枯れの庭 / 3 天人が降り立つ地を江戸と定めたのは、そこに龍穴と呼ばれるエネルギーの源泉があったからだ。 その土地に、惑星の大地を血管の様に這う龍脈の集う龍穴がある。ただその理由一つで、天人はこの星と宇宙との窓口として江戸の地を選び、そこを中心に国を平定していた江戸幕府をその代表と見なした。 龍穴とは言わば、血液の流れ込み流れ出る心臓の様なものと言って良い。そこを抑える事は即ち大地の持つ、湧き出る泉の如きエネルギーを御する事と同義と言える。 その結果を象徴するのが、高層ビルの建ち並ぶ江戸の中心地に聳え立つターミナルだ。無尽蔵のエネルギーは宇宙と江戸とのゲートのみならず、あらゆる文明や産業に用いられて来た。江戸の町の急激な発展もその恩恵無しには有り得なかったものだ。 故にこの国の産業工業文化交易エトセトラ。江戸はそれらあらゆるものを生み出し拡げる中心地となり、それは決して他の土地で代用の効く様なものでは無かった。 江戸の急速な発展と反比例するかの様に、今まで貿易や多用な異国文化で華々しく発展していた地方都市の趨勢は、江戸への文明の収斂に伴う衰退の一言に尽きた。 大阪城と城下もその内の一つだ。まず、天人の来航以降は戦略的拠点としての価値を何も持たなくなった。続けて、利の面はもっと酷い。商業の要たる地であった事や産業力や海路の便が利いた事など、空を行く船が現れた世では何の意味も成さなくなった。 何より、利に聡い商人は天人の来航で世界が変容すると見るや、こぞって江戸へその手を拡げていって仕舞ったのだ。以降の大阪の文化の停滞と衰退がその全てを物語っている。 こうして、嘗ての太閤の居城も今や贅を成した商人に買い上げられ。改修と増築を繰り返して『大阪城楼閣』と呼ばれる、保養と娯楽を金持ち相手に提供する施設となるに至る。 「こりゃまぁ…キンキラキンと眩しくてかなわねーですねィ」 ロビーに一歩踏み居るなり沖田が辟易とした調子でそうこぼしたのにも頷ける。絢爛豪華、と言う単語をそれ以上に華美に装飾し立てた城内の色彩は、その五割以上が目映いばかりの金の色で構成されていたのだ。 「嘗ての太閤殿下も黄金の華美さを好んだと言う。三国無双の城とは言ったものだよ」 修学旅行中の学生に講釈をする教師の様な口振りで、佐久間が沖田の独り言めいた呟きを捉えてそう言い添えて来るのに、呟きを発した沖田自身は「そりゃァご趣味の宜しい事で」とさしたる関心も無さそうに返すのみだった。 設備のシステムはまるで宿泊施設のそれだ。佐久間も何度も大阪城楼閣を利用してきたVIPとして手厚く持て成され、最上階の一室へと通されている。 「保養だの娯楽だの、要するに金の余った道楽ジジイ共の健康ランドみてーなもんらしいですねィ」 「ただ温泉入って健康器具回して終わり、なんて可愛いモンばかりじゃなさそうだがな」 宿泊施設及びその設備の利用契約を確認した後、佐久間の投宿するVIPルームから退室し『警備の確認』の名目で、一通り城内を歩き回った土方と沖田の落ち着いた結論はそんなものだった。 最早原型を留めていない、城と言う体を成す長方形の敷地の、中央部分にエレベーターが三機備わったホールがあり、休憩所と言って良い小ロビーも各階にセットで備わっていた。エレベーターには従業員が常に乗り合わせ、各階ホールにも警備員が二人づつ待機している。 ホールから左右に廊下が、城の壁面側に沿って並ぶ客室をぐるりと一周する形で伸びており、それぞれの北東側と南東側には非常用通路も兼ねた階段がある。ほか、廊下各所には消火設備や防火対策も見て取れ、嘗ての城と言うより最早、城っぽい外観をしたホテルと変わりない。 