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根腐れ招く曇天 / 2 「……、副長?」 一瞬声を掛けるのを躊躇ったのは、土方の呟いたその言葉が、恰も独り言であるかの様に落とされた響きを伴っていたからだ。その事を裏付けるかの様に土方の目線はこちらを見てはいない。膝の上に乗せた己の掌をじっと見下ろしている表情は重たい前髪に隠れてはっきりとは伺えなかったが、その様子自体がそもそも妙な事ではあった。 端的に言うならば、らしくない。打てば響く様な応えを遠慮無く山崎に返していた様子からは大きく掛け離れて──どこか悄然とした、悲痛さを噛み殺した様な印象。 (……ホームランかと思ったらフライアウトだった、みたいな?) 些か不謹慎な喩えだと思うが、そのぐらいに極端な変化だと判じられたと言う事だ。 元より相対する人間の感情の機微に聡い自負はあったが、部下として仕えて長い付き合いになるこの男の様子には常から特別注意を払っている。近しい存在の近藤でさえ時には見過ごす微細な変化にも気付く事が出来る程に。それは上司が何を必要としているか、何を考えているのかを直ぐに察せる様にと言う実用的な意味合いは勿論だが、実の所その成分の多くには山崎の個人的な感情を多分に含んでいる。 とは言え別にその事自体に今まで、気付いた素振りはあれど指摘を受けた事は無いので、土方の思う以上の役は為せているのだろうと山崎は判断している。そこに多少個人的な意味合いが含有されている事ぐらいは恐らく些末な事なのだ。 だから、これは職業柄と言うより慣れだと矢張り思う。分を越えた情動が原動力にあれど、それをわざわざ表現する事で土方や山崎自身にメリットが何ら生まれるとは思えないので、単純に生活習慣、習い性の様に扱っているものだからだ。 そんな山崎の観察眼から見て『らしくない』土方の様子は、単に独り言をこぼした、と言うより、山崎に何かを伝えておくべきかと考えあぐねている様に見て取れた。だからこそ立ち去り際に吐き出したのだろう。訊いて、止まってくれるのであれば口にしてみようと言う、賭けの様な、試す様な意図をそこには感じる。 もう一度腰を下ろしそっと伺えば、俯いた土方の顔色は酷く悪く、無意識に握り締めたのだろう拳が包帯の上からでも解る程に強張っているのが知れる。 その事からも土方の葛藤の深さを感じ取った山崎は、居慣れない野生動物に近付く様に、畳に膝をついて姿勢を低くした。なるべく刺激しない様に気を遣い、躙り寄る様にして距離を詰めて行く。 問いを上げたり、物音を立てたりしたら、それを契機に土方は口を噤んで仕舞うのではないかと、そんな気がした。 敵前逃亡は切腹、などと言い切る男にしては珍しい躊躇いだと思う理由は、どう攻めるか、ではなく、どう逃げるか、と言う迷い方に見えたからだ。一体、引き結んで強張ったその唇を開いた時にどんな内容がそこから飛び出すのか。予想を立てる事は可能だとは思うが、山崎は敢えてそこに思考を運ばなかった。こうまで迷い、畏れる様な色さえ漂わせる土方の『話そう』とする決心を尊重したかったからだ。 だからただ、無言で少しづつ近付いて行く。この行動が土方の心を悪戯に迷わせ怯えさせるのでは無く、安堵になれば良いのだけど、と願いながら。 話すだけにしては少し近い距離。山崎がその枠に入ったのを待っていたかの様に、土方は唐突に顔を起こすと、着流しの袂から黒いボディカラーの折り畳みの携帯電話を取り出した。包帯に包まれた手の中で、持て余す様にそれを示してみせる。 「…………佐久間の色ボケジジイからの『呼び出し』がついさっき入った」 「っ、副長、それは」 咄嗟に息を呑んだ山崎の頭の中には、懸念から反対から分を越えた叱責までが一斉に浮かんだが、その機先を制する様に土方は続ける。 「気乗りはしねぇが、応じる事になるだろう。