風雨臥し聽くその夜闌けに



 「なんか、夢見てた」

 少しだけ笑みの混じった気配のする、穏やかな声だった。
 眠りの淵にはあったが、それ以上は落ちていかない程度の微睡みの中に、降って弾けた水冠の様なそんな声を意識で捉えて土方は目蓋を持ち上げる。
 昨今増えた机仕事の所為で目を使いすぎているらしく、眼球が鈍く重たい。支えの何も無い所で座っていたからか、背中や肩も少し痛む。
 雨の気配は随分と遠い。もしももう止んでいたとして、長時間だらだらと降り積んで残された湿気は易々乾いて仕舞うものでもない。ただでさえこの季節のこの国は、気温が高く湿度も高いのだ。
 湿気て重量感のある気のする空気を押しのける様に、痛む肩ごと腕を上へと伸ばすと、土方は凝り固まった首をこきこきと鳴らしてから、そこで漸く、眼下の布団の中から仰向けにこちらを見上げている銀時へ視線を向けた。彼は土方の意識や視線が己へと向くのを待っていたのか、穏やかな気配を保った侭の調子で続ける。
 「やっぱ熱とかあって朦朧としてっと、脳ミソも適当に色んな記憶を呼びやがる」
 枕に預けた後頭部の下で手を組む銀時の表情にも、口調にも、仄暗い気配や気まずげな様子は見受けられない。だから土方は頬杖をついて「どんな夢見てた」と軽く訊いてみた。
 「今までの事とか?」
 「そりゃ壮大だな。大河ドラマでも作れそうか」
 「馬鹿言え、精々大長編ドラ○もんが良い所だよ」
 問いに同じ様に軽く笑って返されるのに、土方もくつくつと笑う。どうせ夢の事だ、答えがあっても無くても別に良かったのだが、笑って言えるのであれば、きっとその「今までの事」と言うのは、楽しい内容だったのだろうと思った。
 「それも充分壮大だろうが。ドラえ○んに謝れ」
 埒もないものならそれで構うまい。時刻はまだ恐らくは深夜。こんな時間帯の下らない会話など、夢と現の狭間の様なものだ。嘆息した土方が遠くから額を弾く仕草と共に眉を寄せれば、銀時は何故か唇を尖らせつつ呻いた。
 「つーかお前ジ○リ派じゃなかったっけ?ド○えもんなんて観んの?」
 「派とかより、面白いもんなら何でも観るわ」
 まあ多少趣味の傾向はあるかも知れないが。そう、少し考えながら答えて、土方は欠伸を噛み殺した。残業が酷い事になっていない限りは、本来ならとっくに眠っている時間の筈だ。徹夜は苦手ではないが、律儀な体の習慣は慣れた生活を遵守しようとする。
 もう一度首と肩とを鳴らしてみせる土方の様子を見上げながら銀時は、暫しの間微妙な表情を浮かべていたものの、やがてそっと息を吐いた。どうでもいいと、気付いたのだろう。
 「……で。今までの事っつっても、しょっちゅう本気で喧嘩したり、啀み合ったりからかって遊んだりしてた頃じゃなくて、もっとおめーと近くなってからの事ばかりでよ」
 「からかって遊んでんのは今もだろうが。てめぇと総悟は打ち合わせでもしてんのかってぐらい、俺を攻撃する時ばかりは意気投合しやがる」
 不意に戻った言葉に、土方は唸る様に言った。笑う銀時の心中が見えて仕舞った気がして、少し腹立たしかったのだ。
 笑みの残滓を引き摺って、銀時が布団からもぞもぞと這い出した。見る間に土方の脚に頭を乗り上げて、腰に手を回して抱きついて、落ち着いて仕舞う。
 胡座をかいているとは言え、高さは半端だし骨が当たって居心地など良さそうには見えないのだが、それ以上は動こうとしない銀時に溜息をひとつ投げると土方は、湿気ていつもより酷い有り様になっている銀髪頭を撫でてやった。
 熱はもう下がったのだろうか。普通の人間の体温でも、眠りから覚めて布団から出て来たばかりではこんなものだっただろうか。少し湿って、頭皮の代謝で脂っ気のある感触など決して心地の良いものではない筈なのだが、土方は何も言わずに、まとまりの無いつむじをくるくると指先で遊んだ。
 「おめーが見つけ出した風鈴とか、初めて寝た時とか、雨宿りに連れて来られた時とか、花火一緒にやった事とか…」
 銀時に言われる侭に土方は何となく指を折ったが、片手にも足りない所で終わって仕舞い、続かない。これでは一年ぶっ通しの時代ドラマどころか、少年と猫型ロボットの物語も作れそうにない。
 「全部最近じゃねぇか。しかも少ねぇし」
 それだけで「今までの事」とよく笑って言えたものだと、土方が肩を竦めたところで、銀時の腕の力が強くなった。縋りつく様などこか甘ったれたそれから、引き寄せる様な強さと逞しさとに。
 「ああ。だからまだ、おめーとこれから積んで行く時間ってのは、沢山あるんだなって」
 それは夢の続きか、現の戯言か。或いはさしたる意味もない様な願望か。
 「………そうだな」
 然し土方は静かに頷いた。自然と口端が緩やかに持ち上がって仕舞うのを感じて、目を閉じる。
 この家に土方の居る場所は、居ても良い場所は、気付かぬ間に随分と増えた。
 四つ入っていた林檎。風邪っ引き一人で片付けるには量の多い煮物、二つ置いてあった酢昆布。思えば今着ているこの、銀時の頭を乗せた夏大島もお登勢から貰ったものだ。
