散華有情 / 11 事が発覚したのは早朝。 予定されていた軍事演習、それに対する警察庁長官ほか関係各位の視察、両方が雨天により中止とされたのは、雲の向こうでまだ空が白み始めたばかりの時刻。記録では気象台より天気予報の送付された午前四時。 今日は一日中雨と言う天候を疑う事も覆す事出来ない、ぶ厚い雨雲が江戸を中心とした関東沿岸部にどろりと拡がっていると言う報を受けた警察上層部(の秘書)の決定に因り、本日の演習スケジュールの中止及び調整の為の会議が庁舎で行われると言う旨が真選組屯所の通信担当者へと伝えられた。 真選組に限った話ではないが、通信関係の部署は、基本的に二十四時間必ず誰かが詰めている。故に例外なく、その報は電話回線を通して正しく真選組屯所へと届けられた。 事件ではない、ただの伝達事項として分類されたその報せは、演習視察に直接携わる人間である局長と副長には電信及び口頭で伝えられ、それから隊内のシフト調整を経た後にスケジュール表として貼り出される。その後念の為に朝の会議で再度担当隊士にも伝達され、関係者の間で本格的に『中止』と認識されるのだ。 通信を受けた隊士は手順通りまず最初に、土方の連絡先である携帯電話に直接、長官秘書より伝えられた内容をその侭書き起こしたメールを送信した。一報だのに口頭伝達で無かった理由は、夜明け前と言う時間を考慮したとの事だ。 その次には近藤宛にも。局長を含め、隊内の重要スケジュールはまず副長である土方が目を通す事が規則とされている為、それ故の順序である。 その次に、隊士は伝達と送信の記録をバックアップに保存し、完了チェックシートにサインを入れた。 記録された時刻は午前四時四十二分。 証言するところ午前五時少し過ぎ。任務(副長命令に因り内容は部外秘)につき屯所に不在の監察方山崎退が自らの携帯端末より件のスケジュール変更のメールを確認。(山崎はその職務の都合上、スケジュールの関係や隊内情報を副長と共有しているのだ) 通常、山崎は自らの任務中は隊のスケジュールについて口は出さないが、演習の中止を受け、局長下副長が登庁する際に、警察庁長官への伝達事項を当人曰く『ついで』で伝えて貰うべく、土方に連絡を取ろうと試みたが叶わず。 猶、この時用いた通信手段は、土方が所有する携帯電話宛。個人用のものに応答が無かった事に対し、監察任務用の回線でも試みたが、これも空振り。 この時点で山崎は、時間も時間故に土方が電話を取れない可能性はあると考慮はしていたが、常ならば会議の様な特殊スケジュールを持つ日の土方の起床時間は概ね五時である事、緊急連絡手段でもある監察任務用の回線まで通じなかった事、この二点に不審を抱き、局長である近藤に連絡を取る判断に至る。 近藤の起床時間の都合もあり、山崎が実際に連絡を入れたのは五時半だった。連絡を受けた近藤は土方の所在を確認するべく副長室へ速やかに向かうが、部屋には昨晩から人が居た形跡は見受けられず。 当直だった門番隊士二人の証言に因れば、昨晩の午後七時過ぎ頃、土方は「少し出て来る。朝になる前には戻る」と言い残して外出していた。外泊ではないので書面での届けは出ていない。行き先は知れないが、私服に帯刀して出て行く土方の姿を、ほか数名の隊士らが目撃している。 その後、午後八時少し前頃には、居酒屋『竹とんぼ』にて、かぶき町の住人坂田銀時と相席で飲んでいる様子を、店主ほか店内に居た複数の客が目にしている。 午後九時頃には二人連れ立って店を後にし、そこから目撃証言は途絶える。 「最後の記録は、街路設置の計三箇所の監視カメラに因る大まかな方角の足取りのみです。立地的に、茶屋や料亭の多い区画に向かった様ですが、そう言った店の口は令状でも無い限り固い上、多くの中のどの店かの絞り込みも難しい。それに──、」 そこで佐々木は一旦言葉を切って、銀時の方を態とらしくちらりと伺って見せてから、続ける。 「野暮でしょう。我々は別に土方さんの交友関係の仔細を探っている訳ではありませんので。そこに至る迄の容疑者が浮上すれば、そちらを先に調べるのが道理だ」 まるで罪悪感など無い様な声だ。興味の片鱗すらも。何もない。 そんな男の言い種に、ここまであからさまに調べ上げた『交友関係』を示しておいて何が野暮だと銀時は胸中でだけ吐き捨てた。背もたれにぎしりと体重を預ければ、椅子の前足だけが浮かぶ。些か行儀が悪く子供っぽいそんな態度の中で、危ういバランスを取りながらも今し方連ねられた『事件』の経緯を反芻し考える。 