散華有情 / 3 画面の上には、ロックされたフォルダやファイルなどの怪しげなものはないかと検索をしている様子が映し出されていた。 以前の家宅捜索に続いて、先頃、土方もそれを真っ先に当たってみたのだが、生憎何も見つかってはいない。 それもあって、データではなく物理的な『品物』として残されてはいないだろうかと、『家宅捜索』などと言う真似に乗り出す羽目になったのだ。 だが、同じ箱を複数人で順に調べても同じものしか出ない家捜しとは異なり、データの海からのサルベージは、それを行う者の発想や取る手段一つで結果が変わる。変われば可能性もまた、変わる。 存外に器用な手つきで長い指がキーボードの上を踊るのを土方は暫し無言で見下ろしていた。背後では近藤が押し入れをがたがたと捜索している音が聞こえて来る。 「近藤さん。これだけ探してもブツの形じゃ見当たらねェんだ。ここはひとつ、エリート様の提案通り、データの可能性を模索した方がマシかも知れねぇ」 佐々木が何か小細工をする、と疑っていた訳ではないが、モニタから視線は外さず言う土方に、返るのは押し入れに向かっているからか少し響く音声。 「まあ、そうかも知れんが。得るなら少しでも安心出来る答えが良いよ、俺は」 溜息の混じった様な、苦さを僅かに伴った声だった。近藤のそんな調子を聞くのはついぞ久方振りだったので、土方は思わず振り返りそうになるのを必死で堪える必要があった。 どう言う意味だ、と、振り返る代わりの様な声が上がりそうになった時、佐々木の手が、たん、と一際強くエンターキーを叩いた。偶然に違いないのだが、その音に土方は我に返り、後方へと向きかかった意識を眼前のノートPCへと戻す。 「……何か出たのか」 意識を外した一瞬で、見覚えのない小さなウィンドウが新たに表示されていた。土方の注視を受けて、佐々木は片眼鏡の位置を直す様な仕草をしてみせる。 「何の機能やアプリケーションを使っていたかと言う履歴です。殆ど通信と書類の作成ばかりの様ですが…、」 そこで佐々木は一旦言葉を切ると、折った人差し指を顎に当てた。考え込む様なその仕草に、土方は軽く身を屈めてモニタを覗き込んでみる。すると佐々木は自然な動作で、見易い様に僅か体とノートPCとを動かして来た。どうやら隠したり勿体ぶる心算はないらしい。 モニタ上に表示されているのはタスクの履歴らしい、文字列と日時との並んだウィンドウ。それを土方は取り敢えず目で追って見る。が、パソコンやそれに類する電子頭脳機器に対する造詣には生憎明るく無い。仕事に支障が出ない程度にはそれら文明の利器に馴染んだものだが、専門的な分野になると異国語を理解するぐらいにお手上げだ。 ウェブブラウザらしき名前、メーラーらしき名前、書類作成ソフトらしき名前。佐久間はPCで仕事をしていた為にか、どれもこれも使用頻度はかなり高い様だった。以前の家宅捜索の時と、今し方土方や佐々木が扱った今日の日付の分を除けば、日付は最も近いものでも三週間近くは前。その後は大阪行き、そして逮捕、獄中死、だ。当然ノートPCの持ち主がこれに触れる機会などある筈もない。つまり第三者が何らかを目的に弄った痕跡はない。 一応上から下までざっと視線を走らせるが、土方には特に変わった様子は見つけられなかった。少なくとも佐々木が考え込む原因となったものが何であるかは解りそうもない。 「これです」 土方の内心の疑問に応える様に、ややあってから佐々木はマウスのカーソルを履歴の一つへと動かした。該当箇所でカーソルを止め、くるり、と円を描いて見せる。 「……将棋?」 たった一言の簡潔なソフトウェア名だった。よくパソコンにプリインストールされている、カードゲームや地雷探しのロジックゲームとかと同種のものだろうか。 「佐久間殿は将棋を良く嗜まれていましたね」 何度かお相手を務めた事があります、と、モニタに映り込んでいる土方の顔を見ながら、佐々木。 「年寄りにゃ妥当な趣味だろ」 お座なりに返しながら土方は肩を竦めた。佐久間の趣味について相槌など求められても困る。 土方の反応などどうでも良かったのか、佐々木は片眼鏡の向こうの視線を眼前へと戻すと、件の将棋ゲームを開いた。 