階層は五重どころか二十重。下三階は主に入り口の広大なロビーの吹き抜けになっており、四、五階は一般人でも一応立ち入れる、土産物などを扱う商店と、食事処、遊び処などが入っている。六階から十階までは宿泊者専用の娯楽(保養)施設で、そこから先は上階に行く程ランクの高くなる宿泊施設の占めるフロアだ。 城の中庭にはプールや露天風呂など水回りの設備の他、散歩を愉しむ庭園や茶室なども備わっているのだから驚きより寧ろ辟易させられる。歴史の重みや風格、品格と言うものよりも、現代のニーズに合わせた、金回りと趣味の多様性や商業施設としての利便性を重視した結果がこの有り様だと言うのであれば、城もさぞ嘆かわしい事だろう。 警備の者に貸与される、特殊回線の無線と城内の仔細な地図情報と、監視カメラとの連動機能を備えたPDAの画面を見下ろしながら、土方は際限のない溜息を殺した。 ワイヤーフレームで描画された地図情報には、警備の者に例外なく取り付けられている発信装置に因る、それぞれの人間の位置情報を示す光点が幾つか見て取れる。大阪城勤務の警備員が黄色、一般従業員は橙、土方ら真選組の人間を含む外部からの警備担当者は白。警護対象者はそれぞれのPDAに登録されている人間の情報のみを表示するもので、緑色。今ならば佐久間を示す緑色の光点は最上階のVIPスイートルームに在った。 室内の詳細な情報を表示するのは流石にプライバシーに問題がある為か、表示されるのは『室内にいる』と言う印のみで、一度室内に入れば出入り口から出ない限り光点は一切動かない様になっている。この条件は室内のほか、賭博や温泉などの娯楽施設に居る場合をも含むので、結局の所警備や護衛任の為には対象者に必ず誰かが貼り付くか出入り口を封印する事で逐一その所在を確認していなければならない。 「中には、ちょっと女中にお手つきでもしちまおうっつーお大尽も居るでしょうしねィ。始終貼り付く警備に不審がられねーよう、カジノの休憩室でにゃんにゃんするとか、常套でしょう」 「…表現が古ィんだよ。ったく、警護する側から見りゃァ、PDA(これ)があるからと逆に遠ざけられちまうんだから迷惑極まりねーわ」 地図を渋面で見下ろす土方の内心の不満を代弁する様に言う沖田に、土方は益々重くなった吐息を殺すのを諦めて呑み込んだ。 このPDAが貸与されているのは真選組では土方と沖田の、警備主任となる二名だけである。連れて来た隊士らはそれぞれ、大阪城側の警備と意見が合致した上での土方の立案した手順に因る警備に就いて貰っている。 隊士らにはPDAの所持が許されていないとは言え、連絡無線に関しては全警備に流せる共通回線のほか、客毎に専用の周波数を与えられた機器を装備させている。 機械に詳しい隊士曰く、城内で用いられている無線自体が専用のものなので、外部からの傍受も内部からの工作も難しいでしょう、との事だ。 (こんだけ徹底されてりゃ、警護なんて寧ろ邪魔でしか無ェ様な気はするんだがな…) 思って土方は周囲に油断なく視線を走らせた。あからさまに『警備中です』と言わんばかりの真選組の隊服姿の二人連れへと、一般客も宿泊客も一瞬は訝しげな──無粋と咎める様な──視線を向けて来る。大阪城勤めの警備員も紺色の警察職風の制服を着ているが、矢張りそれらとは何かが違うと直ぐに知れるのだろう。佩刀と言う、一目で幕臣と知れる形なのも一因やも知れないが。 (単に、田舎侍が珍しいだけかもな) 京に近い土地では、江戸の人間を未だに田舎者と見るきらいが根強いらしいと聞く。今となっては江戸の方こそが宇宙に向けて開かれた大都市なのだが。 ちなみに二人が居るのは三階の、出入り口からロビー全体を一望出来る吹き抜けの一角だ。