アリアドネの紅い糸 / 11 農作業に勤しむ人影の目立つ田畑の間を駆け抜けた銀時の原付は、これで三度目になる、仏師の住まう掘っ立て小屋に続く道の前で急停車した。切られたハンドルの動きの侭に、土の上に小さな円弧を描いて停まった原付のエンジンを停止すれば、寸時の静けさが辺りに落ちる。 「……」 ひととき静まりかえった空気に爽やかな風が吹き抜ける。騒音に一度は驚いて飛び立った雀たちが、退避した樹上の上で再び遠慮がちに囀り交わし出すのを前に、己でも今ひとつ意図の知れない溜息をついた銀時は、ヘルメットとゴーグルを半ば毟り取る様にして外した。 この一連の不可解な現象に対しては思うところが幾つもあったし、それに対する解答或いはその可能性も幾つか浮かびはした。然し何れも決定打とは言えそうも無いし、そもそもの『意味』を問うとなると更に混迷を深めて行く。況して勢いよく飛ばして来た原付の上で碌な考えが纏まる筈も無く、結局は『不可解』或いは『偶然』と言うありきたりな言葉で片付けざるを得ないと言うのが正直な所であった。 然しそんな曖昧な言葉を警戒しようとも、避け難い問題を突きつけられたのであれば、こうするほかはない。知らぬ振りをすると言う選択肢は銀時には選べなかった。 ゴーグルを内側に放り込んだヘルメットのベルトを留めて、ハンドルにぶら下げる。それから銀時は原付を降りてスタンドを立て、シートの下にある物入れを開いた。 ガソリンスタンドで見た時には、まさか、と思う方を優先させて、何故、と言う所までは深く考えない事にしたのだが、何度も見直すまでもなく、矢張りこれは異常で奇妙で不可解な事態だと言えよう。 思って、物入れの中に転がる、小さな玄翁を手にとった銀時は眉を寄せた。 シートの下の物入れは普段滅多に使う事は無い。利便性の問題からではなく、スペースが狭すぎて大したものが入らないと言う現実的な問題で、精々入れても地図程度だ。他には非常用の発煙筒、応急処置用の工具、懐中電灯程度のものが常備してあって、殆どそれで一杯になっている。 そんな所に銀時が見知らぬ玄翁を入れる訳が無い。それどころかここ最近物入れを開いてもいなかったのだから、開けた時に偶々入り込むと言う可能性すら無い。つまりは銀時の所行でこの玄翁が物入れに入ると言う事はあり得ないと断言出来よう。 そうなると、『誰か』が『理由』あって玄翁を原付の物入れに入れた。或いは、何か不可思議な『偶然』の末に玄翁が原付の物入れに入り込んで仕舞った。その何れかにしか答えは無いと言う事になる。 昨晩仏師の家の前で原付を停めた時か、神社の下に隠した時か、それともそのずっと前か。 物入れを開けて、玄翁をそっと仕舞う。作業として見ればそれだけの動作で足りるが、そうする、される心当たりが銀時には無い。 偶然と言う言葉にどれだけの効果範囲があるのかと言う定義はあやふやだが、普通に考えて、物入れが何らかの拍子に開いて、そこに玄翁がころりと入り込むとなると、余程の神がかり的な『偶然』が必要になるだろう。 とにかくこれは、明らかな作為である可能性の高い事態だ。『偶然』の入り込む余地はゼロではないが、他意と考える方がきっと幾分説明は楽につく。 「………」 何となく周囲を見回してみるが、田畑で農作業らしきものに従事している人々が遠目にこちらを窺っている様子は無い。排気音も高らかに走って来た時は一瞬手を止めて見るぐらいはしたかも知れないが、それ以上の関心を寄せる事は無さそうだ。少なくとも昨日ここで遭遇した老婆は、不親切と言う程では無かったが、余所者に積極的に関わりはしたくないと言った気配を漂わせていた。 あの老婆だけではなく、恐らくは他の村人にしても大差ないだろう。銀時が村を歩き回っている間、遠くから一瞥を呉れる事はあっても、積極的に近づいて来たり、興味を示していそうな者は誰一人としていなかった。 そんな村人たちが果たしてこんなイヤガラセじみた『悪戯』をするか、と考えれば答えは矢張り否だ。燃料蓋を開けた原付を倒すのも、仏師の物と思しき玄翁を物入れに放り込むのも、余所者に関心を寄せる様子の無い村人のする『悪戯』とは到底思えない。 