情熱のない犯罪 / 4 深夜から降り始めた雨は外気温を酷く冷やしていた。まだ真冬の装いと言うには早いが、いつまでも夏の気分でいれば忽ちに身体を壊して仕舞うだろう。気紛れな秋の天気は油断しているとあっと言う間に冬を引き連れて来るから困りものだ。 土方が今居るのは警察庁の会議室である。警察庁は古風な和風建築の真選組の屯所とは異なり近代的なビルディングにその役割を置いている。頑丈なコンクリートに包まれ、分厚い窓硝子に囲われたその内部には隅々まで空調が行き届き、外気温が冷えようが暖まろうが年間を通して快適な温度を中の人間に提供してくれているので、外は冷えていても会議室の中は暑さすら感じられる温度だ。 重要な案件の話し合いは遅々として進まず、下らない予定調和の取り決めだけはすんなりと採決されて行く。現場で実際に刀を振るう土方からしてみれば実に馬鹿馬鹿しい、会議と言う名の集いには議場らしい熱は殆ど感じられない。 本来その議長の一人である松平は出張で不在だが、定例の会議はスケジュール通りに執り行われている。その事からもこの会議がただの定例の顔合わせの様なもので、然程に重要な会合(イベント)では無いとは容易に知れていた。 それでも、いち警察組織の幹部である土方がそれに参席するのはそれが仕事であり義務だからだ。本来その席に座る筈だった近藤が松平の護衛として留守にしている為、土方は常の己の役割である局長の補佐と言う立場よりも重い、真選組の代表として席についている。 その事実は、土方が自身で想像しているよりも重たい緊張感を無意識に背負い込んでいたらしい。半日続く熱の無い議論の合間に設けられた休憩時間を迎えた今、土方は緊張に紛れ感じ取る事の出来ていなかった議場の暑さを知って密かに嘆息した。 携帯電話を机の上に放り出すと上着を脱いで椅子の背もたれに掛ける。それから両腕を思いきり上に伸ばせば、強張った背が漸く楽になれたと力を抜くのを感じた。ついでにスカーフも少し緩めて襟元に空気を入れれば大分熱も引いて落ち着きが戻って来る。会議が再開したら流石に不作法に当たる態度だが、休憩中の今は動く者も座している者も誰も特に気にすら留めない。 休憩の後には幾つか、真選組にも関わりのある法的な事項が議題に上げられる予定だ。前日から抜かりなく用意していたぶ厚いファイルをめくって幾つかの事柄を確認すると、土方は議場の時計をちらと見上げた。昼食に当たる時間帯を挟んでいるから会議の再開まではまだたっぷりと余裕があるが、予習を終えて仕舞えばこれと言ってやる事は特に無い。食事も既に済ませて仕舞っている。 隣席には秘書代わりに連れて来た部下が座している。大柄な癖に剣の腕よりも机仕事や計算と言った面に長けていたから、二ヶ月ほど前に土方が手ずから引き抜いて副長補佐にと推挙した男だ。彼もまた土方と同種の緊張感を感じていたのか、未だ固い侭の姿勢でファイルを積んで予習に余念が無い様子でいる。 鬼の方の副長が余り社交的な気質ではないと理解しているので、仕事の話以外では彼は比較的大人しい方だ。その点もまた土方にとって重宝する所であった。以前まで補佐について回っていた山崎ではこう静かには行かない。 「……」 二度目の溜息は先程よりも大きく、疲労よりもある種の感情を伴って吐き出された。それを聞き咎めたのか、ファイルの上から目線を寄越す部下へと軽くかぶりを振って返すと、土方は音を立てぬ様に椅子を後ろに引いて席を立った。 「副長?どちらへ」 「一服して来る」 問う声に、煙草を指に挟む様な仕草と共に返すと、土方は上着を腕に引っかけて議場の出入り口へと向かった。いつぞや松平の出した禁煙令の名残でか、ヘビースモーカーの長官を抱える警察庁内部でも最近では分煙が進んでおり、会議場での喫煙は全面禁止となっている。