霞雨 / 4 六人分の血臭を身に漂わせた土方が観戦席の硝子窓へと、額を押し当てて眼下を食い入る様に見つめる、その少し前の事になる。 大阪城楼閣の中庭をぶらりと、警備用貸与のPDAに視線を落としながら歩いていた沖田の足がふと止まった。 ポケットの中で無音のスマートフォンが振動し、メールの着信を伝えて来ている。 時間は既にあれから五時間以上が経過し、辺りは徐々に夜の闇に浸されようとしていた。西の空には残り僅かの残照が地平を燠火の様に照らしているが、それも直に消えるだろう。 PDAの画面には相変わらず、土方が佐久間の部屋に入室したきり中の住人共々『在室』表示の侭になっている様が映し出されている。 (こりゃどうやら間違いねーようだな) 肩を竦めながらPDAを腰のホルダーへと戻し、沖田はメールの着信を画面で訴えているスマートフォンを取り出した。ちょいちょい、と親指で画面を二度ほど叩けば、潜入中の地味な監察からの連絡だった。周囲に誰の気配もない事を確認してから、それを開く。 そこには短く、『潜入OK』と言う文面と、音声ファイルらしき添付ファイルがあるのみだ。 沖田はもう一度周囲を、今度は自らの目でしっかりと伺ってから、園芸倉庫らしき和風の建物のなまこ壁の外壁に寄り掛かった。取り出したイヤホンをスマートフォンへとセットし、耳を澄ます。 するとたちまちに、黙っていれば美少年でしかないその顔が露骨に顰められていく。 耳から入って脳を不快に打つその内容は、佐久間らしき老人の口にする部分だけを捉えれば歴とした犯罪行為の言質になるが、聞く内に何処かで聞いた様な真選組副長の上げる声や、囚人に襲われかかっているらしい無様な様子を容易く想起させる内容へと変わって行く。 (ザキなら、土方の野郎の名誉を護る為に編集ぐらいしそうなもんだがねィ…) この音声ファイルを送って来たと言う事は、山崎もその内容を検めた筈だと言うのに。そう胸中で思ってから気付く。山崎にも今はそんな工作の余裕はないと言う事だ。 ドS的には、この侭土方の無様な喚き声も、老人との分の悪そうな遣り取りも一切気にせずにおいても良いくらいなのだが。 「……やれやれ。不甲斐の無ェ上司を持つと苦労すんなァ」 少しの間考えてから、沖田はイヤホンを抜きながら溜息をついた。近藤を含めた組の連中が全てそれを知った事で、土方を腫れ物を触る様な扱いにするよりも、その無様な様子を『知っているのだ』と匂わせる事で本人を攻撃する方が余程面白そうだ。 音声の編集アプリはインストールしてある。趣味の落語や演芸を編集するのに使っているからだ。 溜息を喉で転がしながら、沖田は慣れた手つきで音声ファイルを開くと、一番最初の、佐久間がこの大阪城楼閣の地下に煉獄関と呼ばれる違法賭博闘技場を作っているのだと言う証明となる部分だけを切り抜いた。その後の、地下らしき音の反響のある空間での遣り取りはカットして削除する。 それから通話に切り替え、短縮番号から真選組屯所の通信連絡室を呼び出した。 「おう、俺でィ。そっちは変わりねーか?……なら良い。 先に神明党の起こした、ウチの隊士の襲撃事件含むでけェヤマでこれから大捕物だ。詳細と内定は既にザキから監察に伝えてあるらしいから、そっち通して、至急援軍頼まァ。今日中に。つーか向こう一時間中には寄越せ。もちろん逮捕状付きでだぜィ。証拠は追って送りつけてやるから心配すんな」 沖田の軽すぎる声の紡ぐ物騒な内容に、通信室が俄にざわめき立つのが聞こえてくる。屯所内に鳴らす緊急サイレンの音と、偶々近くに居たのか、マイクを通した原田の怒号が、思わず耳を受話部から離した沖田の耳にまで飛び込んで来た。 通信を受けた隊士の狼狽する声音が、沖田がほいほいと次々口にした無茶振りへと、悲鳴めいて訴えを寄越すのが騒音の中辛うじて聞こえてくるのに。返す刃もまたあっさりと。 「………あ?間に合わねェだ?何ボケた事抜かしてやがんだ。ヒラ隊士と副長の仇討ちだろィ、とっつぁんにでも言や、ジェット機の一つや二つぐれェ軽く飛ばしてくれんだろ」 そうして、通話を一方的に切った沖田は、短く編集した音声ファイルを通信室へ送りつけると、続け様山崎の手引き『OK』サインの出た、闘士としての飛び入り参加をすべく、地下闘技場へ入る極秘の一般ルートへと向かった。 