アリアドネの紅い糸 / 21



 目指す場所は田畑に囲まれた所にあった。お椀を伏せた様にほんの僅かだけ周囲の土地より盛り上がった、小高い丘の様なものだ。そこだけまるで放逐された様にこんもりと木々や雑草が覆い繁っている。
 為五郎から聞き出した、嘗ての土方家のあった場所である。昔は木も多くなく見晴らしも良かったらしいのだが、20年近く放置されている間にすっかりと緑に埋もれて仕舞った様だと言う。
 舗装もされていない農道は周囲の田畑の間を通って、丘の周囲をぐるりと回る様にして丘の上へと続いている。嘗ては荷車なども往来していたからか、傾斜もそうきつくはない。
 緩やかな上り坂を歩きながら、銀時は足を止めずに辺りを見回してみる。一体どこから根付いたのやら、木々や雑草が野放図に丘を覆っていて、道も言われなければそうと判別し難い程度には荒れ果てている。人間の手がたかだか十年二十年そこら入らないだけでこれとは、流石に普通ではそうあり得ない事だろう。自然の底力と言うのは全く恐れ入る。
 丘の上まで到達すると、突然視界が開けた。丁度道の左右端と思しき所にぼろぼろの姿で立っている古びた木の柱が二本、足を止めた銀時を迎える門番の様に見下ろしている。嘗ては門か何かだったのだろうその残骸は、腐食に晒されて今では見る影もない。
 登って来た道を何となく振り返ると、緩やかに下る坂が弧を描いて続いており、確かにここが周囲よりは高台に位置しているのだとよく解った。
 (けど周囲が平ったい田畑だからな…。ひょっとしたらこの丘、大昔は塚とか古墳とかそう言うもんだったのかも知れねェな)
 遠目に見た、田畑の中の不自然な盛り上がりと言った、この辺りの地形を思い出しつつ銀時はそんな事を考えながら、ぼろぼろの門──木の柱の間を通った。金持ちや権力者は得てして高台に住みたがるもので、土方家もそんな例に漏れなかったと言う事なのだろう。
 そうして見遣った開けた空の下には、原型をとどめてはいない材木や土壁や瓦と言ったものたち、瓦礫の山が拡がっていた。
 なかなかに広い屋敷だ。家屋の面積からに土方家の嘗ての繁栄ぶりが伺える。幾年も風雨に晒された今では焦臭さなど残ってはいなかったが、瓦礫の中から辛うじて傾きながらも立っている柱たちの炭化した色から、嘗て業火がこの屋敷を襲ったのだと言う事は確かに知れた。
 崩落した屋根から落ちて焼かれた、白くなった瓦の欠片があちらこちらに散らばっているが、どれもこれもあちこちが壊れて原形をとどめていない。
 瓦礫の山はまるで、空になった腑を晒し天に肋骨の尖りを向けて無念を訴え続けている生物の骸の様であった。ひょっとしたら土方家の土地だからと言う事もあるのかも知れないが、瓦礫を片付けようとしたり、人が暫く寄りついたりした気配さえもない。ただただこびりついた念が風化するのを待って、誰もが業火の記憶を忘れて仕舞うまでこの侭放ったらかしにされ続けるのかも知れない。
 流石に金目のものなどは見当たらないが──あったかどうかも不明だが──、村の人間たちがここを忌み地として近づいていないと言うのは、ここまでの道中も含めて容易に知れた。まあ凄惨な事件や事故を口を噤んで語りたがらないと言うのは、都会を離れた閉鎖的な田舎の常だ。
 悲劇の痕跡以外には何も語らぬ無惨の瓦礫を前に、銀時は喉奥で唸って腕を組んだ。為五郎の話では、人為か事故かは解らないが、ある時家から火が出て、それに乗じて侵入してきた盗賊に家人は皆殺しにされたと言う。
 土方十四郎と言う名の幼い彼の義弟も、その時に亡くなった。
 だが、現にここには異なった未来の岐路を生き延びた土方十四郎と言う男がいる。
