情熱のない犯罪 / 2 赤い回転灯の光が夜の闇を何度も裂いて過ぎる。サイレンは鳴らされていないが、光と共に停まったのは白と黒に染め分けられた一台の警察車輌だ。 その中から堂々とした所作で出て来るのは、濡れた様な黒髪の男。黒地に銀縁の隊服を纏った、真選組の副長の片割れを名乗る土方十四郎だ。 周囲には同じ様な車輌の群れと黒い装束の人間たちの群れ。それらが囲むのはとある高級住宅街に位置する、幕臣の何某の屋敷である。犯罪シンジケートへの資金援助の嫌疑を掛けられ、任意での家宅捜索を断った彼の屋敷は間もなく令状の到着と共に真選組の立ち入り捜査を行う現場となる予定だ。 「状況は」 車輌を降りて歩き出す土方の傍らに、直ぐ様に現場で待っていた部下が付き共に歩き出す。 「屋敷内に不審な動きは特には。電話回線を通じて幾つか救援を求める様な連絡がされている形跡はありますが、はかばかしくは無さそうですね」 「切り捨てられたか。憐れなもんだ。精々その憐れな犠牲を無駄にしない様、組織に繋がる証拠を全部挙げてやるのが供養代わりに警察(俺達)のしてやれる事だ」 ふ、とシニカルな笑みを僅かに湛えた口元から煙草の煙が上がる。溜息かそれとも息継ぎか。どちらでも同じ事だった。赤い光が歪に舐める屋敷を見据えるその横顔は酷く怜悧で、触れたら切れそうに鋭い。安っぽい憐れみでさえ土方の唇に乗れば残酷な死刑宣告の如くに聞こえる、それが鬼が鬼たる所以だ。 部下は無意識に感嘆と、それと等量の畏れを憶えずにいられない。彼が副長付きになって未だ二ヶ月程度だが、いつ見ても、何度見ても慣れる事はきっと無いだろう、大凡慕わしさや尊敬と言った言葉とは無縁の、精緻な見目の造作と併せて感じるものには常に畏怖が付き纏う。 ──鬼の副長。それは比喩でも誇大表現でも何でも無い。一度真選組の名を背負った戦場に立てば、それは自らの役割だけを負う刃の様なものになれるひとを示す、正しく的を射た表現だ。内に、外に、自らにさえ甘さの欠片も見せないその男は、誰から見ても紛う事なく『鬼』であった。 「令状が届き次第、踏み込める準備は整ってます」 報告をそう締めると、土方が小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。笑ったのだろうとは思うが確証は無い。本来人を安心させるべき笑みと言う表情であっても、鬼の浮かべるそれにはただただ得体の知れない畏怖がある。思わず竦んで足を止めた部下の眼前に、土方は懐から書面を一枚取り出すとそれを拡げ掲げて見せた。受け取って目を通せば、それが今し方己の口にした令状である事が知れる。 「とっとと片付けるぞ」 言うなりさっさと歩き出す土方を部下は慌てて追うが、その背が目前に迫った事で追われる人が足を止めた事に気付き、慌てて靴底で踏ん張って立ち止まる。危うくぶつかる所だった。 一体何が、と恐る恐る土方の横から前方を見遣れば、歩き出したその進路を丁度塞ぐ形で立っている人物の姿を直ぐに認められた。 「待ちなせェ。副長の指示が無けりゃ、隊を動かす事は出来ませんぜィ」 掌をこちらに向けて立ててかぶりを振る、そんなご丁寧な仕草と共に土方の進路を塞いだのは、真選組一番隊隊長の沖田総悟の姿だった。 絡んで来る時のものだ、と土方は沖田の声音や表情から素早くそう察した。軽くからかったり無関心にしている時とは異なって、『言いたい事』のはっきりしている時の沖田は酷く解り易い。 否、それとも単に付き合いの長さやそこから培われた防衛本能が、それを記憶し役立てるべき項だと己に課したからこそ知れた事なのか。 