散華有情 / 12



 逞しい大柄な体躯に精悍な面。喧噪の中でもよく通る強く太い声。腰に佩いた一刀。幕臣の要職に就いている事の一目で知れる黒い制服。
 ひとつひとつを取り出して見れば、成程頼り甲斐のある将と言った風情と風格とを持った男である、と、銀時は純粋にそう思う。
 将たる者に第一に必要なのは、強さや家柄や品格ではない。圧倒的なカリスマだ。即ち、「この人になら背を預けられる」そう多くに見なされてこその大将器と言う事だ。
 極端な物言いをして仕舞えば、器の中身が何であれ、その形が見事であればそれは充分御輿の上の存在に成り得る。だが、張り子の虎は長保ちせずに破綻する。担ぎ手達だって我が身が可愛いのだ。
 つまり、真選組の連中がこのゴリラ似の男を大将として仰ぎ続ける、この男はそれに足るだけの存在であり、意味を持つと言う事だ。巷間口さがなく囁かれる様に、副長が全ての実権を握っており、局長はただの飾りだと言う話がその通りであれば、真選組と言う組織など到底成り立ってはいまい。
 (まあ、ゴリラなんだけどな)
 鼻をほじりながらのそんな思考で見上げた真選組局長は、珍しくも口を引き結んだ険しい表情を浮かべて卓の横へと立った。銀時の方へは僅かも視線を遣ろうとはせずに、片眼鏡の位置を態とらしい仕草で直す佐々木へと挑む様に向かう。
 「思ったよりも早かったですね、真選組局長殿」
 私の予定ではあと一時間は猶予があったのですが、と続けながら、佐々木は銀時へと意味深な視線を僅かに投げて寄越した様に見えた。だがそれも一瞬の事。続く男の声は事務的で固い。
 「困りますね、近藤局長。捜査権限は事態の発覚をいち早く把握し、折り込み済みの我々見廻組にあります。断っておきますがこれは別に、先に手を出しただとか、縄張り争いだとか、そんな下らない理由ではありませんよ」
 「然し佐々木局長殿、事は我々真選組の身内の関わる事。身内の不始末は身内でつけるが道理」
 びしりとした口調で強く言い切った近藤に、やっぱりそう来たかと銀時は苦笑した。
 何らかの事態をある程度予見し構えていた見廻組──と言うより佐々木個人か──に対して、事件が起きてから動く事となった真選組は明らかに分が悪い。捜査にかかる手順にしても、予備知識にしても。全てが一歩どころか十歩近くは劣るだろう。
 ここで真選組の切れる手札は、『事件の推定被害者である土方が真選組の人間』である事以外には恐らく持ち得てはいまい。近藤は敢えて土方の拉致(仮)を『身内の不始末』とする事で、自分たちがその尻拭いをする、見廻組の手を煩わせる事はない、と下手に出ている素振りを見せてながらも捜査権限について牽制をしに来たのだ。
 (まあ、常套手段だよな。……ただ問題は)
 考えながら、銀時は溜息の代わりに、ふあ、と欠伸を噛み殺す。そう言えば夜が遅かったのに朝は早くに(エリート様基準では早くないそうだが)叩き起こされている。色々と捨て置ける状況でないとは言え、眠気だけは通常営業でやって来る様だ。
 「因って、この」
 そこで近藤は初めて銀時の方を見た。一見関心などまるで無い様な表情だが、軽く目配せをしてくるのに、頷きも応えも返さずただ見返しておく。意思の疎通は端から問題ではなかったらしく、近藤は気にした様子もなく続ける。
 「現時点での最重要被疑者の身柄は我々真選組の方で引き受けたく」
 (問題は)
 心なし重たい瞼を軽く指先で揉む銀時の真向かいで、佐々木の片眼鏡がきらりと光った気がした。
 「近藤局長。アナタは事がどれ程重大な所にあるかを今ひとつ理解しておられないようだ。僭越ながら我々見廻組の、大阪での一件以来の事後処理及び処罰に値した幕閣への内部調査は、実働に当たったアナタ方真選組には及びもつかない程の情報量となっています。因って我々はアナタ方の言う『個人的な』事態の収拾のみに事が収まらない事も疾うに熟知している。
