けだものたちの百の企み / 14



 アルコールの不快な臭気を纏った息が断続的に口から漏れていた。飛びかかった獲物の首筋へと今正に牙を突き立てんと大きく口蓋を開いた所で、けだものそのものの行為に気付いて喉が鳴る。嗤う。
 「よろ、ずや、」
 強く押さえた掌の下で、獲物の喉が喘ぐ様に震えた。突如闇から飛びかかられて地面に転がり、食われるまでの僅かの猶予を抗うばかりのその声は、断末魔ではなく一応は意味のある響きを紡いだ。その事で銀時は一瞬だけ胸が空くのを感じた。一瞬だけ。躊躇は、一瞬の間だけ。
 遠慮無く体重を掛けて抑え込む獣の体躯を、喉を潰す手を、土方は必死で留めようと掴んだ。横に転がった刀を探ろうとするのを止めて、銀時の姿を見上げる。
 掴んだ掌の下に白いスカーフは無い。代わりに釦の外れた白いシャツと前の開いた黒いベストとが目についた。ベルトも外されている。余程激しいプレイでもしたのか。こっ酷くされたのか。身繕いも碌に出来ぬ様になるほど。
 そこまで具に観察せずとも、あの宿から出て来た時点で、土方が誰かと『そう言う』目的を果たしていた事は容易く知れていたのだが。
 「……は、」
 口端が歪んで酷い笑みを刻むのが、自分でも解った。こちらを見上げている土方の眼が不可解さに揺れる。剣呑なその響きに怯えたのかも知れない。最早どちらでも良い事だ。
 「っ?!」
 膝でぐいと股間を押してやれば、土方は息を呑む。過日の路地裏での一件もあったからだろうか、そうした銀時の意図への理解は早かった。然し彼は足を無理矢理に蹴り上げる様な動作で銀時の動きを牽制して軋る様に叫ぶ。
 「て、めぇ、飽きたんじゃ、無かったのかよ…!」
 「飽きれるもんなら、飽きたかったに決まってんだろ」
 拒絶の動作に罵る様な声。今までの受容と理解の関係では無かった様な土方のそんな抵抗に、銀時はとっくに煮崩れて仕舞ったのだろう、脳を浸す更なる熱に身を任せた。
 飽きて手を放す訳がない。飽く事が出来なかったから離れたのだ。それでも、土方にとっては銀時のそんな懊悩など、飽きたからと容易く手を放せる程度のものにしか見えていなかったのだろう。
 暴れて遁れようと藻掻く土方の首を掴んだ片手に益々力を込めて、銀時は最早怒りとも悲しみともつかなくなった己の感情を、ただの衝動にすり替える。
 「ストレス発散?けだものじみたセックス?何でも良いし誰でも良いんなら、俺の相手だってまだ出来んだろ?」
 吐き捨てる様に言って、今度は掌で着衣越しに股間へと手を辿らせれば、そこが何の反応も見せていない事に気付く。散々発散して来た後だからか、と、酷い熱に浸かった脳と裏腹に冷静な思考が答えを寄越すのが──それに萎えるどころかより激情を増すのが、馬鹿馬鹿しかった。
 「まて、──ッ!」
 然し直に触れた途端にびくりと反応を返すそれと相反する様な土方の拒絶めいた動作とに、銀時の裡に嘲りの感情が湧いて来る。
 この身を散々拓いて来たのは誰あろう自分だった。慣らして、開発したと言っても良い。その満足感。それに容易く溺れる本能をいっそ憐れと思う。
 「何、新しい男は、幕臣様だっけ?おめーの淫乱ドMな身体を満足させてやる事も出来ねェ甲斐性無しだった訳?」
 「っ何も、してねェってんだ、ろうが!」
 「!」
 厭な嗤いを浮かべて言う銀時の顔を真っ向から見上げたかと思えば、土方は一瞬手の止まった隙をついて、腹に膝を叩き込むと組み敷かれた姿勢から無理矢理に抜け出した。押さえつけられていた喉元を苦しげに庇いながらげほげほと咳き込む。
 探った後孔は萎えた性器同様に固く窄んでいて、確かに土方が──少なくとも今は──何もそう言った事をして(或いはされて)いないのだと、銀時に知らせていた。誰よりも土方の身体を知悉していると言う自負があったからこそ、それは銀時に明確な事実を突きつけるには十分過ぎる証拠でもあった。
 「なにも、してねェよ…。その前に、…逃げて、来た」
 獲物に逃げられたと言うのに、追い縋るよりも茫然として仕舞っていた銀時の耳に、やがて土方のそんな小さな呟きが聞こえて来る。
 それは銀時の知る、土方十四郎の口からは大凡出そうも無い程に弱々しい言葉で。その意味が耳朶に触れた途端、あれだけ煮え滾っていた脳や、激情に灼かれていた肚の底が、すっと一瞬で冷えた。
 冷えて冴えた思考が組み立てようとする可能性に血の気は静かに引いて、代わりに心臓が一つ音を立てる。
 「どうして、」
 多分、何の意味も為さないのだろう間の抜けた問いがぽつりとこぼれた。
 いつかと同じ様な狭くて暗い隘路。外界との接点、唯一の出口をその身で塞いだ形になっている銀時の前で、土方は乱された服を正す事も忘れて仕舞った様に力なく項垂れている。
 逃げ場を奪ったのは誰だったか。与えて、与えられて、その気になったのは誰の企てだったのか。