昨晩土方と居酒屋で飲んだ。→YES。 その後茶屋へと足を運んだ。→YES。 泊まりはしないと予め言われた。→YES。 午前二時過ぎ頃だろうか、土方の帰りを見送った。→YES。 ?????→????? 家に帰って寝て、朝になったら警察に囲まれていた。→YES。 (野暮どころか、どうやら佐々木の野郎は俺と土方が茶屋かそれ以降まで行った所までを確信していやがる。確かに今迄の証言だけでも、アイツの足取りを最後に確認しただろう人物が俺なのは間違い無ぇが、) 単純に、土方とは飲み屋の帰りに別れた、と言う可能性が無い訳でもないだろうに──寧ろ真っ当ならそう考える所だろうが──、ご丁寧にも佐々木は既に、銀時と土方とが茶屋を取って閨を共にした確信までを得ている事を暗に示している。『野暮』などと投げる理由は他にない。 同じ警察関係の人間と言う事もあって知り得たのか、佐々木は先の土方と佐久間老人の『取引』の内容までをも既に理解している。無論、銀時がそれに『どう言った』形で関わっているかまでも、だ。更には銀時がそれに気付いて居る事も含むだろう。 更に付け足すのであれば、それ故にこのテの話題を知らぬ素振りで出される事を銀時が厭うのも了承済みなのだろう。 そうでもなければこんなに回りくどく嫌味ったらしい言い方などすまい。野暮だなどと態とらしく宣いはすまい。 (…つくっっっづく嫌味な野郎だな) 流石は、と言う言い方もどうかと思うが。珍しくも、土方が名指しで露骨に嫌悪を口にして憚らない人物の一人だ。と言っても土方の言い分があろうがなかろうが、銀時とて佐々木には好意の欠片も抱く余地は無い。嫌味でお高く止まったエリート様で、価値観や人種がまるで違う様な輩だと言う認識が殆どである。 そしてその認識はどうやら何ひとつ違えてはいないらしい。天井を仰いだ銀時は態とらしくひねた態度で溜息をついた。 見廻組と言う組織の機能性と無愛想さをその侭形にした様な、無機質な灰色の小部屋。取調室と外のプレートには書かれていた。 エリート様が使うには似つかわしくなさそうな、どこかの官舎からの払い下げ品と思しき木製の椅子と向かい合う不揃いのパイプ椅子。間に挟んだ机は四つ足だけの事務的な代物で、入り口の脇では小卓に向かう見廻組隊士が記録係を務めている。 窓は背後の高い位置に、トイレにある様な小さな曇り硝子のものが一つ。卓に椅子を乗せた所で簡単に届きそうもなく、成人なら男女問わずとも出る事は叶いそうもない。だからなのか格子の類は入っていなかった。 採光の役にも立ちそうもないそんな窓の代わりなのか、天井に埋め込み式で取り付けられているLEDの照明は矢鱈と光量が強くて眩しい。 横目に、被疑者確認用に使うのだろう隣室側の壁を見る。今は用も無いからか、本来マジックミラーのあるだろう壁にはカーテンが引かれていた。 総じて、居心地の実に悪い場所だった。まあ、居心地が良い取り調べ室などある筈もないと言えばその通りなのだろうが。 カツ丼のまだ供される気配のない卓の上に肘をついて、両手を口の前で組んだ佐々木が、「それで、」と改めて切り出すのに、銀時は半ば反射的に背筋から力を抜いた。ごとん、と音を立てて、木製の椅子の足が床へと戻る。 「犯人はアナタでは無いんですか、坂田さん」 「しつけーなテメーも。知らねぇって言ってんだろーが。思い当たり…はともかく心当たりは欠片もねーよ」 先頃移動中の車で佐々木に言われた通りの、人間を一人独占する願望、の意味で言えば、実に困った事に思い当たる節が無い訳ではない。のだが、同時に単なる願望であるからこそ、それは起こりはしないし叶いもしないし望みもしないものであると言う確信がある。 「そもそも。経緯は兎も角だ、本当に拉致されたって言うのか?アイツが?チンピラ顔負けに物騒な?鬼の副長サンが?」 未だ残る疑いを眼力に込めながらのつもりで言えば、佐々木はあっさりと「ええ」と首肯した。 「今の所、身代金や警察への要求も無ければ、犯行声明も無い。当然ですが遺体も上がっていません。ただ、連絡と足取りが共に途絶えているだけです。 が、真選組の方々も口を揃えて証言しています。局長を含む重要なスケジュールのある日に、土方さんが何時間も連絡を絶つ事など有り得ない、と」 そうだろう。と銀時は密かに胸中で同意する。