ゆめのすこしあと / 14



 許すつもりはあったのだろうか。
 不意にそんな疑問が頭を過ぎって、土方は訝しげに眉を寄せた。許す、と言う言葉が果たして何に掛かるのか、誰に掛かるのか。解る様でよく解らない。
 隣席を見遣れば、杯を傾けながら穏やかに笑う男の横顔が在る。
 いつから其処に居たのだろうか。気付けばそれを不思議に思う事も無く、肩をぶつけて言葉をぶつけて、仕舞いには身体までぶつけて重ねて仕舞った。
 いつしか男に恋をした。叶わぬ事が知れた、叶って仕舞う恋をした。
 あの時も同じだった。近藤らと武州を出る少し前の事だ。叶うが故に叶わなくなった恋をそっと殺めた時。
 振り返らなかったし、問いもしなかった。だが、きっと解られて仕舞っているのだろうと言う確信はあった。不器用で、ばかな男だと、そう思われた事だろう。酷い男だと、そう思われたのだろう。
 思考を遮る様に、男の手が伸ばされて土方の頬にその甲が触れた。慈しむ様な眼差しと仕草とに晒されて、胸にふわりと温かな温度が宿るのを感じながら、それを羞じ故の事に置き換えて手を振り払う。
 「許さねェよ」
 払われた手もその侭に、男が無表情に笑った。その唇が刻む言葉に息をひとつ呑んで、土方は目を閉じた。
 解っている。これは──……夢だ。
 「許されねェよ」
 「ああ、解ってる。だからもう、終わりなんだ」
 言葉を吐き出そうとする喉の奥が──もっとずっと奥が、まるで泥でも絡みついているかの様に痛くて、苦しい。そんな土方の必死の、喘ぐ様な声に然し返ったのは静かな弾劾の気配。
 「違う」
 「……何が」
 「それを許さねェのは、手前ェの心だけだ」
 夢の中の男が、あの時見た筈の無い表情を形作る。疵付いて、それを隠して包もうとする顔。頑なな拒絶だけを選んだ土方の事を理解し許容しようとする、そんな表情を。
 