 確かに、銀時との距離感は酷く近しいものになった。それが、「今までの事」と言う夢にまとめられて仕舞う程に短くて、益体もない様な事ばかりであったとしても。
 きっと秋になれば厚めの私服を持ち込んだりする事になるだろうし、冬は煎餅布団が寒いと文句を言うだろう。春になったら、買って来た朝顔の種を植えて育ててみても良い。夏になったらまた風鈴を軒に吊して、そして。
 「なぁ。あいつらにおめーの事、話してもいいか?」
 「………、」
 穏やかな想像の中だけの世界に差し挟まれた銀時の言葉に、土方は咄嗟に顔を顰めた。だが、己が思いの外に驚いていない事にも気付いていた。だから反論や文句は形になって出ていかない。
 あいつら、と銀時が指すのは、ここに住まう彼の家族たちに相違ない。血も遺伝子もなく、ただの縁と境遇とで寄り添っただけの歪な、然しそれだからこそ何よりも得難い『家族』。
 新八は気は利くが、姉を挟むと近藤さんへの風当たりが強いし、神楽は言う迄もなく沖田と度々喧嘩では済まない様な大騒動を繰り広げる。二人共利発だし悪い人間では勿論ないし単純な所があるから、土方自身は彼らの事を厭ったりは決してしていない。寧ろ好感に類する方だ。
 「おめーがそう言うの、苦手なのは知ってるし、何か特別な意味があるとかそう言う訳でもねェんだ。ただ、その方がおめーもあいつらも、俺も、もっと気兼ねなく居られる様になるかなって。あいつらもなんか勘付いてるから、変に勘繰られたりするよりは良いかなぁとか……、」
 黙って仕舞った土方を見て、失敗したと感じたのか、銀時は少し早口にそう言って、こほんと態とらしい咳払いをした。
 「まぁその、おめーが厭なら無理強いとはしねーから。ただ、あいつらもおめーの事からかったりとかする気はねぇだろうから、そんな構える必要も、」
 「そうだな。それも良いかも知れねぇ」
 「そうそう、良いかも……、って、」
 土方の、肯定の言葉尻を捕まえた銀時は寸時きょとんとして、それから、余程驚いたのか目を見開くと、腰に抱きついた侭で土方の顔を器用に見上げてきた。背中とか痛めそうだと思いながら、土方は先程は届かなかった指で、今度こそ銀時の額を弾いた。
 「や…、いいの?」
 「てめぇで振っておいてその態度はどう言う料簡だよ」
 「……だっておめー、そう言うのって…、いででででで」
 無駄かなと思いつつ銀時がそう口にしたのだろう、と言う想像は易い。土方は存外に古風な所があるし、人前では絶対不要な接触は許さないし、照れながらそれを隠す為に逆に憤慨すると言う面倒臭いタイプだからだ。その程度の自覚ぐらいは自分でもある。
 だから銀時の驚きはあながち解らないでも無かったのだが、土方は人差し指でぐりぐりと彼のその眉間を押し潰して揉んだ。「痛い痛い、ロープ!ロープ!」と苦悶に呻く銀時を見下ろして、ああこれが自分の面倒臭い部分なのだよなと溜息混じりに思う。
 「……だから、」
 力を込めていた人差し指を離せば、呻いた銀時の頭が勢いで膝の上へと沈む。彼は紅くなった眉間をさすりながら、これ以上照れ隠しに八つ当たりされてはかなわないと思ったのか、土方の腰をホールドしていた手を解いて、布団の上にあぐらをかいて座り直した。
 そんな銀時の頭越しに土方は、もう雨音の遠い窓を見遣った。
 「これから、もっと同じ時を積んで行くんだろうが。そうしてぇんだろうが。
 こんな、臥せった雨の日に、片手の指で数え終わっちまう様な事だけじゃなくて、」
 ──反応出来なかったとは言わない。気付かなかったとも。
 膝立ちになった銀時に真正面から突然抱きしめられて、土方は目をゆっくりと閉じた。雨音も、風の音も、遠い。熱だけが直ぐ近くにあって、穏やかなリズムで紡がれる鼓動が時を刻んでいく。
 時は流れて行く。あれから一歩も、ひとときも停まる事なく。誰もかれもが、形の変わった世界や変容していく未来の中で皆、逞しく、思い思いに生きて行こうとしている。変化を畏れたり忌避するばかりではなく、少しでも良い方向にしようと尽力しながら。
 ここは、数少ない過去の思い出を固めた夢の中だ。他の誰にも見られず、ささやかに触れ合うだけの、夜と悪天の帳の向こうでだけ見る事が出来る、夢。
 (夢の続きをここでも見せてやりてぇとかそんな事を、素面で思う日が来るたァ…)
 きっとこれも子供じみた照れ隠しの様なものだろうか。
 「…もっと、夢に見切れねェぐらい共にこの先を過ごすんなら、それも悪かねぇだろ」
 言葉にしたらそれはゆっくりと、触れた熱い体に、夜の緞帳に隠された褥に、染み渡って硝子の風鈴を音もなく揺らして響いた。
 それは、誓いと言う程には易くて軽い、ただの本心。たったそれだけの情。
 臥した時は終わって、雨も止んだ。土方は、笑いながら耳元で益体もない、幸福とか未来に類する言葉を囁き寄越す銀時の背を抱き返して、ただ、頷いた。