あの仕事第一の男は、どんな記念日だろうがどれだけ前の晩激しく睦み合おうが、仕事のある時にはさっさとモードを切り替えて仕舞う。どうあっても公私混同など、通常はしない。何より。昨晩もその例に違えはなかった。 「携帯の電池切れとかで連絡が偶々つかねーだけの可能性は」 「山崎さんと言いましたか。地味な方からの報告では、緊急用の連絡手段のどれにも該当する手がかりも痕跡も無く、GPSに因る探知も携帯電話の電源を切られてでもいるのか、反応が無かった様です」 佐々木が淡々と報告書を読み上げる度、銀時の心中は波立ち、穏やかとは言い難く掛け離れて行く。焦燥感。厭な予感。考えたくはない様な可能性の列挙。何れをも振り捨てて、かぶりを振る。 「〜何なのあの子。どんだけトラブルホイホイなの」 「それは寧ろアナタの方では。土方さんはどちらかと言えば攘夷浪士ホイホイでしょう」 「……」 より最悪な『可能性』を想起させる様な言動をさらりと投げる佐々木の嫌味に、銀時は苛々と眉を寄せながら顎を擡げた。余裕がないとあからさまに示すのも実に癪だったが、黙って受け流すにはいささか胃にもたれる。 「まあ、被害者は年頃の男性です、夜遊びが過ぎて未だ夢の中、と言う可能性も無きにしも、ですが」 あの人に限ってそれは無いでしょう。そう吐息に乗せる様に諳んじると、佐々木は少しだけ平坦な笑みを浮かべてみせた。対照的にも、そこに何か含むものを感じ取った銀時の表情は益々険悪さを深める。 そんな視線に晒されて猶、意に介した様子もなく続ける。 「今の所は事件とは言え、形のある状態ではないのが現状です。ただ『容疑者』は明白と言うだけの話で」 「それなんだがよ、」 遮る様に挟んだ銀時に、佐々木は重たげな瞼を閉じた。ふ、と息を漏らす様な笑いが「どうぞ?」と続きを促してくる。 なんだか上手い様に誘導されている様な心地がしないでもない。銀時は卓の上にどんと肘をついた。少し低い位置から佐々木を見上げる様に睨め付けて続ける。 「腰の重いお役所仕事にしちゃ、随分と手際が良過ぎらァ。聞いた所、土方(アイツ)の失踪らしき事の次第の発覚から、まだ三時間と経っちゃいねェのに、随分と具体的な証言がホイホイと飛び出すもんだな?」 閉じた瞼の下。平坦な笑み。変わらない。 続ける。 「その上、立件もされて無ェってのに逮捕状が下りるってのは、一体どんなカラクリなんだよ」 だん、と握り拳を机に軽く下ろせば、調書の書き取りをしている見廻組隊士がちらりとこちらを振り返った。然し佐々木は僅かに瞼を持ち上げたのみだ。 「言えやコラ。生憎俺ぁ今、エリート様と豪華個室で楽しくお喋りとかしたい気分じゃねぇんだよ。カツ丼も結局出て来ねーし」 「こちらこそ、貧乏人の方と安いカツ丼をつついて楽しい朝食と洒落込みたい訳ではありませんよ」 突然真顔で返されて、銀時は苛ついた息を吐いた。目の前の三白眼の男を締め上げる算段まで考えはしたが、それをやると事態が益々ややこしい事になりかねない。 「土方さんの現在置かれている状況はご存知ですか?」 やや間を置いてから、何処か考えるのにも似た素振りで視線をぐるりと天井の方へやった佐々木が口を開いた。渋々と言った調子ではない。用意していた台本を、待っていた末に読み上げる様な。 「……まぁ、多少は?件の大捕物からこっち、会ったのは昨日の夜が初めてだったが、顔色悪ィし酒は殆ど入れねーし辺りチラッチラ気にしてるしで」 まあ当初感じた本当の所を言えば、改めて大告白劇をやらかした後で久々に会った事で、気まずさとか緊張とかそう言う成分が疲労の中に見え隠れしているだけだろうと思っていたのだが。 (そんな甘いもんじゃなかったのは、……その後の『話し合い』からも明かだったけどな) 思い起こして少し落胆しながら、銀時は佐々木へと視線で続きを促した。 「先程も申し上げた通り、ただでさえあの人は攘夷浪士ホイホイです。ま、無用に恨みや喧嘩を買って出るタイプですからね。損な性分でしょうに。 そんな攘夷浪士ホイホイに、大阪城楼閣での一件に因り首を危うくされた幕臣や貴族やその関係者などなど、幕府内のある程度の有力者からの逆恨みホイホイが付け足された訳です」 心底そう、呆れた様に言う佐々木の顔を見上げて、銀時は如何にも厭そうな顔を作った。実際本当に胸が悪くて堪らなかったのだが、それをその侭表そうとすると碌な事にならない気がしたのだ。 拳を作った手の中で、骨が軋む様な音がする。 「で。見廻組(テメーら)はそのホイホイを見張ってるだけで次々に掛かる獲物を待ってたと。