趣味の悪いコスプレの様だと銀時にも評された、黒髪の鬘のついた黒い鬼の面と装束とで扮装をした黒い鬼が闘技場へと現れるのは、その直後になる。 * 闘技場で爆発騒ぎが起こるのとほぼ同時に、山崎は控え室──地下牢を開放していた。この煉獄関のセキュリティ掌握は、潜入するなりほぼ真っ先に『前任の』下男より聞き出し、行った作業だ。故に特に問題もなく牢は全て開かれ、最初は目を白黒させていた『囚人』らも、自らが自由となった可能性を知るなり先を争って飛び出して行った。 但し、羅刹だけは佐久間やその同志らの持つ特殊な鍵でなければ解放出来ない様だった。いざ真選組が突入した際に、連中が破れかぶれで羅刹や宇宙生物らを暴れさせる可能性は十二分にあった為、叶うならばここもなんとか押さえておきたいポイントだったのだが、こうなれば致し方あるまい。 せめて、と、山崎は羅刹へ投薬する様命じられた鎮静剤(的な何か)を再調合し、簡単には動かせない様にと工作を図ったのだが、その程度では時間稼ぎ程度にしかならないだろう。どうあってもあれを完全に封じるには、それ相応の規模の対応が必要になる。 一方、坂巻らを唆すのは容易だった。事前に朝倉から少々手荒に聞き出した知識を用いて上手い事誘導すれば、彼らは思いの外簡単に動いてくれた。 そもそも佐久間の乗る列車の線路に爆弾なぞ仕掛けるぐらいだ。彼らが佐久間から仲間を奪還せんとする思いは相当強く、相当過激だった事は間違い無い。後は『仲間』のフリをして情報と活路とを提供するだけで良かった。 役割所は、朝倉に取引を持ちかけられて応じた、煉獄関勤めの下男。 さて。『単純』な連中は兎も角、問題は狡猾な指し手の方である。幾ら『証拠』があれど、真選組の前ですらどう開き直るとも知れない。佐久間は法と罪科を取り沙汰する奉行だ。幾つもの逃げ道を弄していないとは言い切れない。 当面突きつけるべき『証拠』は土方が自らの爪を剥がして仕込んでいた録音装置だ。佐久間はこの『城』へと土方を連れ込んだ時点で、既に王手を掛けた心算で居た筈だ。だからなのか、録音された音声の中で老人は、自らの所業を幾つも平然と語ってくれていた。それこそ、『狗』のこんな反撃などまるで考えもしなかったに違いない。 先頃の地下牢──控え室──で、羅刹の檻を前に土方は蹌踉めいて膝をついた振りをして、手を貸そうとした『下男』を払う仕草と共に、その録音装置を受け渡した。 薄く、小さく、頼りない機器だが、今はそれだけがこの謀の中心。全てをひっくり返す為の王手を指す駒だ。 土方は佐久間の口から必要な情報を全て喋らせ、抜け目無くそれを記録していた。それが山崎へと渡されたと言う事は、もう佐久間老人を有罪たらしめるに必要な内容は揃っていると判断された事になる。 録音の中には土方が暴虐めいた仕打ちを受けている場面もあったが、それを編集する間は残念ながら与えられそうもなかった為、山崎は苦渋の決断で音声ファイルをその侭、地上で待機している沖田へと送信した。同時に、その侵入を手引きすべく、一般参加者の名簿に工作をして、闘士『黒鬼』をエントリーさせておく。 沖田の事だから、録音を聞くなり直ぐに江戸の真選組屯所へと招集をかけたのだろう。その後の動きはあっと言う間だった。 大阪城楼閣へと速やかに突きつけられた『御用改め』の名前の捜査令状。これを前に、佐久間らから『口止め料』として煉獄関での収益の何割かを受け取っていた大阪城楼閣側は速やかに陥落し、真選組の突入を許す事となった。 他ならぬ本人の音声。更にはこの煉獄関と言う動かぬ証拠と、多くの証言者たち。これで既に盤面は大幅に詰められている筈だが、未だ懸念すべき問題は、佐久間が盤上の駒を払って逃げる、と言う可能性だ。つまり、羅刹や宇宙生物らを使って破れかぶれに全てを蹴散らす手。 土方が甘んじてこの『盤面』へ入城をしたのは、老人の油断と傲慢とを誘う為の手だ。一応山崎を事前に『下男』駒として潜入させると言う布石を敷いたとは言え、それは半ば自棄にも近い。 実際山崎は土方の危機に対して叶う限りで助けになる様振る舞ったが、流石に王将に囲まれた包囲網だけはどうにもならない。