途中から再開しますか?と言うアラートが表示されるのに、佐々木は躊躇いもなく「はい」を選択する。と、僅かの間の後、将棋盤を上から俯瞰した様な図が表示された。駒が初期状態から素早く動いて行き、やがて『途中』だったのだろう局面に収まって止まる。 盤の絵の横には棋譜のログがテキストで表示されており、佐々木はそれをスクロールし一瞥すると、「ふむ」とも「ふん」ともつかない息を吐いた。 「何だ、あと数手で詰みじゃないか」 焦れた土方が疑問の声を上げ、佐々木がそれにしたり顔で答えるよりも先に、いつの間にか近付いて来た近藤がモニタを覗き込んで声を上げていた。 佐々木の態度へと、正直に問いを投げるのも癪に障る所だった土方にとっては渡りに船である。 「…そのようですね。対戦ではなく、ご自身で相手の手番をも指していた様ですが」 台詞を奪われる形になった佐々木だが、別段気にした風ではない。土方は白と黒の両局長を交互に見て、それから視線を盤へと戻した。 「…………何か、何処かで見覚えがあるんだが」 折角開いたものの、特に何らか意味があるとも思えない。だが何となくじっと将棋盤を見つめるうちに、記憶の釣り針に何かが掛かる手応えがして、土方は思考の糸を必死で手繰った。 「何か意味があると思うのですか?」 呻きながら思索する土方へと、将棋盤を閉じかけた佐々木の訝しげな声音が投げられる。言葉を紡ぐのも億劫で、「ん、」と喉を鳴らして首肯しながら、瞼を下ろしてきっかり六秒。 「あァ、」 漸く至った記憶の合致にぽんと手を打ち、土方はもう一度モニタに映し出された盤面を見つめた。 間違いない。 「現地で押収された、ジジイのノートPCに同じ局面があった」 わざわざ持ち運んでいた所を見れば、あちらが仕事用としてメインに使っていた機体なのだろう。対局の内容が同じだった理由も、同じソフトとアカウントを使いネット経由でデータの同期でもしているのであれば説明がつく。 ただ、こちらでは将棋を滅多に使っていなかった、と言うのは、佐々木が目に留めた通り一応は気になる点ではある。先程のログを見る限り、こちらのPCで将棋ソフトを動かしたのは二ヶ月以上前の様だ。仕事の類は大阪行き直前まで使われていた形跡があると言うのに。棋譜のデータが同期されているのであれば、手持ちのノートPCと書斎のノートPCと、どちらで指しても構わない筈だ。 「……………それだけですか」 土方の引っ張り出した記憶に、佐々木は珍しくも複雑そうな表情を作って、それからあからさまに溜息を吐いた。どうやら落胆しているらしい。 「んだ、見覚えがある、とだけしか言ってねーだろ。大体、その将棋ソフトに何かあるとか思わせぶりに振ったのはテメェの方だろが」 「それもその通りですが…」 何故か感じるばつの悪さを仏頂面と共に吐き出せば、佐々木は「やれやれ」と言った仕草をして再びノートPCの画面へと意識を戻した。 「まぁ確かにあのジジイなら、駒を特定の配置にすれば何かが起きるとか、そう言う仕掛けは好きそうだがな」 「だ、としたら、ノーヒントではどうにもなりませんね…。それこそ、その『特定の配置』を見た憶えでもあれば助かるのですが。或いはプログラム自体の解析をするしか」 態とらしく、お手上げ、のポーズを取る佐々木を見下ろして、土方は不承不承記憶を巡らせる。 大阪城楼閣の、VIPルームから地下の煉獄関へと続く昇降機を隠していた仕掛けを思い出す。様式美だかなんだか、ああ言う『態とらしい』手合いの仕掛けが好きだとは佐久間本人も口にしていた事だ。 そこまで考えた所で、土方ははっと顔を起こした。「近藤さん、」そう呻く様に息を漏らし、続き間を指さす。 土方の指を追った近藤は直ぐにその意味を正しく解し、どかどかと足音荒く寝室へと駆け込んで行った。その後ろ姿へと佐々木は疑問符の乗った鉄面皮を向ける。 このエリート様もこんな間抜け面をするのか、と心の何処かで考えながら、土方は声を上げた。 「佐々木、新しい盤面を開け。近藤さん、駒の配置を読み上げてくれ」 そう。部屋の隅には、対局の途中と思しき将棋盤があった。 