幾ら件の奉行とは言え、奴さんがこの件に関わってるかどうかは未だ未確定な上、あのタイミングでの『俺』の襲撃は利害面から考えても正直解せねェ。だが、偶然にしては余りに出来過ぎてると言わざるを得ねぇ」 もしも佐久間が神明党に関わっていたとしたら、『呼び出し』、『取引』に応じさせたばかりの土方を襲撃させる意図が不明になる。仮に土方が殺害されていたら、その日『呼び出し』た佐久間に嫌疑が向く上、老人自らに因る性的な暴行痕も暴かれて仕舞うのだ。明らかにデメリットしか生まないそんな事をわざわざ命じてやらせるとは到底思えない。 佐久間は奉行所と神明党との繋がりにはノータッチなのか。それとも奉行所への疑惑自体が土方の思い過ごしなのか。或いは佐久間老人を引きずり下ろそうと企む者が彼の配下に居るのか。 「まァ、現状神明党と奉行所との関係を匂わせる物的な証拠は残念ながら皆無だ。神明党が散っちまっている以上、その辺りの黒い証拠なんぞ疾うに処分されてるだろうしな。邪推は幾らでも出来るが…、それが事実であれ想像であれ、使えるテはいつでもどう言う状況でも抜ける様にしておくべきだろう」 『狗』だって獅子身中の虫に成り得るかも知れねェだろう? そう剣呑に嗤ってみせる土方の纏った気配は凄惨で、然しどこか歪で不安定にも見えた。それは、嗤う余裕さえみせる表情とは裏腹に、手指の先までが強張っていたからだろうか。 「こっちが怪我人だからか、都合は合わせてくれるそうだ。──はっ、お優しい事だよ。有り難すぎて涙が出て来らァ」 忌々しげにそう吐き捨てると携帯電話を枕元にことりと置き、土方は常より距離の近い位置に入り込んだ山崎の顔を真っ向から見据えた。 「山崎」 ひたり、と据えた音のしそうな、波立たない双眸がそこにはある。強張った儘の手指を、まるで隠す様に己の方へと引き寄せる無意識の行動とは相容れず、その眼差しは酷く静かだった。 瞳孔が開いている、などとどこかの誰かが揶揄した瞳は深い瀝青炭の色。光さえ呑んで仕舞う程に濃く、清冽な二つの眼球は、ある意味で土方と言う男の全てを顕していると、そんな事を思う。 (あ……、拙い) 射竦められた。呑まれた。そう咄嗟に思うが遅い。恐らくはもう、どんなに不満の嵩む様な事を告げられたとして、山崎は反論の術を持つ事が出来ないだろう。この、意思の勁さをその侭物語る様な目で物を言われて仕舞えば、敵いやしないのだと、知っている。 どれだけ真剣なのか。どれだけ決意が固いのか。どれだけ悩み抜いたのか。それらは全て、たった二つの眼球の見据えた先に集約されている。 そしてそれは、目を合わせられたその時から。名前を呼ばれたその時から。山崎には手に取る様に理解出来て仕舞う様な事だった。そう、それこそ監察と言う立場を越えて抱いた個人的な、『慣れ』と言う観察の作業で。 「……テメェに頼みてェ事がある。何ならこれは副長命令と取ってくれても構わねぇ」 日々の観察で、この人の感情や思考には慣れた。 だがそれは、見るだけで何もしてはいけないのだと言う理解を得る事と同義だった。 この人は、俺が読み取った『何か』を形にする事は望んでいないのだと。 「……アンタ個人の方が俺としては葛藤が多くなりそうで御免です。どうぞ、なんなりと。『副長』」 そう応える山崎の解答は、土方には思惑通りで満足のいくものだったのだろう。少し安心した様に息を吐く姿は、腹立たしい程に胸を抉るものだと言うのに。 (アンタは狡い人ですよ、本当に) 恐らく山崎の葛藤や諦念などは、土方にとってさほど重要な懸念材料には足り得ないのだろう。というより、端から意に沿わぬ解答が返るなどとはこれっぽっちも思っていないに違いないのだ。 小さく息をついた土方は、山崎が諦念の覚悟を固めてからも暫くの間考える様な素振りをしていた。今更言うのを躊躇う筈もないだろうから、どうやって話すべきかと組み立ててでもいるのだろうか。 