雨降りの庭 / 3



 「アンタがそんなひでー面してんなァ、珍しいですねィ」
 かけられた声にのろのろと振り返れば、縁側の障子を人一人分ばかり開いて、そこに沖田が立っていた。飴でも舐めているのか、片方の頬が少しだけ膨らんでいる。
 「んー?ひでー面って、俺一体どんな顔してんの。別に言われる程酷くねーと思うよ?つーか寧ろ超イケメンだから。だよね?」
 「良く解らんですけど、そこそこ良い方じゃねーですかねィ?でも旦那の場合、腐った大人の覇気のない目つきと天パが救いようの無いマイナス要素ですんで、やっぱ差し引いて平均以下で」
 口を尖らせる銀時に真顔でそんな事を返す沖田。態とはぐらかされた事には気付いている様だが、咎めたりする気は無い様だ。縁側を歩いて来る気配に全く気付かなかった不覚もあって、銀時は密かに安堵の吐息をこぼす。
 「マジでか。いつも目に力入れてっと疲れんだよなァ」
 「ちなみに下には近藤さんがいやすんで、ちょっとは安心して良いレベルでさァ。あ。飴食います?」
 「食う。いやそれ死刑宣告に近いんだけど」
 「土方さん、目ェ醒ましましたぜィ」
 ポケットから取り出した飴を差し出す沖田を振り返った途端、まるで自然な会話の流れの様にそう繋げられ、銀時は渋面になりそうな表情筋になんとか力を込めた。掌に幾つか転がる飴を適当に一つ摘み取ると、先程までと同じ調子の軽い口調で言う。
 「そーかい。無事で何よりだったな。にしても血の気多すぎるんじゃねーの、お宅の副長サンは。あっちこっちと忙しく暴れて、一体どんだけ熱烈なファンこさえてんだか」
 「そいつは済まねーです。ウチの副長っぽい馬鹿野郎が多忙の余りに旦那に色々迷惑かけたみてーで」
 沖田は小さく笑い、その侭縁側に、庭の方を向いて腰を下ろした。僅かに開いた障子を挟んで、中の部屋に座り込んでいる銀時と背中合わせの様な形になる。
 多忙、と、迷惑、と。妙に確信を突いた沖田の言に、銀時は小さく肩を竦めた。今度は表情に気を遣う必要が無いから楽だった。
 「こんなんばっかしてっと寿命縮むよ?あの子。偶然俺が通りかかってホンっト良かったね、お礼は万事屋(うち)の口座宛に…」
 「それが唯一悔やまれる点でさァ。旦那も、いっそ一思いにとどめ刺してくれて良かったんですぜィ?」
 「………」
 土方の命を狙ったり、イヤガラセを日常的に行う事を他者に憚らない沖田総悟の発言としては別に不自然でもなんでもないものと取れる発言だが、銀時は今度こそ意識して動きを止めた。そこには確かに日常事の様に吐き出される悪態以外の意味が含有されているのだと、淡々とした口調が無言で突きつけて来ている。
 背中の遠く軽い気配に向け、ガキの癖に侮れねェなと、忌々しく舌打ちをせずにいられない。
 こんな時にこんな場所で腹の探り合いなどした所で、つまらない上に意味もない。銀時は後ろ頭をばりばりと掻き、鼻から息を吐き出した。随分と安っぽい買収だなと、包み紙にくるまれた飴を掌で転がしながら言う。
 「……言いてェ事あんならはっきり言ってくれていいんだぜェ?沖田くん」
 「いーえ、特にはありやせんが。ま、強いて云うなら……、旦那がいつになくひでー面してるって事くらいですかね」
 「…………だから、どんな面だよ?」
 流した話題を見逃してくれた、どころか、軌道修正された。銀時は肩越しに沖田の背中を胡乱に振り返ってみるが、縁側に胡座をかいて後ろ手に体重を置いて空を見上げているその背中からは恣意的なもの以外伺えそうになかった。同時に明確な悪意も無い。
 「…土方さんの事を、殺したくて堪んねーってツラですかねェ」
 「………オイオイ、物騒だねぇ。それ寧ろ沖田くんの方じゃねーの?」
 「とんでもねーです。俺は土方さんが死ねば良いなーとはいつでも思ってますが、殺してぇだなんて面倒な事ァ滅多に考えねーんで」
 言ってくつくつと喉奥で軽く笑い、沖田はだらりとその場に仰向けになった。頭の後ろで腕を組んで、逆さまの顔で銀時を見上げて来る。
 「ま、旦那も気を付けた方が良いんじゃねーかと」
 「……何、沖田くんのデスノートに俺の名前も入ってたりすんの?」
 「まさか。俺ァ旦那を敵に回す気だけはねーんですよ。土方さんにでさァ」
