カラの水槽 / 2



 警備か取締りだろうか、縁日を楽しむと言った風情では到底無さそうな二人組のうち片方は、店番として座している銀時の姿を見つけるなり、冷やかす気満々でかそれとも気紛れか、兎に角迷わず近付いて来た。残る片方も、相棒を放っておく訳には行かないのか、顰め面を作りながらも唇の間の煙草を軽く揺らしてその後に渋々と言った様子で付いて来る。
 「どうも、旦那。珍しく仕事ですかィ?」
 「珍しくねーよ、普通に仕事だよ」
 思わぬ遭遇に、銀時は露骨に歓迎しかねると言った態度を示して応じた。チンピラ並の警察など客にはならないし、客も自然と物騒なその気配に厭そうな顔をして離れて行くので、周囲の屋台は皆警察などと知り合いらしい銀時へと迷惑そうな視線をちらちらと向けて来ている。
 ただの店番のバイトで隣近所と揉め事など起こしたくない銀時から見れば、彼ら警察の見廻りついでの挨拶などイヤガラセか迷惑以外の何者でも無いのだ。態度も自然とぞんざいになる。
 「金魚ですかィ。風流なもんだ。ねぇ土方さん?」
 「総悟、俺たちゃ仕事中だ。こんな所で油売ってねェでとっとと行くぞ」
 銀時の渋面になど全く頓着せず、沢山の金魚の泳ぐ水槽を睥睨しながら言う沖田。別に金魚すくいをやりたいと言う訳では無いのだろうが、土方の方はそう言い出すかも知れない可能性すら排除しようと言う気概なのか、きっぱりと冷たく言うと、ちらりとだけ水槽に目をやった。煙草から立ち上る煙が刺々しい気配に合わせて不安定に揺れている。
 銀時としても別に彼らを客として扱う気など無いし、寧ろとっとと立ち去って貰いたい所ではあったのだが、土方の、さも馬鹿馬鹿しいとか時間の無駄だとか言いたげな態度に軽く苛立った。負けず嫌いの心に火種の投下される気配を感じて、「は」と鼻を鳴らすと嫌味ったらしい口調を作って言う。
 「お仕事?それともまたゴキブリ逃がした?堅気の皆さんを怖がらせて我が物顔で振る舞うとか、人の迷惑だっていい加減解んねェのお宅ら?」
 「てめぇこそまた詐欺露店やってんじゃねェだろうな。取り締まんぞ」
 あからさまな銀時の態度に、む、とこちらも負けず嫌いの気の強い土方が鼻の頭に皺を寄せながら噛み付き返して来る。取り締まる、と言う言葉にか、隣の射的屋の男の顔がますます迷惑そうに強張った。
 「詐欺じゃありませェん、ちょっと風変わりな屋台ってだけですゥ。…て言うか何でおめーらがそれ知ってんの?」
 いつぞやのゴキブリに扮したゴリラ相手の小遣い稼ぎだが、あの時この二人は居なかった筈だ。振っておいて何だがふと気になって銀時が問えば、土方は鼻白み──はしないがやや気まずそうに目を背け、沖田がその代わりの様に進み出る。
 「近藤さんが、浴衣デートにもゴキブリデートにもしくじったとかなんとか、泣きながら愚痴ってたんで。まァあん人にゃ良いお灸にはなったみてーですが、あんまり虐めねーでやって下せェよ。あれで結構繊細なお人なんで」
 そうさらりと言う、上司の醜聞など気にする気の無さそうな沖田と異なり、土方にとってそれは結構な泣き所だったらしい。あのゴキブリ局長が愚痴をどう彼らにこぼしたのかまでは解らないが、少なからず悪いのはゴキブリ側だとは正しく認識しているのだろう、ゴキブリ退治に乗っかる形になった万事屋を大層苦々しく思いつつも反論は出来ない様だ。逸らした目線は無意味に水槽の金魚の中を漂っている。
 「ゴキブリのストーカーと繊細って言葉、対極みたいなもんじゃねェ?あれ、それとも俺の知ってる繊細とチンピラ警察の繊細って何か意味違う?傷つき易いゴリラとかそう言う意味?」
 「ほぼ合ってんじゃねーですかィ」
 あっけらかんと言う沖田に言い返そうと口を開いた所で、銀時はついいつもの様に下らない会話を長引かせかけている事に気付いて口をぱたりと閉じた。世間話でもそれ以下の応酬でも何でも良いが、こんな自分の屋台と周囲の屋台との客足を遠のかせるだけの邪魔者には早く立ち去って貰うべきであると思い出す。
 隣の射的屋も迷惑そうな顔を隠さないでちらちらとこちらを見ているし、チンピラ警察が前に立ってからと言うものの新しい客の来る気配は無い。金魚すくいの屋台には元から客など居なかったが。
 「とにかく、やましい事なんざしてねーから。今回は正真正銘ただの金魚すくいだから。なんなら一回やってく?大サービスで一回1000円で良いから。そんで終わったらとっとと帰りやがって下さい」