 二つの運命に共通しているのは、この土方家と言う豪農の屋敷を襲った業火。ここで何かが違えた事で、土方十四郎は齢十一にして亡くなった。少なくとも、為五郎の記憶では。『この』世界の認識では。
 (何分酷い火事で、まともに亡骸や骨も集められなかったとか言ってたか…)
 普通の火災程度なら焼死体は残るが、こうも建物が崩落しているとそれに巻き込まれた家人の骸を探すにも苦労した事だろう。土方がまだ十一歳程度だとすれば、小さな亡骸が潰れたりばらばらになって仕舞う可能性もある。
 とは言えそれは想像半分の事だ。流石にそこまでは銀時も訊かなかった。未だにこの出来事を背負って生きている為五郎には辛い話になる筈だ。
 (まぁそれで、亡骸が出てこねぇからって生きてました、とかそんな三文ミステリーみてーな話でもあるまいし)
 元建材の隙間から逞しく伸びている雑草を何となく掴んで、引っこ抜いて後ろへ放り棄てながら銀時は嘆息した。火災から十年以上も経過してなおその侭にされている瓦礫の山たちは、火災に因って起きただろう土方家を襲った悲劇を無言で語ってはいたが、こうも年月が経過していると、経年劣化で廃屋となったものと然程に変わりはしない。
 瓦礫を幾つか乗り越えて、玄関と思しき部分から家の中だったと思しき部分の残骸へと入ってみた銀時であったが、燃え残った柱が幾つか立っているだけのそこは露天で、家の中と外との区別など殆どつかない。おまけに足場は建材で歩き難いことこの上ない。
 崩れ落ちたのだろう屋根瓦を踏みしだいて、辺りを見回しながら家の間取りを想像しようとしてみるが、お手上げであった。こうも荒れ果てた残骸の侭に雑草を茂らせている有り様では、仮に間取り図を手にしていた所で混乱するだけだろう。
 「っ!」
 炭化した材木を踏み越えようとした時、足場にしていた瓦礫ががらりと崩れた。後ろ向きに倒れそうになった銀時は、咄嗟に体勢を整えようと手近の柱を無意識に掴み、そこで鋭い刺す様な痛みを覚えて顔を顰める。
 「ってェ…」
 バランスが整ったのを確認して、そろそろと掴んでいた柱から手の力を抜いてみると、手にざっくりと切り傷が出来ていた。掴んだのは、すっかり炭化しているものと思いきや表面の黒こげになっただけの柱だった様で、割れた木の断面から突き出た棘に掌を引っかけて仕舞った様だ。
 血は出ていたが大した傷ではない。だが、凶器が凶器だ。破傷風になどなったら堪ったものではない。ぽたぽたと血を滴らせる手を軽く振ると、銀時は頭を巡らせる。これだけ大きな屋敷ならば、井戸ぐらいはありそうなものなのだが。
 取り敢えず瓦礫の山を、今度は慎重に越えて廃墟から離れると、雑草や蔓草に埋もれた庭らしいスペースに出た。離れか蔵かは解らないが、崩落した小さな建物らしきものが幾つか見える。
 ──にゃあ。
 「、」
 不意に、猫の声が聞こえた気がして、銀時は井戸を探してきょろきょろとしていた頭をびくりと、声のした気のする方へと向けた。
 家からは遠ざかる方角。大分まとまりは無いが、元から植えられていたと思しき防犯用の灌木の茂みを、更に野放図に雑草たちが覆っている。
 「……」
 猫、と言う単語で連想出来るものは、度々銀時の前をまるで導きでもしているつもりなのか現れる黒猫の存在だ。
 それがこの場所で現れる意味。思わず怪我の事も忘れて、銀時は声のした気のする方角へと足を向けた。偶然では決して無い、作為と言う言葉を口中で、不穏な感覚と共に呑み込みながら。
 雑草を掻き分けて茂みを覗き込むが、猫らしきものの姿は見当たらない。もしも偶々野良猫が通りかかっただけであったらとっくに飛び出して逃げても良い筈だが、辺りには何の動きもない。風すら吹いていない。
 「……おーい、お前さんまたそこらに居るのか?」
