情熱のない犯罪 / 12 土方にとって坂田の名前は常に忌々しさと共にあった。 近藤と共に武州から来た門下生仲間や、江戸で浪士組として仲間になった者たちとは異なる『仲間』。或いは同僚。或いはライバル。幾つか、坂田と己との立ち位置を指す言葉として浮かぶものはあれど、その何れもがしっくり来ない様に思えるのは、きっとそれが当人達の感情を無視した客観的な言い回しだからなのだろう。 土方が初めて坂田に会ったのは──会わされたのは、そう昔の話では無い。 「坂田銀時だ。俺のちょっとした知り合いでな。真選組に入って貰う事になった」 その言葉が胸に始めて落ちた時、得たのは慕情には程遠い嫉妬めいた感情ばかりの筈だったのだ。 * 気に食わねェ。 正直な所その男を見て真っ先に土方が頭に浮かべた感想はそんなものだった。尤も感想と言うには余りに個人的な感情の乗り過ぎたその言葉は結局最後まで口から出る事は無かったのだが。 言葉と感情とを呑み込んだ土方の代わりの様に沖田が、『気に食わない』に大凡類する言葉を並べるのを窘めるフリさえしてみせた。 それは土方が近藤を見る目には何処までも信頼しか無かったと言う事のほか、ある種の思考停止に似たものが生じていた事に因る。諦め。或いは納得せざるを得ない存在感。その二つの理由はいつも土方から、坂田への文句を奪った代わりに反抗心を育て上げる材料だった。 近藤を疑うつもりは無い。だが、あのお人好し過ぎる大将は時に人を見る目を誤る。優しさ、甘さ、愚かさ、だがそう言った性質こそが近藤の美点でもある。土方も沖田もそれを損ないたくは無いと言う一点では考えが一致していた。互いに、時に憎まれ役を買ってでも近藤を護る事を選ぶ事が出来る存在である事は理解していたし、それが自分たちに必要なものだと言う事も解りきっていた。 だからこそ土方は表向きは坂田の雇用に対して大人の対応を取る事を選んだ。その反面で坂田と言う男を観察しその正体を見極めようとしたのだ。 そうして思い知らされたのが、坂田への羨望──を隠し知らぬ振りを決め込んで得た忌避感と、そんな土方を退屈そうに見返す坂田の眼への不快感だった。 日に日に悪感情と苦手意識とが募り続ける。積もり続けて消えはしない。故に、その苛立ちが臨界点を越える前に、土方は自ら打って出る事にした。元よりぐだぐだと悩み続けるのなぞ己の性分では無かったのだと、一種の開き直りめいたものを抱いて。 伊東の時を繰り返すのか、と沖田が忠告めいて囁いた事には悪態を返したが、その実いつ己の心情がそうなってもおかしくないぐらい、隊の内部では坂田と土方との間に刻まれた深い溝をして、憎み合っている、などと知れて仕舞っていた。 気に食わねェ。 その感情を引き擦って、気付いた時には土方の足は坂田に与えられた私室へと向かっていた。 仕事も全て終えた深夜だ。月も無い夜は静かでそして陰鬱な気配で、廊下を裸足で一人歩む土方を包んでいる。然しそれが躊躇いの材料になるぐらいならば、端から心にこんな鬱屈なぞ溜め込まない。これは今まで坂田の存在を忌避するだけで静観を決め込み続けて来た己への当然の報いとも言えるだろう。 坂田はもう眠っているだろうか、と少し考えはしたが、それですら土方の決意の足を止めるには至らなかった。本当に憎んで殺して仕舞いたくなる前に、本当に羨んで殺して仕舞いたくなる前に、正す必要があると解っていた。 沖田が表面に感情を出してくれたお陰で裡に潜める事に成功して仕舞った己の本音を、恐らくは間違ったものであるのだろうと漠然と土方は思っていたからだ。 近藤の連れて来た男。強くて、自由で、闊達な男。気に食わない男。納得せざるを得ない男。 坂田の私室は土方の使っている副長室とは少し離れた、空き部屋の多い区画にある。場所は違えど双方に共通していたのは、周囲にひとけが無いと言う事だ。その事実に思わず物騒な事を考えて仕舞うのは職業柄だろうか。就寝前だと言うのに佩いて来た刀を無意識の片隅に置きながら、土方は何の先触れも告げずに戸を開いた。 「………」 そこで土方は思わず顔を顰める。