 口に放り込んだイチゴミルク味の飴を転がし、銀時が疑問符を目線に乗せて見遣れば、沖田は軽く肩を揺らして寄越した。笑った様だが、表情は存外そうでもない。
 読めるようで読めない。沖田が何を考えているのか、何を目的にしているのかは定かではなく、或いは単なる気まぐれの一つなのかも知れない。付き合いの長さやら年齢差には関係無く、沖田の言や行動にはどこか独特な切り口や諧謔味が潜んでいるのもあってか、本心が不透明なものが多い。
 故に銀時は沖田の言い種の正体を知るべきか、躱すべきかを暫時迷った。が、最初にはぐらかしたものを再び当てられた事を思えば、沖田の方には話を逸らす心算が無いと言う事かもしれないと思い直したのもあり、多少は腹を括る事にする。
 「……今の流れからすると逆じゃねぇ?忠告する相手」
 「あの人もねェ、大概アンタの事斬りたくて仕方ねェみてーなんで」
 まるで天気の話でもするかの様に軽い口調で、然し余り軽くも無さそうな顔でそんな事を言う沖田を、銀時は思わずまじまじと見下ろして仕舞う。
 銀時のそんな視線を受け、沖田は思い出した様に苦笑の表情を作った。呆れの色濃い溜息をつく。
 「ちょいと今真選組(ウチ)で色々ありやしてね。土方さんが忙しいと機嫌が悪くなるのはいつもの事なんですが、ここ数日は特に、パワハラかってくれーの悪さでですねェ。今の旦那より余程ひでー面してやがったんですよ」
 そう、一旦息継ぎの様な間を置く沖田に、銀時は思わず剣呑になる一歩寸前の様な視線を投げた。
 曰くの「ひでーツラ」とは先程までの流れからすると、何某を殺したいとか斬りたいとか言う物騒な類のものだろうか。疑問は浮かぶが答えは返って来ない。
 「過大評価する訳じゃねーですけど、アレでも一応、喧嘩が大得意な真選組(ウチ)の副長ですからねィ。幾ら疲れてた所に多勢に無勢ったって、あんな雑魚連中相手に喧嘩して負ける筈が無ェんですよ。
 ……余計な事で頭も体も一杯にでもしてねー限り」
 そう言い切る沖田は、呆れた、とは隠さない態度で肩を竦め、溜息までついているが、先程まで以上に表情は余り笑ってはいない。不機嫌、と言うのともどこか違う。不貞腐れる、と言うのにも似ていて違う。
 (………不愉快?って感じか、コレ)
 文句を言い尽くし、それでも通じずに拗ねる寸前の神楽の表情を何となく思い出し、銀時は胸中でぽんと手を打った。
 理屈で理解はしている。ごねたり暴力に訴え出るのは子供の駄々だとまで承知していると言うのに、折れる事の出来ない意地の様なものがあって、それを上手く消化出来ずに持て余している。
 沖田の表情は丁度そんな風情に見えた。
 だが、そうだとすると却って疑問が浮かぶ。果たして沖田はどんな感情を持て余して、不愉快さを潜ませた会話を銀時へと投げて来ているのか。
 「……ひょっとしなくてもそれ、旦那の所為だよって言いたいのかね、沖田くん?」
 暫し考え銀時が出した結論は、土方が、曰くの「あんな連中相手に喧嘩して負ける筈が無」かった事に対して、沖田的に何か思うところがあったのではないか、と言うものだった。
 土方が負傷したのも「余計な事で頭も体も一杯にしていた」からだと言い切る程に。その「余計な事」の対象が銀時だと当て擦っている様にも取れたからだ。
 だが、銀時のそんな問いを向けられた沖田は、いやいや、と手を軽く振ってみせた。
 「とんでもねーです。旦那が原因だとしても旦那が後始末つけてくれたんで、今回のはキャッチ&リリースみてーなもんでしょ」
 (……それ、否定にはなってねーよなァ)
 寧ろド直球の肯定だ。但し、その事自体に対して思う所はないと言う意味だろうか。少年の不透明な物言いに銀時はわざとらしい仕草で溜息をついた。
 「沖田くん、何気にあの子に執着みてーなもんあるよねぇ」
 「へェ。そりゃまァ、ガキの頃からずっと見上げて来た訳で。いつか死なねーかなと思いながら」
 天井か空か。それとももっと別のものをだろうか。見上げながらそう笑う沖田の表情は、言葉の内容に反して何処か穏やかですらある風情で、それを横目で目の当たりにして仕舞った銀時は何故か胸を衝かれた。