 事は土方さん個人に対する失態の責を問うレベルでも無ければ、身柄の救出の是非のみを追って良いレベルでもないんですよ」
 「え、う、…いや、事態の発端を招いたのがそもそも真選組(うち)の…」
 「ですから。何度も繰り返しますが、事は表層的な『事件』そのもの、それだけでは無いとお解りですか」
 一見優しげだが有無を言わせない口調で一息に捲し立てる佐々木を前に、飛び込んで来た時の剣幕や貫禄は何処へやら、近藤はすっかりたじろいで仕舞っている。腰までは流石に引けてはいなかったが、自らの持って来た論を真っ向から──解答は無しに──威力だけで矢継ぎ早に論破されて二の句が継げない。
 (……問題は。このゴリラにそんな高尚な駆け引きは向いてねぇって事だ)
 猶もああだこうだと、同じ内容を形を変えながら巧みに投げつける佐々木と上手く会話のキャッチボールすら成立させられずに狼狽える近藤とを交互に見遣って、予想を裏切らないその光景に、銀時はうんざりと頬杖をついた。とんとん、と空いた片手の指で机を叩いて両者の注意を促す。
 (全く誰だよ、このゴリラを遣いに出したのは。こう言う駆け引きならそれこそ土方の得意分野……ってだからその本人がいねぇんだっつーの。ああ待てよ?佐々木の野郎はゴリラが此処に来るのは予想済みだったぽいよな?てぇ事は、局長級の人間でないと通さねぇ様にしてたぐらいの事は…)
 何か意識の疑問に引っ掛かる問いかけは在るのだが、それが何処にあるのか、どう言った形をしているものなのかが未だ判然としない。ただ、何もかもが奇妙で、何かの寓意の上で踊らされている作為を感じずにいられない。
 そしてそれは不快感にほど似ている。正体の分からない侭の、輪郭だけの肖像の様に。見えている筈なのに、見えていない様なもの。角度を少しでも変えれば或いは何かが伺い見えるのかも知れないのに。
 「エリート様の言う通りだ。カツ丼デリバリーに来た訳じゃねぇならとっとと森に帰れやゴリラ」
 「そうです。バナナが欲しければ千匹屋の桐箱入りのものをお中元にでも贈っておきますので、今日の所はお帰り願えませんか。アナタが居るだけで容疑者との話が進まないのをご理解下さいゴリラ殿」
 「ちょっとちょっとォォ!何で俺だけ邪魔者みたいな感じになってんのォォ?!ソレはないだろ万事屋、何の為に俺わざわざこんな所まで駆けつけて来たと思ってんの!しかも佐々木殿までちゃっかりゴリラとか呼んでるし!」
 銀時と、佐々木と、双方の冷たい視線と言葉とを受けて、近藤は憐れっぽい声を上げる。それこそ、檻の中のゴリラか何かの様に。
 銀時とまるきり同じ感想を抱いた、と言う訳ではないだろうが、佐々木は鼻の頭に僅かに皺を寄せてみせた。笑おうとした寸前にそれに気付いて止めた、と言う様な、ほんの少しばつの悪そうな様子である。
 そのばつの悪さの延長の様にこほん、と態とらしい咳払いを一つ挟むと、佐々木は書記を務めている見廻組隊士を──もう手はずっと止まった侭だったが──振り返り「外で待機を」と一言だけ指示を出す。上司の簡素且つ取り調べと言う状況には些か普通ではない言い種を受けつつも、矢張り心得ているのだろう、隊士は筆記用具を纏めると、軽く室内に頭を下げてから廊下へと出て行った。
 「さて…」
 卓の上に肘をつくと自らの顎を重ねた掌に乗せて、佐々木は改めてそう切り出そうとした。向かいの銀時と、自らの横に立つ近藤とを順繰りに見る。
 「座れば?」
 何となく話し辛そうな空気を感じて、銀時は顎で軽く先程まで書記係の座っていた椅子を示した。
 え。と近藤は暫し躊躇う様子を見せはしたが、大人しくがたがたと椅子を引っ張って来てそこに腰を下ろした。木製の安っぽい椅子が近藤の大柄な体重を受けてぎしりと音を立てる。