一般客(とは言えそれなり贅を持つ者と知れるが)も、貴族や幕臣らしき姿もちらほらと見受けられる。 そんな中で自分達だけが特に目立つとは思っていないが、強いて言うのであれば、周囲を警戒する様に厳しい顔で凝り固まっている土方と、やる気もなさそうにだらりと柵に凭れかかっている沖田との様にだろうか。 「……一応は真選組(ウチ)の看板背負って来てんだ。余りダラけてんじゃねぇ」 「へいへい、解ってまさァ」 答えながらも態度を改めず携帯電話を弄っている沖田へと拳骨を降らせる事もなく、その代わりの様に土方は結局飲み込み続けていた溜息を降らせた。 何度目だったか。奉行所からの帰り道に遭遇した沖田との熱のない一方的な会話──寧ろ弾劾にも似た──の後。沖田はそれからも別段変わった様子なく日々を過ごしていたし、土方に対して特別態度が変わる風な素振りも見せなかった。 だが、土方の心情から見れば易々とそうも出来ない。遠慮にも似た気負いが自然と態度や言動の端々に生まれて仕舞うのも上手い事隠せず、結局は一歩退いた様な物言いになって仕舞う。 無駄に聡い沖田が土方のそんな様子に気付いていない筈はないが、それに対しても別に何かを言われる事も、言われそうな素振りさえない。 無関心。 土方の至った結論は結局そこになった。もう沖田は土方を蔑視するにも値しないと見なしたのではないかと言う事だ。現にあれ以来、沖田が本気の『日課』──土方虐めをする事も無い。冗談に混ぜて死ねだのと物騒な事は今まで通りに口にするものの、バズーカをブッ放したり、刀で斬りかかったり、よく解らないトラップに引っかけたりと言った事は一切して来ていない。 あれでいて沖田が繊細な質である事は知っている。だからこそ、土方が己や近藤の意に沿わぬ事をしている事実を知って、それを心底蔑んだからこそもう見ない事にしたのかもしれないとは、有り得ない話でもなさそうだ。 ──旦那に抱かれんのは気が楽でしたかィ? 無表情で突きつけて来た、そんな辛辣な弾劾が土方の裡の何処かを、未だに抉り続けている。 言葉の指した意味そのものを──行為そのものに対して、ではない。 矜持が傷つくばかりの、そんな部分に対する痛みであれば、疾うに覚悟は出来ていたからだ。 銀時の望みに応えたあの時から、既に出来ていた。 だから、そう言い放った沖田の貶みさえ無い、無表情で無感動な言葉が尤もらしく穿った傷は、 (……何が、楽だってんだよ) 土方自身が、銀時に心を明け渡して矜持も身体も投げ出した、その心自体を『気が楽』と表された事に対するものだ。 まるで、それが逃避であると嘲るかの様に。楽な道へ縋ったのだろうと、痛烈に言い放たれた。 (楽に、なりてェんなら……寧ろ、逆だろ。あの野郎の手を叩き落として、それで終わってりゃ良かったんだ) 沖田は果たして土方の、何を以てして『楽』と言い放ったのか。それが未だ知れない。 その引っかかりが土方の裡で今も燻り続け、かと言って平時の侭で相対する沖田の、虎の巣をわざわざ突いてまで訊き出したい事でもない故に、今に至るまでこうして悶々と悩まされ、傷口をじわじわ焙る様な羽目になっている。 PDAをベルトに装着してある特殊なホルダーへと収めて、土方は眼下のロビーを振り返って見下ろした。喫煙者に厳しい今の世では、この城内も喫煙場所が限られており、ロビーの一角はその一つだった。他、各宿泊部屋と、娯楽施設では基本的に自由喫煙が許されているのだが、通路などの公共の場では禁止されている。 「…オイ、総悟。俺ァ下で一服して来るが、テメーはちゃんと仕事に励んでろよ」 当然喫煙量を大幅に制限される土方のフラストレーションは鰻登りになる上、苛々して思考の働きにも胃にも宜しくない。