手は出すな、と予め指示されていたとは言え、実際眼前で行われた『狗』への仕打ちは、堪えるに山崎は相当の労力を要さなければならなかった。 だが、それでも。 手は出すな、と言われたからではない。山崎には一つの結末が──土方の望む『王手』が理解出来て仕舞った為に、敢えて堪える事を選んだ。選ぶほか無かった。 土方に密かに渡された録音の最後は、憶えのない小さな呟き声で終わっていた。 《……………こんな獣になってまで、テメェは、戦う事ァ未だ忘れちゃいねェって事か》 久方ぶりに聞く気のする、不敵な鬼の笑みさえ乗っていそうな、酷く挑戦的な口調が紡いだ言葉。 それは直前の会話から見ても間違いなく、羅刹を前にしている時のものだが、同室していた山崎には聞いた憶えが無いのだから、これは録音機器へと、その仕込まれた指先へと自ら放った密かな呟きだ。 つまり、これは土方からのメッセージと言う事になる。 あの場で、万一佐久間に聞き咎められたとして言い訳になる様な言葉を選んだのは確かだ。直接意図を伝えられないのだからそれは致し方あるまい、が。 これが、自分への信頼なのは間違い無い。思って山崎はその意味を慎重にはかった。 そうして至った結論が、佐久間を憎み暴れている羅刹を、土方は自らに重ねて言ったのだろう、と言う事だった。 佐久間らへの憎しみだけを本能にする『化け物』を。その本能をして『戦う事』と言ったのであれば。そういう事にしかならない。 その以上の言葉が無く、この直後に山崎へ録音機器を渡して寄越したのだから、これはいつも通りの副長命令。判断は任せる、と。 そう──土方は、佐久間もその仲間も、法で裁かせる心算など無いのだ。 それを、復讐だと、暴力だと、責める謂われは誰にもない。当然の帰結である、と開き直る事も出来そうにないが、間違っている、躊躇いを感じる事だとは思えない。警察と言う職に於いてその思考は正しくはないのかもしれないが。 それでも、この怒りだけは正しいものだと。そう思う。 寧ろ、土方が彼らを生きた侭捕らえる様な事があれば、山崎は──或いは沖田や銀時かもしれない──連中をどんな手段を用いても殺してやろうと。そのぐらいの怒りは抱いている。 こと土方の事に関しては、答えを正しく解せる自負はある。故に山崎は、土方が地下に降りてきた際に預かった──実際には没収だが──彼の愛刀を観戦席へと密やかに届けるに留めた。 伏していた土方の顔には確実な疲労が伺い見えたが、今更心配はすまい。何しろ、刀を持たせればあれは本物の鬼になる人だ。 そこでは恐らく、血が流れる。土方の望んだ通りに。佐久間を追い詰めるべく、最後の一手として。狗の牙の、最後の反撃として。 黒子の様な面覆いを外して、山崎は全てを見届けずに、沖田らと合流すべく闘技場へと出た。 ここからは、俺の領分ではない。 止めるも、進めるも。望んで良い人は、土方自身と、取引の天秤に掛けられた『人質』だけなのだから。 * 再び地を揺るがした振動と、地獄の亡者の苦しみにも似た咆哮とに、土方は硝子窓に貼り付いて闘技場を見下ろした。思わず舌打ちが出る。 喧噪と、未だ残る白煙とに支配されていた闘技場に様々な宇宙生物と共に放たれたのは、中でも一際大柄な体躯を持つ、荼吉尼の姿。 「羅刹…」 その名を諳んじて、土方は顔を思わず歪めた。つくづく鬼に縁のある身だと思いながら、荼吉尼の象徴とも言われているらしい、角の片方を失った『化け物』を見下ろす。 羅刹の檻を見た時に、その鍵は佐久間を含めた『飼い主』らにしか開けない特殊なものである事は察していた。と、なると当然今闘技場へと羅刹を放ったのは佐久間自身に他ならない。 逮捕状は恐らく疾うに出ている筈だ。そうでなければ真選組が御用改めと言っても突入出来る筈がない。 「つーか…総悟か、勝手に隊動かしたのは…」 眼下で抵抗する者らの制圧に当たっている真選組の数は、大阪行きに帯同した連中より明らかに多い。土方の残した録音と言う証拠から逮捕状を発行したとして、仕事が速すぎる。山崎──監察には予めの根回しは一応、副長命令で出してはあった。大阪城で起こり得る捕り物の可能性として。 