情熱のない犯罪 / 1



 昼下がりの真選組屯所は賑やかで怠惰だ。
 事件に立ち働く時や仕事に勤しむ時では無い限り、勤める隊士らには基本屯所内の自由行動が許されており、昼食の休憩を終えたこの時間帯は丁度行動の切り替えのタイミングでもある。その為に移動や着替えと言った準備時間を時間の合う大勢が共有する事になるからだ。
 朝ならば気持ちや身が引き締まっているが、昼は昼食と言う食事と雑談とを兼ねた自由時間を経た後だ。誰もが多かれ少なかれ抜けた気を引き摺って行動する事になるのは致し方の無い話だろう。
 稽古や鍛錬への参加は特別に所属隊毎に指示されない限りは基本自由だ。後は仕事で装備の手入れや車輌のメンテナンス、書類仕事、外回りなどがある。
 仕事も無く稽古への参加予定も無い場合には、所謂『暇』な時間となるが、大っぴらに暇を持て余していたりすれば、程度もあるだろうが見つかったが最後、減俸は疎か厳罰を与えられる事になる。その為、休憩時間以外に『暇』になった隊士らの間では物置やら空き部屋やらに密かに溜まって雑談や持ち込み禁止の書籍やゲームを密かに楽しむのが通例となっていた。
 そしてその日もそんな例外に漏れず、昼を回った頃の物置では『暇』な者らに因る密やかな集まりが出来ていた。彼らが雑誌を回し読みする傍ら、誰からともなく雑談が始まる。
 その議題は漫画や雑誌の内容や誰か個人の噂話、そして上司の噂話と言った所が大体の相場だ。噂、と一口に言えど、その内容は愚痴や文句から尊敬にと多岐に渡り、一種の捌け口となっている。
 「そう言えばこの間の討ち入りでの副長の活躍、聞いたか?」
 「ああそれ、俺は現場に居たけど直接は見てないんだよな」
 「副長って、どっちの方だ?」
 手にしていた雑誌から目を上げて言う男に、話題を振った男が肩を竦めて答える。
 「坂田副長の方だよ。あの人、何でも殆ど単身で現場を制圧したらしいぜ」
 「そりゃ凄ぇや。あの人馬鹿強ぇからなあ。でも何でまた?幾ら幹部でも、戦場での単独行動は禁じられてる筈だろ?」
 ひゅう、と口笛を吹く素振りをしてみせると、男は雑誌に再び目を落とした。ぱらりと頁を捲る。
 「隊の合流を待ってたら標的を逃がしちまうからって、部下の制止を振り切って行ったらしいぜ。結果的に何とかなっちまったから『凄ぇ』の一言で良いが、死者や怪我人でも出してたら偉い事になってただろうな」
 男が語るのは伝聞なのだろう話だが、そのエピソード自体には感嘆を寄せているらしく、どこかその語る口調は遠い何かを敬い案じる様な調子に聞こえた。
 受けて、物置の奥で横になっていた男が声を上げる。
 「へぇ。でもそれ、もう片方の副長からしてみれば面白く無ぇ話なんじゃねぇの?」
 「そう、そこなんだよ。土方副長は坂田副長に三日の謹慎を言い渡したって話だ。あの人規律にゃ煩ぇからなあ」
 「俺なんか、結果が良いんなら結構だと思うけどなあ」
 「何にしても、互いに大っぴらに文句が出せねぇってのに代わりは無ぇわな。あの人ら、腕も指揮も相当立つってのに、何てったって折り合いが悪いから」
 「お互い憎み合ってるとかよく言われてるよな」
 「どちらかと言えばそう思っているのは土方副長だけだって話だよ」
 次に会話にそう割って入ったのは、今まで話に加わらず黙々と本を読んでいた男だった。話題の今までに無い切り口に一同の注視が向けられる。
 その興味と、続きや根拠を促す視線たちに晒されながら、男は手にしていた文庫本に栞を挟むとぱたりと閉じた。自分だけの知る話をひけらかす事に対してか、首を軽く竦めてどこか得意気な仕草をしてみせる。
 「だからさ。坂田副長は割と新参だろ?少なくとも武州から一緒に来た『仲間』じゃない。だって言うのにいきなり副長なんて言う地位に収まった。局長の知り合いだからとか言う噂もあるけど、その真偽はさておいて、それが坂田副長の実力あってのものだって言うのはもう疑い様の無い事実だ」
 そこで男は一旦言葉を切って、態とらしく口の横に掌を立てた。小声で続ける。
 「近藤局長の頼りにする、言って仕舞えば寵みたいなものがさ、もう土方副長だけのものじゃなくなっちまった訳だろ。その事に、女みたいに嫉妬してるんだってさ」
 「まさか」
 ひそひそ声に男たちは失笑を浮かべはするが、否定までは出来ずに曖昧に笑い合う。ありそうだ、と思い描いた可能性は単なる面白味で、それは無いだろう、と思ったのは上司に対する申し訳の無さや尊敬からだ。故に彼らは否定も肯定もせずにそれを『噂話』として保留した。
 「それに、坂田副長の出自もよく解ってないしね。元々攘夷浪士だったんじゃないかなんて噂もあるだろ?つまり、土方副長が坂田副長を気にくわなく思う理由は山とあるって訳さ」
 「じゃあ、その内土方副長が坂田副長のその、過去の噂とか?そう言う弱味を握って内部粛正を行う、とかそう言う可能性も…?」
 真選組にとって内部分裂と言う言葉は、何年か前に経験した伊東鴨太郎の叛逆と言う苦い記憶を呼び起こすものだ。犠牲者を多く出し組織としての体裁も危うくなりかけたその事件を良い思い出と見る者なぞいない。その為自然と声が潜まる。
 「有り得ない話じゃ、無ぇかもなあ」
 雑誌に視線を落としていた男が、再び目を上げて頷いた。
 「何せあれは、鬼の副長だから」
 鬼の意に沿わないものは消される。鬼の巣穴を乱すものは葬られる。鬼の掟(ルール)を遵守出来ぬものは斬り捨てられる。それが規律を重んじ自らを各々律する事を選んだ、真選組と言う集団の在り方だった。
 その厳しさには誰もが憶えがある。そしてそれを再認識する事で、彼らは今自分たちがそのルールから少しばかり外れて羽根を伸ばしている事に後ろめたさを感じた。
 「怖いねぇ」
 苦笑いで言った男が雑誌を閉じた。次に読む者はいないか、と視線で問いかけるが、皆かぶりを振って応える。誰かがちらりと腕時計を確認し、そろそろ戻るか、と誰ともなく腰を持ち上げようとしたその時、「何にしても、」と、二人の副長の折り合いの悪さは寧ろ土方の一方的な憎悪だろうと指摘した男が口を開いた。
 出て行こうとする者らと違って、男は未だここに居座って読書を決め込むつもりらしい。先頃本に挟んだ栞を抜きながら言う。
 「土方副長のあれは度が過ぎてるよ。分裂するって言うんなら、坂田副長についた方がマシかもね」
 小馬鹿にする響きさえ潜む、呆れた様な調子で言う男の造作は酷く地味で特徴の無いものだった。
 後日、"土方副長が坂田副長を個人的に恨み追い出そうとしている"、この噂が再度囁かれた時にはもう、その場に居た誰もが噂の出所だった男の顔を思い出せはしなかった。





パロなので原作時系列は程良く無視でお願いします。後で出来たら(憶えてたら)フォローします…。

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