察しろ、と思いつつ言えば、 「抜かりありやせん、どうぞ行って下せぇ。苛々してるアンタの相手すんなァ、ジジイのお付きするより面倒なんで」 相も変わらずロビーに視線を適当に投げ落とした侭の沖田が、手の中で全面液晶の携帯電話──スマートフォンとか言う代物だ──を弄びながら、空いた手でぱたぱたと手を振って寄越すのに、土方は隠さぬ渋面を向けた。 「何がどう抜かりねぇんだよ、どう見てもサボってる図そのものじゃねーか」 手を伸ばしてそれを奪い取ろうとするのを、こちらに視線も遣らぬ侭の沖田はひょいと躱してさっさとポケットに放り込んで仕舞う。 「ちゃんと勤勉な態度で仕事に勤しんでまさァ」 吹き抜けから階下を見下ろす手摺りへと凭れながら、「ついさっき」と、そこで沖田は言葉のトーンを下げた。 「チェックインして来たなァ、神明党勘定顧問役の坂巻でさァ」 余りにさらっとした調子で言われた為に理解が遅れた。寸時瞠目した土方は、それから勢いよく手摺りへと身を乗り出した。一斉検挙の時に逃げた幹部の一人として、手配所に記されていた若者の細長い面を思い出しつつ、ロビーを左右に睥睨する。 「ッ何処だ、」 「もう部屋に上がったみてーですんで、覗くにゃ遅ぇですぜィ」 「何でもっと早く言わねぇんだ!マーカーは、」 「そりゃマズいでしょう。アレはこの施設の警備システムのもんです。使用するには警備部に依頼する必要があるでしょ。警備の人間はここの雇われ人ですからねィ、佐久間のジジイに口利く奴も居るかも知れやせん。それは真選組(ウチ)にとっちゃ面白くねぇ上、アンタにとっても宜しく無い事なんじゃないですかィ。そんな事も解んねーたァ、一遍死んだ方が良いですぜ土方死ね」 「…敬称みてーに人の名前に死ねとかつけんな」 沖田の正論に土方はツッコミは入れつつも内心ほぞを噛む。その一息で幾分冷却された脳は、手摺りから身を乗り出す警備の人間、と言う目立つ己の姿に漸く気付く。密かに舌打ちしつつも不自然にならない様に姿勢をゆっくりと戻せば、周囲の好奇の視線たちは直ぐに離れていった。 宜しくない、の意味は、単に真選組の面子と言う問題ではない。土方が個人的に佐久間老人に負い目を作る事になるのでは、と言う意味で示されている。 涼しげな沖田の横顔からは、何処まで知っているのか、と言う土方の感じる様な戦慄の解答は見えて来ない。だからこそ不気味なのだが。 「…で、奴は何処に行った。一般客なら攘夷浪士取締法で押さえる事は可能だが、機は見る必要があるだろう。何せ江戸じゃあれ以来全く尻尾を掴ませなかった連中の一人だ。ここに来て偶々、佐久間と同じ宿に泊まるなんて事がそうそうあるたァ思えねぇ」 こういう事態の為に、ここの警備システムには、目を付けた特定の客に対し『マーカー』と呼ばれる信号を付ける事が可能な機能がある。用途は主に強盗やテロリストへの警戒だ。 だがこの『マーカー』を用いるには、大阪城の警備部に頼み、施設に入った客に貸与されるパスカードに仕込まれた信号発信機能を起動して貰う必要がある。つまり、沖田の言う通りに、ここの警備部の人間に対象人物の警戒を依頼する形になる。 すると当然ながら警備の記録に残される。残されれば、証拠として残存する上、警備関係者ならば誰でもその情報を知り得る事となる。常連客の佐久間が警備部の人間に幾ばくかの『心付け』を持たせ、土方らが何者に警戒態勢を敷いているかの情報に注意を払うと言うのは、充分有り得る指し手だ。 「それについては同感でさァ。