果たして坂田は部屋には居たが、着崩れた隊服の侭で二つ折りにした座布団を頭に挟んで横臥しすうすうと寝息を立てていたからだ。 帯から刀を抜くと、土方は鞘に収まったその切っ先を坂田の鼻先の畳にとすんと叩き付けた。 「オイ。目ェ醒めてんだろうが。この狸が」 土方の恫喝に逆らう事もなく、ぱちりと坂田は目蓋を持ち上げ眼前数糎の位置にある鞘の尖端を見つめ、それから苦笑に似た吐息を吐いて笑った。 「夜這い?」 「得物持って寝所に入るのかてめぇは」 「じゃ、暗殺?」 重ねて問う声が何だか聞き分けの無い子供に相対する親の様なものに聞こえて、土方は「それも違ェ」と断じて舌を打つ。刀を戻してその場に腰を下ろせば、横になった侭の坂田がごろりと体を振り向かせて来た。飽く迄身を正す気の無い坂田の様子に土方は少々苛立ったものの、こんな事ぐらいで折れていたらいつまで経っても先には進めないと、半ば諦め混じりに切り出した。 「単刀直入に訊く。てめぇと近藤さんの関係だ。いつどこでどうやって知り合った?」 思えばこれが当初からの引っかかりだった。然し坂田は土方の問いに対して、涅槃仏の様な姿勢で呆れた様な溜息をついて寄越した。 「何、おめーはゴリラのお母さん?それとも女房?」 「茶化すな。そんなもんじゃねェ」 秒と間を空けずに返した反論に坂田が返したのは、「知ってる」と言う短い答えだった。 あっさりと断じられた返答に思わず鼻白んだ土方の隙を衝くかの様に、異国の獣か何かに似た動きで坂田はゆっくりと身を起こした。スカーフは無くボタンも幾つか外れた皺だらけの隊服。僅かに漂うのは酒の香。 本来ならば土方が、真選組の心の体現でもある隊服をそんな風にぞんざいに着こなされて快い筈は無かった。だが、その姿はいつも、まるで誰かが望んだ鋳型に自らを収めた様な──檻の中で大人しくしている獣を連想させる様でもあった。 坂田にとって真選組と言うのは恐らく真に己の望んでいる在り方では無いのだろう。土方は直感的にそんな事を思った。 思って、そしてそう理解して仕舞った己に失望した。自由である坂田に羨望を憶えた。 「まぁ、別に隠し立てする様なもんじゃねェし、おめーが悩む程の事でも無ぇさ。ちょっと食い詰めて墓場で黄昏れてたら、墓参りに来たゴリラにまんじゅう貰って意気投合しちまったってだけの顛末だよ」 戯けた様に肩を竦めて言う坂田の言葉に嘘があるのか無いのかは解らない。 「……それが、理由か」 だから土方は問いを重ねた。恐らくこれは失望ではないが、それに似たものだと予感しながら。 「何の?」 「その時の近藤さんへの恩義が、てめぇが真選組(ここ)に居る、理由か」 犬の様に鼻の頭に皺を寄せた土方のその瞬間の思いも感情も、恐らく坂田の知る様なものでは無かった筈だった。 自分も、沖田も、他の多くの者らも近藤へ恩義や尊敬を抱いてここに居る。 坂田は、本来こんな所に収まっていられる様な人間では無いと言うのに、それでもここに居る。居る事が出来ている。 それが羨ましくて、憎かった。 土方は近藤と、彼の志を体現し護る真選組と言う場所こそを自らの生きる場所で死ぬ場所と定めていた。それは当然だと思ったからだ。己でそうしたいと思ったからだ。 鬼になってでも、大将の心と志とを護って、彼らを護る事が出来るならばそれで良いと思った。その心には嘘も偽りもありはしない。 だが、恐らく坂田は違うのだ。この男は──否、この男こそ大将なのだ。近藤と同じ、筋の通った勁さと優しさとを持って自由に真っ直ぐ立つ事の出来る、人を惹きつける天性の素質の持ち主。 そんな男がここに足を止めた。近藤への恩義と言う理由ひとつで、ここに収まってくれた。土方の掲げる、大将を護り結束を固める為の法度などでは決して縛られない筈の、人を外れた鬼が。 「……半分は正解だが、残り半分はちょっと違ェ」 今まで忌避感一つで覆い隠して来た感情や焦燥の荒れ始めた土方の裡を、まるで察しでもした様に坂田は軽く笑って胡座を掻いて続ける。 「ゴリラも心配してたよ。おめーが未だに昔からの仲間数人ぐらいしか信じる事が出来ねェって事を」 知った様な、得た様なその言葉に脳髄がぐらりと揺れた。