根腐れ招く曇天 / 4 天の気分と書いて天気。全く誰が上手い事を言ったのやら。 そんな事をぼんやりと考えていた銀時は、机の上に投げ出していた足を湿っぽい床に下ろし、膝上に立てて読んでいたブ厚い少年ジャンプを手にして億劫な心地で立ち上がる。 ちらと振り返った背後の格子窓は、たった今椅子の上から見上げた時と何ら変わらず、ジャンプより余程厚そうな雲を空に拡げていた。ちょっとぐらい風が吹いた程度では到底払えそうもない曇り空は、今の銀時の心地をその侭反映した様で気分が宜しくない。 窓から目を逸らす様に動かした視線がデスクの上の小さなカレンダーを横切る。密かに記された×印はもう両手の指では足りない個数になっている。 頭上の雲どころか、部屋の隅の埃ひとつ払えそうもない溜息をつくと、銀時はどっかりとソファに身を預けた。背もたれに預けた身体は妙に重く、ずるずると横向きに背中が滑って行くのは解るが、それを止める気力すら湧かない。 まぁいいか、と思いながらその侭ソファに上体が横倒しになった所で、足も上にあげて軽く組む。手になんとなく掴んで来たジャンプは胸の上に置いてはみたものの、今日は既に木曜日。四日間読んだそれを改めて持ち上げる気もしない。 アレ、じゃあなんでジャンプなんて持って来たんだろう俺。と少し考えるが特別な理由も思いつかず、まぁいいか、と二度目のそんな思考でテーブルの上にばさりと放り投げた。 待つだけの時間は針の筵の様な心地から逃がしてはくれない。長く、長い間の怠惰な時間の経過は、確実に焦燥感を煽り日々神経を削り──故に、今ではすっかりそれらは削られ過ぎて喪失して仕舞っている。 焦りや不安が消えた訳ではない。ただ、慣れて仕舞っただけだ。やれる事はやったのだから、後に残されているのはひたすらに長い、思考の時間だけだった。 そして困った事に、その『思考』の議題は、未だスタートラインにすら立ててはいない。だから今の銀時に出来る事は、是と言われようが否と言われようが、自分の想いに添う、悔いの無い選択を出来るようにと言う、腹を括る覚悟を決め込む事だけだ。 空いた両腕を頭の後ろで組んで、見慣れた天井板を暫し見つめる。定春(まくら)が欲しいなと何となく思ったが、この気分が滅入ることこの上ない生憎の曇り空は、日頃日傘の欠かせない神楽にとっては寧ろ歓迎ものの天候だ。彼女が大きい図体を丸めて眠っていた枕もとい定春を促して活き活きと飛び出していったのは昼過ぎの話である。 ちらりと時計を見やれば、時刻は15時を疾うに回っていた。程良い空腹を促す時間帯に、冷蔵庫に確かプリンがあったっけなあと寸時考えるものの、起き上がるのが億劫だったので忘れる事にした。 アレ、貴重な糖分摂取の機会を逃すってどうしたの俺。とまた少し考えるが億劫以外の理由が特に思いつかず、まぁいいか、と三度目の思考をして目を閉じる。 神楽が帰って来たらプリンは確実にアイツの拡張胃袋に消えるよな。今しか食べるチャンスは無いんだよ俺?つーかアレそもそも俺が買って来た奴じゃなかったっけ?三連パックで105円だった奴。そういや一個も食ってなくね?三個あったら普通は俺が二つ神楽が一つって言う平和的な分け方するよな? 「そこは普通、僕を加えて三人仲良く分ける、って言うのが模範解答でしょ。まあ今更な話ですけど」 不意に思考に挟まれた言葉(ツッコミ)に目蓋を持ち上げれば、寝室に洗濯物を干していた新八が洗濯籠を抱えてソファの横に立っていた。見下ろす眼鏡の奥の呆れの表情に、銀時はなんとなく目を擦った。別に本当に眠かった訳ではないのだが、伸びをして呻く。 「おいおいぱっつぁん、お前がツッコミ眼鏡の達人なのは知ってるけどね?銀さんの心まで読んでツッコミ入れんのはやめてくんない?