なんで、今し方、運良くも休憩中で私服姿で土産物屋冷やかしてたっつぅ隊士に探らせたら、これがビックリ、宿泊客パスで十八階に消えたそうです」 沖田がつい今し方までスマートフォンをいじっていた事を思いだし、土方は思わず渋面の侭で呆れの色濃い溜息をついた。恐らくそれで隊士とメールの遣り取りでもしていたのだろうが。 「……お前な。そう言う事は上司に断りなくやるんじゃねぇ」 「俺も一応警備副主任なんで。土方死ね…じゃなかった、土方さんの手ェわざわざ煩わせる些事じゃねーと判断したまでです。だから安心して死んで下せェ」 聞きようによっては(一応内容だけを見れば)殊勝な言葉だが、日頃悪魔の言動を絶やさない声の紡ぐ言葉は、仮令どんなものであっても不気味に聞こえるものだ。相変わらずの呪いの応酬にも軽い頭痛を憶えたこめかみを揉みながら、「で」と土方は続ける。 「十八階って事ァ、一般宿泊客のフロアじゃねーな。ただの攘夷浪士が……ってあァそうか、坂巻は確か商家の」 「ええ、確か境で栄えた老舗の跡取りで、江戸に事業展開しなきゃやってらんねーご時世で、やむなく上京してきたボンボンでさァ。ま、結局正規の事業だけじゃ侭ならねぇってんで攘夷浪士や天人との違法取引で小遣い稼ぎやってたってんだからねェ。 恐らく姿眩ましてからも、実家のツテ使って隠れてたんじゃないでしょうかねィ。広域手配されてなかったのが仇んなりやしたね。江戸の外に出ちまえば真選組(俺ら)の追跡はどうしたって甘くなる」 十階から上、特に十七階以上は立ち入りの厳しく限定されるフロアだ。家柄か商家の財力でもなければ宿泊など到底出来まい。 「益々、偶然じゃあなさそうですねィ」 にやにやとした笑いを浮かべて言う沖田に「ああ」と頷きを返しながら、土方は吹き抜け部分を塞ぐ天井を見上げた。中央から伸びているエレベーターシャフトしか通っていない天井は視線も意識も上階まで届けてはくれなかったが、代わりの様に、天井板に描かれた蒔絵に気付かされる。鳳凰と蓮の花の図柄は手を掛けた華美なもので、この宿泊所の豪奢さを存分に知らしめていると言えた。 江戸にも高給幕僚御用達のこう言った保養目的の福利厚生設備は無論ある。が、こういった無用な迄に『見た目』でその位を知らしめる様なけばけばしさを持つ物は寧ろ少ないので、大阪城楼閣のこの、贅の限りを尽くしました、と強調して見せる様には正直げんなりとさせられる。沖田の言葉を借りれば、眩しくてかなわない。 その眩しい砂金の楼閣に、果たして何を潜ませているのやら。思えば思うだけ口の端が下がって行く。 「タイミング良く、坂巻の坊ちゃんも健康ランドに遊びに来ました、ってのは当然却下だが、クソジジイと単純に逢い引きしに来た、なんてのも無ェだろうな」 言いながら、土方は隊服の胸ポケットから携帯電話を取り出し、手首のスナップだけで二つ折りのそれを開いた。大阪に到着するのとほぼ時を同じくして届いた報告のメールをボックスから呼び出すと、沖田の方へ差し出す。 「出会い系メールなら間に合ってますぜ」 「阿呆抜かしてねェで読め。口には出さなくて良い」 「へいへい…っと」 面倒そうに頷きながらも携帯電話を受け取った沖田はメールの文面を暫し見つめ、成程、と頷いた。 メールの内容は出発前に駅に仕掛けられていた爆弾の調査結果だ。 材料などの追跡はまだ完全には至っておらず、明確に何者の仕掛けた物と断じれる様な証拠は出ていない。だが、少なからず件の爆弾が、単体ではさしたる威力を持ったものではない事、初見の通りにタイマー仕掛けのもので確実性を端から度外視していたものである事、まるで見つかっても構わないとでも言う様にカモフラージュらしき工作が見て取れなかった事、の三点がはっきりとした、と言う旨が小さなディスプレイ上に並んでいる。 