 「土方」
 
 声は耳の近くでいやにはっきりと響いた。それさえも振り払いたくて、土方は拳に力を込めて更に固く目蓋を閉ざした。
 
 *
 
 伏した侭額を枕代わりにしていた腕に強く押しつけて、脳の奥が訴えて来る鈍い痛みをやり過ごす。何だか寒い気がして身を屈めれば、畳のざりざりとした感触が横頬に触れた。
 慣れた目覚めの感覚は重たく怠い。確か残務の処理中に、少しの間だけ、と横になったのだったか。
 土方の眠りは相変わらず浅い。だが悪夢に魘される頻度が減ってからは以前までの様に憔悴し飛び起きる様な事は殆ど無くなったが、真綿で首を絞められ続けている様な感覚が付き纏っていけない。
 「……何を、許せって言うんだ」
 腹の底に抱えた侭醒めた、猛烈な疑問を言葉に乗せてみれば、声は思いの外に大きく響いた。静寂を割いた無粋な音に、思わず目蓋を持ち上げて仕舞う。
 「強いて言や、銀さんの存在をじゃねェ?」
 「…………………、」
 そんな所に頭の上から降って来た声に、寸時ここが何処なのかが解らなくなり、土方は目を見開いた。卓の上の手元灯りしか灯らぬ深夜の室内は、間違う事も無い副長室兼土方の私室だ。畳の上に横向きに伏していた土方は、声の出所を探して頭を巡らせて、仰向けに転がった所で不意に見慣れた顔に遭遇する。
 は?と頭の中に沸き起こる疑問符を抱えて、真上から真っ直ぐこちらを見下ろして来ている銀時の顔を見つめ返して、瞬きを何回か。
 「ってめ、」
 寝起きと言うだけでは処理出来ない、混乱の不覚に苛まれながら土方は、怒りと驚きの混じった表情を銀時へと向けた。歯軋りしながら身体を起こそうとするのだが、動こうとはしない真上の男の存在に阻まれ叶わない。
 これは夢なのか。それとも、これが夢なのか。あれが夢だったのか。ひととき酩酊しそうな思考の惑いが逃げであると気付いた土方は、己に覆い被さる様にしている銀時の身体と畳との間でじりじりと後ずさった。
 夢だろうが現実だろうが確かな事は一つ、この男から離れなければならないと言う事だけだ。
 「な、にしに、来やがったんだ、てめェは…!」
 時間は深夜。到底客として他者の訊ねて来て良い時刻では無いし、それ以前に万事屋稼業の男を個人的にも真選組としても招いた憶えは無い。況して転た寝している所を見下ろされるなど普通では無いにも程がある。
 軋らせた歯の間から息を吐く土方の姿を見下ろして、銀時は眉尻を少し下げて溜息をついた。それと同時に手が伸びて来て──今し方の夢の様に──土方の頬に手の甲が辿り着く。
 重ね見た夢の光景にも似た状況にか、それともただ触れられたと言う反応でか。土方は後ずさる動きを止めてその侭凍り付いた様に動けなくなる。銀時の指の背が、強張った土方の目元をするりと撫でる、その仕草に背筋が震えた。
 「顔色は前よりマシになったみてェだけど、まだ隈とか酷ェな。ちゃんと寝れてるのか?」
 そうして放たれた言葉が、まるで世間話の様な、このよく解らない状況にまるで相応しく無い類のものだったから、土方は何だか酷い憤慨に駆られた。
 だがそれは、今までこの男と相対する度行われて来た、互いに悪辣な言葉を投げ合って子供の様な語彙での言い合いをする喧嘩を通じて得ていた感情とは異なるものだった。譬えるならばそれは侮辱に似ていると感じられて、土方は眼前の男の顔を睨み上げる。
 「てめぇには関係無ぇ」
 「好きな子を気に掛けちまうのは当たり前の事に決まってんだろ、いちいち言わせんなコノヤロー」
 僅かに掠れた低い声は違え様も無く怒気を孕んだ声音だったと言うのに、それを向けられた銀時の方は涼やかなものだった。いっそ冷ややかであったと言っても良い。
 余りに当然の様に投げられた言葉に、土方の方が当惑した。なんだこれは。一体何が起きたのだ。
 「何、抜かしてんだ、っ馬鹿かてめぇは」
 今更何を、と呻きかけて何とかそれを歯の間で擦り潰す。何かがおかしい。何がおかしい?
 この間の夜に土方は自ら銀時へと酷い分かれの言葉を投げつけた筈だ。雨の中に嘆きを逃がして見ないフリをして、酷く疵を負わせた筈だ。
 それは夢の事では決して無い。無いからこそ、胸の奥底が今でも忸怩たる思いに曝され続けているのだ。己の生き方の為に誰かを疵付ける事を容易く選んで仕舞える、そんな愚かで非道い鬼を嘲っては呑み込む悪夢、そんな繰り返し。
 「……この間言ってやった事をもう忘れたのかトリ頭。飽きたっつったろ。てめェとの碌でもねェ関係はもう終いなんだよ。余りしつこく食い下がるなら、こっちにも相応の出方ってもんがあるぞ」
 そう、考えていた様にすらすらと口にしながらも、なかなかに最低な男の台詞だと言う自覚ぐらいはある。だが、飽く迄警察として、口止め料でも払って追い返すと言うのは極力避けたい事だ。それは単純に嘘の恫喝を投げるよりも、何だか銀時の矜持や人格をも疵付け貶め損なう様な気がするのだ。