「解った、任せてくれ」 「……成程」 近藤が応え、佐々木はひとつ頷くと途中の盤面を中断し、新たな対局を開いた。 (こう言う、大掛かりなんだか趣味なんだか知れねぇ、そんな下らない手間こそがあのジジイの趣味だ) もしも想像通りに、盤面を特定の配置にした時に何かが起こる様な仕掛けになっているのだとすれば、こちらのPCで将棋を指していなかったのも頷ける。手持ちのノートPCと棋譜を同期させているのは、こちらでも将棋を指していたのだと見せかける為のフェイク。 うんざりと溜息をつく土方の前では、近藤の読み上げに応じて佐々木が次々カーソルを動かして行っている。そうして最後の歩兵の配置が終わった所で、ノートPCが、ぽん、と警告音を発した。同時に画面中央に確認ダイアログが表示され、鍵のアイコンの付いたフォルダが幾つか表示される。 「お手柄です、土方さん」 鼻に掛かった笑い声。嫌味めいた響きを持った佐々木の言い種に、土方はふんと息を吐くだけで応えた。 「お、何か出て来たのか?」 「ああ。助かったよ近藤さん。……つー訳で佐々木局長殿、そこから先は真選組(ウチ)の負った家宅捜索の領分だ。悪ィが手を」 近藤に僅かの笑みを向けてから、土方はトーンを落とした声で言い放── 「ってオイ!」 とうとして失敗した。土方の制止より、佐々木がフォルダのひとつを開く方が早い。 「ッ!」 ぐい、とノートPCの前から佐々木を押し退けようと、土方はその肩に掴み掛かるが、土方より僅か丈のある男はびくとも動いてくれようとしなかった。 「おや。これはまた」 展開したフォルダの中に、画像のサムネイルがずらりと並んだ。小さなサイズなので仔細までは伺えないが、銀髪と黒髪の男とが連れ立っている姿だけは知れる。 画像を開こうとはしなかったが、サムネイルを一瞥した佐々木が真顔で、そしていつもと全く変わり映えのしないフラットな声音を紡ぐのに、土方は唇を噛み締めた。特に揶揄するでも呆れるでもない調子が余計に羞恥を生み、頬に熱が上るのを堪え切れない。 流石に茶屋やホテルの室内で隠し撮りをされた、と言う最悪の事態は無い様だが、並ぶサムネイルを見る限り、土方が銀時と二人で呑んでいたり、連れ込み宿へと入って行く様な場面はしっかりと収められている。 居た堪れなくなって目を逸らす土方の背に、近藤がそっと手を乗せて来た。案ずる様なその仕草に、大丈夫だとかぶりを振って応える。 幾ら近藤が、銀時と土方との関係を知り得ているとは言え、実際それ『らしい』場面を見るのなど初めてだろう。開き直るにも難しい己の性質の通りに俯き唇を噛む土方を慮ってか、近藤はモニタに映し出されたそれらをわざわざ覗き見る様な真似はしなかった。 土方が佐々木に借りを作ってまで回収──と言うより、探しておきたかった──したかったものは、正にこれだ。 佐久間は己が土方を弄ぶ行為に関しての証拠は、自らの立場が危うくなる恐れを抱いてか、一切残そうとはしなかった。土方が無様な『狗』の様で転がっている姿を撮影しておくだけで、真選組とその副長の身はある程度自由に出来ただろうが、一歩間違えればそれは己の犯罪の証拠を残すも同義だ。その辺りは流石に法を取り沙汰する奉行故にか慎重と言えた。 だが、己に関わらない事であれば話は別だ。佐久間は最初に『白夜叉』の身の保証を盾に土方に取引もとい『支払い』を命じた時に、銀時と土方との間に、他者に憚る関係性があるのだと見抜いていた。その気になればその類の証拠など簡単に集められるだろう。それこそプロの手段ならば余計に、だ。 佐久間は土方のその『弱味』を握っている、とは一度も口にはしなかったが、土方の方にはその懸念はずっと燻っていた。白夜叉の名の正体、その者と真選組副長との関係を示唆するものは何かしら老人の手元にあるに違いない、と。 故に、『あるかないかも知れない』その証拠を何がなんでも押さえたかったのだ。 幾ら佐々木が、銀時と土方との間にある『縁』以上の『何か』を邪推しているだろうとは言え、直接目の当たりにされたいものでもなかったのは確かだ。しかも、それに対して何の感慨も、馬鹿にする態度一つすら見せないと言うのが、余計に居た堪れない。 更に。