そんなことを思っていると不意に、土方は自らの着流しの帯に手を掛けた。寝間着代わりのそれに合わせて、いつもの角帯ではなく浴衣用のものなのだが、無造作にその中程に指を突っ込むと、ぐいと緩める。 「え」 思わずぱちくりと瞬きをする山崎を余所に、続けて土方は胸元の袷に手を掛け、左右に割り開いた。 普段から緩く着流しを纏う男ではあったが、それにしたって普段では有り得ない唐突な着崩し──というよりは寧ろ脱衣だろうか──に、流石に山崎は目を剥く。 風呂やらよくある怪我の手当やらで見慣れたものとは言え、目の前でいきなり脱衣ショーなどをやらかされるのは、覚えもない上にキャラでもない筈だ。 「~ちょっ!何してんですか、ふくちょ」 「『これ』と」 泡を食う山崎の声に被せる様に、場違いに固い土方の声が滑り出た。 とん、と土方が自ら指で指すのは、胸元や脇腹に貼られた白いガーゼだ。他にもその身の何カ所かには、襲撃で負った切り傷や擦り傷の手当の痕があるが、わざわざ示して見せるその疵が他とは違う意味合いのものである事を、その手当をひとつひとつ丁寧に施した山崎にはよく解っていた。 六日間、そのことについては山崎も問いはしなかったし、土方もずっと石の様に固く口を閉ざしていた。それを今、敢えて示して見せる意味。佐久間老人の呼び出しを受けたと告げて来た前提。余りに簡単な足し算に、山崎は思わず言葉を失った。 「……同じ事が、これからまた起きる。あのジジイも馬鹿じゃねぇから手前ェの破滅に繋がる様な瑕疵なんぞ、単なる遊びの為に残したりはしねェだろうから、生命についての危険や、五体、薬物なんかの心配は必要無ェ筈だ。とは言え外出の理由や万が一の疵の手当は、俺一人じゃフォローしきれねェ」 だから、俺が必要とする時は手を貸せ。 そう告げる言葉は常の土方には無い程、必要以上に淡々としたもので、山崎は寸前の衝撃を隠す様に項垂れた。警鐘めいたものを打ち鳴らす頭を払う様に振って、「解りました」と頷く。 「……頼んだぞ。呼び出しを受けた時にはテメェに連絡を入れる。符丁は潜入任務の時と同じ方式で行く」 「はいよ」 土方の言い種以上に、感情のこもらない返答だなとは思ったが、仕方の無い話だろう。これは、副長からの『命令』なのだ。気乗りが無かろうが、ミントンの試合中だろうが、山崎の個人的な感情が否を唱えようが、それが『命令』であれば速やかに応じるのが仕事だ。 「張り込みは監察の他の人間にも回せ。『事故』の容疑者の確保は、今度こそ最優先で確実に行う様にしろ。上手い事行けば容疑者周辺からも、俺の方からも何か出るかも知れねぇ」 「藪をつついたら案外、蛇どころか鰐が出て来るかも知れませんがね」 奉行所に疑惑があったとして、まだそれが佐久間の何某に行き着く訳ではない。寧ろそれは希望的な意見だろうとは察したが、敢えて苦言を呈す様に釘を刺しておく。無い容疑を無理に探す余り、土方が要らぬ深追いをしかねないからだ。 「……まぁ違いねェな」 苦笑と言うには些か力の籠もった表情の中、口元だけが強張って固い。土方の気持ちは痛々しいまでに理解出来てはいたが、気休めを無用に並べると言うのも正しくはない。 だから無駄口はそこで切って、山崎は今度こそ立ち上がった。 「明日だ」 それを追い掛ける様に、端的な言葉だけが飛んで来る。 「はい?」 「二度目は、明日だ」 振り返って目につく、言い添えながらちらりと携帯電話に視線を投げた土方の態度から、もう既に「明日応じる」と連絡を返した後なのだと直ぐに伺えはしたが、山崎は露骨な溜息をつかずにいられない。 本当に一週間しか安静にさせられなかったなと、諦めより上位の、達観を抱いて思う。 「……了解です」 本調子でもないと言うのに、一週間前のあの様を再び繰り返す気なのだろうか。そう思えば今すぐにでも両肩を掴んで、怒鳴ってでも思いとどまらせたい気持ちは正直な所を言えば、ある。 