恵雨乞う種 / 7



 夜の繁華街の頭上に拡がる雲の天蓋は、時刻や天候に不釣り合いな程に明るい。
 町の喧噪も煌びやかなネオンも、ぶ厚い雲の遙か頭上にある冴え冴えとした夜空には届かず吸い込まれない。街灯、車輌のヘッドライト、派手でけばけばしい店たちの照明、高層建築の窓から漏れる光。それらが軒を寄せ合って雲間を逆に地上から照らし出している。
 何年か前までは当たり前の有り様だった『江戸の町』の風景は、今ではターミナル周辺から発展した都市群の外れか、旧市街と呼ばれる発展の比較的少ない地域にしか残されていない。
 最初に銀時が江戸の町を、お登勢に連れられて歩いた時には思ったものだ。これが結果だったのかと。
 高台に出れば、足下の、砂金袋をぶち撒けた様な町の明るさにくらりとした。嘗て坂本が見上げて手を伸ばした宇宙よりもそこには星が、人のひとりひとりの営みが在る事がはっきりと知れて。小さな箱庭の様な世界の、そのいとおしさと眩しさに自然と目が弛んだ。
 天人のもたらした富や欲は、利に聡い商人にまず広く受け入れられ、それから急激に需要が消費に変化した。世界が変わったと、大袈裟にではなくそう断言出来る。
 それが遍く全てに良いものとなったかは別だ。ただ、もたらされたあらゆる文化文明を、恵みとして享受する事を多くが選んだのは間違い無い。そして、中でも欲に直結する事柄の発展は他の追随を許さなかった。そうやって色々な欲が集まり、猥雑で逞しいそのエネルギーが町を作っていった。雑多なものたちが肩を寄せ合い、ぶつかり合って。そんなものたちでこのかぶき町は構成されている。
 賭博から売春から、果ては想像や需要の正体も知れない様な商売まで。日に日に町は変化する。人の純粋で正直な欲を向けられ、満たしてやる為に変容していく。
 幕府の高官や一部のお高い金持ちなどには到底良い印象など与えられない有り様を晒け出して、そんな事はちっとも気にせず今日も当たり前の『夜』を過ごして行くこの町が、銀時は好きだった。
 猥雑で、醜くて、逞しくて、優しい。人の欲が渦巻く世界には、人が当たり前の生き様を享受しているそんな様が何よりはっきりと伺えたからだ。
 生身の欲が歩き回る様な世界にはそれ以上の危険やリスクも多い。碌でもない事に巻き込まれれば、翌朝には死体になって路地裏に転がされるかもしれない。そうだとしても。
 人が当たり前の様に生きている世界が何よりも美しいと思った。
 人が当たり前の様に生きていて良い事が何よりも得難いと思った。
 この町は戦禍には晒されていない。真っ先に攻められ、真っ先に、首を刎ねると言う最も簡単な手段で陥落した。
 そして、天人の台頭に対する最前線に晒されながら、最も柔軟にそれらを受け入れて馴染んだ。
 それは生き汚いと言うべきか、逞しいと言うべきか。単に、時代の潮流に流されて生きるほかには手段が何も無かったのかも知れない。
 だからか、幕府は論外ながら、町人らはその流れに抗った攘夷の徒らにも寛容だった。元攘夷志士である事を隠し密やかに生きる者も、町のゴロツキの様に扱われる元攘夷浪士にも。その逆に、幕府に与し天人に尾を垂れた現在の『侍』を嘲るきらいが強い程だ。
 最期まで憂国の侍として戦った者ら、と言う美談がそれとない信憑性で市井の者に認知されているのは知っている。銀時に言わせればそんなのは勝手な幻想でしかない。幕府に因って『攘夷戦争は悪』と声高に叫ばれてから向こう、その逆の風潮が密やかに高まるなど。
 都市伝説や噂話、面白い映画を共有し受け入れるのと同じ気持ちと、それを真っ向から規制されればこそ躍起になって支持をする。掌の反転にも似た、都合の良い様に囁き交わされる美談。遠い戦火を知らぬからこそ謳える勝手な作り話。
 同門の嘗ての仲間達はどうかは知らないが、銀時にとってそれらは別段どうでも良いものだった。白夜叉と言う英雄は腕が八本あったとか火を噴いたとか。そんな噂程度の苦笑しか誘わない。
 天人のもたらした富を受け入れて生きよう、と言う途を世界が選んだその時点で、きっと彼らは逞しくて図太かったのだと、そんな風に思う。
 そして、そんな世界だからこそ、人は勁く生きていてくれるのだと。