 土方の押し殺した呻き声に、銀時は短い溜息を吐いた。何かを切り替える様に軽く首を傾けて、静かな調子で切り出す。
 「それなんだけどな、」
 銀時は膝をついた侭で腰を少し持ち上げた。そうする事で半分組み敷く様な形になっていたその顔と上体とが遠のき、土方は思いだした様に、ずり、ともう少しだけ後ずさった。いっそ完全に離れて仕舞いたかったのだが、こちらをじっと見る銀時の視線にまるで射られでもしたかの様に、それ以上身体が動かなかったのだ。
 「俺ァ確かにお前に惚れてるっつったけどよ、それは別にお前の全部を捧げてくれとかそんな意味じゃねェし、思ってもねェ。雁字搦めの関係なんてセフレより下らねェしちっとも楽しくねェだろ?
 俺ァそんなの御免だし、お前もそうだと思わねぇ?」
 「……は、?」
 思うとか思わないじゃなくて。
 当惑した侭に返しながら、土方は上手い事定まってくれなくなった思考を必死で巡らせた。なんだこれは、ともう一度頭の中で吐き捨ててみるがどうにも上手い事理解が追いつかない。
 そもそも、会話をしている前提が銀時と土方とで違う気がする。
 だってそうだろう、
 (手前ェの為だけに勝手な事抜かしてフッて、疵付けてんのはこっちの方だってのに)
 「だから、そうじゃねェだろ、俺ァてめぇとは終わりだって言ってんだ」
 分かれを告げた筈の関係の間だと言うのに、銀時はまるでそんな事はあって、然し無かったと言っているかの様だ。
 (これじゃまるで、)
 「だぁかぁらぁ。こっちはもう一遍口説いてんの。そんくらい気付けっつぅの、こん馬鹿」
 口説かれているみたいじゃないか、と土方が思った瞬間にふて腐れた様な表情を作った銀時にそう言い当てられ、怒りよりも疲れに似たものが脳にずしりとのし掛かった様な気がした。
 「っだから、じゃねェ、こっちはてめぇなんぞ願い下げだって言ってんだろうが!」
 「だから、だって言ってんだろ。お互い認識の相違があるみてェだし?ここらでどうよ?一発冷静な話し合いでもしておくべきじゃね?」
 思わず声を荒らげかけた土方は、冷静、と言う言葉にはっとなって口を押さえた。幸いにか夜廻り番の隊士は耳の届く場所にはいない様で、障子の向こうの世界は深夜と言う時間帯を表し静かであった。
 その静寂を裂いて銀時が笑った。控えめであったが、はっきりとした笑み。
 何だか得体の知れない予感を感じた土方が身構えるより先に、笑みを口元に刻んだ侭の銀時が言った。
 「セフレでも良いじゃん。俺が居て、それでお前が楽で気持ち良いんならそれも良いだろ。終わるとか分かれるとか、そんな小難しい事は絶対ェに起きねぇし、縛ったり責任負う程深入りしたりする事も無ェ」
 それは向けられた表情の割には辛辣で余りに突き放して聞こえて、土方は何も言葉を探す事が出来なかった。
 怒るべきだろうかと思う。だが、何に怒れば良いのかが解らない。
 怒りを感じたのは、銀時の言葉にと言うよりは、『それで良い』と言い切る銀時の心になのだろう。お前はそんなもので良いのかと。そんな、中途半端な遊びの様な関係が、お前の言う『惚れている』と言う言葉に合致する様なものなのかと。
 だが、それを問う事も憤慨する事も土方には出来ない。分かれを切り出した張本人である土方には、銀時の恋愛観を責められる権利など無いのだ。
 そう思ったら酷い虚脱感が全身に纏いつくのを感じて、土方は銀時の顔を見ていられなくなって視線を俯かせた。
 幾ら真選組の為に『そうすること』が正しいと己に言い聞かせた所で、土方の裡には棄て損ねて消え損ねたなにかの感情の残滓が未だ刺さり続けているのだ。ただ、それが己にとっては正しくない事だからと、消えるまでを堪えるつもりでいた。
 己に刺さって消えない棘にも似た酷い恋情は、然し銀時の裡ではただの遊びと言い切れる様なものだったとしたら──、烏滸がましい事だが、辛い、と感じた。厭だ、と感じた。
 だから、怒れない。ただ、虚しさにも似た重さが苦しい。自分勝手な感情と消え去るに時間の足りなかった恋情とが悲鳴を上げているのが、未練がましくて惨めだ。
 だが、それと同時に、確信の様なものもあった。
 銀時が己を軽んじて思っていたら厭だと感じたその反面で、そんな事は有り得ないだろうと言う確信だ。それは「惚れている」と銀時が告げて寄越した時の表情や、疵付けようと投げた土方の言葉を黙って受け取ったその気持ちが解って仕舞ったのと同じ、はっきりとした疑う余地も無い確信。
 叶った悪夢でも願望でもない。相手へ想いを深く寄せたが故に理解した、必然の事実だ。
 答えは出ている。然し選び取る事はもう出来ない。俯いた侭動けなくなった土方に、再び銀時の顔がそっと近付く気配がした。
