雨上がりの花 / 3



 惨状だった。
 ひとつの下らない遊戯の盤面が、これ以上は無い程に破壊──もとい、蹴倒されたのが、この様だ。
 宇宙生物やら人間やら天人の、命を落とした不運な者らの間を通って、山崎は適当に指示を飛ばしている沖田の方へと向かった。他にも隊長格の顔が二名。それぞれ個別に立ち働いている。この分だと上の宿泊施設部分も大騒ぎになっているだろう。
 肩上に抜き身の刀を担いだ沖田は、何種族のものとも知れない返り血に塗れた顔で、山崎を見つけるなりひらひらと手を振って寄越してきた。いつもより少し丈が高く見えるのは、上げ底のブーツによるものである。
 「どうも。お疲れ様です、沖田隊長。ところで何ですかその格好。似合ってないコスプレみたいですけど」
 見かねた山崎が手拭いを渡しながら言えば、沖田は陣羽織にも似たコートの裾を摘んで、ぐるりと自らの全身を見回す様な仕草をしてみせる。
 「なんでィ、てめーまで旦那みてーな事言いやがって。土方の野郎みてーなコスプレは正直俺としても真っ平御免だったんだがねィ、ジジイへの嫌味にゃうってつけだろーが」
 うってつけどころか、見事なぐらいに覿面だった。沖田のこの『黒鬼』の陽動のお陰で、佐久間はこれを土方の手番と勘違いしてむきになって動き出し、お陰で山崎が動き易くなったのは間違いない、が。
 「旦那も同じ事を?」
 「ああ。サバイバル試合が始まるなり、似合わねぇってボヤかれちまったィ」
 黒地に銀縁の洋装。今は外しているが、先頃までは黒い鬼の面に黒髪の鬘も装着していた。形だけを見れば土方の扮装に見えなくもない。ただ、態度はいつものだらけた少年のその侭で、故に似合わないと直球で、違和感の様なものさえ感じたのだが。
 「まあ…コスプレの話はもういいです。で。城取りでもしかねない規模ですけど、一体何隊呼んだんです?」
 どう見ても制圧の規模は越えている。これで大阪にまで、通った後にはぺんぺん草一本生えないチンピラ警察の名前がさぞ広まった事だろうと思いつつ問えば。
 「事実城盗りだろィ。二番から六番まで江戸に残して、近藤さんまで来ちまったらしいってんだから、全く手間かけさせやがらァ、死ね土方」
 「ええッ、近藤局長まで来てるんですか!?大阪(ここ)にィィ!?」
 流石の予想外の沖田の返答に、山崎は思いきり引きつった顔に冷や汗を垂らした。大規模に隊が動かされたどころか、局長自ら出陣とは大事過ぎる。土方に知れたら──近い内必ず知れる事になるだろうが──切腹どころの騒ぎではなくなるだろう。ただでさえ犯した命令違反がひとつふたつ…、
 (……ええと、切腹の作法ってどうやるんだっけ?副長、介錯ぐらいしてくれるよんだよな??)
 数え上げればキリがない。一気に沈痛な面持ちを作って半ば本気で腹を斬る段を思考し始める山崎の後頭部へと、ごつ、と音を立てて沖田の手にしていた刀の背が打ち下ろされた。
 「痛っ!〜何すんですか沖田隊長」
 「名目は、大阪城楼閣と煉獄関…って紛らわしい名前でいけねーや本当。まあ良いや、兎に角違法闘技場とその客どもの摘発だ。幕臣どころかお貴族様、良家の当主から子息まで面白ェ様に釣れたらしいぜィ。
 で。これは真選組(ウチ)の久々の大捕物であって阿呆の副長の救出劇じゃあねェ。こっちも大将がいねーと箔がつかないって話だとかなんとか。とっつァんがはりきって留置所空けて待ってるってよ」
 基本アバウトな姿勢を崩さない松平だが、警察組織のトップとして日々色々と目の前に問題をぶら下げられている。汚職だのスキャンダルだの、現場担当である真選組では到底知れない程の政治問題もあるだろう。それを、ある時は揉み消したり、ある時は余罪で引っ張り上げたり。直ぐ発砲したり娘馬鹿をしている姿からは想像し辛いが、面倒事は常に山積みの筈である。
 それこそ、こんな『大捕物』でなければ片付かない様な『ついで』の問題も多いだろう。
 「……それはまた。結構な規模の膿出しになりましたね」
 一応は同意を示して山崎は両手を軽く挙げた。全く、手は上がって頭は下がる。松平──か、それに同調するお偉いさん──にとってはこんな騒動も『良い機会』の一つでしかないと言う事か。