 それとも最初から思った通りに、ただの偶然の生じさせたものだったのか。
 「わからねぇ…、ただ、厭だったんだ、」
 俯いた土方が自らの手でぐしゃりと頭を抱えた。続く声が戦慄く。
 「あいつじゃ、なくて、てめぇのが、良かっ…」
 言いかけた所で言葉が止まり、その拍子にぱたりと地面に雫が落ちる。一つ二つと、続けて何度も。
 しゃくり上げる音。悔しげに噛んだ唇が開いては閉じて、嗚咽を堪えて振られる頭。
 「………てめぇじゃ、ないと、厭だったんだ」
 鬱屈を晴らす手段として肉体的な繋がりを求めたけだものは、余りに単純な事実を前に途方に暮れていた。無為に堪えられなかった心が、それを知って瓦解する。行為を、ではなく、誰かを、などと。思いもよらなかったに違いない。
 「…………どうして」
 銀時の口から再び溢れた、最早問いの意味を失ったただの呟きに土方は、顔を覆った手指の隙間から赤くなった目元を覗かせた。それはいつか見た様な、裡に何かを溜め過ぎて堪え過ぎて危うい様な、眸だった。
 「ストレスを、発散して、面倒臭ぇ事やどうしようも無ぇ様な事から、一瞬でも楽になれて、棄てられはしねぇけど、楽になれて、、」
 嗚咽混じりの言葉は、辿々しくつっかえながら時間を掛けて吐き出されていった。銀時はそれを茫然と聞く。
 土方にとって、セックスなど手段の一つでしか無いものだと思っていた。銀時がそれを、手を伸ばした所に居ただけの偶さかの存在だとしか思わずに得た、見誤った情を、それに似たものを、まさか彼も同じ様に育んでいたかも知れないなどとは考えもしなかった。
 手段を与えたのは銀時で、受容したのは土方だった。だから、それだけのものに過ぎないのだろうと過信した。彼はそれだけでも良かったのだろうと、思い込む様にしていたのは己自身だったのかも知れない。
 「てめぇに、助けて、貰ったから」
 それしか解らなくなったのだと、そう告げて震える手が伸ばされた。座り込んで俯いたそこには、いつか見た迷子の様な──否、行き先を明確に求める眸が。
 「………」
 こうして訳も解らず伸ばした手が偶さか触れあっただけの関係だった。筈だった。情も何も必要がなくて利が一致して気持ち良くなれて気分が晴れて──、それだけではいられないのだと気付くまでに、こんなにも時間と懊悩を要した、そんなものが。
 手を取れば、思いの外に強い力で縋られた。この意地っ張りで強がりの男が、身も世もなく泣き出して仕舞う程の激情がそこに詰まっているからなのだろうと、銀時はそう思う事にした。
 偶然出会って取っただけの手が、下衆の提案が、楽なだけの関係性が。そんなものでも土方の求めていた答えに合致した。
 土方が欲していたのは、ストレスの発散でも、憂さ晴らしの『誰か』と言う相手でも無く、正しく己を助けた一人の男の存在だった。ただ、彼は己に助けと言うものが必要だなどと、気付いていなかっただけだったのだ。
 「……ストレス発散、するか?」
 訊けば、手を握られた侭かぶりを振られた。身の裡でずっと吼えている、衝動を孕んだ獣の餓えた叫びはまだ鎮まってはいないけれど、装った人間の顔はそれに反して酷く落ち着いていたし、穏やかな心地で居た。
 「…それだけじゃなくても、良いのか?」
 卑怯に重ねた問いには、うん、と小さいが慥かな肯定が返って来て、銀時は両手を伸ばすとそれを手に入れるべく土方を思いきり抱き締めた。
 「…………たすけてくれ、万事屋」
 希う響きには、抱いた肩の上に課せられた重さを棄てられぬと言う諦めに似た決意がこもっていた。だから銀時も頷いた。その重量は僅かでも己には負えるものではないと知っていたからこそ。強く。
 「お前がそれで楽になるってんなら、良いさ。傍に居ろでも、肩を揉めでも、ただ一緒に酒を飲もうでも、抱いてくれでも、酷く扱ってくれでも、何でも」
 醜い独占欲や一見きれいな恋情の裏では、してやったりと安易な結果に嗤うけだものがきっと居た。だけど、銀時はそれを上手く飼い慣らす事がきっともう出来る。土方がこの、寂しい侭で居た恋に気付いてくれたのなら。今度はそれを受け入れてくれるのなら。
 この、身の裡のけだものの本音を黒い服一枚の下に潜めて、世界の理不尽に勁く立ち向かおうとする男の助けになってやろうと、そう思った。




殆どホテルでだべってるだけだった気がしました(今更

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はい蛇足。
…と言う名の言い訳みたいなもんですが、どうでも良い方は黙って回れ右推奨。

土方の喫煙量やマヨ偏食やキレ易さや極端な行動がストレス由来だったらどうかなあとかそんな発想でした確か。
……そんなことより、何度も終わり際見誤ってすいませんでした…。

けだもの畜生にも、人間らしい、弱くて賢しくて卑怯な感情ぐらいあるのです。