 椅子から立ち上がると、しっしっと、犬でも払う様な仕草を添えて言うのだが、銀時のそんな態度に普段なら何か返して来そうな土方は然し何の反応も返さなかった。と言うよりそんな事にすら気付いてすらいない様だった。
 土方はじっと、水槽の中を凝視していた。眉を寄せて僅かに首を傾げて、何か怪しいものでも見る様な目をじっと、好き勝手に泳ぎ回る金魚たちへと向けている。
 銀時の言葉や態度をいちいち気に喰わなさそうに見る事が殆どである、いつもの土方とは異なったその反応に、銀時は払い除けた侭の動作を固まらせて沖田の方を見遣った。視線は合わなかったが同じ事を感じていたのだろう、彼は栗色の頭を軽く揺らして肩を竦める。
 「どうしたんですかィ、土方さん。あ、ひょっとして腹でも減ってるんで?」
 「一食分掬ってみる?あ、取れなくても一匹はサービスであげるから心配しないで良いよ?」
 いつも通りの上司を小馬鹿にした言動を投げる沖田に銀時も自然と続いた。ドS同士で打てば響く所が同じなので、打ち合わせなどせずとも攻撃のタイミングも種類もまるで得た様に放たれる。敵だろうが味方だろうが攻撃対象が合致すればその瞬間は仲間の様なものだ。
 「誰が喰うか、このドSコンビが!」
 息の合った攻撃に土方は水槽から一旦目を上げると、漸くいつもの様に眉尻を持ち上げて返すが、またその意識は水槽へと向かって仕舞う。
 流石に金魚から離れないその視線の意味が気になったのか、沖田もまた土方に倣って金魚たちを見る。態とらしく額の上に庇など作って、水槽の端から端まできょろきょろと視線を動かすが、彼も矢張り土方がこの何の変哲もない金魚すくいの水槽の何がそんなに気に懸かっているのか解らないらしい。
 「じゃあ一体何をそんな熱心に見てやがんですかィ」
 「……いや、」
 そこで漸く土方は水槽から顔を起こした。何か気に入らない事でもあったのか、渋い顔はその侭に、煙草を携帯灰皿に押しつけて溜息をひとつ。
 「多串くんは金魚飼ってんでしたっけ、だから興味でもあるんですかねェ」
 金魚の蠢く水槽と、銀時と、土方との間を見て、沖田。
 「え。誰?」
 「…………」
 沖田の、問い未満のその視線の意味が解らず、片眉を持ち上げて銀時が問うと、土方は二度目の溜息をついてから態とらしい咳払いをした。まるで言われたくない事を言われた時の様に。そうしてからもう一度水槽を見下ろす目は、間違い探しでもする子供の様に真剣に細められている。意識的にそうしたのだろうか。
 「そんな事より万事屋、これ外来種とか入ってねェか?」
 「え?いやいやいや、全部地球産の金魚に決まってんだろ。ちょっと、変な言い掛かりとか止めて貰えますゥ?」
 思わぬ言葉に銀時はぶんぶんと頭を左右に振りながら水槽を見下ろした。金魚たちの詳しい内訳を訊いた訳ではないが、見た限りではよく見る国内産の金魚しか居なかったと思う。と言うかそもそも外来種の金魚とは一体どんなものなのか見当も付かない。
 だが、金魚たちを油断なく見つめる土方の目は、単なるイヤガラセや嘘でそう口にした様には見えない。真剣そのものだ。
 「明かに地球産とは思えねェのが居たんだが…」
 「だーかーらー、」
 水槽をじっと見下ろして言う土方は、然しすぐに指さして「これ」と示せる程に自信がある訳ではないのだろう。何しろ狭い中に大量の金魚たちが、しかも各々好き勝手に泳ぎ回っているのだ。その中で一匹の違和感を探し出すなど専門家でもない人間には正気の沙汰ではない。
 暫く目を細めていた土方は沖田にも意見して貰おうと言うのか手招きをするが、その頃には一連の遣り取りにもう飽きた沖田が、それこそ掬われまいと逃げる金魚の様に丁度ふらりと手を上げて土方から離れて行った所だった。
 「じゃ、俺もたこ焼きに外来タコが入ってねーか調べて来ますんで。こっちは土方さんに任せまさァ」
 「ちょっ、総悟!てめ、またそうやってサボる気か!」
 立ち去ると決め込んだ沖田は言うなりさっさと雑踏の中へと消えて行って仕舞う。土方はそれに追い縋る声は上げるものの、水槽の中に己が見たと言う外来種とやらが気になるのか、ちらちらと見る金魚たちから意識を離しはしない。勤勉なのか言いがかりなのかは知れないが、そんな土方の職務態度を少なくとも今は歓迎しかねる銀時は腕を組んでやれやれと大仰な溜息をひとつ。