ともあれ絡み調子で声なぞ掛けて道を塞ぐのだ、沖田には何か土方に『言いたい事』があるのだろう。尤も沖田がそれをはっきりと言葉にして寄越した事なぞ一度も無いのだが。 単純で面倒臭い思考回路を持った思春期の少年の心なぞ、それを疾うに通り越した大人には生憎と知れないと言うのが常だ。誰もが通る道、と言えど、誰もがその通る道は異なっているのだ。推し量ろうと言うのが無理なのである。 土方は溜息をついた。目前に立つ沖田を幾ら見つめれど見下ろせど、その心も『言いたい事』も全く読めそうもない。或いは、ひょっとしたら、本当は、全く何でも無い事なのかも知れない。単に、いつもの様に土方にイヤガラセじみた真似をしたかっただけなのかも知れない。 考えれば考えるだけ馬鹿馬鹿しいが、下らなかろうが杞憂だろうが、含みを持たせた沖田の声を易々看過出来ない己の性分もその一因である。 「副長なら居るだろうが。ここに」 煩わせるな、と言外にしない強い響きに、然し沖田は全く怯まず一言、 「居ないでしょ。もうひとり。副長ともあろうお方が局中法度第四条をお忘れですかィ?」 きっぱりとそう投げて寄越した。遠回しだが直球のその発言に土方は隠さず渋面を作る。沖田の『言いたい事』の八割がイヤガラセだとはこの一言で既に知れた。残る二割の成分もそうなると大凡見当がつく。 局中法度第四条。局長が不在の際は副長に隊の指揮権が委ねられる。隊士達はこれに従うべし──他でもない土方自身が考え定めた法度だ。忘れる訳も無い。 そして沖田の指摘は憎たらしいぐらいに現状に合致していた。これを看過するは法度を破る事でもある。土方は忌々しくもそれを認めた。 背後では部下が狼狽えている気配がするし、現場に到着してもなかなか動き出さない副長に周囲の隊士らも伺う様な視線を向けてきている。そこに来て『もうひとり』の話だ。この侭では士気にも影響が出かねない。 『もうひとり』。それは土方にとっては忌々しささえ混じる響きを持った言葉だ。或いはそれは沖田にとっても同様の意味を持つ。 土方は肚の底に蟠った苛立ちを自覚し、堪えきれず怒鳴り声を上げて仕舞うより先に自分から口を開こうとした。背後に居る部下に向けて努めて落ち着いた口調で、坂田はどうした、と声を、 きゅ、と鋭いブレーキ音がそこに割り込んだ。問いを口にするよりも先に答えの方が到着した様だ。土方は意識せず煙草を噛み締めている己に気付き、落ち着いてニコチンを吸い直した。慣れた苦味が脳で俄に沸き起こる苛立ちを鎮めて行くのを意識しながら、後方に停車した警察車輌をゆっくりと振り返れば、丁度後部席から男が一人出て来た所だった。言う迄も無くたった今その口に土方が上らせる筈だった名を持つ、真選組副長の坂田銀時だ。 ドアが開いて閉じる音は一つだけ。ふらりとした足取りで車を降りて歩き出した坂田は、真選組の幹部服を着用している。だがその幹部服には本来首元に白いスカーフが巻かれている筈なのだがそれが見当たらない。そればかりかシャツの釦は上二つが無造作に外れているし、上着も含めて全体的に何処か皺っぽく草臥れた風情になっている。 「ちょっと坂田副長、スカーフ!スカーフ忘れてますって!」 泡を食った様な声を上げたのは運転席の窓から頭と手とを突き出している山崎だ。その手の中でひらひらと揺られている白い布を、坂田は無造作な手つきで受け取るとタオルか何かの様に首にひょいと引っかけてその侭土方らの方へと歩いて来た。眠そうな眼で欠伸混じりの足取りは億劫そうな態度そのものの様だ。 坂田の接近と同時に、その全身からアルコールや煙の臭いを嗅ぎ取った土方は思わず顔を固くした。