松平当人はそれを全く守る気が無い上に諫める部下もいないのだが、その松平が不在の今日に堂々と煙草を噴かすのは、如何に身分や他者からの評価なぞ気にしない土方と言えど流石に躊躇われた。 議場を出て廊下をエレベーターホールの方へと進めば、椅子や自販機の置かれた小さな休憩スペースがある。青々とした葉を茂らせた贋物の観葉植物の鉢の隣にぽつりと佇む灰皿の横に立つと、土方は上着から取りだした煙草をくわえた。火を点けヤニの臭いを肺一杯に吸い込めば、漸く解放感を思い出せた気がして深く安堵する。 松平を始めとして、老齢の幕臣の中には喫煙者が結構に多い。近年肺癌や健康被害の懸念などが大っぴらに囁かれる様になってからは老齢の愛煙者は幾分減ったとされているが、何分警察と言う職業は酷くストレスが溜まるものだ。見下ろした灰皿の中には結構な量の吸い殻が詰められている様だった。 然し取り敢えず休憩所の付近には土方以外の人間の姿は無い。会議場にも参席者の人数が少なかった事を思えば、階下か外の食堂にでも出ているのだろう。予習の時間の合間を縫って簡素な昼食を既に終えている土方にとっては、食事の合間にすら生じる面倒な挨拶やら世間話がない事は有り難い話だ。 社交的で大らかに振る舞う近藤が傍に居ないと言う事は、土方の無愛想さや不作法さを際立たせる結果となっていると言えたが、それは土方自身既に自覚済みの事だ。同じ位に居る坂田も概ね土方と似た様な傾向の様だったが、あちらはまだ適当に立ち回れる器用さがあるだけマシかも知れない。 近藤や坂田ならば聞き流せる様な嫌味や侮辱を、土方は上手い事無表情の下に仕舞う事が出来ないのだ。無論、仕舞う事は仕舞う。隠し立てして振る舞う事も出来る。ただ、余り上手く無い上に、仕返しをせずにいられない悪癖がある。それをして短気だと評されるのは強ち間違った事では無い。そして土方は己のその『悪癖』を悪いとは思ってはいないが、厭っては居た。大義や個人の感情は政治的な場面では到底役に立たぬと言う事を思い知って来ていたからこそ。 それに何より、家柄や身分やらでこちらを端から蔑んで見る連中と好んで会話など、必要に迫られない限りはしたくないと言う隠さぬ本音もある。それを汲んでか知ってかは解らぬが、向こう側とてこちらから近付かぬ限りは寄ってさえ来ないのだから丁度良い。 それでも、そんな土方の元へわざわざ寄って来るとしたらそれは、何か楽しい甚振り方を携えている時ぐらいのものだろう。生意気な田舎の芋侍を嘲り、旨い酒の肴にでもしようとしている時だ。少なくとも土方の思い当たる限り、知る限りはそのぐらいの理由しか無かった。 だから土方は、エレベーターホールを真っ直ぐに通り抜けた足音が、迷う事なく己の佇む休憩所へと向かって来ているとは気付いていたが、不作法と取られぬギリギリまでそれに気付かぬ素振りで目を閉じ続けていた。 リノリウムの廊下を踏み抜いて来たのは、洋装の重たい革靴の足音だ。共にかちゃかちゃと音を立てて居るのは佩いた刀の鳴る音。 「やあ、土方くん。こんな所で休憩かね」 低めの涼やかな声に、たった今気付いた様な素振りで土方は目を開いて顔を起こす。大凡武術や剣術の類に優れているとは言い難い無造作な音を引き連れて歩いて来たのは、近年警察組織の中で台頭してきている文門の幕僚だった。 「これは、筒井殿」 土方は吸い指しの煙草を灰皿に突っ込み、頭を垂れる。お座なりな挨拶の言葉に辛うじて愛想と呼べるものが乗ったのは、この警察幕僚の男が公儀大目付役の家系にある事を憶えていたからだ。 警察機構は幕軍に並ぶ武力を有する存在となっている。