 「旦那、すいません。ちょっと出がけに色々あって遅れました」
 「……あァ」
 不意に傍らから掛けられた、雑踏に埋没して仕舞いそうに地味な声音と発言とに、片瞼だけを僅か持ち上げて応える。
 すぐ横にある、つまみと言うよりは軽食用の串売りをしている焼鳥屋の出店。申し訳程度の腹ごなしの心算で五本入りのパック一つを買って、同じく店の用意している小さなベンチに銀時は浅く腰掛け、だらりと頬杖をついて、ただ町の流れをじっと見つめていた。
 「…何か面白いものでも?」
 時間は待ち合わせを大きく回った所。だと言うのに、待ち人が来たにも拘わらず一向に動こうとしない銀時の視線を追い掛け、それから山崎は了承を得た様にそんな問いを口にして寄越す。真っ当な応えなど端から期待していないのだろうと知れるそんな言い種に、銀時の意識は漸う漂う意識から遊離して戻ってくる。
 「面白ェから見てんに決まってんだろ。で?」
 別に、とでも躱されると思っていたらしい、山崎が一瞬妙な表情をした。
 「あ、えっと。旦那って割と何してても楽しそうにしてますよね」
 「高給取りの公務員様にゃ、日々の食費の捻出に腹鳴らしながら懊悩してる姿も楽しそうに見えんだろうよ」
 「〜いきなり喧嘩ふっかけるのは勘弁して下さいよ。旦那、アンタこんな事しに来た訳じゃあ無いでしょうが」
 ツッコミ担当の癖に、銀時の放った軽いジャブを躱せず、山崎は辟易とした調子で頭を掻いた。新八だったらここで「一番の浪費はアンタが右手で玉転がすアレです」から始まる抗議をもうちょっとは続ける所なのだが。或いは夕刻本人が口にした通り、無用な抵抗はもうしないと言うアピールなのかも知れない。
 「ま、俺もてめーと世間話しにわざわざ出て来た訳じゃねェからな」
 これからどうするんだ、と。先程の「で?」に続く言葉を銀時が口にすれば、「場所を変えましょう」と山崎は立ち上がる様に仕草で促しながら歩き出した。
 その姿はいつもの黒い隊服ではない。地味な風貌とは大凡懸け離れた、若者や商人の好みそうな派手な柄の着物に藍色の袴。項の辺りで犬の尾の様に一つに束ねられた髪。形を少々変えただけで一気に見慣れたものではなくなったその後ろ姿をぷらりと追い掛けた銀時はやがて横に並んだ。元よりそうさせる心算で歩調を合わせたのだろう地味顔が、前方に視線をやった侭口を開く。
 「そこらの飲み屋でする話でもない上、酒の肴にするには些か重たすぎる内容ですんで。良い場所予約して来ましたから、そこで」
 「話さえ出来りゃ何でも構わねーよ俺ァ」
 繁華街を行く雑踏のひとつになって、まるで回遊魚の様にそこをすり抜けて泳いで行く。ぶらりと下げた手の中では、先程の焼き鳥のパックが入った袋がカサカサと音を立てている。
 不意に何処かでサイレンが鳴り響き、人々が一瞬だけそれに興を惹かれてまたすぐに元に戻る。近くで捕り物でもあったのかも知れない。この町では日常茶飯事だ。
 ちょっと前までは、ここで普通に生きる人の有り様が好きだから、ここで刀を振り回す無粋な輩は余り好きでは無かった様な気がする。とは言え、桂程に幕府の犬と彼らを蔑む心算も元から無かった。
 柔軟で図太くて逞しいこの町の様に。手前の信念を刀に乗せて、犬の誹りを受けながらも侍で在ろうとする彼らもまた、自分たちと似た様なものだ。
 (護りてェもんがそこに在るだけで、俺ァそれで良い。それだけで良い)
 全てをゼロの視点から見た世界で、取り残されて突き立てられた侭の信念がそこに在った。
 だからもう、見誤る心算はない。取りこぼしもしない。
 睥睨した世界は太平享楽の時代にある。急速に発達した天人産の文明や日々目まぐるしく移り変わる文化や娯楽の数々は、市井の者から容易く野生の牙を抜いた。
 家畜の生きる箱庭にも似た、享楽を食い潰し日々を逞しく生きる人間達の世界──否、社会では、それらを脅かす血腥い所行は何よりも好まれない。派手な捕り物や斬り合いに群がり、無機質なカメラのレンズを向ける彼らの心理は飽く迄『傍観者』なのだ。自らがその渦中に巻き込まれて血を被る様な事など、望むべく筈もない。