 真選組の隊士をこれだけの規模、関西へと数時間で派遣して来たのだ。その労や費用、問題を打ち消して余りあるだけの収穫があると言う事なのだろう。
 「海老で鯛を釣った、って所ですかね」
 土方の内情はともかく、真選組にとって検挙したかった『敵』は、隊士と副長とを襲撃し組の面子に泥を塗った神明党と、その裏で彼らを動かしていた佐久間だ。そして土方個人にとって邪魔だったのは佐久間とその仲間達のみ。連中がこんな大仰な『違法闘技場』などと言うものを運営してくれた故に、そこに『膿』になる幕臣や貴族が集まって醜態を晒した。それを捕らえるも、揉み消して恩を着せるも、全ては『誰か』の政治的意図が複雑に絡んでいる。そう言う事だろう。
 「海老どころかイトミミズで充分だろィ、あんなん」
 少々不機嫌そうに言う沖田も、『上』の意図は解っているのだろう。実のところ山崎とて、煉獄関の規模やその客層を見るだに、これはただの賭博や人身売買どころでは済まないだろうなとはある程度予想してはいたのだが。
 「まあ…これだけの騒ぎになれば、警察関係や奉行の人間が悪事に荷担していた、って言うのもそう大きく取り沙汰されはしないでしょうね。警察(うち)から見れば幸運な話と。そう言う事で良いと思いますよ」
 山崎の言い種は達観混じりのもので、それによって沖田はますます渋面を隠さず、引き戻した得物でとんとんと自らの肩を叩いている。もののついで、の様に動かされた事そのものが恐らくは気に入らないのだろうとは伺えたが、本人がそれ以上何も言わないのだから、倣って黙っておく事にした。
 この分であれば、現場から土方の『取引』の痕跡や証言が出た所で、潜入捜査の一環だとでも言って事務的に片付けられるに違いない。佐久間らの悪行も、ここの客達も。お国の安寧の為の、言葉通りの『礎』として恙なく処理されるだろう。
 嘗ての煉獄関と同じだ。ここでもまた、悪事の中の悪事が重ねられていたのは最早言うまでもなく、そして矢張り同じ様に今は見る影もない。
 (……でも、犠牲者の疵は、そう簡単には癒えやしない)
 「……………で。アレは一体どうするつもりなんでィ?」
 山崎の胸中の呟きに重ねる様に、沖田。
 いつもより少し淡々と、抑揚のない調子で紡がれた口調で指す視線の先には、闘技場の壁面に縫い留められてだらりとぶら下がっている老人の姿。と、その真下で、まるで釣り糸にぶら下がる餌を求める魚の様に藻掻いている荼吉尼の『化け物』。
 襟首を掴まれた猫の様に、着物の襟に突き立った木刀ひとつが老人の身を支えている。あと少し、ほんの少し低ければ、羅刹の腕は容易にその体を捉えて引き裂いていただろう。
 老人の纏う着物が上等の布だったのも、ぶら下げられた身が老体の体重であったのも、本人が意識を完全に失っているのも幸いした。老人の命運は紙一重としか言い様のない状況にある。これでうっかり目など醒まして下手に暴れていたら落下していたやも知れない。
 幸いした、と。そうはっきり言い切って良いかどうかは、山崎には知れない。
 そして沖田も、恐らくは山崎と同等の事を考えているに相違ない。
 「俺としちゃ、あんな老害はドサマギで殺しちまうべきだと思うんだがねィ」
 隠しもしない物騒な殺意。佐久間の『何』に対しての怒りか、思い当たる節はあれど、山崎は敢えてそこにも口は挟まない事にした。ただ、無言でかぶりを振る。
 正直な所を言えば、沖田の意見には全面的に同意を示したい。あの老人が生き延びて、万一罪を軽微なもので逃れた時──或いは逃れられなかったとしても、意趣返しとしてその口から真選組副長の醜態を語る事は叶うだろう。そして、そうなった時、『上』は果たして真選組の味方をしてくれるだろうか。
 答えはノーだ。『上』には真選組のここの所の台頭を好まない連中も多く、見廻組の様な政敵傘下の組織からすれば、痛むかも知れない腹を見逃してくれる様な甘さを見せる筈はない。
 公的には潜入捜査の為の一環と捉えられたとしても、土方が個人的な『取引』に応じて醜態を晒した事に変わりはないのだ。軽くても懲戒免職。そしてその後も風聞の面で、真選組の名前や土方個人へと如何な疵を負わせる事も叶う。