俺みてーな奴を」 よく回る口と言われる、そこからもっと嫌味や凶悪な言葉が飛び出すかと自分では思っていたのだが、実際滑り出てきたのは酷く軽い声だった。怒りに少し掠れて熄んだ様な。 もっとそれらしい反論でも出て来ると矢張り思っていたのか、佐々木は少し拍子抜けと言った風の表情でいたが、やがて「いいえ」とかぶりを振った。銀時は思わずそんな佐々木の顔を睨み付ける。 「我々はこの度の大粛正の原因となった土方さんや、摘発を行った真選組の重役が、そう言った『何者か』に狙われる可能性を憂慮し、予め予防線を張っていただけです。相手(敵)が攘夷浪士であればそれは真選組の領分ですよ。白夜叉殿」 「テメーらが、真っ先に狙われる可能性が高ぇ土方(アイツ)を張ってたってのは否定出来ねーよな?腐れエリート野郎」 静かだが、今度は存外に凶悪な声が出た。様に思える。 目の前の男に対する怒りは強い。だが、それ以上に、こんな謀に足を取られた己が一番恨めしい。 予防線だの何だのと言うが、要するに土方が『何者か』の襲撃を万一受けた時、それを横から掠め取る準備をしていたと言う事だ。そして恐らくその想定の中には土方の命の保証までは定められていない。寧ろ、乗じて目障りな真選組副長を殺させるぐらいの事は考えているかも知れない。 釣り餌と言うより寧ろ地引き網だ。その中に元攘夷浪士が一人加わったのもさぞ好都合だったに違いない。 「余り人聞きの悪い事を言わないで頂きたいですね。我々は飽く迄、土方さんが狙われた時を憂慮し、警戒していただけです。それに生憎、肝心な所は逃しました。土方さんが──まだ確定ではありませんが、拉致されたのは、我々の預かり知らぬ所で、です」 「そりゃまた随分都合の良い話じゃねーか」 ふ、と嘲笑じみた息を吐いて言う銀時に、こちらは疲れた様な溜息をついて、佐々木。 「繰り返しますが、坂田さん。我々は土方さんのプライベートに介入する心算は一切ありません。ですから、あの人が『誰か』と茶屋に入って何をしようが、それは興味の埒外です。女と会おうが男と会おうが情報屋と会おうが一人で休もうが、それは我々にとってどうでも良い話だ。 監視していた、などと思わないで頂きたい。飽く迄、足取りを追う手筈を整えていたと言うだけの話ですよ」 銀時の先程口にした、やけに手際が良い、と言う問いに対する、それは解答だったのかも知れない。だが、明かに敵対している状況に近い相手の言い分を無条件に信じる訳にも行かない。 実際、佐々木の言葉には大小差はあれど何かしらの嘘は混じっている筈だ。 態とらしくも見える仕草で肩を竦めてみせると、佐々木は調書を取っている部下をちらりと振り返った。見廻組隊士の手は先頃から見事に止まっている。それが正しい事だったのだろう、その侭再びこちらに向き直る無表情。 どうやらこの土方を張っていた『地引き網』の一件、警察組織全体ではなく、見廻組の──しかも佐々木が個人的に行っていた、と言う事の様だ。 「正確に言えば、居酒屋からアナタ方が出て来て、向かった方角を確認した所まで、です。 土方さんの姿が消えた、と言う報を受けて、我々は真っ先にその方角の監視カメラを辿りましたが、これは先程にも申し上げた通りです。その後の具体的な土方さんの足取りは追えていません」 「で、その足取りとやらが途切れるまで同道していた元攘夷浪士を容疑者として取り敢えず捕まえておきましょう、ってか」 憤慨は遂に溜息に変わった。 「間違ってはいませんが、正しくもありません」 受けて、佐々木は珍しくも少し眉を寄せた。何処か不愉快そうに。 不愉快なのは寧ろこっちだよと思いながら、銀時が首の後ろをがりがりと引っ掻いたその時。ばたばたと廊下から騒ぎが近付いて来た。 「──!」 「!、!!、」 何やら言い合う様な声と足音。取調室と言うだけあって扉や壁は厚いらしく、外の遣り取りまでは伺えないのだが── やがて、どん、と強く壁に何かがぶつかる音がした。見張りが突き飛ばされでもしたのだろう。銀時が溜息混じりに、こちらも同じ様に肩を竦めている佐々木の横から出入り口の戸へ視線を投げてみると、タイミング良くも蹴り開ける様な乱暴さで戸が内側にどんと開いた。 「取調中に失礼!」 と。ちっとも失礼とは思っていない態度でずかずかと入ってきた闖入者は、大柄なゴリラ──もとい、ゴリラ似の真選組局長だった。 。 /10← : → /12 |