下手をしなくとも佐々木は、土方が『証拠写真』を回収したがっていると言う時点で既に──或いは真選組が佐久間らを大阪で逮捕した時点でか──、土方が佐久間に脅されていた事をも見抜いているに違いなかった。そうでもなければ今こうしてこの場に居る筈もない。 『脅し』の正体を果たして『何』と取っているかまでは知れない。知れない、が。 土方は力を込めて掴んでいた佐々木の肩から、強張った指を漸く引き剥がした。綺麗に糊の効いた白い装束に、土方の激昂を表す様な指の痕が歪な皺を作っている。 今更羞恥の余りにああだこうだと抗議した所で意味はない。否、寧ろ佐々木はそうして土方がどう取り乱すかを楽しみにしている節さえあるのだから余計にだ。 「まあ、これらの写真だけでは何の効力もありませんね。坂田さんの稼業とアナタ方との縁を考慮すれば、情報屋や協力者と会っていた、と返せば良いだけの話だ。 この些か下世話な『証拠』は、佐久間殿にとっては、精々……保険と言った所でしょうかね」 珍しくも。フォローの類と言えるだろう佐々木の言い種に、土方はぱちりと瞬きをした。見上げれば、佐々木は丁度画像の入ったフォルダを閉じ、ゴミ箱のアイコンへと運んで行く所だった。 「…オイ、」 「とは言え。今後はこの様な迂闊な場面を捉えられない様注意すべきでしょうね。幾らでも言い訳が効く上に上手く躱すのも得手な坂田さんと違い、アナタは色々と迂闊過ぎますよ、土方さん」 掌を返す様に釘を刺され、思わず凶悪な声を出しかけた土方はぐっと唇を引き結んで目を泳がせた。羞恥心を通り越して、最早情けなくて泣きたいレベルだ。 「…消した後、ノートPCごと叩き斬って水に沈める」 憤慨でも羞恥でも情けなさでも。極力感情を出さずに土方はそう投げ遣りに言うと、切り替える様に先頃件の写真の入ったフォルダと共に表示された、別のフォルダを指で示した。佐々木も別段混ぜっ返して遊ぶ程趣味が悪い訳でも無いらしく、直ぐ様カーソルをそちらへと動かす。 『○○年度分』とだけ書かれたフォルダを、応じた佐々木が開くと帳簿らしいファイルが表示された。試しに一つ起動してみれば、密度の可成り濃そうな内容だと知れる。 「煉獄関まわりの金の動きだな」 「の、様ですね。こちらは我々の担当外ですので、アナタ方にお任せしますよ」 言ってひらりと掌を向ける佐々木。何処まで読んでいるのか、と忌々しく思いながらも、土方は用意してきた小型の記憶媒体を無言で内ポケットから取り出し、手渡す。 慣れた手つきでそれをノートPCにセットし、数秒でフォルダのコピーが完了した。すると佐々木は大本となったノートPC側のデータを、これもまた無造作に消去する。 そうして幾つかのデータを渡り歩き、佐々木は佐久間の持つ幾つかの幕臣との遣り取りの痕跡などを適当に見て周り、その傍ら公言した通りに真選組が『家宅捜索』として押収出来る様なデータを土方の持参してきた記憶媒体へとコピーして寄越していく。 「こちらにはめぼしい収穫はありませんでしたね。ですが、これでアナタ方の目的は達せられたでしょう。こちらの任務に支障が出る前に、速やかにお引き取り願いたいものです」 ノートPCから外した記憶媒体を土方の手に、ノートPC本体を近藤へと無造作に渡すと、佐々木は最後まで嫌味そうにそう言いつつ立ち上がった。 「佐々木、」 同組織内の者でありながら、犬猿と知れている相手に対する今までの佐々木の態度は奇妙とすら言えた。家柄も経歴も確かなエリートにとって、真選組は目の敵にする迄もない対象だ。わざわざ啀み合う必要性は特には無いが、看過すれば害悪と為り得る事もある。 逆に言えばそれは、利害が無ければ動かない、と言う事でもある。そして、佐々木が今回言ってみせた通りの──土方に対する些少の嫌味や意趣返し程度がその『利』や『害』に合致するとは到底思えない。 況して、無償の手助け、などと言う気持ちの悪い言葉が佐々木の口から出よう筈もない。 一体テメェは何をしに来たんだ、と思わず疑問が土方の口を衝いて出かかったその時。母屋の方から悲鳴が上がるのが聞こえた。 いっこ前とまとめると長い、でもセットでないと話が繋がらないそんな失敗ですみませ…。 /2← : → /4 |