変わっていない。だからこれは足下に散った命たちへ向けた憐れみではない。そんな簡単でありきたりな感情などでは、他者の命を喰らおうとする所行を赦せる筈もない。 きっと土方とて同じ事を思う筈だ。憐れみへの理解だけで捧げられて良い程に、人の人生と言うものは軽くはない。だから彼らは憤る。だから彼らは抗い続ける。そうさせようとする理不尽に対して、己の得た信念を以て相対するのだ。 そうしてもたらされた平和と言う言葉の上に立ってみて、以前よりもそれがよく解った。 死に花は咲かない。此岸と彼岸の間を渡す船にも花は届かない。 銀時は半ば無意識に、雪の中紅く咲き誇る椿の花へと手を伸ばしていた。もしもこれが墓標のせめてもの代わりとして捧げられたものなのだとしたら、酷い皮肉だ。 そうして伸ばした手が触れるか触れないかの所で、花首がぐしゃりと潰れた。 「…な、」 驚き目を瞠る銀時の目前で、何かに踏みつけにでもされる様に、紅い花弁が歪んで潰れて、ばらばらになって枝から落ちていく。 何で、と紡ごうとした唇から白い息が上った。息を呑もうとして失敗したのだ。ぞくりと、何かの圧力にも似た気配が音もなく忍び寄る、得体の知れない感覚の中、銀時は口を開いた侭で声にならない声を上げる。 罵声。或いは恐怖を散らす為の気合い。何でも良い。銀時の、警戒に似た意識が脳を叩き、まるで何かに引かれる様にして視線が宙を向いて、雪を降り落とし続けているだけの空を、見上げる。 「──っ!」 暗闇に白い布が翻るのを見た。揺れる懐中電灯の光に一瞬照らされたそれは、だらりと四肢を脱力させた、人間のシルエットにしか見えない様なものだった。 崖の上から無造作に放られた様な、その姿形が──誰であろうが、何であろうが構うものか。銀時は刀に手をかけた侭、地面を蹴った。ほぼ垂直に傾斜した崖に靴底が触れて、仰向けに己が落下していくそれよりも早く、強く、逆の足を踏み出して思い切り跳んでいた。 四肢を投げ出し崖上から投じられた様な、黒髪の男の首に繋がれた縄が、奇岩の鉤状になった部分に括られている。今はまだ中空に撓んでいる、縄の限界の長さを落ちて仕舞えば、彼の体は首を吊られた状態になる。 自重と、落下でかかる重さと衝撃。それを縄一本と頸骨の強度だけで耐えるには余りにも無理があるのは、誰の目から見てもきっと明らかだった。 無理な姿勢の侭、銀時は刀を鞘から振り抜いた。切っ先を崖上へと真っ直ぐに向けて、思い切りに投げる。 頼む、と願うまでもない。跳んだ勢いの侭に投じた一直線の太刀筋は、銀時の目測を違える事なく向かい、縄をその刃で薙いで断っていた。 この後待ち受けているのは自由落下だ。先頃の崖下の窪地に上手く落ちてくれるかは解らない。運が悪ければ死ぬし、運が良くても多分に死ぬ。苦笑に似てそんな事を考え続けながらも銀時は、縄を斬った事で同じ様に自由落下へと入った、人の形をした供物の──土方の体を掴んで、思い切りに引き寄せた。 夜の雪山を延々と宛も頼りもなく歩いて、理解を避けたくなる様な現象に導かれながらこんな所まで来て仕舞った。その結果最期に、好きな人物を役得の様に抱きしめながら落下死。 「…まぁ、銀さん頑張ったと思うよ?ここまで苦労して、何も得られねェとかなったら流石に落ち込むわ」 妙にゆっくりと感じられる気のする落下の時間の中で、何処か晴れ晴れとそんな事を呟く。 「そこは少しは責任感じてろ。そもそも下手クソな気遣い寄越して、幽霊旅館のバイトだって事を隠して、旅行だとか宣いやがったのはてめぇの方だろうが」 「………」 ふう、と息を吐いた瞬間に、腕の中から可愛さの欠片もない、笑み混じりの返しが聞こえた気がして、銀時は閉じかけていた目を開いた。 「……うん、それは確かに悪かったとは思うよ?でもさ、おめー少しは空気とか読まない?これアレだろ、走馬燈みたいなやつだよね。ならさ、もうちょっと最期くらい、良い思いさせてくれてもいんじゃね?」 「何が走馬燈だよ。よく見ろや阿呆が」 果てしなく大きな溜息と共に、銀時は己が両腕で抱えている、白い着物姿の土方の拳で額をごつりとやられた。 そこはせめてデコピンとかそんなものではないだろうか。普通は。 