カラの水槽 / 1 所々掠れた祭り囃子が賑わう空気の中をゆったりと流れている。きっともう何年も町内で同じテープを使い続けているのだろう、擦り切れたカセットテープから延々と奏でられ続ける楽の音は毎回同じ所で耳障りなノイズを鳴らす。 だが、そんな小さな雑音を聞き咎める無粋な者はいない。普段けばけばしいネオンで飾り立てられた夜の歓楽街は、夜祭りの今日は紅くシンプルな提灯のみに彩られ、行き交う人々の笑顔を照らし出している。 昼間は御輿や山車の練り歩きで賑わっていた町は、夜になって様々な屋台が軒を連ねる縁日へと姿を変えて別の賑わいを見せていた。法被を着た子供らは動き易い服装に装いを変え、手に手にお小遣いを握りしめて様々な屋台の間を走り回っている。 昼間は居なかった浴衣姿の若い娘たちが艶やかな彩りをそこに添え、粋に着流しを纏った男たちがその姿に目を細め密かに歓声を上げる。 焼そば、たこ焼き、綿菓子、焼きとうもろこしと言った屋台からは香ばしく食欲をそそる匂いが上がりそこを歩く人々を誘い、それらに混じって金魚や水風船の店先からはどこか懐かしい水の匂いが漂う。決して食欲はそそられないが、そこには残暑の重たい暑さを払い除ける爽やかさがある。 そんな、目の前の大気に少し温まった水の中には色鮮やかな金魚たちが泳いでいた。多くはよくある橙色のシンプルな和金だが、アタリと言う意味でかぽつぽつと華やかな琉金の姿も目立つ。魚たちは水中に酸素を送り込むポンプの吐き出す水泡にその身を撫でられながら、羽根の様にひらひらと鰭を揺らめかせて好きずきに踊っている。 昨今では一夏の思い出として金魚を飼ってみようとする子供も少ないのか、金魚すくいの夜店は残念ながら賑わう他の屋台たちの中では控えめな存在感で、閑古鳥が鳴いている。まあ確かに掬う遊戯に興じる間が楽しくとも、最終的に命を持って帰ると言うのは子供にはそれなりにハードルが高いのだろう。母親と言うものは得てして子供が無責任に持ち込む面倒を嫌うものだ。 そんな訳で、全く客足の近付かない金魚すくいの屋台裏で銀時は暇を持て余していた。折り畳みの小さな椅子に腰掛けて団扇をやる気なくそよがせながら、生臭さの漂う水の匂いを前に、隣で賑わう射的屋と、向かいで器用にくるくると焼き上がっていくたこ焼きの屋台とをぼんやりと眺めては欠伸を噛み殺す。 子供も若い娘も、金魚の泳ぐ水槽を前に一度は足を止めるものの、「可愛い」とか「綺麗」とか以上の感想は寄越さない。同じ水から掬う遊戯なら、未だ後から遊べて面倒のない水ヨーヨーやスーパーボールと言ったものの方が良いのだろう、近所にあるそれらの屋台からは歓声が絶えないと言うのに、金魚屋は何と言う様かと最早溜息も出て来ないのが現状であった。 年に一度のかぶき町の夏祭りである。昼は地域の神社の神事に基づいた祭りが執り行われるが、夜は純粋に金銭と娯楽の為の催しものになる。つまりは縁日の事だが。 それは万事屋に直接影響がある訳では無いが、夜店を提供する業者も各地で祭りが行われるこの時期は人出が足りず、地元で暇を持て余している者がバイトとして駆り出されるのだ。大凡毎年、基本何でも屋である万事屋にも声が掛かるので有り難い話だ。 今年、銀時らは三人で手分けして三つの夜店を任されていた。新八はともかく神楽は一人では少々不安なのでたまにも手伝って貰っているが。 ともあれ、そんな経緯で銀時の担当となっているのが、全く客足の無い金魚すくいの屋台と言う訳だ。屋台の売り上げは店番のバイト代には影響しないが、出来高と言うものはある。売れれば売れるだけ報酬は増加するのだ。売れすぎて仕事が忙しくなるのも面倒くさいが、全く売れないと言うのも問題だ。金が多く入るのに越した事は無い。 そうぼやいてはみた所で、人気の無い金魚すくいの屋台に閑古鳥が鳴いている現状はどうにもなりそうもない。一生懸命客引きに励んでみた所で、相手が生き物となると大人は躊躇うし子供も難色を示す。掬われる金魚にも掬われない金魚にも罪はないが、この侭ではこの金魚たちも自らの先行きが不安だろうに。水槽の中をきらきらと暢気そうに泳ぐ彼らの姿に危機感など無論あろう筈もなかった。 銀時は何度目かの欠伸を噛み殺して、口をぱくぱくとさせながら泳ぎ回る金魚たちを見下ろした。いっそ目印とかを付けたアタリの金魚を一匹仕込んで、これを掬ったら景品が出ますよとかそう言う方向性にシフトした方が良いのかも知れない。が、それは金魚すくいの屋台の店番の仕事には含まれない為に当然自腹を切る事になるが。 飽きず泳ぎ続ける金色の群れからぼんやりと視線を持ち上げると、向かいで営業中の売り上げ盛況そうなたこ焼きの屋台が目に入った。たこ焼きを次々に回転させて行く、たこ焼き屋台ベテランの様な顔をした中年男の手際の良さに、可愛らしい柄の着物を着た少女たちがきゃあきゃあと笑っている。 客で賑わう事へのやっかみも手伝って、銀時は拗ねた溜息をつきながら作務衣姿の懐を探った。見ていたら腹が減ったので、買い食いでもするかと財布の中身を見て唸る。目の前のたこ焼きかそれとも少し離れたやきそばか。若しくは距離はあるがかき氷やりんご飴と言った甘味を探すか。どうせ客も来ないのだし少しぐらい席を外しても構わないだろう。金魚を盗む酔狂な輩などいるとは思えないし、金魚が自主的に逃げ出すと言う事もあるまい。 と、店番の少しの時間の放棄を考えながら立ち上がった銀時の目に、見慣れた黒い影が過ぎった。色鮮やかな浴衣や粋な着物の群れたちの中に重たく融け込めずに浮いているそれは、巷間チンピラ警察などとも称されている連中の揃いの装束だ。無粋に下げた刀を揺らして周囲に事務的な視線を向けている。 別段やましい事も無く、隠れようと思った訳でも無いのだが、銀時がなんとなく座り直す事を選んだのと、縁日の中を真っ直ぐ進んでいた警察たちがそれに気付くのとはほぼ同時だった。 厭な奴に会った。恐らく向こうとて同じ事を思っているのだろうが。こちらを見るなり眉を寄せた、黒服の二人組の片方の表情からそう察し、銀時は彼らに気取られない様に密かに舌打ちした。 。 ↑ : → |