アリアドネの紅い糸 / 29



 その日彼は近くの町へと出かけていた。
 土方家の所有する多くの田畑はその年も豊作で、米を売りさばいてくれる商人とのやりとりは非常に多かった。幾ら昔と比べて通信手段が増えたとは言っても、商売に於いては直接の遣り取りを重んじる者も未だ多い。商人たちと密な付き合いを作っておく事は、家長としてとても重要な仕事だった。
 家を出たのは朝早くだったが、帰路につく目処が立ったのは夕刻に差し掛かる頃になってからだった。疲れた足を引き摺った彼は、山道を歩いて村へと戻る時間を考え、車でも捕まえて帰ろうかと、そう思った。
 その途中、秋の祭りが近い事もあって、郊外から出て来ている行商人たちの露店を見つけた。道端に敷かれたござの上で益体のない様な土産物を売っている様子を見た彼は、そこに立ち寄ってみる事にした。
 幼い義弟が最近酷く鬱ぎ込んでいる様子だったから、何か気の利いた土産でも買っていってやろうと、そう思ったのだ。
 色々と考え、これだと決めて手に取ったのは確か、木彫りの武者の玩具だった。簡単なからくりが仕掛けてあるもので、紐を引くと撥条が回ってかたかたと歩くそれは、きっと幼い義弟に少しでも笑顔をもたらしてくれるだろうと、彼には思えた。
 折角だから出来の良いものを選んでやろうと、店先に並べられたそれを片端から動かしたり、絵の具が綺麗な仕上げになっているかをよく吟味した。田舎から出て来たらしい店主も、売れるのならば良いと思ったのか、これはどうです、これならどうでしょう、と彼の品定めを笑いながら手伝ってくれた。
 子供への土産だと、義弟と言う説明が面倒だったからそう言って金銭を支払った。
 ああ成程。だからそんなに熱心になってらしたんですねぇと、少し訛りのある店主はにこにこと玩具を渡してくれた。
 子供さん、きっと喜んでくれますよ。
 最後に店主はそう言って、彼も、出来が良いものだから大丈夫だろうと言う様な世辞を返した。
 彼はその時、思ったのだ。
 あの、年の離れた義弟は、きょうだいと言うよりは自分の子供の様なもので。それで良かったのだと。そう言えば良かったのだと。
 父の遺産に関わる話もあったし、何より彼は子宝には恵まれなかった。だから、きょうだいだとして扱った方があの子供にとっては良い筈だと、そう思い込んでいた。
 だが、口に乗せてみればごく自然と、あの子は彼ら夫婦の子供として普通に在って違和感など無いものだった。
 思えばあの子供は、彼と言う義兄の事を「兄」と呼ばず、「父」とも呼ばなかった。それはひょっとしたら酷く不憫な事だったのかも知れない、と。彼はその日初めてそんな事を思ったのだった。家に居場所のない、家族の誰にもなれない、そんな重苦しく居心地の悪い思いをしていたのではないだろうか、と。
 義弟とは言え、父の遺産を相続する権利はある。養子となったら父の遺産ではなく、彼の遺産を受け継ぐ事になる。だがそれは何年も先の事だし、その間に土方家の財力がどうなるかは解らない。
 だが、大事なのはそんな配慮ではなく、彼と言う子供の心の扱いだったのではないだろうか。鬱ぎ込む程辛い事を抱えていても、ただ引き取り引き取られたと言うだけの関係しかない、義兄弟と言うあやふやな存在にはそれを話す事すらきっと躊躇われていたのだ。
 きっと、それは気付くには遅すぎたのだろうと、今となっては思う。
 だが、その時の彼は、まだ間に合うと思っていたのだ。時間はこの先幾らでもあるのだから、と。
 (帰ったら十四郎に、正式な親子になれるよう、自分たちの子供にならないかと訊いてみよう。妻もきっと喜んでくれる筈だ)
 上機嫌になった彼は、車を捕まえずに歩いて村まで戻った。