能面の様だ、と傍目に見ればそんな表情だろうか。だが、土方のそんないっそ冷たいとも取れる表情の変化は坂田には特に何の感慨も抱かせるには至らなかったらしい。 「こりゃお揃いで」 言って挨拶をする様にひらりと振られた手に、土方は応えなかったが、その後方に立っていた部下が軽く敬礼する気配。坂田と同じ様な仕草でそれに応えた沖田は、 「旦那ァ、ひょっとしてコレでしたかィ?」 そう言って口元で、くい、と手を傾け猪口を煽る仕草をしてみせた。頷く坂田。 「勤務時間終わってんだから文句はねーだろ」 「それはご愁傷様でしたねィ」 「ったく、予告も無しの唐突な出動要請とか本当迷惑極まりねーわ」 坂田はそう言うと再び欠伸をした。噛み殺しもしない、くあ、と暢気な猫の様な声に、土方は涌き出た憤りの数々と溜息とを煙草の煙と共に逃がして舌を打つ。 「予告があったら緊急とは言わねェんだよ」 「……そりゃそうだな」 考える余地でも何かあったのか、単に頭が回っていないだけなのか。少しの間の後にそう答えると坂田は次の欠伸を被った手と口の中とで隠した。後者だな、と即座に断じた土方は苛々と視線をそちらから外すと短く言う。こんな下らない遣り取りに時間を費やす気は無いのだ。一刻を争う、と言う程切迫している訳ではないが、出来れば早い所任務(しごと)は終わらせたい。 「令状は届いてる」 「あっそ。ならもうとっとと踏み込んじまえば?」 「…………帰ったら局中法度に追記するぞ。副長の指示はどちらか片方から出りゃ良いってな」 あっさりと応じた坂田に背を向けた侭、歩き出した土方は沖田の横を通り過ぎ様にそう吐き捨てた。沖田がそんな事を意に介すとは到底思えなかったが。 周囲の部下達はグループ毎に分かれてはいたが集合状態で待機中で、あからさまではないがそれなりに上司の動向に注目している。坂田と土方の間の──と言うより土方のぴりぴりとした気配に、誰ともなく二人の副長を見遣っている気配を感じる。不審。不安。興味。それらを振り払う様に、土方は一同の集まる中央へと進み出た。坂田がそれに続くのを気配だけで感じながら、「注目!」と声を張り上げる。 「これより強制捜査を開始する!抵抗する者が出れば公妨で取り押さえろ。制圧の必要が無くとも武装解除を完全に終えるまでくれぐれも油断はするな。一番隊は隊長の先導に従え」 闇を劈き響く土方の声に、居並ぶ真選組隊士達が一斉に居住まいを正し了解を返す。そして沖田を先頭に一番隊が真っ直ぐに屋敷の玄関へと向かい、残りの隊がそれぞれの役割に就くべく三々五々散っていく。それらを見送りながら色々と捜査の手筈を思考し出した土方の耳に、傍らに立っていた坂田が小さく息を吐く音が聞こえた。 溜息だ。 「今日は特に俺の出番とか必要無さそうなんですけど?呼ばれ損じゃねェ?」 俺、と言いながら腰の得物に軽く掌を乗せる坂田に、土方がその軽口や態度に何かを口にするより先に取りなす様なタイミングで声が割って入った。 「そうは言ってもそう言う決まりなんだから仕方ないでしょうが」 言うのは、いつの間にか車から下りて来ていたらしい山崎だ。坂田の傍らに立ってぱらぱらと書類を繰っている。 「ま、ゴリラも留守だし、お役目っつぅんならしゃあねェけど」 言いながらこきこきと首を鳴らす坂田は、勤務を終えて呑んでいた所を邪魔された事に対して、己で『仕方がない』と言う程には納得が出来ていない様な風情に見えた。 「──、」 嫌味でも叱責でも、何か言ってやろうと土方が反射的に口を開き掛けたその時、 反応したのは身体の方が先だった。土方の手は理解と言う現象よりも早く動いて腰の得物の鯉口を切っている。