 「結局縁も命も目的も互いに切れねー侭、今に至っちまった訳でさァ。不思議なもんでねェ、こうなると寧ろ簡単に死なれて堪るかって気にさえなって来んですよ」
 幾ら自他共に認めるドS君とは言え、身内の者の生き死にを他者に語るのは、子供じみた浅慮ばかりから出る様なものでは到底無い筈だ。
 だからこそ、沖田の言には良くも悪くも嘘はないと思い、銀時は何処か痛々しい心地を隠せず目を細めた。
 「ま、ひょっとしたらいつか痺れ切らして旦那に斬りかかって来る様な人ですがねィ、今死なれちゃ色々面倒臭ェんで、出来れば斬り合いも野垂れ死にも御免願いてェ訳です」
 喋りすぎた、と思ったのか。そう、吹き消す様な吐息で笑い飛ばす、そんな沖田の剣呑な物言いの中に潜むものの全てを銀時は知っている訳ではない。
 だが、少しだけなら理解出来る気はしている。正体のわからない筈のものだが、その裡で護られているものは、取りこぼしそうなそれは、引き出す迄も無く見る事が叶っている。
 そのひと個人を、ではない。そのひとも含めた『形』を失いたくないと言うそれは、真摯なまでに尊い願いだ。
 幼い頃から忌々しげに見上げていた姿が、それでも、彼らと言う『形』には欠かせないものだと知っている。
 「……殺されてもやらねーけど、殺しはしねーよ。絶対に」
 帰れぬ風景は、戻らぬ憧憬は、呑み込むか捨てて仕舞うかしか無いのだから。
 ひとつだけ。戻らないものを見て仕舞った沖田には、それは理屈でも想像でも絵空事でもない。よく知る現実だ。
 そしてそれを口にすることは銀時には許されない。銀時がもしも同情や憐憫を少しでも見せたとしたら、沖田はその場で貝の様に口を噤んでもう二度と開く事は無くなって仕舞うだろう。
 だからこそそれ以上の感情を置く事無く、銀時は軽く後頭部を掻きながら、何処かを見上げている沖田に苦笑を向けた。殊更に軽く。
 「なんか悪いねぇ。沖田くんにそこまで気ィ揉ませちまったって事だろ?」
 「アララ。そう聞こえましたか?旦那に恩売る心算はねーんですがねィ。ま、ウチの情けねェ副長が世話になってるみてーなんで、これでイーブンて事で」
 言う、核心は進行形だった。仰向けの侭口元をいつもの様にとびきり人が悪そうににやりと歪ませる沖田に、覆い被せる様に銀時は言う。
 「俺もね、沖田くん」
 「へェ?」
 「ウチの連中も、あの町の奴らも、真選組(てめーら)も、……勿論アイツも。自分から捨てる気にはもうなれそーにねーのよ」
 雑多で華々しくきれいな花畑から少しだけ外れた、枯れて寒々しいこの庭を垣根で覆ったとして。咲かない花に丹精を続ける事に空しさを感じたとして。
 (…………アイツが無事で、良かったよ)
 そこまでは言葉にはならなかったが、銀時の様子から何か納得でも得られたのか、「そうですかィ」と小さく息を吐くと沖田は身を起こした。縁側に出した足をぷらりと振って顔を振り向かせてくる。
 「土方さんは医務室にいやすんで。後テキトーに任せちまって良いですかねェ、旦那」
 言うと沖田は銀時の答えを待たず、上着のポケットをまさぐるとそこから彼には不似合いなものを取り出した。無造作にぽいと投げて寄越してくる。
 反射的にそれを受け取った銀時が目を落とせば、それは土方の好む銘柄の煙草の箱だった。当然沖田が喫煙する筈もないので、これは買って来たかはたまた副長室から持ち出したものか。掌の上の煙草を見下ろし、銀時はやわく笑う。
 「怪我人の見舞いにコレってどうよ?」
 「俺はもう激辛マヨネーズ置いてきやしたんで。それは旦那のチョイスって事で一つ」
 「激辛とマヨネーズって言葉は同じ場所に存在しちゃいけねえモノな気がすっけど?」
 「それを云うなら、土方さんとマヨネーズ自体並べちゃいけねーモンでしょ」
 何せあれは視界の暴力ですしねィ、と厭そうに肩を竦めてみせると、沖田はそれまでの、刃の応酬にも似た遣り取りなど何処吹く風、と言った、いつもの淡泊な少年の表情で立ち上がった。「じゃ」と申し訳程度に暇を告げ、手をぷらりと振って廊下を歩き去って行く。
 (小姑、つーか。手前ェの知らない所で大嫌いな兄貴がカノジョとか連れて来て、しかもいつの間にか家族公認で、手前ェだけ蚊帳の外にされてたみてーな……アレ?なんかズレてる??)
