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  貫 / 1



 ずっ、と音を立てて、ぶ厚くなった書類の束に千枚通しが突き刺さる。
 一枚、二枚、三枚、十枚、それ以上。全てを通り抜けた鋭く尖った尖端が、机に敷かれた作業用のカッターマットに到達して、こん、と固い手応えが返るが、更に少しだけ力を込めて、土方は掌で上から捻じ込んでいた千枚通しの柄からそっと手を離した。思わず一息。
 古くなった書類の整理はなかなかに骨の折れる作業だった。マットに立った侭の千枚通しを前に、土方は力を込めすぎて凝った両肩をぐっと上へ伸ばした。ずっと同じ様な姿勢で作業をしていた事もあって、全身の筋肉が変な風に強張って仕舞っている。
 最近では書面の内容をスキャンしてデータ化すると言った事も積極的に行ってはいるのだが、困った事に紙文化と言うのは未だ江戸に根付いて離れないもので、データが残っていても結局は原本が必要になったりする事も多い。何でかんで、データには改竄の危険性があって、それを完全に排除できる様なシステムは出来ていない。
 警察の職務は公務でもあり、人の人生に関わる犯罪と言う代物を取り扱うものだ。いつ何時どの様な資料が要されたり、記録が探られたりするかは解らない。改竄の可能性があればこそ余計に、原本が必要になる。幾らもう二度と見返されない様な古い書類たちとは言え、おいそれと処分して仕舞う訳にはいかないのである。
 ふう、と肩を回しながら息を吐いた土方は、机の周囲を乱雑に取り囲む書類の山を見回した。重要な事件の資料などは優先してファイリングされているが、軽犯罪を取り扱ったもの、事件以外の資料や記録までは手が回っていない事が多く、真選組屯所の資料室の片隅のボックスにはそう言ったものたちが大量に放置されている。
 その日、少々捜さなければならない古い資料を捜索する羽目になった土方は、偶々に手の空いていた山崎を筆頭に数人がかりでそれらのボックスを引っ掻き回してひっくり返して、それでも目的の資料はなかなか見つからず、数日をかけて漸く目的の資料を発見するに至った。
 …のだが、その所為で資料室はちょっとした惨状になって仕舞い、こうなりゃいっそまとめて片付けるぞと、土方が自棄気味に宣言したのがかれこれ一週間近くは前の事になる。
 また元通り箱に適当に戻していつか面倒な思いをするぐらいならば、今片付けて仕舞った方が多分にマシだ。そして今後は幾ら下らない書類でも全部その日のうちにきちんと整頓するべしと、局中法度に土方が書き付ける事を決意するのも時間の問題であった。
 当然だが土方は副長としての職務の傍らで、空いた時間を使ってそれらの雑務をこなした。お陰で連日寝不足だし疲労も常より増している。
 言い出しっぺは最後まで責任を取らなければならないとは言え、書類の大掃除と言う気の遠くなる様な作業を少々舐めていたのも確かである。
 煙草に伸ばそうとした手を、然し思い直して引っ込めると、未だ勤勉に突き立った侭の千枚通しに力を込めて、ぐっと引き抜く。穴空けパンチの様に綺麗に孔をくり貫く類の道具ではないから、紙束がずれて仕舞わない様に気を配りつつ、土方は漸く抜けた尖った得物をくるりと手の中で回した。
 それから黒い綴じ紐をそっと歪な孔へと差し入れて、書類をひっくり返した裏面から端を引っ張って、結ぶ。後はインデックスを通して、これで漸く一つ完了だ。
 土方は一息をついたついでに、今綴じたばかりの書類を上から何枚かめくってみた。それぞれの日付を見れば真選組結成からそう経過していない様な古いものもあり、さながら真選組の取り扱った任務や些事を記した記録の様相である。
 (あの頃から、長ぇな。そりゃゴミみてぇな書類も貯まる訳だ)
 内容は決してゴミでは無いものだが、役割があるのかないのかと言う点で見ればゴミでしか無いものかも知れない。整理整頓は苦手ではないが、手間がかかる事は嫌いだ。自分から言い出しておいて何だが、この予期せぬお掃除だかお片付けだかの作業はなかなかに難儀なものだった。