 その道中で、彼は燃える炎が空を焦がしているのを見た。
 ──そうして土方為五郎は、全てを喪って天涯孤独となった。
 
 *

 それから、田畑の管理と収入の預かりを頼んで、彼は村を離れた。きょうだいや、妻、幼い『子』の亡骸と、それらの燃える臭いはずっと、顔の火傷と共に彼を苛み続けていて、記憶の強く残る郷里に居る事そのものが辛くて堪らなかったからだ。
 彼は仏の道に救いを求め、やがて自ら木を削って仏像を作り始めた。それは芸術性も宗教性もないただの気休めと、罪悪感の軽減の僅かな足しにしかならぬ不毛の行為に過ぎない物だった。
 砂漠に水を一滴一滴と染み込ませる様な無為とは、解っていたのだ。それでも彼は、己だけ生き残って仕舞った人生を悔いて、悔い続けた。子供として迎えたかった子の亡骸の軽さをその腕に思い出す度に、夢であって欲しかったと嘆いて、嘆き続けた。
 (この生を無為と言うには、時は余りに永すぎた。人の生は余りに有情に過ぎた)
 だが、あれからの人生が、全て苦界だった訳ではない。時に彼は笑う事もあったし、酒や食事を美味いと感じる事もあった。当たり前の様に生きる日々がきっと殆どだった。残されて突きつけられた人生は、余りに普通で、余りに在り来たりで、普通の事の様に苦しくて辛かった。
 だが、それでも、あの悲劇が起きていなければきっともっと、何かの異なった生を送っていた筈だった。それはひょっとしたらより不幸な生であったのかも知れないし、より辛い思いをしていたのものであったかも知れない。
 「もしも」を言い出すときりはないが、彼にはそんな夢想が、一種の救いの様に思えていた。そしてその確信は、奇妙な事ばかり言う銀髪の運び屋が来てから、よりはっきりと顕在化する様になった。違和感と言う形として、そんな夢想の方が正しい事だったのではないかと思える程に、強くその記憶を、異なった「もしも」の日々を脳裏に描けるのだ。
 (知らぬ筈の、成長したあの子の姿を目にしている。そう。知らない筈の。私が、知る由もなかった筈の、ものを)
 想像に確信はない。記憶と夢とがごっちゃになって混乱しているのだとも思える。或いはただの年寄りの絵描いた都合の良い幻だとも。
 (だが、もしもそれが本当ならば。あの子が、立派に大きくなって生きている事が、『親』として喜ばしい。親と言う様な事など何もしてやれなかった癖に、気付いた時でさえ遅かった癖に、ただ純粋にそう思う)
 彼は、未完成の仏像の顔に、そっと鑿を入れる。目の前のそれは作りかけの、小さな仏像だ。のっぺらぼうのそこに、幼い子の時折見せてくれた笑顔を思い出しながら、彼は手を動かし続けた。
 そうやって何時間の間、没頭していただろうか。腕の疲れや滴る汗など感じない程に熱心に彫り続けたそれが漸く完成形を見せ始めた頃、工房の戸が叩かれ、客人の訪れを教えた。
 入っておいでと告げれば、僅かの躊躇いの後、戸を開けたのは若い男だった。
 近藤総悟と彼には名乗った、その青年の面相には、改めてみれば確かにあの子供の面影がありありと見て取れて、彼はごくごく自然に目元を弛めて笑った。
 翁の面の下で作った笑顔は、果たして見えたのだろうか。伝わったのだろうか。物言いたげに俯いたその様子からは知れなかったが、彼は構わずに口を開いた。
 「……私は、ずっと後悔と言う感情の中で生きて来た。あの時早く家に戻っていれば。いや、それよりもっと前に、あの子と家族として接していればと。そればかりをずっと悔い続けている。今もなお。ずっと」
 漸く得た再会の意味は、夢想の様な「もしも」と言う可能性を見た違和感には、ひょっとしたらもっと以前から気付いていたのかもしれない。その証の様に言葉は淀みなく彼の心からするりと出て来た。