元々天人来航の後に組織されたその目的は、多様化する文化や人種のもたらすあらゆる犯罪への対応と、天人や幕府への謀反を目論む勢力への武力を以ての粛正──見せしめ──であった。 当然その権力は幕府に根付いた権力者達や将軍そのものにも驚異に当たるとされ、万一にも謀反の類を起こさせまいと厳重な監視が置かれる事となった。その役職こそが、警察組織に属す立場でありながらも幕府直属の大目付としての役割を置かれた監察官である。 土方は頭を下げた侭で記憶の中の名簿を手繰る。前期の監察官の筆頭が筒井何某で、今は後任の者がその役職に就いている。つまり今土方に軽やかに挨拶をしてきたこの男は、前監察官筆頭の子息であり、現監察筆頭の補佐でもあり、行く行くは同じ職務に就く予定のエリートと言う事になる。 監察の権力は、効力の違いはあれど真選組のそれとほぼ同じ意味と役割とを持つ。筒井と言うこの男は山崎とは到底比べものにはならない貫禄と身分の持ち主だが、経歴や家柄とは無関係に職務と言うものは存在している。時に組織に対し超法規的な措置でさえ取れる──上申出来るのが、監察が身の内の間者などと称される所以だ。 つまり、土方にとって、真選組にとっては敵には回したくない者の一人と言う事になる。それだけ承知していれば当面の理解としては事足りた。数秒に未たぬ間の中、筒井は畏まった態度を見せる土方に、構うなとばかりに鷹揚に笑いかけると、灰皿の横にあった椅子へと腰を下ろした。それを待って頭を上げると、土方は煙草をくわえるその口元へとライターを差し出す。 当然の様に火を点けさせ満足気な息を吐き出す男の横顔を、土方は不躾にならない程度に盗み見た。歳の頃はまだ三十代半ば。前髪の一部以外の髪は短く刈って後ろに撫でつけた、涼やかな印象の男だ。昨今の警察機構の倣いに柔軟に従い、警察官幕僚の纏う黒い羅紗の制服をそつなく着こなしている。 その様からは家柄だけのボンボンか、切れ者であるかは探れそうもない。ただ、エリートの家系らしい悠然とした仕草や態度は隠さずとも知れる、と土方は思った。 ただでさえ法の綱渡りを松平の威光と、組織に与えられたある程度の権力で繰り返して来ている真選組だ。余り監察に目など付けられたくはないと言うのが正直な所なのだが、だからと言って邪険に扱う訳にも行かない。「やあ」などと気軽に挨拶を寄越したその通りに、この男が以前から真選組に一定の関心を示している事は土方も承知している事である。 発端は何年か前の年始だか年末だかの宴席の折だったか。監察補佐への就任の挨拶回りを行う傍ら、筒井が矢鱈と近藤と愛想良く話していた事を土方は憶えている。その後も幾度か、警察組織として顔を合わせる機会に恵まれる度になんでかんでと挨拶を交わす関係だ。近藤も、家柄の割に気さくで年頃もそう遠くは無いその男に親しみを得ていた様だった。 当初は、監察として真選組の動向を伺っているのか、と注意したものだが、そう言った会合以外での顔合わせや関係が一切生じなかった事から、然程に注意は払って来なかった。 そんな筒井が、近藤の不在の状態の土方に──愛想を最低限しか振りまけず世間話も咲かぬ様な男に、わざわざ近付いて来た理由とは何だろうか。 単なる偶然。気紛れ。煙草を吸いに来たらそこに土方が居た。──それだけ。 それだけ、では無いのではないか、と思考するのは土方の精神性に根付く警戒に満ちた性質だ。幾つかの疑心を脳裏で描きつつ、然し監察に気取られる様な何かを露呈はしまいと、無意識に口を固く結ぶ。 実の所、監察と警察のいち組織の幹部とでは階級そのものは然程に変わりはない。相手の職位が『監察』である事と、家柄の問題とが一応は土方に未だ礼儀らしきものを取る事を選ばせている。