積み重ねた疑問符の隙間から覗き見える、出来れば余り考えたくはない類の、例えば特に意味も理由も無い『悪意』と言ったものを思えばぞっとしない話なのだが、それにしては『誰』が『何の為』に、と言う点でどうしても解答が出そうもない。 (明らかに作為的ではあるが、意味があるようにも思えねぇ、と) くるり、と手の中で小振りの玄翁を弄んだ銀時は、今度は鍵も掛けずに原付から離れ、仏師の家へ続く道へと向かった。これらの事がもしも明確な目的あって行われている『悪戯』或いは『悪意』の類を理由とするものであったとしたら、またきっと何かが起こる筈だ。 (別に、何か起きる、される事を期待してるって訳じゃねェけどな…) また、起こらなければ起こらないで、作為と言う可能性に対する一つの推論も八割方成立する。即ちこの一連の『悪戯』は、銀時をこの村内に留めようと言う故の仕業なのかも知れない、と。 そうは言った所で、ならばその理由は何なのか、と言う点では矢張り推測にも窮す。『悪戯』の目的、その意味がはっきりとしない以上はそんな推論未満の思考さえも無意味なのだが。 ただ、燃料をこぼされた件も、玄翁を放りこまれた件も、何れも銀時がこの村へと留まるないし戻ると言う結果に導いてはいる。 肩を竦めてちらりと振り返ってみるが、矢張り真っ昼間の農村に、そんな解り易い不審なものが易々うろついている筈も無い。 ともあれ道を進めば、果たして仏師は今日は掘っ立て小屋の外に居た。簡易的な屋根の下に積まれた材木をあれやこれやと吟味している様だ。 「……む」 「よぉ、お早うさん」 近づいて来る足音に気付いたらしく、先に翁の面がくるりと振り返るのに、銀時は玄翁を持ったのとは逆の手をひらりと振ってみせた。 「お早うには少し遅いが、どうしたのだね。もう帰ったものだとばかり」 「や、俺もそのつもりだったんだけどね。こんなもんが」 不思議そうに言う仏師に向かって歩きながら、銀時は袂の中から玄翁を持った手を出してみせた。仏師の被る翁の面がその動きを追って、それから驚いた様に声を上げる。 「それは、ひょっとして私の玄翁ではないか?昔、使い易い様に自分で持ち手の長さを詰めたものだ。間違いない」 言われて銀時がまじまじと見下ろしてみれば、確かに仏師の言う通り、その玄翁は何の変哲もない形状の中、持ち手の部分が少し短く切り詰めてあった。金属部分も使い込まれて傷だらけで、大凡、これを使う者にしか価値を見出せそうもない代物の様だ。 「朝、見つからなかったから何処かに仕舞い込んだかと訝しんでいたのだが…、一体、」 「さあ?俺もそれを訊きてェ所でね」 明らかに、その道具を使う者が己に使い易い様にし、使い込んだ物である事は間違い無いし、疑い様も無い。銀時はくるりと柄の方を向けた玄翁を仏師に返すと肩を竦めて見せた。 盗んでも価値など到底見出せない事も確かだし、もしもそうであったらわざわざ手渡しで返却などしに来ないのが普通だ。仏師もそう当たり前の様に考えたらしく、銀時が盗み出したのではないかと言う可能性は端から考えていない様であった。 「……どう言う事だね。何があった?これは一体何処にあった?」 だが、ただ拾ったから届けに来た、と言う様子では到底無い銀時に何かを感じたのか、その翁の面の下からは困惑の気配が伝わって来る。 「燃料を抜くばかりか、次にはあんたの大事な商売道具を原付に隠されたって所なんだが…、心当たりは無ェよな、多分。勿論俺にも無ェけどな」 昨日の老婆の口ぶりからも、仏師が村八分にされたりと言った様子は無いとは知れている。土方も特にそれらしい事を言ってはいなかった。変わり者とか、気難しい所がある、と言うだけでは、村人がこんな手間のかかるイヤガラセや悪戯をするとは思えない。 例えばこれが、銀時の手荷物などに「偶然入り込んで」仕舞う様なものであれば、まあそう言う事もあるだろうと無理矢理納得も出来た。 だが、これは明らかに仏師の愛用している、彼に合った道具の一つと言うプライベートな品物であって、そんなものが易々と「偶然何処かに落ちたり」して「誰かに拾われる」と言うのは考え難いし、況してやそれが「余所者の原付の物入れに」「偶然入る」などと言う事は、確実に何者かの作為が無ければ起こり得ない様な事である。 