 「あのさァ、ひょっとしてゴリラだかゴキブリだかの仕返し?よくねーよそう言うの。私怨で人を疑ったり冤罪事件起こす訳ですか?」
 「違ェわ、外来種だったら売るのは犯罪だろうが!てめぇが態とやってるとかじゃなくて、そう言うのが混じってる可能性もあるからって話だ!大体私怨って、てめぇな、」
 流石に疑われて気分も良くなく、銀時が唇を尖らせ不機嫌も顕わに言えば、土方も負けじとむっとした態度で返して来る。
 手が伸びたのは無意識か癖だろう。いつもの喧嘩の始まりの様に、土方の手は銀時の胸倉を掴もうとしたに違いない。
 だが、そうはさせまいと、腹の立った意識の侭に銀時は寸前まで待ってから一歩を退いた。狙い通り、土方の手指が銀時に届く僅か前で空を切るのを、ほんの少しの空いた心地で見送る。
 そして指に引っ掛かる寸前で擦り抜けた布きれか何かの様な意地の悪い動きは、この時ばかりは状況に上手く作用して仕舞った。
 避けた銀時と追った土方との間には大きな水槽がひとつ。
 あ、と思った時には、土方の身体は水槽に足をぶつけてほんの少しだけそのバランスを崩させ、金魚すくいの屋台にはその崩れたバランスを保ってくれる様な支えの類は無かった。
 ばしゃあ、と派手な水音と飛沫とを立てて、黒い隊服姿の男の身体が金魚の水槽の中へと倒れ込む。飛んだ飛沫と溢れた水に驚きながら地面に落ちる金魚たちとに銀時が身を退いたのは寸時。
 「オイオイ何してくれちゃってんの、弁償もんだよこれ」
 「ってめ、何しやがる!水飲んだじゃねェか!」
 水槽へと顔面からダイブした土方が濡れ鼠になって顔を起こすのに、意地悪な心地を隠さずに銀時は小馬鹿にした態度で言う。土方はげほげほと咽せながら、水槽から転げ出て隊服のあちこちでびちびちと跳ねている金魚たちに気付くと慌ててそれを水槽へと戻して行く。
 周囲の屋台の連中はそんな騒ぎを遠巻きに、多少はざまを見ろと言った様子で見ていた。そんな視線たちに気付いているのかいないのか、土方は金魚を水槽へと戻す手を止めようとはしない。銀時は少し大人気無かったかと思い直してその場に膝をつくと、地面に飛び出して仕舞った金魚たちを一緒になって拾うべく手を伸ばし、
 「──」
 そこで二人同時に固まった。まだばしゃばしゃと波打つ水槽を挟んで、銀時とずぶ濡れの土方とが呆然と座り込むその眼前。水槽からこぼれた水溜まりの中に、ナマズの様な顔をしたオッさんが──否、天人の様な奴が立っていた。
 大きさは三歳程度の子供。身体の割に大きな頭には小さな目ににょろんと伸びた二本の髭が生えており、ナマズ顔と言うかナマズそのものと言うかよく解らない面相をしている。
 それはどこから現れたのか。銀時と土方とがぽかんと見遣る視線のその先で、ナマズ顔のそいつは二人よりも早く硬直から脱すると歓声とも奇声ともつかぬ声を上げた。
 「ほんとうにわたせた!」
 そう叫ぶなり、水を滴らせながらそいつは、ばたばたと短い手足を振って走り出したかと思えば雑踏の中へと瞬く間に消えて行く。
 「……なに今の…?」
 呆然とした侭呻く銀時に、「さあ…?」と同じ様に呆然と答えた土方だったが、はっと我に返るとびしょ濡れの侭立ち上がった。足下にぼたぼたと盛大に水溜まりを作りながら声を上げる。
 「って、猥褻物じゃねーかアレ!」
 天人か人間か知らないが、あのナマズは衣服の類を身につけてはいなかった。水の被害には遭っていなかったらしい携帯電話を操作しそれを耳に押し当てながら、土方は水から上がった魚の様にぼたぼたと生臭い滴を滴らせながら猛然と走り出す。
 暫し彼らの慌ただしく消えていった先を見ていた銀時だったが、やがて我に返るともう溜息しか出て来ない。
 眼前には水槽の惨状。金魚も何匹か犠牲になっているし傷ついて商品にならなくなって仕舞ったものもあるだろう。そして周囲の屋台からの、迷惑を訴える視線たち。
 「…………」
 何か知らないけど、これ迷惑掛けられるだけ掛けられただけ?とぼやいて、銀時は際限のない溜息を誤魔化す為にも、惨状の後片付けをする事にした。バイト代どころかマイナスの結果になるだろう想像は易かった。







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