因って爆弾を調べた真選組の調査班も、土方も、これが列車に乗る要人──即ち、佐久間に対する恫喝めいたメッセージであると結論を出したが、どうやら沖田の意見もそれと変わらないらしい。 「今夜会いに行きます、ってな具合ですかねィ、この調子だと」 「考えが当たってりゃァ、相当に濃厚な意味を孕んだ逢い引きになるがな」 戯けた様な仕草で突っ返される携帯電話を元通りポケットに戻し、土方もまた小さく肩を竦めて応える。 今まで尻尾を一切掴ませなかった神明党の逃亡中の幹部を捕獲出来れば値千金になる。真選組隊士殺害事件の容疑者として神明党残党の名は確定しているし、そうでなくとも一応は手配中の対象だ。どうとでも聞き出せば、佐久間老人との繋がりも見えて来る筈だ。 そしてその可能性が肯定されると言う事は、ここに今、幹部の坂巻がいる事はただの偶然では無くなる。駅の爆弾が神明党からのメッセージであるのは最早確定事項だ。 確実性の無い爆弾は、佐久間に対する挑戦状だ。万が一にでも大きな被害をもたらすもので、それによって佐久間の大阪行きが中止になるのは困る。況して、爆弾で死亡されるのは論外。 つまり、少なくとも坂巻は佐久間と何らかの話し合い、対面を求める必要性を訴えていると言う事だ。 まずは坂巻が神明党でどういうポジションに居て、佐久間と繋がりがあるとしてどう言った要素なのか。それを一から改め直す必要がある。 そしてその上で、慎重に、佐久間に気取られぬ様に坂巻を捕らえるのが望ましい。その後は証言を荒事にしてでも取り、佐久間をも同日中に縄に掛けるのが最良の結果となるが── (難しいが、希望としちゃァそれが一番だ。或いは二人纏めて捕らえるテも望ましいが、流石にそこまであのジジイは馬鹿じゃ無ェだろう) 土方がそう呻いた時、上着に仕舞ったばかりの携帯電話が着信を知らせて来た。音は無いのでメールだ。バイブレーションの暫し震える携帯を開いてぽちぽちと操作すると、今度のメールは列車の中から監察に連絡して調べさせた事についての内容だった。 文面を斜め読みしてから、土方は沖田に向けて掌を差し出す。 「オイ総悟、お前の携帯ちょっと貸せ」 「スマホをケータイとか言っちまうオッサンには貸したかねーんですが」 「誰がオッサンだ。ンな事ァどうでも良いんだよ、そっちで書類その侭PDFファイルで受信した方が解り易いんだとよ」 「へェ。そんならどうぞ。あ、勝手にエロサイトとか回ったりしねーで下せぇよ」 「するか阿呆」 ぽん、と軽く渡されたスマートフォンを片手に、土方は逆の手で自らの携帯電話を操作し、先頃のメールに返信をしたためる。 届いたメールの内容は、"直接そちらにファイルをスキャンしたものをお送りした方が早いので、沖田隊長のお持ちのスマートフォンで受信して頂けないかお願いしてみて下さい"と言ったものだった。要するにファイルの内容を手入力し直すのが面倒だった、と言う事なのだが、細かい事を突っついてる手間も時間も惜しかったので、簡潔に短く"沖田の方へ送れ"とだけ打って送信する。 すると程なくして、沖田から受け取ったスマートフォンの液晶が点灯した。音もバイブも鳴らない設定のようだ。 「壊さねーで下せぇよ」 「しねぇよ阿呆」 この程度の操作なら仕事でタブレット機器を扱う事もあるので問題はない。再三の揶揄を飛ばす沖田に口の端を下げて同じ様に返しつつ、土方は澱みのない手つきでメールを開き、添付されていたPDFファイルを展開する。 「こいつァ、神明党の資料……じゃねーですね、何の名簿で?」 横から手元を覗き込んで来る沖田の眉根が訝しげに寄せられているのを見て、土方は漸く安堵する。