然し、あと一歩で抜き放たれていた筈の刃はその寸前で土方が自ら動きを停止させた事で留まっていた。 それとほぼ同時ぐらいのタイミングで、きん、と小さな音を立てて、土方の目前で地面に落下したのは小さな刃だった。否、刃の部分が長く持ち手は酷く短く、装飾の類の一切無い棒の様なそれは刃と言うよりは錐の様な形状をしていた。 またか、と他人事の様に思えるのが少し不思議だった。 投擲用の刃物だ、と土方がそんな感想を抱くよりも先に、その身に届く寸前でそれを払い落とした刃を抜き放った坂田が地を蹴った。 「南西!不審者を捕らえろ!武装してるから気ィつけろ!」 足下に落ちた凶器を憤慨とも恐怖ともつかない奇妙な心持ちで見下ろしながら、先頃まで欠伸混じりだった声が鋭い指示を飛ばすのをまるで他人事の様に土方は聞いていた。 実感が湧かない。その一言に尽きるのだと思う。それでさえ他人事の様に。 辺りにちらほらと点在していた隊士らは坂田の声音から緊急事態を察知したのか、ざわめいたり問い返したりする様な真似はやらかさず、副長命令に速やかに従って動いた。街路を走り去って行く小型バイクのエンジン音を追って走り出す。坂田はそれを見送ると踵を返して戻って来た。 追い掛けてもどうせ確保は出来ないだろうと土方は思っていたが、徒労だと坂田に言ってやる事は無かった。追い掛けた所で、相手は恐らく手練れ(プロ)だ。何しろ、逃走用の乗り物を用意しておいて、更にこの捜査現場の、この位置に標的が立つ事まで計算し待っていたのだ。そんな周到な輩がちょっと追い掛けた程度で捕まる筈が無い。 だがそんな勝算の問題よりも土方の関心の向き所は寧ろその前提の方にあった。 じっと観察して見るまでも無く、転がった凶器は土方の想像通りに主に投擲に用いられるものだった。弾かれ落ちた今はその役割を果たせなかった無念を不気味に刃に煌めかせながらただ無力に転がっている。 しゃがみ込んだ坂田が首からむしり取ったスカーフを使ってそれを拾い上げるのを土方はただじっと見つめた。 土方は知っている。それが暗殺や密かな護衛などに用いられる実に機能的な凶器である事を。同じ得物でも全く真逆の目的に使われるのは面白いものだと、そんな事を考える。利点は、隠し持つに容易な形状とサイズである事と、扱いが簡単な事。この二つに尽きる。投擲し標的を狙っても良いし、投擲せずとも指の間に隠し持って刺す事も出来る。凶器自体の創傷は掠り傷程度にしかならなくともその刃の中に毒物などを仕込む事が出来るので、致命傷を与えられる事が可能なのだ。 その果たすべき役割はただ一つ。向けた標的を確実に仕留める事。──殺す事。 そんな代物をじっと見つめている土方の視線の先で、坂田は走り寄る山崎に件の凶器を渡し、山崎は手際よくそれをスカーフの中にくるりと包んだ。 「毒に気をつけろよ」 「心得てます。これ自体は恐らく既製品ですからね、ここから足が付くとは思えませんけど」 肩を竦める仕草を残すと、山崎はスカーフにくるんだ凶器──否、証拠品を持って車の方へと向かった。その背が遠ざかってから、坂田は土方を振り返り見た。 「怪我は」 「見ての通りだ」 「そ」 土方の素っ気ない答えに、然し特にそれ以上言い募る事もなく、坂田は膝をぽんと叩くと立ち上がった。賊の消えた闇を見遣って、独り言の様に口にする。 「これで何度目だ?全く、一体何処のどいつかね。てめぇの命を狙う輩ってのは」 人を確実に殺める為の機能を有した凶器を向ける理由はたった一つ。人を殺す事だ。 そしてその標的と恐らく定められていたのは、真選組副長・土方十四郎であった。 。 ← : → |