 そうして三者が一つの狭い卓を挟んで、各々三角形の頂点で向き合う形となる。銀時と、佐々木と、近藤と。日頃の三名の関係性や性格を知る者が見れば、どういう画なんだろうと首を傾げる事請け合いの様相だ。土方辺りが見たら思わず現実逃避に逃げ出しているかも知れない。
 「面倒ですので、手っ取り早く本題に入りましょう」
 鋭くはないが危うい所を掠めそうな切り口に、近藤がはっと背を正した。一方銀時はさほど変わらず、耳の穴を軽くほじりながら続きを待つ。
 「坂田さんには既に土方さんが攘夷浪士+恨みホイホイ状態であるとはご説明致しましたが。
 拉致──要するに土方さんが姿を消してから優に十時間……まあ、実際足取りが途絶えてからは六時間程度ですが。経過しています。だ、と言うのに、未だ犯行声明、交渉、遺体、無事、その何れも確認出来てはいません。と、なると犯人の目的は明白でしょう」
 何かの台本でも読み上げる様な佐々木の口調に悲壮や焦燥の色は一切感じ取れない。ちらりと寸時銀時の方を見て来るが、揶揄の色さえもそこには無い。実際何の痛痒も無いのだろうその平坦な調子に、近藤は困惑の色を隠しきれない様子で、銀時へと早口にこそこそと囁いて寄越す。
 「何、ホイホイって?トシが不逞浪士に命狙われ易いとかそう言う話?」
 「そんな感じに置いとけや。つーかあの子なんであんな敵作るの得意な訳?寧ろ組織の序列的なもん考えるとオメーの方が暗殺とかする価値あるんじゃねーの?」
 「何て言うかその、トシは目立つからなあ色々と。そうでなくとも、真選組(うち)にとっては無くちゃならねぇ大事な柱だ。人材って意味だけでなく、な」
 「……まーそうね。いつぞやのトッシーの件見りゃ大体想像はつくわ」
 まるで寄せ集めのボロ船の竜骨だ。無くても個別の木片などのパーツは浮かぶが、船としては成り立たない。
 役割を負う立場の人間としても、精神的な意味でも、その存在は恐らくあそこに居る誰にとっても欠かせないものなのだろう。連中との長い付き合いでその程度はもう知り得ているし実感もさせられている。散々に。
 ただ先頃銀時の思った様に、副長の土方が実質全てを掌握している、と見る者は多く、そこに来て土方当人が無用に喧嘩を売り買いしては周囲に敵をつくるものだから、打ち倒すべき幕臣の、市井を取り締まる警察の首級としてなんでかんでと狙われるのも致し方のない──と言うよりは必然的な話なのだろう。
 実際、先程の船の喩えに倣うならば、近藤は船長で、土方は舵取りと言った所だ。或いはそれ以上の家族の様なものでもある。自分にとっての新八や神楽たちの様に。
 「……続けても?」
 逸れた銀時の思考が程良く着地した所で、佐々木が溜息混じりに言って寄越してきた。話の腰を折った自覚はあった為にか、少し固い表情になった近藤は再び居住まいを正し、銀時は、どうぞ、の仕草で応えた。
 そんな両者の反応をどうと思った訳でもないだろうが、佐々木は僅かに肩を揺らした。己の皮膚の様にぴたりと、寸分の乱れもなく着込んでいる白い制服が小さく衣擦れの音を立てる。
 「佐々木殿、犯人の目的とは?」
 その僅かの間でさえ、近藤の焦燥感を煽るものでしかなかった様だ。食ってかかりたくなるのをぐっと堪えた、その膝上で大きな拳が握り固められる。
 「以前の、真選組隊士襲撃殺害事件の時は、場当たり的な犯行の色合いが強かった。被害者がさして交渉材料になりそうもない一般隊士だったのもあるでしょうが、事件の発覚と遺体は同時に上がっています。まあ、攘夷浪士の幕臣への『襲撃』の意図は明確な殺害目的である事が殆どですので、同じ事を土方さんの今置かれているだろう現状から推察出来る『結果』に当て嵌めるのであれば、有り得ない程に無為である、と言う事です。
 あの人を殺害目的で襲撃したのであれば、近藤局長、今し方アナタの言った通りにあの人は非常に目立つ。その死でさえも目立つ。ですから、示威に使わぬ理由がありません」