実のところ手配書を隅々まで憶えている沖田と言うのはどうにも珍しい以上に不気味だったのだ。斬るもの護るものに対するシンプルな少年の職務態度は、書面になど大した記憶も意識も無いのが常だったのだから。 「虎狼会と、その取引先の顧客名簿だ。主に人身と宇宙生物の売買だな、内容は」 「……あぁ。旦那が偶然にも土方さんの手引きをする事になっちまった事件でしたっけ。確か無理矢理低予算の中から旦那への報酬を捻出させられた勘定方が、副長のパワハラを訴えてやしたっけねぇ」 妙に具体的な記憶を引っ張り出しながら人差し指を立ててみせる沖田に、土方はともすれば苦い面持ちになりそうな感慨を振り解いて無言の首肯だけを返しながら、書面の隅々へと視線を走らせて行く。 (やっぱり、か) 「…………土方さん、こいつァ」 土方が胸中で呻くのとほぼ同時に、沖田が潜めた声音を発した。 「〜クソが。気付くのが遅かった。端から『直接』の繋がりなんざ探すべきじゃなかった。ンな簡単に露見するもんがあのジジイにある筈が無ぇのなんざ解り切ってたってのに」 虎狼会との取引相手の天人、の仲介をしていた商人の口から、他の幾つかの取引先の名と共に神明党の名が漏れた。これに因って多くの組織と共に神明党は検挙の対象となったが、奉行所との縄張り争いの悶着があって一部の連中を取り逃がす結果となった。 ここまでは良い。問題はその先だ。 『商品』を提供し、売買をしたい筈の天人は、忌々しい治外法権と対天人法に因って、自粛に因る謹慎のみで実刑は一切お咎め無しとなる。 だが、予期せぬ逮捕劇で、当然手元には武器や生物の『不良在庫』が残っていた筈だ。 それを捌く為に、逮捕を免れた顧客──この場合は神明党の坂巻──にもう一度接触するのは珍しい話ではない。 神明党幹部連中を佐久間が逃れさせたのだとしたら、検挙の切っ掛けとなった事件に起因する何かがある筈だ。そう思った土方が、今まで散々に調べた神明党側の取引記録ではなく、最初の情報源となった虎狼会の顧客名簿を取り寄せてみれば、案の定かそこには坂巻の名前があった。 神明党と虎狼会との直接の繋がりと言うものが無かった為に、今まで気付く事が出来なかった。肝心の神明党検挙に繋がった証言も、虎狼会の人間から直接もたらされたものではなかったから余計だ。佐久間と神明党との関係調査では、検挙に至った商人までは調べたが、その取引相手の、既に解放された天人の存在は完全に疑惑の範囲外だった。 躍起になって一箇所を掘り下げようとした挙げ句に起きた、別の箇所の、単純な、見落とし。 取るに足らない様な、目にも見え辛かった一本の糸が全てを繋ごうとする手応えを感じる歓喜と、そんな些細な事に思い至らなかった悔恨とがない混ぜになって、土方は額から前髪を掻きむしる様にして呻く。 (て事ァ、俺を襲撃した理由は矢張り佐久間の側の都合じゃ無く、神明党側が奴さんを『疑ったから』に他ならねぇ) 既に切れた糸を手繰り寄せて、下唇を強く噛む土方に向け、沖田が横目を意味ありげに走らせて来る。 「と、したら連中の接触がイコール取引なんて可愛いもんで終わるたァ思えやせんが。どうしやすかィ、土方さん」 もしも武器の類の取引だとしたら一般客が巻き込まれる事態になる可能性は高い。が。駅の爆弾を血腥ささえ想起させる様な挑戦状と見れば、それは有り得ない。 スマートフォンの画面を消して沖田の手に戻すと、土方は唇に折った指の関節を当てて、これ以上噛まない様に意識しながら視線を意味なく辺りに彷徨わせた。 「接触の内容次第だがな。殺害か、はたまた」 「仲直りとかですかねィ?」 「爆弾なんて物騒な挑戦状叩きつけやがるんだ、それは無ェだろう。