権力に萎縮している様なその現状を馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しい話だとは思うが、相手の気紛れひとつで組織を傾けかねない問題へと発展するのは正直避けたい。 己の忍耐が余り無い事を熟知している土方は、筒井の一服が終わるまでは一応待つ事にした。挨拶を寄越して隣に腰を下ろした以上、何か用向きがあると考える方が自然だ。少なくとも徒労にはなるまい。土方の知る以上では、この男は他の老獪な幕臣とは異なり、下らない嫌味の類での攻撃を真選組へと向けた事は無かったからだ。 やがてそんな土方の想像を裏付ける様に、筒井は煙草を灰皿へと押しつけながら、静かな口調で切り出した。 「……何でも最近、君の組織で物騒な噂が持ち上がっているそうだね」 「…………」 君の、と指す調子が核心を衝いている様だったので土方は「何の事ですか」と惚けようとした言葉を呑み込んだ。無言の侭で、肯定を示すとも取れる様に目を僅かに伏せる。 物騒な噂。噂程度で済んでいるかは怪しい確信がそこには潜んでいた。土方は真選組内部では『そう』と知れぬ様に振る舞って来たし、状況を操作しては来ていたが、監察の情報力があらゆる警察組織の内部にまで及んでいると言う事実はどうやら疑いの無いものらしい。 盗聴。間者。口の軽い者の『噂』話。幾つかの可能性を舌裏に乗せながら、土方はそれを呑み込んで無言を貫いた。果たして監察筆頭補佐はそれをどう取るのか。そんな興味も多少はあった。 然し、土方のちっぽけな抵抗なぞ端から筒井にはどうでも良い事だったのか。彼は聞き分けの無い子供を諭す様な苦笑をその口元に僅か浮かべ、じっと前方を見つめる土方の横顔を視線だけで見上げて来た。 「二人の真選組副長の片方の命が狙われている。それも、外部ではなく内部の人間と思しき者の手に因って。これは君が思うよりも重大な事態だよ」 投げられた、無言も嘘も無意味と言いたげな直球の本題に、土方は思わず周囲へと視線を彷徨わせた。如何な警察庁の建物と言えど公共に程近い場である事は確かだ。これはそんな場所でおいそれと出す『世間話』では到底無い。 だが、土方がこの休憩所の周囲に監視カメラの類も、立ち聞きしている者の気配も無い事を確認してから、この監察も同じ意図を以てこの場所で声を掛けて来たのだと今更の様に気付けば溜息が自然と漏れた。 「………でしょうね」 その投げ遣りな土方の物言いにか、筒井がくつくつと笑う気配が返る。 「報告義務は必要無いかと判断しましたので。真選組と言う組織の体裁上、片付けるのは法的措置では影響が多岐に渡る事となるでしょう。内々での粛正が最も適しています」 場違いな笑い声に少しむっとしながら固い声で続ける土方に、「全くその通りだ」と筒井はいとも容易く応じた。そのあっさりとした態度に、ある程度の予想はしていたが思わず眉が寄る。 真選組は対テロリストと言う面で多大な武力と権力とを有する事を許された警察組織だ。その内部に攘夷思想を抱く者や、上官への叛逆を目論む者が現れたとなれば──況してそれが民にも知れる大事となれば、警察機構そのものに与えられる影響も大きいものとなる。 民を護るべき者の造反とは。平和の維持は。管理体制は。そう言った民意のあらゆる攻撃に晒される事は警察組織の誰もが望む処では無い。 だから土方は方便と解ってはいてもそう口にした。だがそれは本来、監察と言う限りなく第三者の目として警察組織全般を裁く立場である者が簡単に同意して良いものでは無い筈だ。 最終的には組織の問題としてそうせざるを得ないとしても、余りに容易く内部粛正と言う前時代的な、法を通さぬ措置を何の躊躇いもなく肯定されるとは流石に土方の思わぬ所であった。 