だが、副長命令として事前に告げて寄越した、『手を貸せ』と言う命令程度の効力にしか、山崎がそこに突っ込んで良い嘴など存在していないのだ。もしも山崎が副長命令ではなく、土方個人の『頼み』としてそれを聞き、断ったとして、それでも土方は気にもせずに予めの己の役割を遵守しようとするだろう。 「新しい隊服、部屋に用意しときますね。多分明日は俺も副長も忙しい一日になりますが、スケジュールの調整はしときますんで」 「ああ」 一般の隊士には『副長は風邪をひいた』と伝えてある。実際熱は出していた事を思えばまるきり嘘と言う訳ではない。その事に因る仕事のしわ寄せは、幾ら医務室で雑務を片付けていたとしてもまだまだ山の様に残っている。それを差し引いても、足しても、復帰直後から厳しい事になりそうだった。 そんな、忙しくなるな、と言う思考を理由に、山崎は「しっかり身体を休めてくださいよ」とだけ言い残して医務室を後にしていた。 * (俺は多分、怒ってるんだろうな) そんな客観的な理解を引き連れて廊下を歩いて行く。曇り空の下、中庭に集まった隊士らが爆弾解体の作業訓練をしているのが見える。ぽん、と小さな破裂音と共に、失敗したのだろう、ペナルティに仕掛けられた墨汁と紙吹雪が辺りに散らされ、肩を落として座り込んだ隊士に向け、叱責よりもからかう調子に似た声がかけられていた。 (……本物だったら、あそこに居る半数は殉職してたかな) ついぞ尖ったそんな己の胸の裡に、らしくないぞとかぶりを振り、向かいから来て横を通り過ぎる同僚と軽く挨拶を交わす。 こうして、隠すのは酷く簡単だった。どんなに腑が煮えくりかえる心持ちであっても、さらりと躱せる平常心は持ち合わせている。これは職業柄ではなく山崎の元来の性質だ。だからこそ監察向けと判断されたのだろうが。 そうして副長室の前まで辿り着くとつい癖で伺いを立てそうになり、いやいや、と思い直してからがらりと障子を開いた。と、そこには部屋の主──は当然不在なのだが、それに似た格好をした珍客の姿があった。 「……何やってんですか、沖田隊長」 呆れの色を隠せない呻きと共に見下ろした先には、隊服を着た侭でごろりと横たわっている栗毛の頭。見慣れた赤い、目の模様のプリントされたアイマスクを装着している為に人相は知れないが、少なくとも真選組の中では他にこんな格好でこんな所に居る可能性を持つ該当者は居るまい。 「土方の野郎の部屋なんざ、隊士が好んで近付くもんじゃ無いんでねィ。ヤニ臭ェがサボんには丁度良いんだよ」 「副長室と副長職の乗っ取りかと俺本気で疑いかけましたよ今」 ぱたんと後ろ手に障子を閉じると、畳に仰向けに横になっている沖田を蹴飛ばさない様に壁際まで移動した山崎は衣装棚を開き、不織布の防虫カバーが掛けられた隊服をハンガーごと取り出した。鴨居に引っかけ、型くずれの無い事を確認する。 「なんでィ、あの野郎はもう出て来んのかィ。その侭一生寝てりゃ良いのに寧ろいっそ永眠しろ土方バカヤロー」 「いや俺副長じゃないですからね?って、なんでズボンの裾縫ってあるんですか!しかもご丁寧に両足ィィ!?」 何となく目を遣った先に有り得ない光景を見つけて仕舞い、思わず山崎は泡を飛ばした。犯人は当然、横たわった侭アイマスクをちらりと持ち上げている青年に違いない。 筒状の裾を、これでもかと執拗な縫い目がぴったりと綴じている。無駄に丁寧な仕事に感心……ではなく、こんな状態で着用しようとしたら、着替えの最中に転ぶ事は請け合いだ。 然し恨みがましい山崎の視線の先で、沖田は何事もないかの様にさらっと告げて来る。 「俺からの土方さんへのビックリドッキリ快気祝いに決まってんだろ。なんでてめーが見つけてんだよ頭モヒカンにされてーのかザキ」 「なんでそう八つ当たり調なんですかもう!やめて下さいよいちいち人のトラウマにねじ込んで来るの!」 思わず頭髪を押さえて抗議する。