作為、或いは意図がどうやって、何を理由にそこに生じたのか。 どうして、余所者の銀時を村に引き留めようとでもするかの様な事が起きているのか。 (多分、どっちを取っても、『偶然』なんて言葉じゃ片付けられねェ。悪意でも何でも、兎に角明確な『理由』が、これをした奴にはあるってのは、恐らく間違いねェ) 視線だけを原付を停めた方角へと向けてみるが、ここまでの小道は緩やかに湾曲しているので、ここからでは直接原付の無事は確認出来ない。だが、流石に何者かが近づいたり、『何か』狼藉を働こうとすれば、全く気付けないと言う事は無いだろう距離だ。 銀時の口ぶりと態度から何かを察しでもしたのか、仏師は翁の面の向こうで溜息を吐いた。 「成程。奇妙な事が続いている、その容疑者の一人に私も数えられていると言う事かな」 「……あんたに何かメリットがある気はしねェから、容疑者って言い方は余り正確じゃねェが……、まぁどうも俺が誰かの何かの標的にされてるかも知れねぇってのは確かだな」 真っ向から指摘されて、銀時は肩を竦めて苦笑した。確かに、仏師本人が悪意の主と言う可能性も一応想像してみたのだが、それもやはり明確な回答が出る類のものでは無かった。 一連の出来事が偶然ではなく、悪意、或いは作為に因って起こされているのは確実だろうが、それを起こしている者の意図や原因が知れない以上は、飽く迄最も犯行に及べる可能性が高い一人が、仏師本人ではないか、と言う程度の話である。 「別にあんたを犯人呼ばわりしてェって訳じゃねェし、かと言って犯人捜しをしてェって訳でもねェんだ。ただ、何が目的なのか解らねぇってのは気持ち悪ィもんだなと」 そんな、当て推量にもならない、証拠も論拠も理由も無いものについてを糾弾するつもりは銀時には無かったし、もし仮に彼が犯人だとしても、動機と言う理由探しから始まる真っ当な説明が出来ない以上は、嫌味を言う事ぐらいしか反撃は出来そうもないのだが。 「…まぁ確かに、本当に君の言う様にこの工具を、私の愛用品を盗み出して隠すと言う所行ならば、工具の持ち主である私こそが最も楽にこなせるだろうが──意味が無いし、第一、道具を君が返しに来ない、或いは気付かなかった可能性もある。そんな不確定な事に大事な道具を使う気にはなれんよ」 疑われたと言っても、それが批難と言う意味に直結している訳ではないのは銀時の調子から汲んだ様であったが、仏師は一応潔白を証明する様にそう言うと、顎に手を当てて喉奥から溜息をついてみせた。 「それに昨晩、私と話している間に燃料が抜かれたのだから、その点もアリバイの証明にはなるのだろうが……、」 「や。だからあんたを犯人って思ってる訳じゃねェさ。そうじゃなくて、ひょっとしたら標的は俺じゃなくてあんたって可能性もあるかも知れねェから、言っておいた方が良いかと思ってな」 原付の燃料をこぼされたのはこの家の前。原付に放り込まれたのは愛用の玄翁。どちらも銀時の原付と身とに起きた被害ではあるが、同時にそれらは仏師の身の回りに関わる事である。 「……成程、確かに君の思う通り、心当たりも無いし、気持ちの良い話ではないな」 「だろ?せめてどっちが、或いは『何』が標的なのかをはっきりさせときてェなと。もし標的が俺の方だったりしたら、今度は帰り道で事故るとか、もっと酷い事になりかねねぇし?」 はぁ、と両肩を落としながら息を吐いた銀時は頭を掻いた。取り敢えずこの村で他にまともに話の出来そうな相手はこの仏師か土方の二人しかいないし、銀時と何ら深く関わったのもこの二人しかいないのだ。 味方にするにしても、犯人とみなすにしても、取り敢えずこの両者は外せないだろう。そう言う訳での銀時の提案である。 「……で、心当たりもねェし、この村に旅人を留め置いてイヤガラセする奇抜な風習がある訳でもねェ、と」 お手上げ、のポーズを取って言う銀時に、仏師は面に覆われた自らの顎にそっと手を置いた。何かを思い出す様なそんな仕草と共に、彼は半ば独り言の様に呟く。 