情熱のない犯罪 / 3



 土方にとって坂田の名前は常に忌々しさと共にあった。
 近藤と共に武州から来た門下生仲間や、江戸で浪士組として仲間になった者たちとは異なる『仲間』。或いは同僚。或いはライバル。幾つか、坂田と己との立ち位置を指す言葉として浮かぶものはあれど、その何れもがしっくり来ない様に思えるのは、きっとそれが当人達の感情を無視した客観的な言い回しだからなのだろう。
 土方が初めて坂田に会ったのは──会わされたのは、そう昔の話では無い。
 「坂田銀時だ。俺のちょっとした知り合いでな。真選組に入って貰う事になった」
 そう言って近藤が紹介した男に土方が感じた第一印象はと言えば、明朗なものは一切無くただひたすらに不快なものであった。男の何に善し悪しを感じたと言う訳では無いその単純な『感想』は、土方の胸中を忽ちに不快感と不可解感とで満たして仕舞い、大凡まともにその男の為人を観察出来る余裕さえも奪ったのだ。
 近藤の知り合い、と言う説明が真実であれば、それは江戸に来てからの事になる筈である。武州に居た頃の土方が近藤の全てを知っていた、と言う訳では無論無いが、あんな見慣れぬ特徴的な容姿の、しかも滅法腕の立つ男が田舎に居たら何でかんでと人の噂に上っていた筈だ。土方がまるきりその事を知り得なかったと言うのは少々考え辛い。
 近藤は坂田と知り合いになった経緯を特には語ろうとはしなかった。江戸に出て来てからは浪士組、真選組と時の流れは速く、その中で日々任務に明け暮れていた土方には、近藤と坂田がいつ何処で知り合い、一体どの様な出来事があったのか想像なぞつく由も無かった。
 それを、裏切られた、と言う様な心地と捉えたのは土方だけではなく沖田も同様であったらしく、沖田は当初はあからさまに近藤や坂田に反発を繰り返していた。だが、近藤の目や言葉を疑える筈も無く、また坂田の腕前や仕事ぶりが確かなものであると言う事実は変わり様が無い。それもまた坂田と言う存在の忌々しさを増させる要因でもあったのだが、当時の沖田がそれに気付いていたかどうかは定かではない。
 沖田はそんな風に自らの感情を顕わにしていたが、土方はそうもいかなかった。嫉妬心或いは敵愾心と言った幼稚な感情だけで組の内部に不和を招く必要は無いと判断し、坂田の雇用に関しては特に何も意見を出さなかった。当然だが、感想も。それもまた沖田にとっては気に喰わない事だったのだろう。自分の巣穴を荒らされる事はどんな動物だって好みはしない。
 最近では沖田があからさまに反発を見せる事はもう殆ど無くなったが、その分攻撃の矛先が全て状況を看過して来た土方への意趣返しめいた攻撃に転じている。正直土方にとっては迷惑極まりない話なのだが、無用なトラブルや邪推をされるよりは良いと思って──諦めて──放っておいている。
 土方とて坂田の存在が気に食わないと言う事に変わりは無い。だが、あからさまにそう言った陰湿な態度を示す事に益は無いと呑み込める程には子供では無かったと言うだけの事だ。一皮剥いて仕舞えば坂田の事を快く思わない感情は幾らでも山程に出て来るだろう。
 厄介だったのはそれと等量ぐらいには、坂田と言う男を認めねばならないと、自らの意志で知った納得に足る材料が存在していた事だ。──そう、忌々しい事にも坂田の腕前や仕事ぶりが確かなものである事実は土方や他の誰の目から見てもやはり変わり様が無かったのだ。
 認める・認めない、納得する・しない、はさておいて、然し人には純粋な好きと嫌いの感情判断が存在する。そう言った意味で言えば、土方にとって坂田は矢張り忌避すべき対象だった。
 明確で解り易い理由などない。ただ、本能的にそれを苦手だと思った。矢鱈目について、然し退屈そうに見返されて苛立つ。負けたくないと、具体的に『何』に対してかは知れないが強く思って、対峙する。
 結局土方の裡で坂田の印象の殆どは、出会った当初の不快感と不可解感とが占めている侭だったのだ。
 不快だったのは、近藤の知り合いでありながら己が知り得ていなかった事に対する──近藤と坂田の間には己の知らぬ『何か』があったと言う──嫉妬からだ。
 不可解だったのは、坂田と言う男に似つかわしいのは『自由』と言う言葉であって、彼が到底誰かに仕えたり従ったりする様な人間とは思えなかったからだ。
 実際坂田に訊いた訳では無いから断固とした根拠はなく、そう感じたのは単に土方の直感の様なものだ。
 いつかこの男は何処かへ消えて仕舞うのではないか。
 その漠然とした予感は、不安とも不審ともなれずに土方の裡で今になっても猶、蟠り続けている。
 