予想としては、難色を示してみせる事で真選組の立場へと牽制をかけようとした、程度の事は考えていただけに余計だ。 思わず向けた視線の先で、筒井は足を組んで刀を杖に手を置いていた。土方の当惑を振り払うかの様に目を瞑って柔らかく笑む。 「組織の裡に湧いた膿は、自浄作用で洗われるべきが当然の有り様だろう。外部の裁きを要さねば断てぬ程に、君の刃はなまくらではあるまい?」 悠然とした笑みと共に謳う様に言われ、土方は寸時迷った。滅多な事を言わない様にと釘を刺す、優等生の素振りをして終わらせるか、危険思想であると取られる事を承知で同意を返すべきか。 だがそんな土方の寸時の惑いに何を思うでも無かったのか、筒井はやんわりとした仕草で立てた指を軽く曲げてみせる。耳を、と言う要求に似たそれを悟った土方は応じ、僅かに身をそちらへと寄せた。ほんの少しだけ近付いた距離で吹き込まれる、悪魔か何かの囁きを受け取るべく。 「君の命を狙っているのはもう片方の副長だよ」 「……──、」 咄嗟に言葉を探せず、土方は瞋恚と驚愕とに似た感情の中でその言葉を理解した脳に眩暈を憶えた。実際に身体がふらついたのか、とん、と筒井に軽く腕を叩かれ、我に返って背筋を正す。 「ぎ…、……坂田の、事ですか」 奥歯の間で擦り潰した言葉は呑み込まれず、舌先で痺れた様に震えてその名を紡いだ。それを激しい怒りや、失望なのだと言う理解は未だ明確に得る事が出来ぬ侭、土方は持ち上げた手でそっと目元を被ってただ立ち尽くす。空調の効いた空間の恩恵など感じられない、背筋が冷えている癖に頭だけが熱い、その感覚に堪えるべく。 「考えてもみたまえ。君が危機に晒されるその時には、いつも彼が居合わせてはいなかったかい…?」 そこに毒の様に入り込む声に、土方は寸時抵抗と反発を覚えたが、一瞬の後にはそれを苦渋と共に呑み込む事を選んだ。疑問と、怒りと、衝撃と、失望との中で、出尽くす感情は最早まともな思考である事を放棄し、言葉にさえならなかった。 或いは心を鈍らせる躊躇いにさえ。 投擲された刃の前に。潜んだ毒や悪意を目の当たりにした時に。言われた通り、果たして坂田はいつもそこに居た。 それはそうだ。職務態度はともかく、坂田はいつだって副長として──もうひとりの真選組副長として、土方の傍に常に居た。 解っていた様で、解ってはいなかった。だからこそ誰かに言われ、得たのはこの虚脱にも似た衝撃がひとつ。 「……まあ、易々とは信じられないのも無理はない」 共感を促す様な声に、土方は宙でまだぐらついている己の意識を何とか引き戻した。個人的に憶えるあらゆる感情を払う様にかぶりを振って、それでも凌げない失意に似たものを抱えて俯く。 「………根拠は、と問うのは愚かなのでしょうね」 内なる己の紡いだ諦めの悪い問いに失望しながら、土方は苦い感情を無理矢理に笑みにして小さく笑った。監察ならば迂闊な可能性の論など口にはしない。少なくとも根拠が、根拠に足る証拠や材料がそこには確かに存在しているのだと、男の態度と口調とが既に物語っている。 (……………坂田、か) 思えば、疑う迄も無くそれは簡単に叶う想像だった。だからこそ現実感が遠くて、土方は力なく笑い、忌々しさに憤った。ある時突然近藤が連れて来た、得体の知れぬ男。土方と位置を対極にする、もうひとりの副長として、常に横に立っていた男。 「君とて、坂田副長が目障りだろう?」 そっと放たれた言葉は誘惑に似て。それとも或いは土方の裡の本心を代わりに紡いだだけのものであったのか。 我知らず浮かんだ剣呑な鬼の笑みに、それを招いた男も笑って応じた。 賢しく身を喰う事を選んだ鬼の、その選択を誉める様に。 。 ← : → |