 死、と言う言葉に、先の隊士の死に様を晒された姿を思い出しでもしたのか、近藤は露骨に顔を歪めて苦しげに息を吐き出した。
 確かに佐々木の分析の通り、土方を殺害目的で襲撃したのであれば、朝にはその惨殺死体が上がっていてもおかしくない、寧ろそうしない理由がないのだ。
 忌々しい幕府の狗の首級を獲ったと、声高に連中は叫ぶ筈だ。
 何かが、おかしい。辻褄が合わない。理由が解らない。銀時は自然と苦い想像の渦巻く胸中の靄を隠しもせず、静かに吐き捨てる。
 「それさえも折り込み済みで、寧ろなんか事件起きて下さいと願いつつ、テメェらはアイツの事張ってたんだろーが。無駄にゴリラに気負いさせてねーで、とっとと本音を言えや」
 言いながら近藤の方を見遣れば、銀時の端的な物言いだけでも十二分にその指す所への理解は達せたらしい。佐々木を睨むのにも似た厳しい眼差しを向ける。
 土方が現在『拉致』されてその所在も生死も知れない、その状況を甘んじて待っていたのが、同じ警察組織の重役だと知ればそれも当然の反応だろう。
 「それは済みませんでした。順を追った方がご理解が早いだろうと思ったもので」
 罪悪感など欠片もない様な穏やかそうな声音に、近藤が喉奥で唸る様な声を上げる。本当ならば締め上げてでもとっとと話を続けさせたいに違いない。気持ちは解るが、ここは堪える場面だ。
 「以上の事からも解る通り、土方さんは生粋の攘夷浪士ホイホイですが、今回の『犯人』はそうではない、と言う事です。そしてそれはつまり、事が真選組だけでは収まらない、警察組織全体への敵対行為であると我々は見なしています」
 言葉の後ろの方に差し掛かった時に、佐々木の眦がすい、と細められた。不遜に。そして何処か威圧的に。そうすると、ただでさえ淡泊な印象のある男の貌からは益々に表情と言うものが無くなる。
 「では何故、万事屋(こいつ)を容疑者などと…。攘夷浪士の仕業ではないと端から解っているのであれば、この男がトシの──真選組副長の拉致になど関わっていないと直ぐに知れた筈では」
 そこに、相変わらず固い──寧ろ険しいと言う風ですらある──表情で、近藤。
 応えるのは、対照的にも平坦な無表情且つ無感情の佐々木。
 「ええ。『敵』、つまり犯人の疑いのある者は、警察組織の上役に当たる幕臣の歴々も含みます。簡単に言えば、大阪城での一件で汚職や収賄など一連の黒い嫌疑を掛けられて処罰対象となった方々と言う事になりますが。その中でも特に、真選組(アナタ方)にある程度の影響力を持つ者らが、今回の主な容疑者です」
 続けて幾つか名前を挙げて言えば、近藤の顔色が解り易く変化した。何れにも動機にも憶えが、或いは思い当たるものがあるらしい。
 「そりゃァ、一本釣りが成功すりゃ相当見廻組(おたくら)には美味しい話だったんじゃねーの?」
 同じ警察組織と言え、その派閥がある程度の敵対関係を持って成立していると言う事ぐらいは銀時も知っている。幕閣の望みは所詮政治的な駒で、その為の走狗に成り得るのであれば、エリート狗だろうが野良狗だろうが飼う。
 そして駒は、駒の役割をちゃんと弁えているものだ。『飼い狗に手を噛まれた』言葉そのものの状況に、土方や真選組を意趣返しに潰すなり、もう二度と叛逆を起こさぬ様に『躾直す』必要があると考える輩が居る事自体はそう驚く話ではない。
 「まあ、否定はしません。連中が真選組の何某かに対し何らかのアクションを──犯罪行為を起こすのではないかと践んだからこそ、我々はそこに釣り糸を垂らしてみた訳ですからね」
 銀時の嫌味そのものの言い種にも、さして気分を害した様子もなく、寧ろ開き直った風情で言ってのけるのは当の佐々木自身だった。
 「兎に角。それもあって再三土方さんには忠告を申し上げたのですがね。足下を掬われない様にしろ、と。だ、と言うのに、アナタと一緒の所を証言や証拠に残して仕舞うとは、全くあの人は迂闊でいけない。