嘗て銀時らに無理矢理剃髪されたあの時は本当に人間不信と途方もない厭世観に見舞われたものだった。今では奇抜なモヒ…なんちゃらと言う髪型の片鱗など伺えない、元通りの地味頭(土方命名)に戻っているとは言え。受けた負傷の度合いは大きい。主に心の。 そういう『人の弱味』だからこそ沖田が喜々として突いて来るのだろうとは思うのだが、強がって平然と相対すれば本気で翌朝にはモヒ…なんちゃらの地獄の日々に再びタイムスリップさせられかねない。 「……これ、わざわざ縫ったんですか。隊長」 「さてねィ」 ぎっちり綴じられた縫い目を再び見遣って呻く様に問うが、肩を竦める仕草のみが返った。沖田が幾ら土方へのイヤガラセには労力を惜しまぬとは言え、ここまで周到で面倒な作業まで行うとは。暇…というより寧ろ逆に感心する。 糸を切った所で穴は確実に残る。裾上げをして誤魔化すにも、この隊服一式は土方の足の長さにぴたりと誂えた寸法なので難しい。新しいのを持って来るしかないかと山崎が諦めて肩を落とすのを見てか、沖田が引っ張っていたアイマスクを指から放した。再び、開いた侭の目の模様の下に、薄い色の瞳が隠れる。 「あともう一週間は寝てて欲しかったのはテメーだろ?俺は一生寝てて良いくれェだと思ってたんだがねィ」 「……」 土方が運び込まれた翌朝に、銀時が問いかけて寄越した「沖田も土方の負傷が嘘である事ぐらい見抜いているのではないか」と言う旨の言葉がふと脳裏に蘇る。山崎は衣装櫃を掻き回しながら密かに後方を伺うが、沖田の表情も感情も相変わらず巫山戯たアイマスクの下だ。 (まあ……十中八九間違いなく気付いてるな。つーかメッチャ不審がってるよな) 近藤は勿論沖田にも、土方が事情を語りはしないどころか逆に隠そうと躍起になるのは解る。それは二人に怒られるとか呆れられるとか侮蔑されるとかそう言った不安からではないと言うのも。程度に差こそあれど、彼らが土方の置かれた立場や状況を知れば心を痛めるし砕くだろう。佐久間を含む幕臣らにも、取引と言う天秤の分銅となっただろう人物にも怒りは抱くだろうし、真っ当ではない遣り方でそれを阻止する手段も考えるかも知れない。そう言う意味では近藤も沖田も大事にされているのだと言える。 彼らには彼らなりの、山崎には山崎なりの、土方に相対する方法がある。理由がある。全てを包み隠さず向かい合う事こそ莫逆の友だなどと言い切る様な青さは彼らの間にはない。近藤も、土方が襲撃に後れを取った原因について何か思う所がありそうな様子ではあったのだが、それを敢えて口にしないのは信頼の成せる業だろう。土方と、山崎との両者に対する。 (……あの人、そういう部分では近藤さんにさえも絶対踏み込ませない頑固さあるしな) それは決して友を蔑ろにする様な類のものではないのだが、時にその頑なさを危うく感じる事はある。沖田は以前から土方のそう言った徹底的な部分やそれが偽悪的なものに偏りがちになる事を、気に入らないと見ていた節があった。 「…あのですね、沖田隊長、」 「あの野郎も相当の馬鹿だたァ思ってんだがねィ、それはてめーも同じだったみてーだな」 さらりと投げ棄てられた言葉の意味は解っている、心算だ。幾つかの気休めを紡ぎかけた口を思わず噤んで、山崎は密かに胸を押さえた。痛かった訳でも、罪悪感を憶えた訳でもない。ただ、少し安心したのだ。 「……すいませんね、ご心配をお掛けして」 沖田の苛立ちもまた、信頼の成せる業だと言う事だろう。近藤ほどに達観は出来ないし、放置しておく事がベストだと言う訳でもないと知る経験測と、自分や近藤も知り得ない事を土方が山崎にだけは告げているだろう事に対する。 だから、山崎が少し申し訳ない表情を向けたのは本心からだった。苦笑に足りない様なそんな顔を果たしてどう見たのか、再びアイマスクを少しだけ持ち上げていた沖田は、口の端を歪めるとあからさまに吐き捨てる。 「上司と部下と揃って馬鹿たァおめでてェもんだ。