「私はこの村には昔から住んでいた。…その、家が所謂大地主と言う奴でな。この辺りの土地は、秘密だが一応私の所有物と言う事になっている。村人の一部は役場経由で辺りの田畑を借りて、日銭を稼ぎつつ土地の代金を役場に、最終的には私に納めていると言う事になる」 「それで怨みを買った……、って話でも、別に無さそうだな?」 警戒心からと言うよりは、単に『この辺り』と言う説明を補足する為にだろう、周囲を見回す様な仕草をしてみせる翁の面に向けて、銀時は寸時眉を寄せたが即座にかぶりを振った。もしもそう言う話であったら、とっくに村人の態度に出ているだろうし、仏師自身で何も心当たりが無いとは言わない筈だ。 「ある時私は村を離れる事になった。その時、遠縁の者が町の役場に勤めて居たのもあり、土地の管理を役場に任せる事にしたのだ。土地の管理を行う手間賃を役場が受け取り、残りが私の収入になる。言い方は悪いかも知れんが、そのお陰もあって、私はこの通り金にもならん仏像作りに日々向き合えると言う事だ」 つまりは不動産収入。思わずぽんと手を打つ銀時の方へと面を向けて、仏師はやりきれない様な仕草でかぶりを振った。どうやら仏師自身はその事に対して何か複雑な感情を抱えているらしい。土地を転がしているだけで生きていけると言う話だけを聞けば、羨ましい事この上無いのだが。 「村人たちは私が昔ここに住んでいた者だとは、何しろこの面だ、気付いては居ない様だ。恐らくは、変わり者が村外れに住み着いた、ぐらいの認識でいるのだろう。元より余り社交的な気質のある村では無かったからな…」 まあ確かに、日々仏像を彫り続ける、翁の面を被った不気味な男だと、客観的に見ればこの仏師の姿はそんなものだろう。 「村を離れたのって、ひょっとしなくてもその面の──、ええと、火事だったか、…が原因なのか?」 昨日、翁の面についての謂われを訊いた銀時に、仏師は、大火事で火傷を負った、と言っていた。また、それが原因で家族を失ったのだとも。 二度目とは言えデリケートな話である事に違いない。その為、無理に答えなくとも、と言う意もあっておずおずと問う銀時に、仏師は面の向こうで果たして何を思っていたのか。 火傷を負った顔を覆い隠したと言う、面に掌をそっと触れさせて、ゆっくりと、息を吐く。 「……あの火事で、妻も兄弟も家も私は全て失い、自身もこの通り、人前に出られる様な姿では無くなって仕舞った。言う通り、それもあって私は暫くの間この村を離れる事にしたのだ」 重く紡がれた言葉に、銀時は失礼な踏み込み方をしたかなと思って、目を游がせる素振りで元来た道を振り返った。幸いにか、原付の方からは何か物音がする様子も無いし、何者かが狼藉を働いている気配もしない。 翁の面越しに、深く負ったと言う火傷を辿る様に掌で触れた、仏師の手は僅かに震えていた。そこに残留する感情が、悲しみからのものなのか、憤りからのものなのかは、解らない。 「仏を作る修行をしながら十年以上各地を歩いたが、結局行く宛も無く村に戻る事になったと言う訳だ。 だが、身上を明らかにせずに今暮らしている私を、嘗ての地主と気付く者は恐らく居ないだろうし、ここに住み着いてからも村人に恨まれる様な事も無かった。特に理由も無く疎まれると言う心当たりは、矢張り私には無い」 自分が『悪意』ないし『悪戯』の標的にされるとは思い難い。仏師の意見をまとめるとそう言う話になる。銀時は期せず重たい過去を話させて仕舞った事を「疑う様な言い方をして悪かった」と一言詫びると、改めて目の前に横たわる事になった問題を思って腕を組んだ。唸る。 「……まぁ確かに、昔の地主が戻って来たって解ったとしても、恨んだりイヤガラセをするなら、直接あんた自身にするよな。わざわざ配達に来た余所者経由でイヤガラセをする意味なんざねぇし」 「うむ。確実な断言は出来ないが、私に関わった事で君が何かの咎めを受けている、と言う事は恐らく無いと思う」 「──って事はだ、結局この一連の奇妙な出来事の、標的とか目的とかは全く解らねェ侭か」 あんたは容疑者からも被害者からも暫定除外するとして、と続ける銀時に、翁の面の喉奥も一緒になって「うぅむ」と唸った。 