なんかツッコまれると思うといちいち気ィ遣っちまうしさぁ」 「読んでませんよ。口に出してましたよ思い切り。つーか何ですツッコミ眼鏡ってどんな達人なんですか。眼鏡の必要あるんですかソレ」 「え。声になってた?」 「ええ思い切り。そんなにプリン食べたいなら取って来ましょうか?」 廊下に出て洗濯籠を置き、台所を軽く見て言って来る新八の申し出を「あー、いいわ別に」と何となくばつが悪い心地で断り、銀時はソファの上でごろりと転がった。背もたれに顔を向け、ソファの長さには収まらない体躯を少し丸めている自分はまるで拗ねた子供か何かの様だと思うが、それさえもどうでも良かった。曇りの空は思考ひとつすら億劫にさせるのかも知れないと思って、再び溜息をつく。 遊びから帰って来て、プリンを楽しみにしている神楽が、たった一個残ったそれが銀時の胃袋に消えたと知れば、寝ている所にワンパンぐらいの仕打ちは受けるかも知れない。我が家の食糧事情は常に自分を含む欠食児童達の中の戦争。嗜好品など滅多にない贅沢。だから良いのだ、と自分に言い聞かせる様にそう呟き、枕にした自らの左腕に頬を乗せ、ただでさえ重たい目蓋を、眠気など欠片もないのに無理に閉じる。 そんな家主の姿が怠惰にでも映ったのか、新八の呆れた様な溜息が降って来る。 「曇り続きで気が滅入るのは解りますけど、あんまり鬱ぎ込み過ぎるとホント一生晴れなくなりますよ?」 空はいつかは晴れる。それが天の気分と言うものだ。だが、人の気分は幾ら待っても確実に晴れると言う保証などない。通り雨を心地よいお湿りと感じるか、忌々しい夕立と思うかはその時の心地次第である様に。 確信をついては来ないが、新八の言い種は明かに、銀時の気分が天候以外の要因で曇っている事を正しく解した故のものだ。 「……かもなァ」 ぽつりと応える銀時の調子に、話したりはする気はないのだと言う気配を感じたのか、やがて小さな溜息が返る。今度は呆れではなく、諦めの。 「まぁ僕らも、晴れるのを待つしかないんですけどね。でも神楽ちゃんも僕も、定春だって。てるてる坊主を吊したいな、ぐらいの事は思ってますからね」 素っ気ない様な口調でそう言う新八からは、厭なものも恩着せがましいものも呆れた調子も感じられない。気を遣って空元気は演じなくても良いけど早く元気になって欲しい、と言う副音声をしっかりと聞き取って仕舞った銀時は、口には出さずに少しだけ笑い、それから胸中で小さく子供らに向けて詫びの言葉に似たものを呟く。 明確な返事をしない銀時の心の声を聞き取ったかの様に、少し穏やかな色を灯した声で「お茶入れて来ますね」と新八は再び踵を返した。 湿った廊下を遠ざかる新八の足音を見送って、銀時は枕代わりの左腕に額を強く押しつける。 (……俺もよォ。晴れんの、ずっと待ってんだよ。てるてる坊主なんて受け取りもしねぇ、そんなの解ってる様な頑固なお侍さんなんだけどな) 伸ばされは決してしない腕なのは知っている。それはあれからずっと考えていた事であり、怠惰な感情で蓋をして触らない様に努めていた焦燥感とは違う。違うが、その裏には確実に刻まれていく時間と疵とがきっと、ある。 今は自分が悪戯に焦って動いて良い時ではないし、それで何になると言う訳ではない。逆に足下を意図せず掬って仕舞いかねない。 平等な場所にすら立てていない者には何を言う事も出来ない。何をする資格もない。それはもう思い知った。 多分、と言う名前で悪戯に憤って、後悔をした所で、何処へも進めはしないのだ。 だから、今の銀時に出来る事は、とめどない焦燥感を堪えて、待つ事だけだ。 手前はこんなにも救われているのに、と、奥歯を噛んでそれを擦り潰し、目蓋を閉じずとも残像の様に目の前にちらつく黒い姿を、ここ数日の習い性の様に脳裏に描いた。 。 /3← : → /5 |