これは何だか解る。嫉妬だ。 近藤が坂田にそんな事を話したのかと言う事と。 坂田が近藤からそんな相談を受けたのだと言う事とに。 恐らく酷い顔をしていると思って、土方は唇の内側を噛んで俯くが、それを追って坂田が顔を覗き込んで来る。 至近だった。刀を手に掛けた所で抑え込まれる、気付くには遅過ぎた近過ぎる接近だった。 致命の予感に思わず身を強張らせた土方に、然しあっさりと、 「つー訳でだ、俺とお付き合いしてみねェ?」 重たげな目蓋の銀髪頭の男は、そう言って笑ったのだった。 「…………………は?」 辛うじて出た土方の一音には殆ど意味は無かったと言えよう。発言の意図を問う以前に、何を言われているのかすら良く理解出来ていなかったのだから。 「だからよ。年月とか付き合いの長さだけが信頼とかを培う訳じゃねェって実践してみりゃ良いって話。どうでも良く埒だけ開けて、互いに一番他の誰にも知らねェ所晒せる、そんな打算だらけの信頼とかも世の中あるんだっててめぇ自身で解ってみりゃ良いさ」 後から思い起こせば、最低の口説き文句であったと土方は断言出来る。 だが、気付いた時には土方はその言葉に頷いていたのだ。てめぇを好きになるつもりは無ェ、と言い訳の様に口にしながら、差し出された手を取る事を己に赦した。抱き寄せて来た腕に黙って目を閉じた。 その一つは、坂田が真選組(ここ)に居る理由であると言う、残る『理由の半分』が見つかったからだ。 恩義を感じた近藤の護りたいものである真選組を、そこに居る者らを、沖田を、土方を──、護る事こそが、坂田が窮屈な隊服の内側に見出した理由なのだと。 そしてもう一つは──、 * 頬に飛んだ返り血がもう冷たい。不快になって手の甲で擦れば、紅い筋が手の甲に写ってそれもまた不快だった。 見下ろした足下には事切れた男が居る。否、在る。 愚かな男だと思う。家柄も身分も確かなものであったと言うのに、たかだか一つの恋情だかで思い切った事をして人生を誤った。 筒井が土方の事を『そう』見ていたからこそ、同じ様なものを抱いて傍に居た坂田の心を察して早々に自ら手を打つ事にした。土方の命を狙い、坂田の過去を吹き込む事で彼への疑いを煽り、坂田を法的に抹殺しようと企んだ。 坂田は難色を示したが、土方に言わせれば矢張りそれは『下らねェ』事でしか無い。筒井は自身でも土方が真選組にしか心を動かさぬ事など知っていた筈だと言うのに、それでもそんな鬼に焦がれるなぞ見誤り以外の何でも無い。 心が手に入らないのならば肉欲だけでも満たそうと思ったのだとしても、結局は何処までも下衆の話だ。土方にとってこの身は坂田に呉れてやった物なのだ。本来ならばそれ以外の誰にも触れる事を赦そうなどとは思わなかった。『坂田副長』の安全が対価に無ければ、頷く筈も無かった。 証言者となる筈だった元刑吏の男を単身で闇討ちしたのも土方だ。筒井を追い込む為にも坂田の安全を確実なものにする為にも証言者を消す必要がどうしてもあった。坂田が元攘夷志士だったと言う過去を知る者を生かしておく訳には行かなかった。 真選組を──坂田を護る為には、他に手段を選ぶ事は出来なかったのだ。 亡骸を跨いで、土方は懐中に潜ませていた短刀を手布に包んで取り出すと筒井の両手に握らせた。鞘にも指紋を付けて適当に転がす。続けてこれも隠し持って来ていた、指先ほどのサイズの小瓶を、同じ様に自らの指紋を付けぬ様に取り出すと、中身を少量盃に垂らした。それから筒井の懐に小瓶を忍ばせ、乱暴に盃を払った。飛んだ盃はころころと転がり、薬物の混じった高級な酒が畳の上に透明な筋を作る。 土方が供された酒を口に含んで、毒の味に気付いて吐き出し払い除けた、と言う状況がこれで再現出来た。 少々不自然な点は残れど、状況と証言、そして尤もらしい話と動機とで片は付く。 筋書きはこうだ。 筒井は以前から真選組の破綻を狙って土方の命を狙っていた。土方は彼を真選組に懇意にしてくれる人物と疑っていなかった為に、信用させておいて仕留められる状況は好都合だった。然し暗殺の為に金で雇った真選組隊士がなかなか始末をつけられない事に焦れて、自ら手を下そうとしてそして失敗した。