 それもあって、武装警察である真選組への市井からの『目』は基本的に厳しい評価にある。憂国に散った志士たちを勝手な幻想で装飾し──目に見えぬものに勝手な華を見出すのは、社会が飽和状態の娯楽に飢えている事でもある──、目に見えて明らかに無粋な警察権力には顔を顰めてみせる。
 昨今では、攘夷と言う思想を反社会の名目に置き換えて大義を唱える若者が後を絶たないと言う話だ。桂が渋面でそんな愚痴をいつかこぼしていた事を思い出す。今のご時勢では桂の様な、本物の思想を抱き生きる人間の方が寧ろ少ない。攘夷志士だとしても、それを標榜する悪ガキであったとしても。
 おかしなものだと思う。当たり前の平和を享受し生きるだけで良い筈の世界には、必ずどこかに割を食う様な歪みがある。
 その歪みを見て、向かおうと選んだのは何故なのだろうか。叶うならば是正しようと、そんな大それた望みを選んだのは何故なのだろうか。
 (侍でなきゃ護れねェもんがあると思ったのかね)
 真選組は、近藤と、そこに集った者らの理想の顕れの様なものだと言う。即ちそれは、侍として在りたいと言う夢だ。
 江戸の長い太平の時代は侍から戦いを奪い、その癖『侍』の鋳型を作り上げた。武士の家系ならば誰もが望む『刀』と言う形代は広く剣術として広まり、士と言う身分を絶対的な強者の様に知らしめていったのだ。
 そしてそんな、形ばかりの張り子の虎として振る舞われた武士の有り様は、攘夷戦争で見事に再び受肉する事となる。戦国時代の、同じ人間同士侍同士で天下を懸けて戦った時とは異なり、明確な『侵略者』に対するものとして。
 その存在の風聞がどの様に伝わったかは、幕府が攘夷思想を徹底的に廃して猶、市井に幻想として残った事からも知れよう。
 結局のところ、この国で謳われる『侍』と言う存在は、それだけ人々に何かを抱かせるのだ。希望か、夢か、期待か、はたまた──失望か。
 近藤たちにとっても、それは同一だったに違いない。だからこそ彼らは、幕府の犬と蔑まれながらも、刀を手にする事を選んだのだ。
 刃を振るう志士の、その形代にもしも彼らが憧れや夢を抱いたのだとしたら──
 思って、銀時は苦いものを呑み込んだ。
 あれは、そんなに綺麗なものではなかった。
 生きる時代も、寄る標も同一ではない。解っている。解ってはいる、が。
 (……あいつが、こんな風にただ生きるも憚られるぐらい、何かを曲げちまおうとしてるってのは……、やっぱ厭なもんだな)
 それが己に関わる『何か』に由来した、例えば手心の様なものだったら余計にだ。
 叶わなかったものの、続かなかったものの、届く筈もない清廉な何かの様な。得難く表現もし難いこの感情や愛着をどう伝えたものかと寸時考え、銀時はかぶりを振った。そんな浮いた望みを口にしたが最後、あの瞳孔開き気味の目はとんでもない呆れ顔で、手の施し様のない患者を診る医者の様な表情を向けてくれるに違いない。
 ああ、でもそれも良いかもしれない。また以前の様に碌でもない喧嘩未満の応酬を間に降り積もらせた関係であっても。取り戻せるならばそれでも構わない。
 (多くは望みはしねェって、決めてた筈なんだけどな)
 未練を振り切る様に──或いは最も酷い高望みだったかもしれない──銀時が溜息未満の息継ぎを吐き出した丁度その時、横を歩いていた山崎の足が止まった。
 「着きました。ここです」
 軽く促す仕草を向け、派手な看板と大音声の目立つ雑居ビルの、広く明るいスペースを取った受付へと歩いて行く地味な後頭部を追い掛け、銀時の口の端が思い切り下げられた。
 「九時から予約してたサトウです。二人で三時間の」
 「はい、いらっしゃいませ。ええと……はい、サトウ様ですね。承っております。お部屋は三階の七号室になります。当店はワンオーダー制になっておりまして、一品ずつご注文頂ければ最初の一時間は無料になります。ではごゆっくりどうぞ」
 マニュアルを読む様に澱みない受付嬢の笑顔に見送られ、「旦那、エレベーターこっちです」と先で手を振る山崎の後を銀時は無言で追った。折良く来たエレベーターに乗るなりその胸倉を掴み上げんばかりの勢いで迫る。
 「オイコラ」
 「はい?」
