秘すれば花 / 1



 坂田銀時は夢を見ていた。
 夢と言うのは勝手なものだ。夢を見ている主の意思に反して事を運ぶそれは、時に幸福な場面や寝覚めが悪くなる様な悪い内容、想像だにしない様な理不尽なイメージを抗いようもなく見せて来る。
 翌週のジャンプを手に入れてもその内容はどう願っても決して見せてくれない癖に、危険な目や恐ろしい目に遭いそうになった時にはそれを勝手に回避すると言った都合の良い展開をその都度創り出すと言った様に。果たして身勝手なのは己の想像力なのか、それとも理性では抗えない何かの為せる業なのか。
 ともあれ、それは銀時が『夢を見ているのだろう』と自ら認定して仕舞える程には大凡現実離れしていて、大凡想像の埒外であって、また多くの夢の例の様に身勝手であった。
 ふわふわとした不定形のイメージが辛うじて創り出していたのは、あちらこちら細部が現実とは異なった、然し全く見覚えが無いとは言えない様な居酒屋の店内だった。そんな所に居るのだから恐らくは酒を飲んでいたのだろう。或いは飲みたかったのだろう。そう思った通りに、手の中には透明な硝子のコップがあって、その中は同じ様な透明な酒で満たされていた。
 どうせ味は恐らくしないし、飲めた所で酔えないだろうし、目の前の皿に置かれたツマミに手が伸びる事も無いのだろう。無意識でそんな諦めが理解として脳に在る。読む事が決して出来ない未来のジャンプや、当たっているのに換金出来ない宝くじと同じ。それは夢の創り出した幻想の産物だからだ。
 そして身勝手で理不尽なイメージはその日、隣の席に居慣れぬ筈の登場人物を勝手に創り出して配置していた。
 見慣れた筈の見慣れぬ店内の、カウンター席の、すぐ隣。肩の触れそうな距離で銀時と同じ様に盃を揺らす人物は男で、こんな場末の飲み屋には大凡似つかわしくない様なかっちりとした制服を纏って、腰には刀を佩いている。項の長さで綺麗に整えられた黒い髪に縁取られた頬のラインは滑らかな曲線を描いており、その中に収まった目鼻立ちと言った造作は多くの女性が溜息をつくだろう、均整の取れた配置をしている。そんな人物であった。
 銀時にはその人物に憶えがあった。だが、同性の顔立ちがどうとか然程に関心の無い部分はわざわざ特筆して憶えていたと言うよりも、今夢の中で改めて観察してみて知り得た事柄だった。
 つまり、その男はそれ程の近距離に居たのだ。それは今まで得た憶えの無い距離感。その事自体が、「ああ、これは夢だろう」と銀時が軽く認識出来る程に意外性のある──日頃の己の記憶や経験では有り得ない様な状況だったのだ。
 何しろまず、こんな風に肩の触れる距離でこの男と酒を楽しんでいた記憶など無い。それどころかそんな願望すら無い。寧ろ疑問符しか浮かばない様なシチュエーションだ。
 ひたすらに不可解だとは思ったが、得てして夢とは勝手で理不尽なものだ。日頃喧嘩や言い合いぐらいしか碌にした憶えの無い相手との謎の至近距離での相対も、理由なぞないただの埒も意味もない夢だからだと思えば仕方のない事だ。夢の見せる勝手な幻想に抗ったり文句を言ったりしても仕様がない。夢は所詮夢であって、脳が作り出した記憶の断片の出鱈目な構成物でしか無いのだから。
 ただ少し妙だと思えたのは、こんな風にまじまじと至近距離で観察した事の無い男の顔立ちやら、憶えの無い様な穏やかな笑みやらを目前で見ている事だった。
 まあ夢なんだし、適当な己の記憶の中で、隣席の男のイケメン度が勝手に上昇しようが、笑い合っていようが、所詮は全部幻想の産物でしかない。見た憶えが無いのと同様に意味など無い。そう思って銀時はこの妙な状況と不可解な事態に深く考えるのを止めた。
 「    」
 男が笑って何かを言う。眠っている銀時の意識は本来の感情に反してそれに応えて同じ様に笑っている。
 現実では違和感しか感じられない筈の世界は、然し夢で、目覚めたら何処かへ消える仮初めの体験でしかない。
 目覚めれば。
 思う意識は何処かに確かにある筈だと言うのに、銀時の意識は悪夢から目覚めようと抗うでもなく、埒も無い夢に呆れるでもなく、不可解さに悩むでもなく、其処に居続けていた。
 まるで抗えない経験済みの記憶や、望んだ事の様に、其処に留まって味の無い酒を、内容の知れない会話を楽しもうとするかの様に。
 夢ならば別に良いだろう。夢だからどうでも良いだろう。そう囁く理性があったのかどうかは解らない。判断していた思考があるのかどうかも定かではない。ただ、夢だと理解している分別は確かにあった筈だと言うのに、銀時は席を立つ事も喧嘩腰に言葉を投げる事も無く、この夢を壊す事なく醒めるのをゆっくりと待つ事にしたのだった。
 この夢が、思いのほかに心地よいと感じられたから。
 ただ──それだけ。







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