脱力しそうになりながら、言われた通りにくるりと頭を巡らせてみれば、銀時はそこで始めて、己が落下しているどころか、仰向けに深い雪の中に横たわっている事に気付いた。それでもしっかりと両腕で抱えている土方の頭頂部が胸の上に乗っているのが見える。 「……????」 確かに崖を駆け上る様にして跳んだ筈である。そうして、空中で土方をなんとかキャッチする事に成功して、後は重力の侭に落ちるだけだった。 幾つも疑問符を浮かべる銀時へと二度目の溜息を──呆れた様に──つくと、土方はころりと体を転がした。胸の上に俯せになった彼の顔が至近でそっと笑う。 「………おめーまさかアレか、空から降って来て飛行石的な何かで浮ぶはぁッ」 「三十秒待ってやるからとっとと理解しろ阿呆」 「待ってないからね?!三十秒待たないでバルスしたからね今!」 酷く冷たい目で言う土方の両肩を思わず掴んだ銀時は、叫び散らした勢いの侭に上体を起こした。再び頭をぶんぶんと左右に巡らせると、すぐそこには見覚えのある奇岩がある。鉤状になった部分もあるが、そこに縄はかけられていない。縄を狙い違えず斬った刀だけが、岩のすぐ傍に抜き身の侭刺さっているばかりだ。 つまりここは崖の上で。件の奇岩の傍で。 「…………」 落下死はしていない。土方も目の前で生きている。渋い表情を浮かべてはいるが。ともあれ、銀時は生きているし、土方も無事の様だ。理解は出来ないが。訳も解らないが。結果は、これ、と言う事だ。 安堵と言うよりは脱力感の侭に、銀時は取り敢えず目の前、己の膝上に座っている様な状態でいる土方を思いきり抱きしめた。忽ちに「おい」と不満そうな声はしたが、聞き流す。 「何だか解らねぇけど、おめーが無事みてぇだから、それで良いわもう…」 「………」 適当な野郎だ、とかそう言った感じの悪態が聞こえた様な気もしたが、恐らく気の所為だろう。 「…なぁ。散々な事は起きちまったけど、俺ァ本当におめーをさ、」 抜けた侭の意識の下で、唇が少し早口に動いた。若い隊士たちが沢山殉死して、休む間もなく駆け回っていたのだと、あの地味な風貌の土方の部下からそう聞かされずとも、銀時は多分それを解っていたし、そんな気もしていた。 それでも結局、休ませてやりたいとか、癒してやりたいとか、労ってやりたいとか、色々な建前を並べなければ踏み出す事が出来なかった自分は、心底に格好悪いのだろうと思う。思うが、そうしてやりたいと、やらなければと、何かに押される様にして手を取った。 それが土方にとっては気休めの様な事にしかならない事だったとしても。 「…知ってるよ、馬鹿野郎」 途切れた言葉を継いだのは、笑みと、溜息の気配。だから、下手な気遣いなどと笑い飛ばしたのだろう。土方は顰められた侭の顔で、器用に、綺麗に笑ってみせた。 「土方、」 背に回した手で腰を抱く。夜の雪山にしては余りに寒々しい格好で、和らいだ様に表情筋を少し弛めているその顔に、銀時はゆっくりと己の顔を近づけた。 「ああ、そうだ。ひとつ、」 言い忘れていた。そんな言葉を、きっと何か遮る類の言葉になるだろう先を紡がせない様にと唇を合わせた所で、銀時は固まった。 「……アレ??」 そこに、想像していた様な柔らかな感触や、暖かな体温の気配はない。瞬きを繰り返す銀時の顔を、今までにない程の至近で見つめている土方の顔がこころなし、冷たい。体温とかの問題ではなく、感情的な意味で。 「生憎だがな。どうやら今の俺は幽体離脱中って言うか、てめぇ曰くのスタンドっつーか…、まぁつまりは半透明な状態らしい。不本意極まりない事にも」 「…………………」 そう言えば、そもそも土方が雪山で倒れている所を旅館に連れ帰って、お岩にその世話を任せて来たのだった。 (中身が連れていかれかけているとか、何だか色々と言われていた様な気も…、するような、しねぇような……) 先程までよりも強い脱力感に襲われながら、銀時は乾いた笑みと共に天を仰いだ。情けない筈なのに笑えて来る。安心したのだと、そう己に言い聞かせでもする様に。 頑張ったよね、俺。 脳内でもう一度そう繰り返し、まぁ取り敢えずは互いに無事な様なのだから良いのだろうと、そう思う事にした。 。 ← : → |