この規模であれば、大阪城楼閣そのものも制圧されているだろうし、観戦し賭博に参加していた連中も逃がす事なく捕らえられているだろう。 牢から解き放たれたらしい、神明党の残党らの姿もちらほらと見受けるが、連中に持ちかけた取引は「逮捕状が出るまで」だ。その間、牢の開いた直後から逃げなかったのだから、まあ自業自得だろうか。 朝倉は襲撃事件に関わってはいない様だし、一応は協力を得る形になった。だから彼にはある程度情状酌量は適用出来るやも知れないが、と考えつつ土方は騒乱真っ直中の闘技場を何度も見回してみるのだが、そこに朝倉らしき姿は見受けられない。或いは賢しい男だから、真っ先に逃れた可能性もある。 まあその時はその時だろうと、何処となく悔しさに似た感情を持て余しながらも土方は思考を中断させた。眼下では羅刹による凄惨なショーが始まりつつあったからだ。 羅刹は朝倉の口にした通りの『化け物』である事は確かな様で、最早荼吉尼らしい理性などなく、檻を開けられたら本能の侭に目の前の動くものを屠るだけに見えた。 観客席の上から、鬼面を外した沖田が隊士らに何らか指示を出し、手を出さぬ様にしているらしい。見る限りでは無謀に近付いて行く隊士の姿はない。少し安堵する。流石に対戦車、対宇宙『怪物』クラスの武装をさせていない隊士を突撃させる様な愚は、土方とて犯したくはない。 牢に閉じ込められていた者らは、保護されるなり逮捕されるなり逃走するなりして、概ねの連中が姿を消していた。 羅刹が今屠っているのは、共に放たれた宇宙生物たちだった。先頃の『演目』に出演していた、大猿の様な獣が身体を二つに裂かれて、ぽいとゴミの様に放り棄てられる光景は軽い悪夢の惨状だ。 (坂巻は無事確保されてんだろうな…?まあ、山崎の仕事なら抜かりは無ェだろうが…) あれが人間だったら、と思うだけでぞっとする、そのついでに気がかりを思い出す。現状、虎狼会から佐久間の買い上げた『商品』たちの行方を知っているのは坂巻だけだ。万が一死んで仕舞ったら、彼らの救出は困難になる。 取り敢えず、上から見下ろす限り、それらしい遺体は……無い、のかも知れない。 無惨な姿は羅刹が現れるより以前からあちこちに散見出来てはいるが、恐らくその中には、真選組にとって益になる重要な証言を持つ者は混じっていない筈だ。 否。坂巻や神明党以外の人間であれば、失われたとして、今更別に困る話もない。 最も裁きを受ける筈だった者たちは、既に居ないからだ。 土方は胡乱な眼差しで、血に染まった観戦席を見回す。 ここは、真選組の突入してきた一般観戦客の通る入り口とは異なった、VIP用のあの昇降機を使わないと来る事の出来ない、完全に外部と隔絶されたエリアになっている。だからこそ土方は、暴行を受けた身体を申し訳程度に覆う、女物の単衣一枚と言う異様な形でも落ち着いていられた。隊士の誰かが踏み込んで来る可能性など全く無いからこそ、日頃凛と努める鬼の副長の、幽鬼の様な有り様を見咎められる畏れを抱かずにこうして悠然としていられている。 あの昇降機は専用のカードキーが無ければ動かせない。だから、『控え室』まで到達出来ても、その上層に当たるこの観戦席まで誰かが来る事はない。 それは闘技場をぐるりと囲む、他のVIPブースも同様なのだが、主犯でもないただの上客連中を逃がした所で当面問題は無い。肝心なのはこんな大がかりな違法闘技場を作り、利を得ていた者らだからだ。 闘技場を睥睨する硝子窓はマジックミラーの様なもので、窓の向こうからはこの中は伺えない様に出来ている。 だから、ここは、うってつけの場所だ。 もう一度、土方は眼下の『化け物』を振り返った。 「そんな獣になっても、テメェは戦う事を忘れちゃいねェんだ。『狗』にだって意地がある事ぐらい、見せてやらねェとな」 特に悲惨な気持ちになった心算もないのに、そう呟きを落とした瞬間、何故か目の奥が熱かった。 泣きそうだ。 そう思って、否定する様に、拒絶する様に笑う。刀をそっと鞘から抜く。 これで、終わりに出来る。 慕情も、枷も、笑わない男の顔も。 もう、終わりに出来る。終わりにしなければならない。 蛇足と思いつつ一頁分書き足し。ジェバンニが一晩で(略 /3← : → /5 |