 「私はあの子の兄で居るつもりで、然しその役割をきっとこなせていなかったのだろう。あの子の抱えた孤独や苦しみに気付いてやる事さえ出来ず、結局はあの子を失った。家族全てを、失った」
 そこで彼はかぶりを振る。全ては繰り言で、言い訳だ。実の子の様に育てたかった。育てたと思いたかった。だが実際には、あの子供はひとりで全てを抱えた侭、ひとりきりで死んで行って仕舞った。
 ずっと己の裡をついて離れない、重苦しい後悔を振り切る様に、彼は鑿で仏像に目を入れる。仏を模した子供の像に、魂を入れる。
 これは、後悔。そして懺悔。そして──願い。
 「益体もない想像と、幻想と笑うかも知れないがね。私は、別の所ではそうでは無かった気がしているのだよ。我が子の様に大事に思っていたあの子を護る事が叶って、後悔など無く満足に生きていたのだと」
 馬鹿馬鹿しい妄想だと、以前ならば笑い飛ばしたかも知れない。だが彼は、確信を以て謳う様にそう口にした。口にして、ああそうだ、と強く思う。それで良い。きっと、それで、良かったのだ。
 断片的な記憶の、別の側面で見たのは、視界を封じる闇と、眼球を焦がす様な激痛。だが、必死に探った手の先で、幼い手が己が身の無事を知らせていた事に、何よりも安堵を憶えた。それは、記憶にない筈の不思議な感覚としか言い様の無いものだ。
 効かぬ視界の中で、果たしてどの様な事があったのかは知れない。然し彼は、子の無事にまず安堵した。この先に己の目がもう開く事が無かったとしても、この子が生きていてくれて良かったと、心底にそう思ったのだ。
 それはきっと何かの気紛れの様な岐路。土産を買って帰りを遅らせる事よりも、早く帰って家族に会いたいと思った、きっとその程度の小さな差異。だがそれこそが、決定的に違えて仕舞った変化の一つだったに違いない。「もしも」と言う名前をした、可能性のたったの一つ。
 だから。それで良かったのだと、彼は確信していた。銀髪の運び屋が親身に寄り添おうとしてくれていた、我が子の未来を。
 「きっと私は、お前を護れた事が何よりも嬉しかったんだろうな」
 長い空白の時を隔てて、漸く完成した仏像を見つめた彼は、戸口に凍り付いた様に佇む青年へゆっくりと視線を転じた。
 「十四郎」
 そう迷い無く紡げば、近藤総悟と名乗った青年は、びくりと大袈裟な程に背を跳ねさせ、顔を起こした。その表情は泣きそうに歪んで、戦慄いて震えている。
 暗く沈んだその眼の奥に潜んでいたのは、澱んだ絶望に浸され続けた、掛け値なしの虚無。傷ついて疲れきった子供の様な諦めを宿した貌。
 「ちがう、あんたはそうじゃねェ、あんたは、ああなっちゃいけねェんだ!こんな恩知らずのガキの為に差し出せる程に、あんたの人生は安いもんじゃねェ筈だ!」
 かぶりを振って、十四郎は軋んでひび割れた声で叫んだ。苦しげに歪んだ声は、然しそれでも張りがあって強い。意志が強く責任感のある者の放つそれの様に、心地良い響きで彼の胸を打つ。
 我知らず笑みが浮かぶ。老いた面の下で、場違いな程に穏やかな感情に浸されて、彼は、命を落とす事なく立派に成長してくれた、我が子にも等しい弟をじっと見つめた。
 「今のあんたは生きてる。俺なんぞの為に傷を負わなかったからこそ、今こうして生きてる…!俺を助けたりなんてしなけりゃ──いや、そもそも俺が土方家(ここ)に来なければ、」
 失意の底から吐き出された悲鳴とは思えない程に、それは余りに切実な願いの様に聞こえた。彼が悔いて来たのと同じぐらいには深く、そして長く、十四郎は己を責め続けて来たのだ。彼が夢想した「もしも」と同じ様に、己の存在を苛み続けたのだ。