 猫相手には少々間が抜けているだろうかと思いながらも声を上げるが、茂みのどこからも返事は疎か物音一つしない。肩透かし。そんな言葉を思い浮かべながら頭を掻いた銀時が溜息をつきつつしゃがみ込めば、雑草の茂る中に不自然な石積みがあるのが、低くなった視界に入って来た。
 「…何コレ。賽の河原?」
 思わず呻く。銀時の掌より一回り小さいぐらいの平たい石を下にして、まるで雪だるまの様にもう一回り小さな石がその上に乗っている。周囲には更に小さな石が二つ転がっているので昔は、呟きに出た通り賽の河原の様に小さな石積みになっていたのだろう。
 「……いや、」
 思わず膝をついて見る。小さな二つの石積みの下の地面は、ほんの僅かだけ周囲から盛り上がっており、そこにだけ雑草の類が繁っていない。
 (………墓?)
 唇だけを動かして、その形状をしたものに合致しそうな単語を紡ぐと、銀時は先頃怪我をした手をそこに伸ばした。
 まるで子供が作った様な小さく密やかな、墓所。そうだとしたらこれは一体何を弔ったものなのだろうか。誰が弔ったものなのだろうか。
 ぽた、と。触れるに触れ難い墓の様なものに向けた掌から、紅い血が滴って土にじわりと吸い込まれる。
 その瞬間。
 「──!」
 ぞわ、と銀時の全身の血が熱くなり、然し真逆に体温が冷える様な感覚に総毛立った。まずい、と本能的な予感に心臓が激しく鼓動するが、体はそこから動かない。
 青い、白い、光が大地からまるで濁流の様に放出されるのを見た気がして、それに包まれた銀時は眩しさの余りに目を固く瞑った。
 感じたのは落下感。地面がぽかりと抜けて、何処までも深い深淵へと落ちて行く様な、途方もない程の迂遠。
 美しい泉が見えた。そこの周囲にだけ植物が群生し、触れれば忽ちに傷の癒される奇跡と恵みのその泉を、古代の人間たちが崇めていた。
 やがて泉は枯れたが、未だに周囲を満たす恵みの肥沃な地を求めて、武者たちが戦を繰り返していた。
 大分衰え、然し繁栄の名残を残した地は遂に土地の守り神と同一化され、山には社が建立された。
 ある一族がそこに屋敷を建てて住まう様になった。大地を潤す恵みの力はもう微弱にしか残されていなかったが、それでも脈々と静かに存在し続け、周囲の田畑を実らせて家には財をもたらした。
 落ちて行く中で銀時の脳裏に過ぎる光景の数々は、どれもこれも見た事の無い風景ばかりで、まるで長い映画のあちこちを切り取って頭へと直接叩き込んで来ている様だった。銀時はその情報量に混乱しながら、益々強くなった気のする落下感に堪えて歯を軋らせた。他に、この抗い様のない現象に対して取れる手段など解らなかったのだ。
 そこに、にゃあ、とまた声が聞こえた気がして無我夢中で目を見開けば、視界の隅を黒猫の背が走って行くのが見えた。
 「っ、くそ!」
 どこが地面かも解らない、落下し続けている様な浮遊感の中で、銀時はやけくそな気分で足を踏み出した。どちらに向かっているのかも何をしているのかも解らないが、生まれた時から誰もが知っている筈の、手と足の使い方を思いだそうと、必死に走る。そのつもりで手足を動かす。
 すると忽ちに黒猫の背が近づく。どうやらちゃんと走れているらしいと安堵しながら、銀時は黒猫の駆ける方角に向けて手を伸ばした。
 その手を何かに取られた気がした。同時に、ぐん、とまるで何かに引っ張られる様に意識が、落下していた肉体が急浮上し、再び青い白い光が見開いた網膜を灼くのに、思わず目を瞑る。
 
 「──……」
 
 目覚めたのか、それとも意識を途絶させたのか。
 一体何が起きたのか。解らなかったが、それでもきっとここが終着点であって目的地なのだろうと、瞼の裏に残像の様に残った黒猫の姿がそう語っている事を確信しながら、銀時はゆっくりと、目を開いた。





ファンタジー展開、はっじまるよー。

  :