カラの水槽 / 14



 何でも、真選組から本格的に手配がかかった途端の事だと言う。どこからか手に入れたのか、安っぽい着物一つの身には所持品の一切も無く、彼は真選組屯所の門を叩いた。
 銀時はこの数時間の事情聴取で山崎の聞き出した、ナマズ天人の証言をまとめた書類を斜め読みした内容を思い出しながら、万事屋の玄関先に真選組隊士に両脇をしっかりと固められた姿で現れた、祭りの夜に一度だけ見たきりのナマズ顔の天人の姿を無言で見下ろした。
 
 曰く。何百年も大昔に母星が甚大な飢饉に見舞われた時、星の守り神と言われていた魚を、餓えに因って彼は食して仕舞った。それが原因で呪いを受けてその身は小さく脆弱な金魚と成り果てたのだと言う。
 彼も最初は苦しんだが、自らの罪を受け入れ新たな生を生きる事にした。だが、やがて母星の環境汚染が深刻になり、金魚の姿の侭他の惑星に移り住んで暮らしていたのだが、ひょんな事から地球産の金魚と間違って捕まり、金魚すくいの屋台へと置かれた。そして、水槽に転んで落ちた土方に触れたのだった。
 呪いは他者に触れた時に、それを押しつけたいと思う事で渡せる。安易な救いを求めれば罪悪感が残る、そう言った類のものの様だ。それまで彼は呪いは己の報いであると思っていたし、そもそも金魚の身で他者に触れる様な機会など今までになかった。
 だが、あの時目の前に落ちて来た己に何の柵もない人間を前に、魔が差したのだと。
 そうして呪いは土方へと移り、呪いが解けた彼は元の姿に戻った。彼の元の姿は見た目の通りに水棲の天人だ、本能的に母星の様な綺麗な水を求めて逃げ出し、偶然出会った母星の同胞でもある河童に出会い、数日の間彼の池に厄介になった。
 だがそこで母星がもう滅んだ事を聞かされ、もう戻る故郷は無いと知った。更には、地球の警察が自分に手配を掛けた事で、移した呪いで迷惑を被っている者が居る事を思い知り、自ら出頭して来たのだ。
 ──と、山崎の聞き出しまとめた経緯は大体そんな所だ。
 「もしも母星が残っていたとしても同じです。これは己の業の受けた呪いです。身勝手に渡して仕舞って申し訳ありませんでした。呪いは元通り受け取ります、どうか許して下さい」
 風呂場に平伏さんばかりにして言うナマズ顔の天人をじっと見ていた土方も、「元に戻してくれんならそれで構わねぇ」と言った。不安気ではあったが不満は特にその様子からは伺えなかった。
 まあ、何せ事の正体は正真正銘の呪いだ、被害を訴えた所でどうしようもないし、金魚を相手取って裁判沙汰を起こしても仕方あるまい。
 「金魚用の監房なんざ無いしな」
 被害者である土方がそう言うのであれば、外野には何か言える事もない。山崎も、ナマズ天人を連行してきた真選組隊士も複雑そうな面持ちであったが。
 「まぁ、副長や旦那が良いと言うのなら」
 「俺ァ別に警察じゃないしね、意見無し」
 同意を求める様な山崎に掌を向けて、銀時。総合してもこのナマズ天人に特に直接的な迷惑を被られたと言う憶えも無いのだ、元より異論などある筈もない。
 縄を解かれると、ナマズ天人は浴槽の土方を促しその手に触れた──かと思えば、次の瞬間には着物一枚をその場に残して彼の姿は消え、不細工な金魚が土方の冷え切った手の上へと落ちた。すぐに水を張った手桶へとその金魚を放すと、金魚はまるで最初からそこでそうしていたのが当たり前の様にゆらゆらと泳ぎ始めるのだった。
 土方は暫くの間金魚の姿を見つめていたが、やがて意を決した様にその場に立ち上がった。浴槽の中に佇んでびしょ濡れの衣服から盛大に水を滴らせる土方の姿を、銀時も山崎も固唾を呑んで見守る。
 「………寒ィ」
 やがてぽつりとそう呟き肩を震わせるのに、銀時はやれやれと、山崎は胸を撫で下ろす仕草をそれぞれ取りながら嘆息した。脱衣籠の中に用意しておいたタオルを放ってやると、土方は浴室から出て来て小さくくしゃみをし、久方ぶりに存分に吸える空気にか、安心した様に目を細めた。
 水から上がっても苦しくない、などと言うのは本来人間として当然の事だろう。土方は──水から漸く上がった魚は、酷く伸び伸びと手足を伸ばして呼吸を繰り返すだけの、人として当たり前だった筈のそれらの動作を信じ難いものの様に感じている様だった。呪いを受けていた期間はそう長かった訳では無いのだが、その性質は土方と言う人間の機能や精神性をも変えて仕舞おうとしていたのかも知れない。もっと長い間放っておいたら本当に金魚にでもなっていたのかも、知れない。
 「取り敢えず、着替え」
 「しゃーねぇな、貸してやるよ」
 まだ夏の終わり頃とは言え早朝から水浸しではさぞ冷える事だろう。言って浴室に背を向ける銀時の耳に山崎の苦笑混じりの声が聞こえた。
 「煙草、要ります?」
 何て事もない普通の空気を美味そうに吸って吐く土方はその問いに小さく笑って「今はまだ良い」と答えると、もう一度ゆっくりと深呼吸をした。
 