 「だからよ。俺はお前から真選組を取り上げてェ訳じゃねェって事。
 心の全部、お前の全部譲ってくれなんて言わねェよ。今までと同じで、時々馬鹿馬鹿しい喧嘩したり、一緒に呑んだり、セックスしたりすれば良いだろ。
 好きだからそうしてェ。それで良いだろ?それだけでも良いだろ?」
 見なくても解る、柔和な笑みと共に近付いて来たてのひらに頬をなぞられるが、土方はそれを振り解けなかった。
 悪夢に見てまで拒絶した筈の結果がまた近付いて来る事など、言語道断だと思うのに、動けない。
 許容を、出来なかったのではない、しようとしなかったから、こんな事になっている。
 いつしか隣に入り込んで仕舞った銀時の存在を一度は許容して仕舞ったからこそ、それが誤りになったと言うのに。
 真選組の為以外に生きる己を土方は想像する事が出来ないし、許す事も出来ない。だが、それでも良いと銀時は言うのだ。それを許すと、言うのだ。
 それが、望んで見た悪夢以上の悪い夢だと言う他にある訳がない。
 こんなにも、得難い存在として残された、未だ消えようとしてくれないこの恋情こそが。それが橋渡しされただけで、ただのセックスフレンドと言う関係だったものが、変わって仕舞う。
 「……それで、良いのか。てめぇは」
 「まあ欲を言えば、セフレで居るのは俺だけにしといて貰いてェな、とか」
 迷い、唸る様な土方の問いに、銀時は態とらしく笑ってみせるものだから、却って力が抜けた。気負いの様に抱えていた、己の思って来た恋や愛の絶対的な義務感の様なものが、酷く陳腐で普遍的なものでしかなかったのだと言う気さえしてくる。
 尤もこれは、銀時が相手だからこそ、叶った事だ。子を成す伴侶など、その人生の責を負わねばならぬ存在には、それに類する事を求められる様な存在には、永劫叶いはしないのだと土方は知っている。
 だから殺した恋の痛みを、きっと土方は忘れる事が出来ない。忘れて良い筈も無い。然しそれは、負って病んで良いものでも無い。己が幸せや恋を憶える資格は無いなどと思って仕舞える程に土方は傲慢では無い。
 それでも、悪夢に見て拒絶をして、そうして結局は入り込まれた。とても単純に、この恋を諦めまいと追い縋った男の、真っ直ぐで都合の良い言葉ひとつで。
 何が現実の事だったのか、何を望んで悪夢にしたのか。何に悪夢を望んでいたのか。今になってみれば解る。
 「終わるのが怖くなっちまうぐらい俺の事好きで居てくれたんだろ。認めちまえよ」
 (いつか消えるか、認めて許容する時までは)
 重なった銀時の言葉と己の思考とに負けた心地を憶えながら、土方は今まで悪夢を前に漠然としていた結論を前に力なく溜息を吐いた。
 「…都合の良い事を抜かしやがる」
 「都合良くて良いんじゃねぇ?お互い同じ事思って感じてればそれで。縛るつもりも強制するつもりも無ぇ、ただ好きだって解り合ってりゃそれで、形なんてどうでも良いだろ?」
 酷く簡単な事の様に言われるが、そう吐きこぼす銀時の裡に確かに懊悩があった事を土方は知っている。そうでなければ、分かれを告げた時に追い縋られていた筈だからだ。もっと容易く分かれて終わっていた筈だからだ。
 「そろそろ、夢も醒める頃合いだろ」
 囁かれて、土方は目を眇めた。全身を覆う脱力しそうな感覚のその侭に後頭部を畳の上へと落とせば、それを追って銀時の顔が再び近付いて来た。
 「……飽きた?」
 覗き込まれて問われるのに目を開けば、至近でどうしようもない時の様な笑みを浮かべている銀時の顔に出会う。
 泣きたくなる様な無力感と、憤慨になり損ねて散った感情を持て余しながら、土方は口の端を無理に吊り上げてみせた。
 頷く。この悪夢にはもう飽きた、と。
 夢から醒める為に、手を伸ばして銀色の後頭部をそっと引き寄せて、土方は目を閉じた。





ただのセフレ(思いこみ)>情のはっきりしたセフレ(両思い)、と言うだけの進歩。
嘗て無いグダグダ感でお送りしましたすみません色々と…。

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やっぱりいつもの蛇足。
今回は蛇足と言う名の言い訳が必要だと思うんですが、どうでも良い方は黙って回れ右推奨。

珍しく事件が何も無くてひたすら互いの関係についてもだもだする銀土にしよう。と言う初期計画が不向きでした…。
当初土方の混乱と悪夢ループ感を出そうと意識的に同じシチュエーションや状況を繰り返してみたりして表現したつもりだったんですが、意味不明だったり訳わからん事になってたのでちょっぴり修正して再掲に踏み切りました。
…が、別の話で改変リベンジを行った後ゆえ、似た様な鬱陶しい話となりました悪しからず…。

目が醒めて、夢が覚めて、そして。