 「何でカラオケ??何で野郎二人で地味にカラオケ??宴会の三次会じゃねーんだぞ、郷里から出て来た友達のもてなしじゃねーんだぞ、何この非モテ男の首脳会談みたいな感じ!!」
 「首脳は流石に悲しいんでやめましょう。カラオケは漫喫と並んで一人者の暇潰しに最適なんですよ?」
 泡を飛ばす銀時をさらりと躱し、三階で止まったエレベーターから山崎はすたすたと降りた。「一番角部屋にして貰いましたんで」と言いながら、細く曲がった廊下を先に行って仕舞う。
 取り残された形になった銀時は暫くの間胸中の不穏な空気を持て余したが、やがて頭をばりばり掻きむしるとその後を追った。

 *

 反対される、とまでは今更思ってはいなかったが、抗議のひとつふたつはあるかも知れない、とは会合場所をセッティングした山崎とて思っていた。
 とは言え、下手な料亭や飲み屋の個室などに比べ比較的に安価である程度のプライバシーの護られた個室を扱え、盗聴器の類にさえ気を付ければ周囲の騒音で会話などを気取られる事も無い。これだけの好条件はそうそうあるものではない。意外に思えるやも知れないが、カラオケボックスはちょっとした密談の類には非常に向いた環境と言えた。
 幾つかの店をこう言った用途に利用してきた山崎には予め、この店の監視カメラが音声の録音をするものではない事と、リアルタイムの監視ではなく録画タイプのものであると言う調べはついている。後は適当に音量を絞った曲を流してマイクでも掴んでいれば、静かに歌っている客にしか見えない。
 念の為を一応慮り、携帯電話を模した探知機を部屋の隅々へと向けるが、録音や集音、盗聴の機器の反応は無かった。
 その作業の最中で仏頂面を作った銀時が入ってくる。電波の入りを確認している様な山崎の仕草に向け、何してんだと視線だけでの問いに、カラオケボックスを密談場所に選んだ理由を添えて説明をすれば、一応は納得は得られたらしい。銀時はその侭無言で合皮張りの安っぽいソファにどんと腰を下ろして何処か不機嫌そうな風情の侭頬杖をついた。
 その九十度向かいに腰を下ろそうとした山崎の、手にしていた探知機がふとノイズを放った。携帯の液晶(を模したディスプレイ)を見ると、不自然な電波の反応がある。先程調べた場所なのに、と思いながら「あれ?」と声を上げれば、「ああ、それ多分俺の携帯」と銀時から応えが返る。
 「……携帯?旦那が??……〜あの、なんか後ろ暗いアレですか?盗品とかそういう」
 「…………オイてめーな俺を何だと思ってやがるんですか?仕事の利便だとかで、今回の依頼人に押しつけられてんだよ。プリペイドらしいけどよ。なんか始終鎖着けられてるみてーで落ち着かねーわやっぱ」
 言いながら、袂からちらと二つ折りの青い携帯電話をちらりと見せる銀時。何の依頼を頼まれているかなど知れないが、万事屋と言う仕事柄そう言う融通の利かない事を指示する依頼人もいるのやも知れない。それで余計に不機嫌そうなのかもなと思う。
 寸時だけ、銀時と携帯電話と言う不釣り合いな組み合わせに山崎は不穏な思考を巡らせかけたが、すぐに、いや、と否定する。この人が今更土方の立場に泥を塗る様な真似はすまいと言う、些か手前勝手かも知れない信頼から出た判断だが、その点に於いてそもそも信頼出来る人物でなければ、今ここで話などしようとはしていない。
 適当に曲を入力し、五分ほど待つと注文した物が届いた。アルコールの類とソフトドリンクと両方だ。つまみは特に頼んでいないが、山崎も、銀時も、別に楽しい談笑をしたい訳ではないのだから構うまい。
 ごゆっくりどうぞ、と店員の足音が去ってから、山崎はスイッチを切ったマイクを膝上に乗せた。画面からは流行の恋歌の歌詞が甘ったるい言葉を投げかけてきている。特に好きでもなんでもないが、最近有名な為にサビの歌詞ぐらいは諳んじる事が出来る。
 躊躇う程の間が在った訳ではないが、山崎は脳裏に自然と流れる甘い詞を押し遣り、口を開いた。
 「……で、一体何処から話すべきでしょうか」
 「全部だな。俺が知らねェと支障が出る所まで全部」
 「…………解りました」
 真選組のややこしい内情は端折る。どうせ銀時が訊きたがっているのはそんな所にはない。だが、それでも山崎が脳内で整頓した内容は結構なものになりそうだった。