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 そこは発展の目覚ましいかぶき町の比較的近郊にあって珍しい、手つかずの自然を保った場所だ。一応は自然公園だとかナントカ園だとか言う名前が地図にはあるが、単に開発の波から外れただけの空き地だと銀時は思っている。大きな川の近くにあって、この辺りでは珍しい清涼な湧水の池があって、周囲には野放図な林が拡がっている。それだけの土地だ。
 林の向こう、その池の中には他に類を見ない天人が住んでいる。訳あって銀時の顔見知りでもあるその天人は、いわゆる所の河童だ。元々大昔の人が彼と同じ種の天人を見て河童と呼んだのか、それとも本当にこの国には河童なる妖怪が居て、この天人は偶々それに酷似していただけなのか。それは誰も知らない。
 ともあれその河童は海老名さんと名乗りこの池にかなりの昔から住んでいて、土地同様にそれだけの存在だ。
 土方をここまで案内してきた銀時だが、河童の話についてを問われてもお手上げのポーズを取るしかない。海老名さんの過去も、彼の母星の話も、河童の伝説も、全てはお伽話の頃の話だ。
 土方の手には、呪いを受け戻し金魚に戻ったナマズ天人の入った水桶がある。彼の罪過を問わぬ事に決めた為、彼が逃亡中に厄介になっていた母星の仲間の居る所に連れて来ると言う提案をしたのは土方自身だった。
 「…そう言う訳だから宜しく頼む」
 「ああ。同郷の同居人が増えて俺も嬉しいよ」
 向こう何百年経過すれば呪いが解けるのかなど知る由も無いが、少なくとも彼ら母星を共にする水棲の天人たちの寿命は地球人のそれを遙かに超えるらしい。その間ずっと仲間が居れば、もう魔が差して過ちを犯して仕舞う様な事はあるまいと、土方はそう思う事にしたらしい。
 経緯を説明すれば、海老名さんはにかっと笑って気さくにそれに応じた。そもそもナマズ天人が金魚から戻っている間の数日はここで世話になっていたのだから、それとなく話は聞いていたのかも知れない。理解も納得も承諾も早かった。
 池の畔に膝をついた土方が手桶を傾けると、不細工な造形の金魚は広く澄んだ水の中へとするりと泳ぎ出した。そうしてくるくると、謝る様にか礼を言う様にか同じ所を泳ぎ廻るのに、土方がそっと指を出せば、つんつんと指先を突かれる。
 「達者で暮らせよ。呪いの清算も頑張んな」
 そう言う、土方らしからぬ穏やかな表情から銀時はそっと目を游がせた。確かに見慣れない質の顔ではあったが、それはきっと今までは己が見ようとはしていなかったから気付かなかっただけなのだろうと思って、金魚の一匹に涌きかかる悋気を飲み込む。
 やがて金魚は池の中の方へと泳いで行き、海老名さんもこちらに手を振ってからその横へと共に泳ぎ出す。池に住む河童の兄弟にナマズ面の金魚。これでまたひとつこの池に纏わる不思議な話が増えたと言う訳だ。
 土方は暫くの間池を見つめていたが、やがてぽんと膝を叩くと立ち上がった。一仕事終えた後の様に、ぐ、と背伸びをしてみせるその唇には、いつも通りの煙草がもう収まっている。新鮮な空気を楽しむのも悪くはなかった様だが、所詮は筋金入りのヘビースモーカーだ。長続きしなかったらしい。
 「それにしてもよォ、呪いがキスしたって移る訳じゃ無かったんなら、あの時しときゃ良かったわ」
 「……結果論だろ、それは。大体どうしてテメェとキスなんざする必要があんだよ」
 「アララ、それ言っちゃう?今更だと思うけど?俺ちゃんと言いてェ事は言ったつもりだしィ?」
 ふい、と態とらしく目を逸らしながら煙草を揺らす土方に、銀時はやれやれと言ってその肩を抱く様にして手を置いた。然し土方はその手を鬱陶しげに見つめて言う。
 「異常な状況にお互い混乱してただけかも知んねェだろ」
 「思い違えって線を通すの?ほんと往生際悪いねーお前。まーだせっまい水槽から出たくねぇの」
 内心を隠す事で小馬鹿にした調子の漂う銀時の声に、土方はむっと眉を吊り上げてみせた。
 己の愛情表現が正しいのかどうかはさておく。どの道今更優しく紳士の振る舞いをしてみせた所で、土方の感情は何ら変わるまい。まだ苦手には思われているのだろうが、何れは許容して貰えないだろうか。
 「ま、それじゃ勘違いでも何でも良いけどキスさしてくんない。で、またしたくなったら、それ以上もしたくなったら解るだろ」
 囁きに乗せた笑みに、土方は顔を顰めた侭でいたが、逃げも隠れもしなかった。そして近付く銀時の顔を真っ向から見つめると、煙草を唇から抜き取って、その時を待った。





呪いと言えばやはりちゅー解呪。と言うベッタベタ発想でした。
ドSに恋愛経験と自覚とが無いと駄目な人になると判明。

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特にないけど蛇足。
説明…と言うどうでも話なんで黙って回れ右でも。

文通の話で、銀さんてやっぱり即下半身の流れにする程度にはまともな恋愛経験ないんだろうなーと思った所から。
あ、魚を食って呪いと言うのはまたしてもS○RENネタでした。
海老名さんも勝手に設定作って使わせて貰いました。

自由だけど、明け透けで、狭く、苦しい。そんな水槽はもう、