 沖田の足音が遠くに消えていくのを聞きながら銀時はぐるりと思考を巡らせ、具体的なのか的外れなのかよく解らない己のイメージに、少しだけ考えてから口の端を下げた。果たしてあの少年は牽制にでも来たのか、単なる暇潰しなのか、或いは──鎌でもかけられたのか。
 「……まぁいいけどよ、別に」
 銀時と土方がただならぬ関係にあるのは事実なのだし、そもそも銀時自身は別に嘘を振り撒いてまで隠し立てしなければならない事だとも思っていない。戦国時代よりは廃れたと言え衆道は歴とした嗜好或いは文化として残っているのだし、と言う些か気楽な開き直りもしている。そもそも衆道が目的だった訳では別になく、偶々どうしようもなく惹かれた相手が同性の土方だったと言うだけの事で。
 土方とてそれは銀時と概ね変わらないだろうに、真選組のイメージや近藤へ抱かせる印象が気になるのか……それとも男としての矜持か。それらの理由や建前を気配だけで振りかざし、頑なに銀時に口止めを強いている。
 以前ほどの絵にかいた様な犬猿の仲では無くなってはいるが、未だ顔を突き合わせる度口論や世間話未満の悪態の応酬を繰り広げている様は、周囲から見れば精々、喧嘩友達か気の置けない悪友や飲み仲間と言った所だろうか。
 (まぁヘンな所鋭いつーか鼻利くみてーだからねぇ、あのドSの国の王子様は)
 沖田が、期せずに他人の弱味を握った時にふと浮かべてみせる、全身にトリハダの立ちそうな笑顔が脳裏をふと過ぎり、銀時は顎をつるりと撫でながら苦く笑う。
 まあでも無用な心配はしていない。仮に沖田が銀時の土方の間柄に気付いたとして、気付いて何らか思う所があったとして、彼はそれを他人に吹聴して喜ぶ質ではない。寧ろ一人でこっそりと「知っているんだぞ」と言うオーラを放って当人達の狼狽を楽しんだり、己の、余り趣味の良いとは言えない楽しみの為にちらつかせるぐらいだろう。
 (あの子に取っちゃ災難だろうけどな)
 沖田の一挙手一投足にびくびくとさせられるだろう土方の姿を束の間思い浮かべ、思わず笑って仕舞ってから銀時は腰を持ち上げた。背筋を伸ばす様に腕を振り上げる。
 (俺も大概ドSだからねぇ……精々狼狽えて面白い表情くれェ見してくれりゃ良いなとか)
 まさか沖田に知られた程度で、土方が今更銀時との間柄を清算しようなどとは言い出すまいとは思う。
 (何ヶ月も平気で会えねーのとか珍しくねぇし?会っても忙しかったりして構って貰えねーとか構ってやれねーとか……よくある話だし?でも、)
 自棄の様に呑もうが、鬱積がついぞ物騒で破滅的な思考に傾こうが、どうあっても銀時はそこで立ち止まる。花の密やかに咲きそうな庭に如雨露を傾けて、丁寧に丹精された優しい土に、そこから芽吹いた小さな蕾に、大切に大切に触れずにいられない。
 此処に至るまでの経緯を思い出せば、荒れそうだった庭の小さな成果にも、それが失われる様な事が無くて良かったと正直に胸を撫で下ろせるのだった。

 後になって思い起こせば、この時既に答えは出されていたのだ。
 何故、拾う事が出来なかったのかと。気付かずにいた後悔を、銀時はこの後何度もする事になる。







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