 愚痴をこぼしても仕方がない。気持ちを切り替えた土方は、次にステープラーでまとめられた書類を手に取った。これもまた日付が随分と古い。古さだけあって、紙束を留めている金属の小さな針は変色し、接触している紙面にも錆を浮かべ始めている。これだから古いものは困るのだ。
 これを抜いて仕舞わなければ、紙に錆が移って破れたりする可能性がある。針を抜いて交換した方が良いだろう。
 引き出しを掻き回すが、肝心のステープラー本体が見当たらない。何処に仕舞ったのだったか、と土方は眉を寄せつつ手の届く範囲を探ってみるのだが、それらしいものは取り敢えず手元には見当たらなかった。
 まあ針を抜くのに他の道具があれば良いだけだと思い直し、土方は目についた千枚通しを手に取った。形状的にステープラーの針を抜くには適していなさそうだが、他のものを何か探すのも面倒くさい。
 千枚通しの、鋭く尖った尖端を、折り畳まれたステープラーの針の隙間に何とか差し込もうと土方が悪戦苦闘していると、部屋の外から山崎の声がした。
 「副長、入りますよ」
 「ああ、」
 頷いた途端、手がつるりと滑った。千枚通しの尖端が、書類を押さえていた土方の人差し指の腹にぷつりと音を立てて刺さる。
 「あ」
 ちくっとした鋭い痛みに土方が眉をひそめたその時、丁度襖を開いて部屋に入って来た山崎が、その様子を目の当たりにしてぎょっと声をあげる。
 「ちょ、副長!何やってんですか!」
 ぽた、と紅い染みが書類に丸い点を落とすのに、土方は素早く手を退けた。幾ら、ゴミのような、と言う形容がつこうが書類は書類だ。公文書だ。汚す訳にはいかない。紙の上からずらした、左手の人差し指にぷくりと浮かんだ血の玉が、重力に従って紅い線を掌に引いて行く。
 「血が出た」
 「見りゃ解りますそんなん!ああもう、アンタ手先が不器用なんだからあんまり変な事にトライしないで下さいよ!」
 作業になっていない作業の失敗風景を見て大体の経緯を察したのか、山崎は呆れた様な溜息をつきつつも、ポケットから清潔そうな白い手布を取り出し、それで血を滴らせている土方の指を覆った。
 「不器用たァなんだ、仮にも上司に向かって」
 甲斐甲斐しい山崎の手際と、仕様が無い人だと呆れる様な言い種に少しむっとした土方は唇を尖らせて抗議するが、土方よりも余程にしっかりしている監察の部下はあっさりと、
 「自覚はあるんでしょうが。悔しかったら蝶結びが100%縦結びにならない様になって下さい」
 と、反論の余地もない悪態を綺麗に投げ返して寄越した。確かに土方の手先は器用な方とは言えない。それは解っているが、特筆して器用だとよく言われる山崎当人と比べて評されている様で、なんだか釈然としない。
 ち、と舌打ちをする事で悪態の受け取りを拒否した土方は、白い手布にじわりと紅い染みを拡げている自らの指と、机の上で尖端に血を纏わせて転がっている千枚通しとを見つめた。
 「………」
 小さな傷だ。痛みなんて殆ど気になるものではない。凶器のサイズを見れば、安全ピンやら縫い針を刺した時よりは痛いが、所詮は皮膚の僅かを通った程度。極めて軽傷と言えた。
 「念のため傷口は洗った方がいいですね。水か消毒薬持って来ましょうか」
 「…いや。洗って来る」
 千枚通しは錆びてはいなかったが、衛生的なものと断言出来るものではない。ケアを怠って万一破傷風になったり、傷の治りが遅くなるのは避けたい。傷口を押さえておくようにと促された手布をちらりとめくりながらそう言うと、土方はそっと立ち上がった。
 「絆創膏いります?」
 「いらねぇ」
 「…そうですか。でも一応救急箱出しておきますんで、必要があったら使って下さい。剥き出しだと何かと痛いですし。それとこれ、先日の報告書になりますが置いていきますね。後で目を通しておいて下さい」
 手を洗いに行くと決めて動き出した土方に、もう己の出来る事は無いと判断したのだろう、山崎は小脇に抱えていた新しいファイルを机の上に置くと、「あんま無理はせんで下さいよ」と言い残して引き上げていった。
 立ち上がった土方は、紅い血を纏わせた千枚通しをもう一度だけ見下ろしてから、手布ごと左手をポケットに突っ込んで歩き出した。







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