この後どこからか知った沖田に、「旦那も真選組に挨拶に来るのが筋だろィ」って言われて、本人の預かり知らぬ所でまるで嫁入りみたいな扱いされてる事に気付いた土方がブチ切れるまでがぎんひじのお約束です。多分。
オッさん共の未来に幸いあれ。幸福に生きよ!

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蛇足と言えば蛇足。
言い訳と言えば言い訳。どうでも良い方はそっとお戻り下さいませ。

原作最終訓の後から、自分にとってのぎんひじの「先」を見たいと言うか、そこへ至るレールみたいなものを敷いておきたいと言う心残り…と言うか願望…と言うか目標…?のようなものがずっと燻ってまして…。
所詮は腐の二次創の妄想乙!でしか無いのは承知の上なのですが、何が(自分二次創の中での)ぎんひじの幸福な着地点になるのかなとは、個別の事象に於いては考えてみても、「二人」についてはフワッとさせた侭では居たのです。

……何分、基本的に自分、ハピエンなのかそれ的な終わり方をしがちでして、当初の自分妄想の中では、(決して書いて形にはしませんが)死に別れや廃人エンドしてたんですよねふつうに…。要するに片方(銀さん)の独善的な未来だけで終わるってパターン。

何がどう幸福とか、そんな大それた命題に対する答えなんて出ない侭ですが、自分の中でのぎんひじ未来のハピエン最終回(俺たちのぎんひじはこれからだ!的なレール)、みたいなものは、心残りにする前にやって仕舞えと言う…、まあそんな次第でした…。
まあ趣味や主義は結構変化するもので、この2020年〜2021年時点での「ぼくのかんがえたしあわせみらいのぎんひじ」はこんな感じかなあと…ただそれだけの事ですので。以上、作文以下の何かでした。


"夜が更けて横になって雨風の音を聞いているうちに眠って仕舞った"
そんな意味の、「夜闌臥聽風吹雨」からの魔改造なので字面がえらい事になってますが、「夜闌け」はそのまんま「よふけ」です。