 *
 
 想像していた通りに、犯人は捕まらなかった。
 夜道を戻って来た部下からの報告に、坂田は「仕方ねぇな」と、土方は「そうか」とそれだけを応えて終わった。
 山崎の持ち帰った凶器からもやはり何も有力な証拠になりそうなものは出なかった。少し手を回せば容易く手に入る様な市販品。生産数も多く模造品も多い。投擲したのではなく、ボウガンの様なものを使って撃ち出したのだろうと言う分析結果が出たが、それとて然程に役立つ情報と言う訳では無い。仕込まれていた毒の方とてネットなどを介せば簡単に手に入る、分量次第では命の危険を冒す類の物だった。この毒が刺さった凶器から体内に入っていたら、土方は今ここには居なかった可能性もある。
 一歩間違えれば己の死亡報告書になっていたかも知れない、昨晩の暗殺未遂の報告書をファイルにまとめて土方はそっと嘆息した。
 警邏中の襲撃(斬りかかって返り討ち、或いは昨晩の様な狙撃なので何れも未遂)。郵便物の中に爆弾(開封前に探知機にかかって未遂)。警察車輌への細工(メンテナンス中に気付いたので未遂)。煙草への毒物混入(パッケージが開いていた事に気付いたので未遂)。以下略。まとめて見れば沖田の殺害をほのめかす悪戯(日課)並に可愛いものだが、どれもこれも未遂だったからこそ、可愛い悪戯などと言えるものであるに過ぎない。一つ一つを挙げれば歴とした犯罪で殺人未遂だ。
 命を狙われている。真っ向からそう言われた所で土方にとっては今更怖じける様な事ではない。攘夷浪士から蛇蝎の如くに忌み嫌われている自覚ばかりか、同じ真選組の部下にさえも嫌われている自覚もある。何処へ出た所で鬼は嫌われるが道理だ。今更その事を憂う様な人並みの感性など残っていない。本来ならば日々怯えて憔悴して過ごす事なのだろうとは思うが。
 今に至っても自覚が今ひとつ稀薄なのはそこに原因がある。
 命を狙われている?そんなの今更言うまでもねェだろ──土方自身に言わせれば所詮はその程度の事だ。怖じけるどころか珍しくさえない。心当たりは山とあるのだ。
 だが、実際にこうして書面となってファイルひとつにまとめて見ると、少々その頻度と執拗さには奇妙なものを感じずにいられない。陰湿、とでも言うのか。あわよくば死んでくれれば良いが、そうで無くとも構わないと言う様な、成功率の低い手段が手を変え品を変えて行われている。それらは二月ほど前に唐突に始まってからは特に法則性もなく散発的に続けられている。
 それを含めて奇妙な点は多々あったが、取り分け土方が注目したのは、それが明かに真選組や警察組織内部の人間で無ければ不可能だと思われる犯行が幾つも浮上した事だった。
 結論は早い。──内部の人間が犯人。
 (出来れば、身内は疑いたく無ェもんだが…)
 未遂の報告書が何枚も収められたファイルを指でとんとんと叩きながら土方は思索する。身内を疑いたくない、と言うのは心情面の問題ばかりではなく、組の内部に無用な混乱や軋轢を生む可能性を考慮しての事だ。各々が各人以外の誰かを常に疑ってする生活なぞ長保ちする筈が無いのだ。何れは何かの形で不満や疑心が噴出する。
 それもあって、土方暗殺未遂事件(仮)の仔細を知る者は組の中でもごく少数の人間に限られている。幸いにと言うべきか、土方が命を狙われると言う事そのものは珍しく無かった為に、幾つかの事件が一般隊士に露見した所で然程に問題が無いと言うのが救いだった。
 (命を狙われておいて幸いも救いもあったもんじゃねェが)
 思わず苦笑する。尤も土方のその表情は他の者から見れば、獰猛な笑み、と映ったかも知れない。
 その時土方の脳裏を過ぎっていたのは坂田の姿だった。銀髪、天然パーマ、だらけた態度、やる気の無い眼差し、甘い物好き。大凡土方とは掛け離れた容姿と性格をしたその男が、己と同じ隊服を身に纏い、己と同じ職位に就いていると言う儼然とした事実は、坂田が現れた日からいつだって土方の裡に不快感と不可解感とを伴って存在している。
 内部の人間が犯人。同じ言葉をもう一度咀嚼しながら、土方は再度思索する。一昨日から近藤は松平と共に京へ出向いている。その為、帰還までの間の真選組の実質全権を握っているのは副長と言う事になる。
 副長とは誰を──誰と、誰とを指す言葉だったか。
 (内部犯を──仮に内部犯だとしたら、焙り出すならこの機をおいて他にねぇ)
 土方は眇めた目でもう一度、真選組副長・土方十四郎の暗殺未遂の数々の報告書が収められたファイルを見下ろす。内部犯だとしたら、近藤を無駄に苦しませ、松平に要らぬ詮索を掛けられる必要も無い今が正に好機だ。
 近藤に同行した者らは当然容疑者から排除して良いだろう。それでも容疑者は残る九割以上の隊士の数からは易々減るまい。部下の顔や名前ぐらいは頭に入っているが、個人的な為人や好意悪意は土方の知る所ではないのだから仕方あるまい。
 昨晩、己に向け投じられた刃を弾いた坂田の姿をその中に思い起こしながら、土方は嗤う。
 「……間怠っこしい。やるんならとっとと、正面から堂々とやりやがれってんだ」
 その苦味を交えた小さな呟きを拾う者は誰もいなかった。







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