 我々としましては『敵』の息のかかった他の警察組織に坂田さんを捕らえられ、犯人に仕立て上げられる事だけは避けなければならなかったもので、一足飛びに逮捕状を発行するに至ったと言う訳です」
 成程、それが先頃佐々木の宣った「間違ってはいないが正しくもない」との言い種の正体か。と銀時は得心を漸く得たが、不愉快の度合いで言えば実のところさほど変わりそうもない。
 そんな銀時の不穏な心中には気付いた風もなく、近藤が顔を起こす。まだ固くはあったが、先程より幾分険は取れている様だ。
 「では、万事屋の逮捕と言うのは…」
 「有り体に言えば偽装です。その事で近藤局長がいつか飛び込んで来るだろうとは思っていましたが、まさかここまで早いとは流石に思いませんでしたので。後出しにはなりましたが、我々はきちんとご説明差し上げる心算で居ましたよ」
 直情的に飛び込んで来た、と言った体の近藤としては、佐々木に嫌味な程に丁寧にそう言われると流石に弱い。
 「いやな…、新八くんに頼まれたんでな。お前がヤクザの女に手出したとかお白州に引き出されて去勢されるとかで」
 「ゴリラにしちゃ軽いフットワークをありがとう。ちなみにその神楽が言ったっぽい説明は全く正しくねーから。誤情報にも程があるから」
 困った様な顔でこちらを振り向く近藤の顔面へ肘でも叩き込みたい衝動を堪えて言ってから、銀時は溜息混じりに佐々木の無表情を伺い見た。
 「……思い切り疑っておられる表情ですね。心外です」
 「そりゃ疑い…っつーか胡散臭いにも程があんだろ。『偶々』じゃねぇのは解ったが、俺を犯人にしてハイお終い、じゃ困るのは見廻組(テメーら)つーか、寧ろ真選組の敵さんに当たる奴らにとっての話なんだろ?
 ならいっそ、例えば実行犯として元攘夷浪士の『俺』がテメーらの政敵の幕臣に雇われてて、土方を拉致った、とか。そんな展開にも出来んだろうが。寧ろその方が、真選組副長の醜聞まで挙げられてお得、エリート様の考えそうなテだと思ってな」
 醜聞、と言うには些か抵抗があるが、事実として『そう』片付けられておかしくはない関係である自覚はある。
 それは別に衆道云々と言う問題ではない。倫理的にどうだとか言う問題でもない。より単純に、真選組の副長と言う立場のある男が、一人の男の情人の為に、結果的に警察組織の一部を傾けて仕舞う程の大それた行動を独断で行った、と言う事に、だ。
 そして、真選組に敵対する勢力である見廻組の局長がその仔細を知り得ていると言う事は、他にも事実を──あからさまな情報の形ではなくとも──薄らと匂わせる様な所までを掌握している者も居ると言う可能性を示唆している。
 佐久間と言う男の趣味や性癖、過去の『悪行』から辿れば、土方が何らかの弱味を握られ、身売りの様な真似をさせられたであろう事ぐらいであれば、関係者ならば容易に辿れるのかも知れない。
 そこにきて、佐々木は銀時と土方と両者共に面識があった。そうして個人的な『些事』程度には土方と言う男の性質と、その周囲の人間関係を知っている。故に、推測からより正解に近い結論を弾き出す事が叶ったのだろう。
 内包していたのは焦燥か、それとも単純な憤怒だったのか。後悔ではあるまい。銀時の胡乱な視線に晒され、佐々木はやれやれと言った仕草をしながらも、平然と応える。
 「我々も一応おまわりさんなので、一般市民が冤罪で捕まえられる不祥事とか起こされたら困るんですよ色々と」
 だから、ただの親切心だ、とでも言う心算なのか。そんな事は建前です、とあからさまな態度を散々に示しておいて。
 「つーかてめぇ気の所為でなきゃ前に俺を冤罪で牢屋にブチ込んだよね?」
 路上でうっかりラップ勝負に興じていた時だったか。今となればあれは佐々木から土方への挨拶代わりの牽制と、銀時への接触が目的だった様にも思えるのだが。
 「ともあれ、です。佐久間殿の部下や関係者を含む幾つかの容疑者から割り出しを急いでいますが、何れもまだ確たる証拠も確信も出てはいません。