加えて万事屋の旦那も同じ様な馬鹿と来ちゃァ、救い様がねーよ」 ぐい、と乱暴にアイマスクを首もとまで引き下ろすと、沖田は脱ぎ捨ててあった自分の上着を手に取って立ち上がった。 「だからいい加減愛想尽かされたんじゃないかねェ。旦那、あれから姿全然見かけてねーや」 「…………かも、知れないですけど」 沖田の言い種は、銀時を焚き付けた形になった事を遠回しに認めるものだ。その事からも山崎は確信のコマを王手に向けて進めざるを得ない。口調は重い。それが土方にとってどの様な意味を持つ王手なのかを、恐らく本人以上には理解している心算だからだ。 見舞いと言って医務室に向かった銀時を止めなかった事を省みれば山崎も同罪と言える。口止めさえ出来ずに、それどころか煽る様な言葉を投げつけたのだから。 だが、銀時に『秘密』の可能性を問いたのだろう沖田も、『秘密』の所在をさらけ出した山崎も、銀時に対する恨みや意趣返しからそうした訳では無い。非常に勝手な言い分だと当人には取られるかも知れないが、あの銀色の侍に抱いたのは『期待』だったのだ。 (……あの人なら、土方さんを止められる様な気がしたんだけどな) 結果は、詳細までは知れない。ただ、何ひとつ言い残さず、傘をと勧めた門番の申し出すら断って雨の町に姿を消したと言う銀時と、その日から頑なに職務に励もうとした土方との間に、ただの穏やかな話し合いしか生じなかった筈などないだろう。 手も付けられない侭すっかり茶色くなって仕舞った、うさぎ型に剥かれた林檎たちだけが唯一の証言者だった。 「ちっと早ェが次は団子屋で昼寝の時間だな」 巡回の時間でしょう、と言う真っ当なツッコミは、それよりも早く閉ざされた障子の向こうには至らなかった。殆ど無い足音が縁側を去って行くのを待ってから、山崎は執拗に縫い止められた隊服のズボンを畳んで嘆息する。 (そうして、旦那に会ったとして、何を言う心算なんだろうね。俺達が) 団子屋でのサボタージュは確かに沖田の得意技だが、同時にそこは銀時の甘味摂取の場としても知れている。沖田の言い種は遠回しながら、土方や山崎に直接当たった所で埒が開かないから、アレを焚き付ける他ないだろうと言う意味なのだろう。 だが、その万事屋の旦那ご本人が、曰く姿をとんと見かけない──ヒキコモリ状態と言うのでは話にならないのではないだろうか。 「……やっぱ沖田隊長、なんでかんでまめな人だよな」 本人に聞きとがめられたらモヒなんちゃらにされるどころでは済まなさそうな事を思わずこぼして仕舞う。 銀時が今何をしているかなどとは知れないが、沖田は団子屋と言う偶然を装える場所をここ数日何度も確認し、時にはサボりに使って、彼の訪いを待っている、と言う事だ。 (ひょっとしたら裾を縫いつけたのも、副長が無理を圧して復帰してくるのを反対するって言う意味で……とか) そうだとしたら、執拗な縫い目の一つ一つすら沖田の不器用な思い遣りの類に見えてくるから不思議である。我知らず頬を弛めて仕舞っていた事に気付くと山崎は、畳んだそれを抱えて立ち上がった。 (よし、俺も俺に出来る範囲で副長のサポートをして、なんとか負担を減らす事が出来る方法を、) そんな事を思いながら障子をざっと開いたその時、ふと腕の中からカチカチと言う小さな音が聞こえて来た気がして、「え」と思わず立ち止まる。 次の瞬間。 中庭での爆弾解体訓練のものによく似た、癇癪玉の弾ける様な音と共に、腕に抱えたズボンが破裂した。 顔や全身に降り注いだ墨の様な真っ黒な液体と、舞い散る紙吹雪を呆然と見遣って、後方に倒れながら山崎は、諦念の思いを込めた走馬燈の中に沖田の黒い笑みを発見して仕舞った様な気がして思わず笑った。それはもう苦く。 そんな殊勝さをドSに見出した俺が間違いでした。 これで俺も殉職一回か、とそんな事を呟いて、後頭部に続いて来るだろう衝撃に堪える為、山崎は黙って目を閉じた。 。 /1← : → /3 |