 ──自分さえいなければ、貴方はもっと生きる事が出来た筈だ。自分さえいなければ、貴方は自由だった筈だ。自分さえ。いなければ。
 そんな強い自己否定は、きっと彼にとっては呪いの言葉であると同時に、救いの可能性でもあったのだろう。「もしも」と巡らせた幾つもの後悔と思いのひとつ。まるで何かの戒めの様にして身に深く刻んで仕舞った傷痕。
 自らの言葉で自らを引き裂いて仕舞おうとしている十四郎の頭に、彼はそっと手を置いた。大人になったその姿は矢張り、本来であれば、彼には見る事すら叶わなかった筈のものだった。
 「お前を、大事な子供を護った事を後悔した事など、一度も無かったよ。お前が生きて呉れている事を喜ばしく思わない筈があるものか。親にも、兄にもなりきれなかったかも知れないが、私はお前の家族として、そう思っている」
 ……だから。
 「だから、お前はお前の人生を、大事に生きるんだ。お前を愛して呉れている人たちの為にも、後悔などしない様に生きて欲しい」
 それは『彼』の──今の己の否定になる筈の確信であったが、彼の口は、心は、澱みなどなくそう紡いだ。後悔に苛まれ続けたこの生よりも、我が子の幸福を信じる事が出来る方が良いと、そう願って、叶った。
 彼はそっと、顔を覆っていた翁の面を外した。その瞬間に視界が闇に包まれる。瞠られた十四郎の眼に映った己の姿をもう見る事は叶わなかったが、そこにはきっと、火傷など無い老いた顔が在るのだろうと、確信していた。
 「俺は、」
 「十四郎」
 未だ言い募ろうとする気配に、彼はそっとかぶりを振って返す。瞼の裏にはしっかりと残っている、無事に大人へと成長した子供の、頭から掌で輪郭を辿って行けば、やがて濡れた頬に触れる。
 「人とは手前勝手なものだ。──だから、私はただ願う。お前は、いきなさい」
 返事は、子供の様にしゃくりあげる音。それを是であると取った彼は、泣き濡れた顔からゆっくりと手を離した。そうして彼は、土方十四郎の背をとんと押した。これは、振り向く為のものではないのだと示す様に、強く。
 やがてふらふらと、何度も躊躇いながらも足音が離れて行くのを感じて、彼は妙にすがすがしい心地で天を仰いだ。
 何も見えぬ視界の中で、それでも彼には解っていた。これが──「もしも」と夢想していたこれこそが、正しく取捨されるべきであった本来の岐路であって、ここに在った今までの生は夢幻に過ぎぬものであったのだと。
 それは世界の見た夢なのか、それとも人の矮小な身で描いたささやかな夢であったのか、或いはもっと大きな何かの御業なのか、それは知れない。
 だがそれは人にはきっと制御し得ない、理解出来ない類の、奇跡や絶望の織りなした物語の紡いだ可能性、それとも僅かの歪みにしか過ぎなかった。この生など、たったそれだけのものだったのだ。
 (……それでも、あの子の立派な姿を見る事が出来て、私は満足だったと言えば、『それ』は私を愚かなものだと嘲笑うだろうか)
 或いは歯牙にも掛けぬ些事にしか過ぎない侭なのか──何れであっても、彼の及び知る現象ではきっと無いのだろう。
 
 そうして彼は──土方為五郎は消えた。
 彼の元在った、正しい『現在』に在る通りに、とうに絶えて仕舞った小さな命のひとつとして。在るべき形へと戻る為に。





為五郎さんは土方くんからの手紙を楽しみにしていたのだから、きっと、遠くに行って命に関わる様な危険な仕事をする彼の事を案じて、無事で居る便りを受けては安堵していたのだろうと思います。

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