毒物を口に含んだ土方はそれに気付き筒井を暗殺未遂事件の主犯と知り出頭を申し出るものの、筒井は抵抗し自ら得物を手に取り、それを危険とみなした土方に斬られ死んだ。 真選組の破綻を狙っていた、と言う部分が、実は懸想していた、と露見しても問題は無い。殺してでも手に入れたかったと言う本音でもあった方がよりそれらしい話になる。幾度かの密会も土方を油断させようと誘ったものだと判断され、それを裏付けてくれるだろう。 失った実害は何も無い。精々、土方が坂田以外の人間に身体を赦したと言う事実に対する胸の悪さや後ろめたさ程度のもので、それでさえ本来感じる必要の無い負い目なのだから。 「……お疲れさん」 『現場』を整え終えた土方の頭をぽんと叩く坂田の手。背後から肩口にそっと押しつけられる額と、頬に触れる銀髪の柔らかさに土方はほんの少しだけ目元を緩めた。 足下に、謀略に埋もれて倒れ臥した筒井の表情は見えはしなかったが、土方の脳裏には最期の叫びが未だ谺していた。裏切られ失望したと言う目。共犯者だった筈なのに、ではない。想いを寄せた人間だから、でもない。警察を名乗るこの存在に対しての、痛烈な弾劾。ひとつのものしか護れないから、そのひとつを護って他のものを護る大義名分に自らを隠した、卑怯な鬼を責める詛いの言葉。 「……………江戸を護る警察、か」 ふと漏れた自嘲の響きの濃い言葉に、坂田は小さく身じろぐと土方の項に唇を押し当てた。 「おめーはそれを正しい事だと思ってやってるんだろ」 そんな、癒す様な労う様な坂田の仕草に、土方はふと思う。果たして坂田はどこまでを了承しているのだろうか。近藤を護ろうとする土方を、近藤の護りたい者たちごと護ろうとしているこの男は。 「正しくは無ェかも知れねェが、真選組の為なら鬼と呼ばれようが何だろうが、どんな汚れた手になろうが、俺はそれでも構わねェ」 坂田をも含めたこの場所を──真選組を護る為ならば、情も無く熱も無く人を一人でも二人でも殺める事をも厭わないこの鬼の本当の感情を、坂田は知っているのだろうか。 欺いて焦がれて、それでも真選組と言う大義名分が無ければ肯定出来ないこの熱の無い情を、知っているのだろうか。 「なら良いさ。俺がお前の信じる道を進むお前を、護る」 掛けられた言葉には打算の末に生じた安堵がある。銀時、と小さく呟いて土方は浮かんだ苦い感情の侭に口元を歪めた。背後の坂田の表情は伺えないが、坂田からも土方の表情は見えない。 だから良いと思った。仮令それが近藤の恩に報いる形であっても、護られる存在となって、この本来きっと自由であった筈の白い鬼が『ここ』に留まってくれる理由となるのならば、それで構わない。 顔を向かい合わせる度に気に食わぬと顔を顰め、憎み合っているなどと称される程に折り合いが悪い癖に、時に閨を共にし身を喰らわせ得た下衆な信頼を頼りに立ち向かい続ける。 その為ならば。『これ』を護る、その為ならば。 我知らず土方の口元に浮かんだのは嘲笑であった。 それは、情熱のない犯罪者を嘲る、鬼の笑み。情熱のない恋を嘆く、鬼の、嘘に隠した本当の笑み。 実は全員仕掛け人どころか土方以外全員騙されるターゲット。 坂田が気付いていたとしてもそれを言わせはしない、嘘吐きは己に対してもずっと猜疑的で孤独で独善的。 ← : ↑ * * * ……必要ですかね?的な蛇足。 どうでも良い方は黙って回れ右推奨。 土方の心は嘘を吐けないので面倒くs…、 銀土ですしね、幕臣殿は元から噛ませで当て馬ポジなのは仕様です。でも銀土大幅カットしました諸事情。(←当て馬度が上がり過ぎて話的に銀土が下衆にしか見えなくなったと言う) ちなみに、坂田の過去は原作通り白夜叉で、原作のお登勢さん=近藤さん、程度の改変て感じです。とは言えお登勢さんは居るしスナック二階の住処はあります。子供らは取り敢えず居ません。 …んで実はこの話(ネタ)自体、W副長シリーズの話としてまとめる為の導入と言うか第一話みたいなものだったんですが…、 情なく恋し、熱なく殺し、もう世界と和解するのを已めた。 ▲ |