 一応こちらには情報提供者が居ますので、そちらから個々の交友関係やら人間一人を監禁しても怪しまれない施設などを詳しく訊き出している最中です」
 またしても横道に逸れかかった銀時の思考を引っ張り戻す様に、佐々木の平坦な声。
 つまり、今はまだ動けるほどの状況にないと言う事だ。
 「わざわざ土方さんが坂田さんと行動を共にしていたと言う『状況』の後に犯行に及んだと見られ、そしてまだ拉致以降の動きが全く見て取れない。因って、犯行は極めて計画的──少なくとも衝動的なものではないと言えるでしょう。そして『容疑者』は見廻組(我々)が既に押さえている。こうなれば連中は動くしか無くなります」
 万一銀時から、土方を拉致した犯人ではないと言う明確な、法的に隠蔽も出来ない様な証拠が出て来て仕舞ったら、罪状を押しつける対象がいなくなる、と言う事か。理解は出来るがどうにも胸が悪くて、銀時は口の端を歪めた。
 「連中は直ぐにでも『目的』を達したい筈です。殺すにせよ、他に何かを目論むにせよ。
 その明確な『目的』は知れませんが、計画的に拉致をしておきながら、真選組(アナタ方)に対して取引の類と言ったアクションを見せないと言う事は、犯人の目的は土方さんの存在そのものにあると言えるでしょう」
 意趣返し。復讐。拷問。殺害。或いはそれ以外か。それともその何れでもあるのか。
 淡々と可能性を列挙していく佐々木に、近藤はみるみる顔色を無くして腰を浮かせた。がたん、と椅子が後ろに倒れる。
 「ならば益々こんな所でじっとしてなどいられん!万事屋、すまんが現状ではお前の釈放の是非をどうこうするよりも、」
 「近藤局長殿」
 「待てや局長」
 奇しくも佐々木と銀時の声は同じ単語で同じものを指した。眉間に盛大な皺を作った近藤が、その強い調子に思わず振り向くのに、今度は殊更に軽くした調子で佐々木が続ける。
 「今真選組に動かれたら困るんですよ。お解りですか、何の為に我々が『犯人』を確保したかを。なんならもう一度説明が必要ですか?」
 それは常に淡泊そうに見える男にしては珍しい、あからさまな非難の込もった口調だった。
 「アナタ方が犯人捜し、或いは失せ人探しに躍起になれば、坂田さん(囮)の意味が無くなります。そうなると『敵』は慎重に事を運ばざるを得なくなる。偽装の準備を整えた挙げ句の何日も後になって、土方さんの遺体がその辺の攘夷浪士のアジトから出て来る、と言うどうしようもない顛末になる畏れもありますよ」
 「お前さりげなく人の名前にオトリとか失礼なルビ振ったよね今」
 「どちらにせよ今は動ける状態にはありません。手は足りていても情報が足りない。
 『上』はどうかは知りませんが、私は個人的には土方さんを見捨てようなどと言う心積もりはありませんよ。白い鬼に斬り殺されたくはありませんので。
 ですから、進展があれば情報はお伝えします。ここは我々を信じて任せては頂けないものですかね?」
 銀時のぼそりとしたツッコミは無視してそう言い終えると、どうしますか?と言う様に佐々木は軽く肩を竦めてみせる。
 近藤が短慮を起こして動くも自由、佐々木を信じて待つのも自由。
 ただ、結果がどうなるか。だ。
 理解はあっても感情まではついていっていないのだろう。近藤は、ぐ、と苦しげな顔で言葉に詰まった。それはそうだろう、この侭佐々木の言う通り『事態』に進展がなければ、もう何時間か後には土方の首が真選組屯所に放り込まれるかも知れないのだ。或いは、もう既に何か取り返しのつかない事になっている可能性もある。
 「や。お前ら散々あの子の事釣り餌呼ばわりとかしてたよね。それで信じろってのァ説得力皆無だろ。デキ婚の挙げ句三ヶ月で別れる芸能人並に信用出来ねーんですけど」
 押し黙った近藤の代わりにそう吐き捨てると、銀時は椅子をゆっくり後ろに引いて立ち上がった。