恐らく連中の間は、」 言いかけたその時、土方の胸ポケットの中で携帯が再び震え始めた。今度は音声着信だ。 着信相手の名前は──空白で埋めたブランク。 「──、」 タイミングが良いと言うべきか、悪いと言うべきか。意趣めいたものを感じずにはいられない状況に、思わず引きつった笑みが浮かぶのを自覚し、土方は笑う代わりに小さく息を吐いた。逡巡の間もなく通話ボタンを押す。 「はい、土方です」 取った受話部から漏れ出る佐久間の声へと、「……解りました」短くそうとだけ応え、土方は終話ボタンを押した。僅か二十秒にも満たない遣り取りに、黙って待っていた沖田が眉を露骨に寄せてみせる。 「……空気読まねぇジジイでさァ」 「興の乗って来た所だが、生憎そうも言ってられなくなった。まあ、傍に貼り付いてる方が都合が良いのは確かだがな。佐久間のジジイはこの侭俺が張る。総悟、テメーは適当に交代要員見繕って坂巻の監視役させとけ。なんならテメーが直接見張ってても構わねぇ」 「御免でさァ」 清々しい程の即答に、土方は上着に携帯電話を押し込みながらあからさまに肩を落とした。ポーズと言うより、本当の意味での脱力の方が大きい。 「……ま、このタイミングでのお呼び立てで、もし今の遣り取りがバレててそれが原因なんだとしたら、端から俺らにゃ勝ちの出目の無い勝負させられてたようなもんです。それは無いでしょ」 肩を竦めてみせる沖田に、言葉にはせず首肯を返しながら、土方はエレベーターホールの方へと歩き出す。 こんな些細な遣り取りがもしも漏れているとしたら、最早何処に目と耳とが潜んで居るのか。まるで知れない化け物の腑に呑まれている様なものだ。だから、沖田の言う通りに、恐らくそれはない。 「奴からも、ジジイの部屋からも、目だけァ離すんじゃねーぞ」 「ま、鬼の居ぬ間と思って適度にサボらせて貰いまさァ」 固い声の土方とは裏腹に、酷く軽い声音でそう言うなりひらひらと手を振って寄越す沖田の背中に、土方は苦虫を噛めるだけ噛み潰した様な表情で舌打ちをした。 思考が纏まりかけていた矢先の『呼び出し』だが、それが言葉の意味通りのものであるなどと、全く思っていない風情の沖田の、刺す様な声色は矢張り件の、土方に向けて寄越した無関心さを伴って居る様に聞こえたのだ。 (……総悟、) 現にか。土方が佐久間の部屋へと戻る事が知れるなり、沖田は、先程までの勤勉さは何処に棄てたのやら、あっと言う間に先頃までの淡々とした調子に戻って仕舞った。 だが、それでも土方は沖田を責めたり、咎めたり──逆に謝罪もする気にもなれなかった。 (多分、俺ァ、) ホールに辿り着くなり到着したエレベーターに同乗する従業員へと行き先を告げ、土方は筺の中独特の浮遊感に晒されながら、苦労して肺をひとときカラにした。 深呼吸をひとつ。 覚悟の為の。 (俺は、あいつが正しいんだと解ってるんだ) だから。 彼らの見せる憤慨が、酷く有り難い。 * 土方は一度も振り向きはしなかったから、そこに残された沖田がどの様な表情でその背を見送っていたかは、知る由も無い。 再び手摺りにだらりと凭れながら、沖田は手の中のスマートフォンを慣れた手つきで操作した。 ポケットから取り出したイヤホンを耳とスマートフォンとに装着すると、軽快な三味線と摺鉦の音が耳に心地よく飛び込んで来る。 「全く。辛気臭ェったら無ぇや」 皮肉の心算で吐き出した言葉の響きの方が余程辛気臭く聞こえて、沖田は「よ」と声を上げて身体を起こした。ポケットに両手を突っ込んで、ぷらりと気もない風情で歩き出す。 ターミナルの無尽蔵エネルギーの理屈って、一般人は知らないのかなとかそんな事を考えつつ。 /2← : → /4 |