 山崎の思考とは恐らく全く関係無く、届かない獲物に業を煮やした様に羅刹が吼えた。その、地獄から響く様な咆哮に寸時の注視が集まる。
 先程までの、闘技場のど真ん中で暴れていた時とは異なり、今の羅刹はぶら下がった餌こと佐久間に夢中になっている。真選組の隊士や、彼らに逮捕された連中が集められている客席の一角から不安気な視線が投げられてはいるが、そちらに向かっていく様子はまるで無い。あれが暴れたら被害は甚大になるだろうと言う想定のあった山崎から見れば、大いに有り難い話だった。
 投薬で制御されている『化け物』だから、『控え室』へ戻ればそれなり対処の叶う薬物はある。一度眠らせて仕舞えば後は入国管理局の仕事だ。荼吉尼の母星や同種族と地球とがどう言った取引や話し合いをするかは知れないが、基本的に荼吉尼は自立と自律を好む種族ゆえ、種族間で揉める事にはならないだろう。恐らく、だが。
 問題は、あれがちゃんとした荼吉尼に戻れるのかどうか、だ。山崎は投薬のついでに色々とその『改造』の痕跡を目の当たりにしただけに、それは難しいだろうと知っている。仮に自我を取り戻せたとしても、その後の人生がどうなるかは解らない。
 「あれも、犠牲者ですから」
 思わず、と言った感で山崎がそう口にすれば、もう一度沖田の刀の背が頭に落ちて来る。
 「そっちじゃねーよ」
 「あいたた……解ってますって」
 今度は先程より痛い。刃が向かなかっただけまだマシな方だろうか。思って頭をさすりながら山崎は、羅刹の手の先で、全く目を醒ます気配無く項垂れている老人を見上げた。
 目を醒ませば落ちて死ぬかも知れないのに。
 着物が破けるか伸びれば捕まって死ぬかも知れないのに。
 壁から木刀が抜ければ、、
 (……どれだけ、そう思った所で)
 実際、起こらないのだから仕方がない。運命論を信じる気にはなれないが、見ているだけでは望みの通りにならない現状。そして見ているだけで望みの通り動く心算にはなれない現状とが、全てを物語っているだろう。無論、山崎だけではなく、沖田も含めて、だが。
 羅刹を大人しくする算段は描きつつも、今はこうしてただ見ている。何かの『運』が味方をしてくれないかと、そんな事を望みの端に確かに描きながら。
 それでも恐らくは何も起こらない。『運』は味方をしてはくれない。
 「……選んだのは、旦那ですから」
 誰あろう、土方の枷となった筈の男が──本来最も佐久間を許し難く思っただろう男が、それを良しとはしなかった。
 土方は確実に佐久間を殺す心算で居た筈だ。
 同じ怒りを抱える、羅刹に殺させるが道理と思って、観戦席から突き落としたのだ。
 そして、それを止めたのは銀時だった。それはあの男の持つ、人情から成る人の道理がした事ではない。
 止めたのは、純粋な怒りだ。
 留めたのは、純然たる想いだ。
 そうでなければ、あの男は今此処には来ていなかった。とっくに、奉行所にでも乗り込んで佐久間をその手にかけていた筈だ。
 「旦那は、土方さんの為にああしたんだと思うんです。仮令、いずれ佐久間が処刑なり始末なりをされた所で。或いは沖田隊長がその刀を投じて佐久間を今すぐにでも殺した所で。
 旦那は、土方さんの手を復讐なんて言う諦めに浸させる為に此処に来た訳じゃないんでしょう」
 そうでなければ。──そう。そうでなければ、あの男は木刀なぞではなく真剣を手にしていた筈だ。
 「旦那は。土方さんを、助ける為に来たんです。あの人の手を、もう一度掴む為に来たんです」
 自らに言い聞かせる様にそう繰り返してから、山崎は、ここからでは様子の伺えない観戦席を見上げた。
 その視線を追い掛ける様に顎を擡げてから、沖田はやれやれと言う仕草で嘆息した。
 「本当にてめーらは、揃いも揃って頭ン中春で結構な事だねィ」
 いつかと同じ悪態を、山崎は笑って受け止める。
 「俺も、そう思います」







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