 佐々木の言う事の道理の、八割は恐らく正しい。だが、まるで誘導尋問に乗せられている様な、結果まで丁寧に導かれた様な意趣や、判然とはしない違和感がそこにはある。
 だから、それを真っ向から信じる気は銀時にはない。組織として動く事を封じられた近藤とは異なり、信じなければならない道理もない。
 「……おい?」
 いつも着ている白い着流しからそそくさと袖を抜くと、それを茫然と突っ立った侭困惑の呻きを漏らす近藤へとぽいと投げて、ついでに肩を押して、自分の座っていた佐々木の向かいの椅子へと座らせて仕舞う。
 「へ?」
 益々ぽかんとする近藤を余所に、黒いアンダーのみとなった銀時は続けて佐々木へと掌を伸ばした。くい、と指を曲げて見せる。
 「おい、エリート様。その上っ張りとっとと寄越せ」
 端的に過ぎる言葉に、佐々木はあからさまな渋面を作った後、天井を仰いで長い溜息を吐き出した。
 「クリーニング代は結構です。棄てますので」
 「バイ菌扱いかよ」
 手早く脱いだ白いコートを銀時の掌へと投げ渡しながら、佐々木は「困った人だ」と言いたげに何度かかぶりを振った。
 「え?え?」
 近藤だけがきょとんと、頭上を行き交う銀時と佐々木との遣り取りを見上げている。
 その視線の先で、黒い上下の上にさっと、自分よりも丈のあるコートを袖は通さず背中に羽織って、銀時は右手をぷらりと持ち上げた。
 「じゃ、見廻組の坂田、ちょっと捜査に行って来ますんで。その巫山戯た形の容疑ゴリラは局長どうか頼んますゥ」
 「お、おい万事屋ァァァ!!?」
 「ここでは今お前が万事ゴリラだから。万事屋でゴリラ飼った憶えとか無ぇし野良ゴリラと間違われるとか冗談じゃねェけど、誤認逮捕とかしちゃったんだろきっと。つー訳でそこんとこ宜しく」
 そこで漸く近藤は、銀時が『容疑者』の身代わりとして自分をここに置いて行こうとしている事に気付いたらしい。「あ」と驚きの形に口を開く。そこに、佐々木の呆れの色濃い溜息が取調室を無言で横切った。
 「銀時!」
 戸に手を掛けた時、近藤が強い口調でそう呼んで来るのに、銀時は振り返りはしないが無言で続きを待った。
 がたん、と椅子の音がするのに意識を向ければ、携帯電話が飛んで来た。近藤のものだろうそれを難なくキャッチする。
 「……トシを、頼む」
 そうして、ややあってから吐き出されたのは、食いしばった歯の隙間から漏れる様な声だった。
 本当は上司として親友として、自分が駈け出して行きたいだろうに違い無いのだ。
 その気持ちは、持て余す無力感と刻まれる焦燥感とは、良く憶え知るものだ。
 「言われなくても」
 短くそうとだけ応えて、銀時は取調室を後にした。
 
 *

 「エリート的には、組織的な規範から外れた行動は正直歓迎したいものではありませんが、第三者の一般市民のする事ですし、まあ大目に見ておきましょう」
 残された取調室に落ちた奇妙な沈黙を割いたのは、そんな佐々木の、溜息以上の溜息の色濃いぼやきだった。或いはそれは諦めにも似ていたやも知れぬ。
 「はあ…」
 このエリート様にしては珍しい、己の打ち立てた計画や作戦と言った流れを遮るやも知れないものを看過する様な言動に、近藤が感じたのは、そう、正しく『珍しい』としか言い様のない感想だった。
 だが、珍しいですね、と返す程には近藤は佐々木の事を知らないし、親しくもない。故に肯定も否定も出来ず、曖昧に頷くのみに留まった。
 近藤の反応はどうでも良かったのだろう、佐々木は上着を脱いだ腕を緩く組むと、本気とも冗談ともつかない口調で言う。
 「暇ですし、将棋でもしますか?」
 少なくとも、表情からはどちらとも矢張り取れそうもなかった。





銀座千疋…もとい千匹屋。きっと佐々木家御用達。

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