 訊きたがっていない事まで話す心算は端からあった。それは恐らく、土方がそれを知れば間違いなく山崎を殺しにかかりかねない様な内容になる。
 だが、銀時はこれを知るべきだろうと、山崎はそう判断していた。
 狡い話かもしれない。当事者では無い者の語る視点など、野暮なものでしかないに違いない。だが、自分の仕えるあの上司の、今まで以上に弱った──何かが折れる寸前の様な姿を思い起こせば、もう野暮だの埒が開かないだのと言ってはいられない。
 (もう多分、時間はそう残っていない)
 奥歯の間で噛んだ、それは勘ではなく推測事実だ。
 屯所を出る前、土方に報告をしている最中に佐久間からかかって来た電話の内容は、出張の護衛として土方を中心とした真選組隊士を十数名募って欲しい、と言うものだった。
 副長下一隊程度の見積もり。警察庁高官の幕臣、御奉行様としては特に問題のない要請だ。故にか疾うに松平の許可は通っている。
 だが、この事態にあって土方を真選組中枢から引き離す事に対しては、どう楽観的な意見を述べようとした所で納得などは無理だった。
 故に山崎は必死で土方に、要請を断るべく説得をしたのだが、何処か肚も肝も据わって仕舞ったらしい土方がそれに是の返答を返す事もなく。
 (副長が早まるとは思っていないけど、厭な予感しかしないんだから仕方ないだろう…)
 気鬱を背負った山崎は、待ち合わせ場所に座っていた銀時の姿を見て──正確にはその眼差しの行く先を見て、この藁に縋ろうと本格的に決意した。
 仮令、それが土方の口伝に言われるものでなければ意味がないのだろう事も。それを狡く告げ口してでも、銀時を動かす他には、きっと今の土方を救う術はない。
 よし、と俯いた侭己の目的意識を固めた山崎が顔を起こすと、「ちょい待て」と銀時の手に遮られた。出端を挫かれる形になったそれに、「なんですか」と小さく問えば、暫しの間の後に。
 「先に、これだけははっきりさせてぇ事があった」
 そう、苦々しい口調が重たい言葉を吐き出す。口元を隠す様に、膝についた肘で立てた両手が組まれ、深い懊悩を示す様な吐息が漏れずに消える。
 「……………土方(あいつ)は、真選組でもなく手前ェ自身でもなく、俺を選んだ。……それは間違い無ェんだな?」
 苦々しく紡がれた響きからそれは、恐らく何度も己に諳んじては否定しようとした問いだったのだろうと、山崎は気付く。
 今まで得た遣り取りの中でその可能性に気付かされる事は幾度あっても、銀時は恐らく明瞭な確信と答えは得ていなかった。だからこそ本来ならば最後まで否定したかったに違い無い筈だと言うのに。
 「はい」
 銀時の苦しげな声をそうと理解したからこそ、山崎は躊躇いも情けもなくそれを一太刀で斬り棄てた。甘えの可能性はここには一切ないと示す。
 己の置かれた状況と、あの人があなたの為にして仕舞った事と、しようとして仕舞った事の重さを。そして恐らくはそれを認めず突き放した事を。精々知って下さいと。そんな辛辣な調子さえ込めて。
 「……………………そうか。解った。続けてくれ」
 飲み込み損ねた薬の苦さに気付いたかの様に、酷く苦しげに呻くと、銀時は顔の前で組んでいた両手の甲に額を押しつけた。すう、と深呼吸の音。
 楽になろうとはしていないな、と。その様を見た山崎には、我ながら酷いと思いつつも安堵が込み上げて来た。
 (俺も。楽になる気なんてこれっぽっちもないんだけどね)
 楽にしてやる心算もないけど、と諳んじながら、山崎は口火を切る言葉を探して視線を巡らせた。
 大きなテレビの液晶に表示されて行く、甘い恋のはじまりを歌った詞を奇しくもなぞる様に。
 「……最初は多分、ほんの些細な事だったんだと思います」
 何もかも予定調和の様な恋情などあって堪るか。
 だから人は情の置き所と収め所にこんなにも苦しむのだから。
 俺の様に、と。密かな山崎の呟きは続く音の連鎖に融けてたちどころに消えた。





適当設定が通りますその2。

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