「村に変な風習がある訳でもない、あんたがイヤガラセを受ける謂われもない、俺も何でイヤガラセじみた真似をされてるのか解らねぇ、と」 指折りそう数えてから、結局何一つとして進展せず、見えても来ない、奇妙で不気味な何者かの『作為』に、銀時は空転し疲れた頭を掻きながら大仰に溜息をついてみせた。 原付そのものに何かがあるとは思えないし、偶然の産物と言うのも考え難い侭。と、なると残りは矢張り銀時個人に対する『何か』の意志が働いているのか、それとももう一つの心当たりの方に答えはあるのか。 思いはしたが、銀時は卒爾に苦々しさを増す思考に対して、余りはっきりと向き合ってやる気にはなれずに困り果てる。 何か『問題』を抱えている可能性と言う意味では、この仏師よりも余程そちらの方が高い。そんな事は解りきっている。解りきってはいる、のだが── 「後はひじ…、いや、山に住んでる彼奴か……」 名前と言う事に対して血相を変えていた土方の事を思い出して、途中で言い換える。然し名指しせずとも仏師は銀時の『彼奴』と言う言葉だけでそれが誰を指したものなのか、当然の様に直ぐに察したらしい。 「………坊主か…。だが、…いや然し…」 呻く様な言葉は明らかな独り言であった。疑念か、それとも否定か、何かを言いあぐねて、結局上手く言葉や理由には出来ないらしい仏師は、いつまでも俯いて黙した侭でいる。 「……まぁ、玄翁はあんたのものだし、彼奴と関係は無さそうな気はすんだが、一応もう一遍訪ねてはみるわ」 「………」 一応、容疑者や被害者として見た手前もあって、銀時は己の次の行動方針をそう仏師に告げると、「じゃ、今度こそ」と二度目になるいとまを告げた。 その侭、恐らくは何の異常も無い侭佇んでいるのだろう、原付の元へと向かって歩き出す銀時の背に、やがてひとつの、呟きにも似た問いかけが投げられる。 「何かが、おかしいとは感じているのだ。ただ、それが『何』であるのかは、解らない。突き詰めればそれは明確な違和感である予感はしているのに、そこを覗く事は出来ない、気付く事は赦されていない──そんな、違和感だ」 否。それは恐らく明確な問いであった。問いであって、懊悩でもあった。 但し、銀時にと言うよりは、自らに深く突き立てる様な、問いかけ。 ずっとついて離れない違和感や既視感は確かにあった。 だがそれの正体はわからない。 深く突き詰めようとすると、やんわりと消されて仕舞う様な、忘れて仕舞う様な、そんな感覚であると言う事以外は、解らない。 「…………──」 あんたもそれを、俺と同じ『それ』を感じているのか。 そう問おうとした銀時であったが、口を開こうとした瞬間にはその衝動も疑問もするりと解けて、矢張り何処かへと消え失せて仕舞っている。 「まるで……、まるで悪い夢でも見させられている様な気さえする。火事も、死も、贖罪にもならぬこの己への強い弾劾も」 殆ど独り言の様な呻く声に、銀時が足を止めぬ侭に僅かだけ振り返ってみれば、仏師は翁の優しげな表情に包まれた顔を、天へと向けて立ち尽くしていた。 (悪い夢、か…。確かに、この説明も共感もしようのねェ感覚も、その気持ちの悪さも、偶然とは思えねェ様な作為も、全部ひっくるめてみりゃ、そうと断じれた方がまだ楽なのかも知れねェが…) だが生憎と、夢で燃料はこぼされないし、玄翁は隠されない。 だからひょっとしたらこれらの『作為』は、銀時に自覚を促しているのかも知れない。 憶えた違和感を、正体を掴む事すら出来ぬ疑問を、知らねばならない、と。 荒唐無稽な想像でしかないのだが、この違和感の数々と、この違和感の付きまとう『作為』にも似た『悪戯』或いは『偶然』は、それを考える余地を銀時に与えようとしている様な気がしてならない。 (やっぱり、前にどこかで……?) 脳内の即座に返して来る疑問符の無い手応えを感じながらも、銀時は猶も闇に手を伸ばすつもりで思考をそこへと運ぶ事にした。 土方十四郎。そう名乗った男についての、存在しない記憶の探求、或いは想像を。 。 ← : → |